広島県広島市牛田町南区五三
西光中教会 佐々木実吾(52)
思い出しても恐ろしいあの原爆の惨状、二十年八月六日横川橋付近に於て一瞬自転車諸共吹き飛ばされ、気がついた時は檬々たる土煙の中に横たわり、顔、頸、手と露出している部分は全部焼かれ、皮膚が布の如く垂れている所もありました。
そしてもうあっちこっちには火が出て居りました。家の下敷となり助けを求める人々の叫び声を後に、私は夢中で逃げ帰り、以後焼けた皮膚を塩水で拭いては寝て居りました。
四ヵ月後やや元気を回復したのでぼつぼつ家業の料亭の仕事を始めて居りました処、約一年後二十二年四月頃から腹部に痛みを覚え、腹部が張って気持が悪く、下痢が続くので医師の診断を受けました処、原因不明との事でしたが「腹が悪いのだから柔かいものを食べる様に」と言われ色々手当をしました。又その頃より背中一面疥癬の様な吹出物が出て痒く、これが膿でべたべたとなり、苦しい毎日でした。医師も次々と代り、人の良いと言う、あらゆる手当を尽くしましたが体は次第に痩せ衰弱するばかりで、食欲は減退、生きた屍の如くで、人々からは「もう長くはあるまい」と噂されておりました。
二十六年の暮についに医師も「私の手ではどうにもならない、白血球が少いから原子の為かも解らないから広島日赤病院に行って診断して貰いなさい」と、てい良く見放されてしまいました。
もう駄目なのだろうか、生きたいと思う生への執着、何と言ってよいかその気持を表現することは出来ません。
しかし医師に見放され乍らも、未だ医学への信頼は捨て去る事も出来ず、一縷の望みをもって愈々明日は日赤病院に行く事に決めました。その時神様のお救いか、はからずも近所の人より救世教の有難い奇蹟のお話を聴き、早速家内と二人で新本様宅に御伺いし、御浄霊を戴き始めました。
最初はこれで治るのだろうかと不安な気持でしたが御浄霊を戴く内に次第に気持が良くなり、一週間後に何でも食べ、下痢は止り、軽い仕事は出来る様になりました。
その時の嬉しかった事、唯々感謝するのみでございます。
家内は早速入信させて頂きました。その後私は一ヵ月位下痢の御浄化を戴き、腹も疥癬も本当に良くして頂きました。そうして三月二十九日に入信させて頂き、毎日元気で家業に勤めさせて戴いております。私と同じ症状の人は皆死んで居ります。五年余りもあらゆる療法を尽くし、毎日を暗い不安な気持ですごしました。死の一歩手前で、しかも短期間にこの御救いを戴き、新しい生命をお与え下さいましたと言う事は何と偉大な神様の御恵みでしょう。
御礼申し上げようもございません。唯々微力乍ら明主様の地上天国建設に役立たせて頂き、御恩の万分の一でも尽くさせて戴きます。
拙文乍らこの御神徳を皆様と共に喜んで頂きく御報告させて頂きます。
明主様有難うございました。謹みて御礼申し上げます。
(昭和二十七年五月十七日)
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