――国常立尊――

(※ 日月神示は、出口王仁三郎(=素戔嗚尊)の密命で大本教を出た岡本天明が、神から受けた神示。素戔嗚尊は月の神で、キリストと同じ贖罪のお働きなので、日の神〝国常立尊〟ではない。日月神示では、素戔嗚尊が最高とあがめられているから、注意必要。)

――泥海だった世界を造り固められた、元からの竜体をもたれた荒神様でなければ、今度の御用はできない。

・「神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひでこの世のかため致したのであるぞ、元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、(中略)臣民 生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、其の御水はお土から頂くのざぞ、たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのざぞ、御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、(中略)其の御恩と云ふ事知るまいがな、一厘の所 分かるまいがな。守護神も曇りてゐるから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かす様では誠の役員とは云はれんぞ、」(キの巻)

・「(レイ)がもとぢゃ、一(レイ)がもとぢゃ、結びぢゃ弥栄ぢゃ、よく心得なされよ。世の元、の始めから一と現われるまではを十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水(一と三)のドロドロ(十)であったぞ、その中に五色五頭の竜神(二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、今の人民は竜神(二ん)と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのぞ。竜神(二ん)とは神(理)であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)

――アメの一二の神=アメの(つきひ)の神=元のままの肉体を持たれている神。

・「アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメの(つきひ)の神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、つちのひつ九のおん神様ぞ、つちの(ひつき)の御神様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組 見事成就なされるので御座るぞ、判りたか、九二つちの神 大切申せとくどう知らしてあろがな、今迄の臣民人民、九二の御先祖の神おろそかにしてゐるぞと申して知らしてあらう、神は千に返るぞ、九二つちつくること何んなに難儀な事か人民には判るまいなれど、今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀せなならんのざぞ。それでよう堪(こば)れん臣民 沢山にあるのざぞ、元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ、今度 世変りたら、臣民 此の世の神となるのざぞ。国の洗濯はまだまだ楽であるが、ミタマの洗濯 中々に難しいぞ、人民 可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、」(アメの巻)

――この神は一柱だが、働きはいくらでもあり、その働きの名がもろもろの神の名。一神、多神、汎神(ハンシン)、総てが神。初めから全体を掴むのは無理だから、つかめるところから掴めば、だんだんわかってくる。マツリから出直せ。

・「太一二(オーヒツキ)大神としてのこの神は一柱であるが、働きはいくらでもあるぞ。その働きの名がもろもろの神様の名ぢゃ。無限であるぞ。このほう一柱であるが無限柱ぞ。総てが神であるぞ。一神ぢゃ。多神ぢゃ。汎神(ハンシン)ぢゃ。総てが神ぢゃ。喜びぢゃ。始めから全体を掴もうとしても、それは無理と申すもの。手でも足でもよい、何処でもよいから掴める所からつかんで御座れよ。だんだん判ってくるぞ。全体をつかむには全体と同じにならねばならん。その人民々々のつかめるところから掴んで参れよ。このほう抱き参らせてやるぞ。マツリから出直せよ。天地見よ。大きマツリ致して居らうがな。霊と肉のまつり第一。頭とハラのまつり結構。二二のマツリ、出船の港ぢゃ。奥から来るものは喜びぢゃ。念ぢゃ。力のもとぢゃ。生きの生命ぢゃ。神様にはハラを向けなさい。」(春の巻)

――人間は大神のウズの御子だから親のもつ、新しき、古きものが そのままカタとして現れて、弥栄えている。心の世界は無限に拡がり生長するから、神にとけ入って共に大きくなればなるほど、喜びは大きくなる。人間の総てに迫り来る総てを喜びとし、モノを喜ばせればモノは自分の喜びとなり、自分となる。一神則多神則汎神。

「生めば生む程、自分新しくなり成り、大きくなる。人間は大神のウズの御子であるから親のもつ、新しき、古きものが そのままカタとして現れゐて、弥栄えてゐる道理ぢゃ。人間の総てに迫り来るもの、総てを喜びとせよ。努力せよ。モノ喜ばせばモノは自分の喜びとなり、自分となる。心の世界は無限に拡がり、生長するのであるぞ。神にとけ入って宇宙大に拡がるのであるぞ。神と共に大きくなればなるほど、喜び大きくなるのである。一神説いて多神説かんのもかたわ、多神説いて一神説かんのもかたわ、一神則多神則汎神である事実を説いてきかせよ。」(夏の巻)

――この神は従ふ者にはおだやかだが、逆らう者には鬼となる。臣民は自分でしたように思って神を無き者にしたから、今の難儀となってきた。

・「この方クヤム事嫌いぞ。次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民 今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ、神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな、早う気付かんと間に合はんぞ。この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。」(キの巻)

・「この神は日本人のみの神でないぞ。」 (下つ巻)

・「この方は祓戸(はらへど)の神とも現はれるぞ。」(下つ巻)

・「この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、」(磐戸の巻)

・「この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。」(上つ巻)

・「悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。(中略)春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ、神の規則 臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。」(日の出の巻)

・「豊栄に 栄り出でます 大地(くに)(九二)の太神。」(五十黙示録/紫金之巻)

――神は宇宙をつくり給はず。光は中から、岩戸は中からひらかれる。ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出まし。もう【よこしま】のものの住む一寸の土地もなくなった。

・「神は宇宙をつくり給はずと申して聞かせてあろうが、このことよく考へて、よく理解して下されよ、大切なわかれ道で御座るぞ。福はらひも併せて行はねばならん道理。光は中からぢゃ、岩戸は中からひらかれるのぢゃ、ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出ましぞ、もう【よこしま】のものの住む一寸の土地もなくなったのぞ。」(五十黙示録/紫金之巻)

――いよいよ天の御先祖様と地の御先祖様が御一帯になられる。悪の守護神は、この方に近寄れない。

・「竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、心せよ。誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになるぞ、此の方に近よれんのは悪の守護神殿愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、王の王の神で末代治める基(もとい)つくるぞ、少しでもまじりけあってはならんのぢゃ、」(んめの巻)

・「はらひ清めの神(スサナル)の神様なり。サニワの神曰十の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。」

――国常立尊が審判の廷にでられたら、世界は一人の王になる。

・「審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ。」(黄金の巻)

――早く改心して、こ(九、光)の神についていくのが一等。世界中、皆この神の肉体。この神には何一つ判らない、出来ないことはない。神の目からは世界の人民は皆わが子。外(幽)国人とは逆の世界の人民のことで、外国の方が早く改心する。

・「今まで世に落ちてゐた神も、世に出てゐた神も皆一つ目ぢゃ、一方しか見へんから、世界のことは、逆の世界のことは判らんから、今度の岩戸ひらきの御用は中々ぢゃ、早う改心して こ(九、光)の神について御座るのが一等であるぞ。外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中 皆この神の肉体ぞ、この神には何一つ判らん、出来んと申すことないのぢゃ。どんなことでも致して見せるぞ。」(五十黙示録/極め之巻)

 

 

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