――神界ではなにもかも終わって、弥栄えている。
・「元の元の元の神は何も彼も終ってゐるのであるぞ。終なく始なく弥栄えてゐるのぞ。」(黄金の巻)
――神界の事は人間には見当が取れないし、しもの神々様には現界の事がわからない。
・「神界の事は人間には見当取れんのであるぞ、学で幾ら極め様とて会得(わか)りはせんのざぞ、学も無くてはならぬが囚はれると悪となるのざぞ、しもの神々様には現界の事は会得りはせんのざぞ、会得らぬ神々に使はれてゐる肉体気の毒なから身魂磨け磨けと執念(くどう)申してゐるのざぞ。」(日の出の巻)
――人間の智では判らない神界のことは、神界で呼吸(イキ)しなければ判らない。いよいよになったら、神を求めるより他に道はない。
・「人間の智で判らんことは迷信ぢゃと申してゐるが、神界のことは神界で呼吸(イキ)せねば判らんのぢゃ。判らん人間ざから何と申しても神を求めるより、愈々になりたら道ないことぞ。学に囚はれて まだめさめん気の毒がウヨウヨ。気の毒ぢゃなあ。」((黒鉄の巻)
――顕界では神界のことはわからないとわかったら、神界のことがわかる。
・「神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ。一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。今までの戦でも、神が蔭から守ってゐること分るであらうがな、」(地つ巻)
――神の時間
・「百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。」(下つ巻き)
――地上人には時と言っているが、神(カミ)、幽身(ガミ)にも聞かせているから、時間ではない。地上人には時間が考えられるが、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らない。神界での時間とは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事。区別して考えなければ このふでは解らない。
・「時、時、と申してあるが、時間ではないぞ。神(カミ)、幽身(ガミ)にも聞かせているのぞ。地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。トキ待てよ。トキ違えるでないぞ。地上人の時間と区別して考えねば このふでは解らんぞ。」(五十黙示録/星座之巻)
――七は成り、八は開く。八の隈(くま)から開きかけ、開けると、と九と十との三が出てくる、これを宮と言う。宮とはマコトのこと。マコトの数を合せると五と五十。中心に五があり、その周辺が五十となる、これが根本の型、型の歌、型の数、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)。五十は伊勢で、五百は日本、五千は世界。このほうは、五千の山、五万の川、五億のクニ。
・「七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけるとと九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。」(五十黙示録/碧玉之巻)
――伊勢にはモノ言うイシがある。五の一四(イシ)がものを言う。ひらけば、五十となり、五百となり、五千となり、握れば元の五となる。このほうを五千の山にまつれ、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ。五十連が世に出る。
・「イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、判りたか、五十連 世に出るぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)
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