――神示先と、神示の違い。
・「今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ。」(カゼの巻)
――神示は神の息吹き。神が時々、これまでのやり方が悪いと神がかりで知らせたが、気が付く臣民がほとんどいなかった。
・「これまでの日本のやり方悪いから、神が時々、神がかりて知らしてやったであらうが、気付けてやったが気の付く臣民ほとんどないから、今度五度の岩戸一度に開いてびっくり箱開いて、天晴れ神々様に御目にかけ申すぞ、お喜び載くのぢゃ。(中略)神示は神の息吹きぢゃ。心ぢゃ。」(んめの巻)
――神示は印刷してはならないが、臣民の文字の一二三はよい。時や国に応じて神事を説いて聞かせよ。
・「神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。」(天つ巻)
・「神示は謄写(とうしゃ)よいぞ、」(天つ巻)
――神示は、見せてよい人と悪い人がある。
・「この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せて呉れるなよ。まことの神の臣民とわかりたら此の神示写してやりてくれよ。」(日月の巻)
――神示は八通りに読めるが、一厘が隠してある。
・「七つの花が八つに咲くぞ、此の神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。一厘が、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現はれるのぢゃ、現はれてゐるのぢゃ。」(|三の巻)
――人民は言葉の【ふくみ】がわからないから、取違いばかり。国土(九二つち)の上は国土の神が治(し)らす。クニトコタチがクニヒロタチとなる。世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆、この方がつくった。色霊。クニは黄で真ん中、天は青で、黄と青と和合してみどり、赤と和して橙となり、青と赤が和して紫となる。天上天下地下となり、六色となり、六変となり、六合(クニ)となり、更に七となり、八となり、白黒を加えて十となる仕組。
・「何も彼も前つ前つに知らしてあるのに、人民は先が見えんから、言葉の【ふくみ】がわからんから取違ひばかり、国土(九二つち)の上は国土の神が治(し)らすのぢゃ、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数でつくったのぢゃ。愈々が来たぞ、いよいよとは一四一四ぞ、五と五ぞ。十であるぞ、十一であるぞ、クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、クニは黄であるぞ、真中であるぞ、天は青であるぞ、黄と青と和合してみどり、赤と和して橙(だいだい)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(クニ)となるのぢゃ、更に七となり八となり白黒を加へて十となる仕組、色霊(イロタマ)結構致しくれよ。」(五十黙示録/紫金之巻)
――神の道を素直に聞く、苦労に苦労をした苦労に負けない落ちぶれた人が、この神示を解く。
・「此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。」(日月の巻)
――神示は、一分一厘ちがわず、必ず出てくる。
・「おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近慾で疑ひ深いから、何も分らんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。」(天つ巻)
・「神示に書かしたら日月の神(一二)が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、」(アメの巻)
――神が想念したら、神界ではそれが神示となっていて、それを人民に判るように父と母との文字で書かす。神示はいくらでも神界に出してある。
・「神示に出したら天明に書かすのであるぞと知らしてあろう、神示はいくらでも神界に出してあるのぢゃ、神が想念したならば、神界ではそれが神示となっているのぢゃ、それを人民に判るように書かすのぢゃ。父と母との文字で書かすのであるぞ、天明は神示うつす役、書かす御役。」(五十黙示録/極め之巻)
――神の御手にある五十巻の巻物を見たものは一人もなく、巻物を解いて読もうとすれば白紙となってしまう。人民には判らないし、説くことはできない。巻物は天の文字、数字で無が書かれていて、無の中に有がしるしてあり、心を無にすれば白紙の中に文字が現われる。時節が来て、岩戸がひらけて愈々の時となったから、誰の目にも黙示とうつるようになった。何も彼も一切ありやかに刻まれているから、よく読んで、よくより分けよ。残る十二巻と一巻は人民では判らない無の巻物で、空に書いてある。
・「神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は五十巻ぢゃ、この巻物を見たものは今迄に一人もなかったのであるぞ、見ても判らんのぢゃ。巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となって了うのであるぞ、人民には判らんなり。説くことは出来んなり、この巻物は天の文字で書いてあるぞ、数字で書いてあるぞ、無が書いてあるぞ、無の中に有がしるしてあるぞ、心を無にすれば白紙の中に文字が現はれるのであるぞ、時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有難いことであるぞ、岩戸がひらけて愈々の時となったのぞ、始めからの巻物よく読んで下されよ、よくより分けて下されよ、何も彼も一切ありやかに刻まれてゐるぞ、残る十二巻と一巻は人民では判らんぞ、無の巻物ぞ、空に書いてあるぞ。」(扶桑之の巻)
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