――道を広める者の掃除がまだまだ。初めの「カイの御用」は、食べ物を大切にして家の中をきちんとしておくこと。神の言葉が実行できないのは、守護神が未だ悪神の息から離れていない証拠。
・「上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。」(アメの巻)
――神示を読んだら、すぐ実行せよ。
・「この神示読んだ今が出船の港、神の恵みの時 与へられてゐるのぢゃ。明日と申さず実行せよ。明日は永遠に来ないぞ。無いものぞ。今のみあるのぢゃ。」(黄金の巻)
――あまりに曇りがひどくて、戦だけでは掃除できない。家の中キチンと食物大切がカイの御用。
・「始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で世の建替する積りであったが、あまりに曇りひどいから、イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦(イクサ)許りでないぞ、家の中キチンと食物大切がカイの御用と申してあろがな、」(んめの巻)
――イロハの勉強とは、日々の生活を神示に合わせること。
・「慾すてると判って来るぞ。まことの慾深になれよ。イロハの勉強とは、日々の生活を神示に合すことぞ。」(黄金の巻)
・「地はいろは(意露波)であるぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)
――誰でも、何でもよくなるのが神の道。神はよろこびだから、その生んだものは皆よろこび。神について行くことが祈りであり、よろこび。毎日、太陽と共に起き上がれば、その日の仕事が与へられる。朝寝するからチグハグとなり、不運となる。口から出るもの、入るものに気をつけよ。神から、親から与へられた食物を捧げるからこそ頂ける。まず、神に供へ、親にささげ、子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物を節してこそ、ささげてこそ、運が開け、病が治る。腹十分食べるとこぼれて、運はつまって開けないから、運ひらくのも食物をつつしめばよい。神にささげずにむさぼるから、メグリを積み、メグリが不運となり、病となる。食べないで死ぬことはない。食物は今の半分で足りるから、ヒフミの食べ方をすれば、運がひらけて、病が治る。食物を節すればツキモノが改心する。
・「病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。」(冬の巻 補帖)
――いよいよの段階に入ると、われよしの人民には何が何だかいよいよ判らなくなって、焦るほど深みに落ち込む。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくる。見えたら、まず自分の周囲に知らせることで、次の道がひらけてくる。自分だけではうれしうれしとならず、うれしくないものは弥栄しない。死ぬ時には死ぬのが弥栄で、遊ぶ時は遊べ。
・「世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。自分だけではうれしうれしとならん。うれしくないものは弥栄しないぞ。冬になったら冬ごもりぞ。死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。」(月光の巻)
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