――日月の民は、日本人ばかりではない。大和魂とは神の魂。
・「日月の民を練りに練り大和魂の種にするのであるぞ、日月の民とは日本人許りでないぞ、大和魂とは神の魂ぞ、大和の魂ぞ、まつりの魂ぞ、(中略)世建替へて広き光の世と致すのぢゃ、」」(アメの巻)
――てんし様にまつわる心が、大和魂。神の申すことを素直にきくようになれば、神は何でも知らせる。
・「神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ、臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、何もかも神に供へてからと申してあろがな、山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、(中略)臣民 神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろが、(中略)てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、」(富士の巻)
――今の臣民は、元の大和魂(キのままの魂)に返ることは無理だが、神に心を向ければできる。
・「元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、」(磐戸の巻)
――元のキのことは、元のキの血統でなければ判らない。判る者は判らなければならないが、判らない者は判らないのがよい。
・「肉体ある内に身魂かまふて貰わねば、今度身魂磨けて来たら末代の事、末代結構ざから、それだけに大層ざから、お互に手引き合って、磨き合って御用結構ぞ、わけへだてならんぞ、判らん者はチョンに致すぞ。元のキのことは、元のキの血統でないと判らんのぢゃ、判る者は判らなならんぞ、判らんものは判らんのがよいのぢゃぞ。何事も人民に判りかけ致さな、物事遅れるぞ、十年おくれると申してあるが、おくれると益々苦しくなるから、おくれん様 結構したいなれど、大層な肝腎かなめは神々様にも申されんことであるが、今の内に判って貰はねば、知らしてからでは十人並ぢゃ、それまでは神のもとのコトは申されんぞ、元の身魂に輝くぞ。」(〇つりの巻)
――拝めば御光が出て、何もかもそこから生まれる。
・「てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ。(中略)草木も神と申してあろがな。」(日月の巻)
――大和魂とは、神と人とが解けあった姿。神の国には、昔からの神の民以外は済めないのに、渡れない者が渡って汚してしまっている。
・「神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。」(松の巻)
――神と臣民が融け合った大和魂でなければ、勝てない。
・「神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。悪神よ。日本の国を此処までよくも穢したな、これで不足はあるまいから、いよいよ此の方の仕組通りの、とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。学問と神力の、とどめの戦ざぞ。」(松の巻)
――神にまつろえば、過不足なくなる。神心となった政治なら、戦はけりがつく。
・「山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつり合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなく鳧(けり)がつくぞ。」(富士の巻)
――心に足らぬ所があるから、ものに不足する。
・「そなたはものに不足するとこぼして御座るなれど、ものに不足するのは、心に足らぬ所があるからぞ。心いたれば ものいたるぞ。」
――自然を見れば、皆がそれぞれに息する道がある。
・「瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)ならすでないぞ。茄子には茄子と申してあろがな。味噌も糞も一つにするでないぞ。皆がそれぞれに息する道あろがな。野見よ森見よ。(中略)すべてにまつろう事と申してあろがな。」(日月の巻)
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