岩戸閉めと岩戸開き

――大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸ひ込んで、心の洗濯をせよ。神を信じつつ、迷信に落ちている。日本が、秘の本の国、艮(宇詞答裸)(ウシトラ)のかための国、(ヒ)出づる国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国ということが判ってこないと、今度の岩戸ひらきは判らない。国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸(言答)ひらき。自分が勝手に善と悪とに分けて、善をやろうというのが今の世界のあり方。天の王、地(智、千)の王のこと、のことがハッキリ判らねば足場がない。足場も目当てもなくて、めくらめっぽうに歩んでも目的には行きつかない。

・「大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ。そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、神示が腹に入ったらすてて下されと申してあろうがな、神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。日本が秘の本の国、艮(宇詞答裸)(ウシトラ)のかための国、(ヒ)出づる国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、今度の岩戸ひらきは判らんぞ、こんなことを申せば、今のエライ人々は、古くさい迷信ぢゃと鼻にもかけないなれど、国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸(言答)ひらきぞ、今の学では判らんことばかり。善と悪とに、自分が勝手にわけて、善をやろうと申すのが、今の世界のあり方。天の王、地(智、千)の王のこと、のことがハッキリ判らねば足場がないではないか、足場も、めあてもなくてメクラメッポーに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。」(五十黙示録/極め之巻)

――いよいよの大建替は、国常立尊の大神、豊雲野の大神、金の神、乙姫が、まず活動される。今一度悪が栄えることがあるから、猿田彦殿、天鈿女命は取り違えるな。

・「愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となるのざぞ。今度の仕組は元のキの生き神でないとわからんぞ、中津代からの神々様では出来ない、わからん深い仕組ざぞ、猿田彦殿、天鈿女命(あめのうずめのみこと)殿、もとのやり方では世は持ちて行けんぞ。今一度 悪栄えることあるぞ、心して取違ひない様にいたされよ。口と心と行ひとで神示とけよ、堂々説けよ。」(カゼの巻)

――世に落ちておられた神々様、臣民をあげなければならない。

・「今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、」(日の出の巻)

――5回の岩戸閉め。

・「岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時天照大神の時神武天皇の時仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事 始めて会得(わか)りて来るぞ。」(日の出の巻)

――神界や霊界のことは現界から見れば妙なことだが、ちゃんと道にはまっている。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神が揃ってのお出ましが近くなって来た。1回目の岩戸閉めは、妻神のナミの命が火の神を生んで黄泉国に入られ、夫神のナギの命と別れ別れになった(=一方的となった)時。その後、独り神となった夫神も妻神も、いろいろな神々などを生まれた。同じ名の神が現はれてくるが、名は同じでも、はたらきは逆。この二つが揃って三つとなり、三が道。2度目の岩戸閉めは、天照大神がまだ岩戸内にましますのに、ダマシタ岩戸からダマシタ神がお出ましになった時。3度目の岩戸閉めは、素盞鳴命に総ての罪をきせて、ネの国に追いやった時。ナギ・ナミ両神が天ヶ下を治める役目を命じて生まれた尊き神・素盞鳴命は、天ヶ下、大国土を守り育て給うアラフル(現生る)神。このアラブル神を粗暴な神ととらえ間違えた。また、重きものが積もって固まった天ヶ下がツミと見えたよろづの天の神々は、積もるツミをよく理解せずに、天ヶ下を治しめす役の素盞鳴命を罪神と誤った。素盞鳴命にも、一神で生まれ御神と、夫婦呼吸を合せて生まれた御神と二通りある。4度目の岩戸閉めは、神の世から人の世への移り変りの事柄を岩戸にかくして、人皇・ヤマトイハレ彦命(神武天皇)が立った時。5度目は、仏教と共に渡ってきた仏魔によって完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となった時。その後は、乱れ放題、やり放題の世となった。

・「岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。」(五十黙示録/碧玉之巻)

――今度の岩戸開きは、マコトの神の息吹で開く。無理にあけた天照皇太神宮様の岩戸開きは、開いた神々に大きなメグリがある。

・「何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、(中略)皆和合して呉れよ。わるき言葉、息吹が此の方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコト判らんぞ、慾はいらぬぞ、慾出したら曇るぞ。めくらになるぞ、おわびすればゆるしてやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。病治してやるぞ、(中略)腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪も分からん世、闇の世と申すぞ。天照皇太神宮様(テンショウコウタイジングウサマ)の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ、無理にあけた岩戸開きざから、開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、神にはわけへだて無いのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、まぢりけのない、マコトの神の息吹でひらくのざぞ。まぢりありたら、にごり少しでもありたら、またやり直しせなならんから くどうきつけてゐるのざぞ。何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。」(磐戸の巻)

――神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があり、五十と五十、百の光となって現れる。大摩邇は百宝を以って成就する。五十種の光、五十種の色。光の中で百が千となり、万となり億となる百億の化仏。今迄は四の活物だったが、岩戸がひらけて、五の活物となった。五が、白、青、黄、赤、黒色の天の光。

・「神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があるぞ、十の宝座は五十と五十、百の光となって現れるのであるぞ、大摩邇は百宝を以って成就すると知らせてあろうがな、五十種の光、五十種の色と申してあろうがな、光の中に百億の化仏(けぶつ)ぢゃと申してあろう、百が千となり万となり億となるのであるぞ、今迄は四の活物(かつぶつ)と知らせてありたが、岩戸がひらけて、五の活物となったのであるぞ、五が天の光であるぞ、白、青、黄、赤、黒、の色であるぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)

――時がめぐって岩戸が開け、今まで人民には判らなかった天のことが判るようになった。地そのものが変っているから、今迄の人民であってはならない。人民は我が強いから一番おくれていて、その中でも宗教人が一等おくれている。天も地も近くなり、天地がアメツチとなってきているから、神人(カミヒト)とならなければ生きられないのに、目覚めた人民が少ない。人に頼らず、自分の足で歩め。大地を踏みしめれば、大地の気が身内に甦る。

・「天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、今迄の人民であってはならん、地そのものが変ってゐるのであるぞ、人民は我(ガ)が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんのぢゃ、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけてありたのに目さめた人民少ないぞ、今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)

――国常立神、素盞鳴命、大国主命、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界にいて、時の来るのを待たれていた。地は智の神が治める。天運が巡って、千(智)引の岩戸(言答)が開かれて、地(智)にゆかりのある大神達が現れなされた。これが岩戸ひらきの真相で、誠を知る鍵で。

・「国常立神素盞鳴命大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。」(五十黙示録/至恩之巻)

――立体から複立体に、複々立体に、立立体にと、漸次輪を大きく、広く、深く進めて行くのが、岩戸開き。反対の世界と合流するには、平面ではなく、立体でやらなければならない。低い世界は戒律がなくてはならないが、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにしている。病むことは神から白紙の巻物をもらったことで、この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらける。

・「反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ、低い世界は戒律なくてはならんぞ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、気つけ下されよ。病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。神からの巻物おろそかにするでないぞ。」(五十黙示録/碧玉之巻)

――得心していないから肝腎の事がわからないから、くどく言っている。

・「同じことくり返すと、人民申すであろうが、得心して居らんから、かんじんのことぢゃから、クドう申してゐるのぢゃ。」(秋の巻)

――神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶもの。自分の心をつかむには、身と魂とが一つに和せなければならない。智と愛との和合によってが又生れる。

・「顔まで変ってゐるのに未だ気づかんのか。病気に皆がなってゐるのに未だ気づかんのか。何事も早い改心結構。自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。その中に又心あり、又中に心があるのぢゃ。心は神界ぞ。霊界や神界のものを肉体の自分で掴まうとしても中々ぢゃ。うなぎつかみと申してあらうが。ヌラリクラリと掴んだ筈が掴んでないぞえ。掴むには身と魂と一つに和せねばならんから愛と智とが生れると申してあらうが。智と愛との和合によってが又生れるのぢゃ。は喜びであるぞ。の別のであるぞ。そのから又別の愛と智が生れ、又別のが喜びとなり、その喜びの愛と智の喜びと結んで、又喜びの生れるのぢゃ。神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。」(黒鉄の巻)

――融け合う和合、「」ある和合でなければ、今までの和合の仕方では力が出ない。少しでも曇りがあれば、堪えているのは、和合ではない。

・「プラスとマイナスと和合せねばならん只の和合ではムになって力出んぞ。今迄の和合のやり方ではならん。喜びの和合。融け合ふ和合。ある和合でないと、少しでも曇りありたら和合でないぞ。こらへこらへてゐるのでは和合でないぞ。今迄の和合の仕方ではカスあるであらうがな。悪の和合であるぞ。神示肚に入れないで御用六ヶ敷いぞ。」(黒鉄の巻)

――理(リ)が(カミ)の御能(オンハタラキ)だが、理屈は一方的で力にならない。他のために苦労し、全体のために働くことは、喜び。

・「理屈は一方的のものぞ。どんな理屈も成り立つが、理屈程 頼りないもの、力にならんものないぞ。理(リ)が(カミ)の御能(オンハタラキ)ぞ、よく見極めねば間違うぞ。囚はれるなよ。他の為に苦労することは喜びであるぞ。全体のために働くことは喜びぞ。【光の生命】ぞ。」(黒鉄の巻)

・「神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。」(富士の巻)

――ダマシタ岩戸からはダマシタ神が出て、無理はウソのヤミの世となって、この世の苦しみとなってきた。

・「時節に従って負けて勝つのざぞ、負けが勝ちぞ、判りたか。お詑びすれば誰によらん、許してよき方に廻してやるぞ、口先ばかりでなく心からのお詑び結構いたしくれよ。ダマシタ岩戸からはダマシタ神お出でましぞ、と申してくどう知らしてあろがな、ダマシて無理に引張り出して無理するのが無理ぞと申すのぞ、無理はヤミとなるのざぞ、それでウソの世ヤミの世となって、続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、こうなることは此の世の始から判ってゐての仕組、心配せずに、此の方に任せおけ任せおけ。」(ア火バの巻)

――悪の神々をまつるのが、岩戸を開く一つの鍵。

・「「ヤマタ」の「オロチ」を始め 悪の神々様まつり呉れよ、心して結構にまつり始め下されよ。この事 役員のみ心得よ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、」(〇つりの巻)

――臣民は、誠一つで、天の岩戸も地の岩戸も開かなければならない。誠のタチカラオの神。誠のウズメの命殿のご用、結構。

・「天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、誠一つで開くのぢゃ、誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿、御用結構ぞ。ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、この道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、お日様、マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。見て御座れ、見事な世と致してお目にかけるぞ、」(んめの巻)

――五度の岩戸開きが一度に。

・「五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、」(一八の巻)

――外国の性根を入れた5度の岩戸閉めを、元に戻すご用。

・「日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、判りたか。それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、中つ枝からの神々様には判らん事ざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。」(んめの巻)

――悪と思う事に善あり、善と思う事も悪が多い。五度の岩戸閉めがあったから、今度の世の乱れは見当が取れない。

・「悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、(中略)愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。」(磐戸の巻)

――世界中の氏神様、産土様は、天の命令通りにかかれ。泥海に住む世界の人民を、元の水流しで清めなければならない。

・「世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。」(んめの巻)

――日本晴れ近づいた。四つの花が五つに咲く。女松の五葉、男松の五葉、あわせて十葉となって、笑み栄ゆる仕組。十と一()の実り、二二と輝く。国土をつくり固めるために、根本大神がなぜヌホコのみを与えられたのかを知らなければ、岩戸ひらきの秘密はとけない。千引岩戸をひらくことの一端をこの神示で知らす。素盞鳴の命のまことの御姿が判らねば次(通基)の世のことは判らない。神示をいくら読んでも【カンジンカナメ】のことが判らなければ何にもならない。

・「四つの花が五つに咲くのであるぞ、女松の五葉、男松の五葉、合せて十葉となりなりなりて笑み栄ゆる仕組十と一()の実り、二二と輝くぞ、日本晴れ近づいたぞ、あな爽々し、岩戸あけたり。国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与へたまひしか? を知らねば、岩戸ひらきの秘密はとけんぞ。千引岩戸をひらくことに就いて神は今迄何も申さないでゐたのであるなれど、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのであるぞ、素盞鳴の命のまことの御姿が判らねば次(通基)の世のことは判らんそ、神示をいくら読んでも【カンジンカナメ】のことが判らねば何にもならんぞ。」(五十黙示録/紫金之巻)

――岩戸が開いて、表裏が揃ったまことの守護となったら、悪も善も隠れるところが無くなる。

・「今迄は影の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃うた守護になりたら、まことの守護ぞ。悪も善も、もう隠れるところ無くなるぞ。」(黄金の巻)

――日月様が、ヒツキ様となられて、今度の岩戸開きが開ける。

・「大神様だけでは仁義になりませんぞえ。月日様では世は正されん。日月様であるぞ。日月様が、(ヒツキ)様となりなされて今度のイワトびらき、あけるぞ。」(黄金の巻)

――八と九の境をひらくことが岩戸を開くことで、最も根本を為す最も力あること。

・「空白とは九八九であるぞ、八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)

――富士と鳴門の仕組を結構に致せよ。ナルの仕組は【成十】(七十)の経綸で、八が十になる仕組、岩戸(言答)ひらく仕組、今迄はなかなか判らなかったが、岩戸がひらけてきたから、見当つくだろう。

・「ナルの仕組とは【成十】(七十)の経綸であるぞ、八が十になる仕組、岩戸(言答)ひらく仕組、今迄は中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸がひらけて来たから、見当つくであろう富士(二二、普字)と鳴門(七十、成答)の仕組、結構致しくれよ。」(五十黙示録/星座之巻)

――岩戸が開けたから、元の元の元のキの道、タマ(玉)の道でなくては立ちゆかない。動かないん二二(普字、富士)の仕組、ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七十、成答)。岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。新しき人民の住む、霊界と現界の両面をもつ所。

・「自由も共産も共倒れ岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、動かん二二(普字、富士)の仕組、ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七十、成答)ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。」(五十黙示録/星座之巻)

――二十二が富士、真理で、三。今までは四本指八本指で物事をはかって誤りなかったが、岩戸が明けたから親指が現れて、五本十本となった。

・「十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加へて二十二柱、二十二が富士ぢゃ、真理ぢゃ、又三であるぞ、今迄は四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのであるが、岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのぢゃ、このことよくわきまへよ。」(星座之巻)

――天の理が地に現はれる時が岩戸あけで、日本の国が甘露台。

・「二二の二の五つの今あけて、よろづゐんねん出づる時来ぬ。天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、日本の国が甘露台ぢゃ。」(五十黙示録/星座之巻)

――天、地、人民は、動植物それぞれの岩戸を開くから、その立場々々によって違う所がある。自分のものさしで、岩戸ひらきとはこんなものぞと定めると、いよいよ判らなくなる。

・「岩戸(言答)びらきと申してあるが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸をひらくのであるから、その立場々々によって違ふところがあるぞ、それを自分のものさしで計って、岩戸ひらきとはこんなものぞと定めてゐると、いよいよ判らん時代となってくるぞ、気つけおくぞ。」(五十黙示録/至恩之巻)

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.