――慢心、取違い、疑い、我が、この道の大きな邪魔となる。
・「慢心取違ひ疑ひと、我(が)が此の道の大き邪魔となるぞ、くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。」(んめの巻)
――慢心と取り違いが、一番、調和(まつり)の邪魔になる。
・「まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。ここまでわけて申さばよく分かるであろう、何事も真通理(まつり)が第一ぞ。」(富士の巻)
――この道には、いろいろと神の試しがある。慢心、取り違えをするな。仕組みの邪魔になると、取り換える。
・「この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。(中略)いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。」(三ラの巻)
――慢心するから、神示を読まなくなる。
・「慢心出るから神示読まんやうなことになるのぞ。肚の中に悪のキ這入るからぐらぐらと折角の屋台骨 動いて来るのぞ。人の心がまことにならんと、まことの神の力 現はれんぞ。」(黄金の巻)
――小才があって鼻高だから、素直になれない。
・「何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。」(アメの巻)
――天狗ではなく、頭を下げると流れくる。
・「低うなるから流れて来るのぢゃ。高うなって天狗ではならん道理。頭下げると流れ来るぞ。喜び、愛から来るぞ。神様も神様を拝み、神の道を聞くのであるぞ。それはと
と
とによって自分のものとなるのぢゃ。融けるのぢゃ。一つ境があるぞ。」(黄金の巻)
――目的がよくても、実行するときに悪い念が入ると、悪魔に魅入られる。
・「目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。心せよ。」(黄金の道)
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.