――旧9月8日、18日、5月5日、3月3日は、臣民には怖い日だが、神には結構な日。その時は五六七の世となる。
・「旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。」(日の出の巻)
――辛酉の日と年は、こわい日で、よき日。
・「辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。」(日月神示)
(※ 辛酉革命(しんゆうかくめい)・・・中国で発展した讖緯(しんい)説によれば、干支が60年に一度の辛酉(かのととり)の年は大変革が起こるという思想。辛酉の年は天命が革(あらた)まって王朝がくつがえされる危険な運にあたる年とされたため、改元してその難を避ける習慣がおこった。
「日本書紀」は、神武天皇の即位を西暦紀元前660年に当たる辛酉(しんゆう)の年とし、これを起点として紀年を立てている。この紀年が、神武天皇元年や皇紀と呼ばれ、明治以後、戦前には広く使われていた。
紀元前660年はまだ縄文時代で、古い時代の天皇の寿命が百歳を超えている場合が多いなど不自然に長い事から、江戸時代には批判が出て、特に伴信友(ばんのぶとも)の唱えた見解を踏襲した明治時代の那珂道世(なかみちよ)が、「上世年紀考」で唱えた説は、若干の批判を加えられながらもほぼ定説になっている。
推古天皇9年(西暦601年)は辛酉年で、日本書紀の編者らは讖緯説に従って、この年から干支21巡前、干支一巡につき60年となるため、つまり1260年前の辛酉年に大革命が起きたとし、神武天皇の即位という画期的な出来事をこの年に当て嵌めたと言われている。)
――三月三日、五月五日はよき日、恐ろしい日。
・「九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。(中略)臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。」(日月の巻)
――三五七が正しく、七五三は逆。
・「今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。」(夜明けの巻)
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