――【死後の世界の流れ】霊界は想念の世界だから、時間なく、空間なく、想念のままになる。死後の世界に入った最初は、生存時とほとんど変化がなく、生存時の想念、情動がそのままに続いていて、先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活でき、夫婦は生存時と同様な夫婦愛を繰り返すことができる。ただ、想念の相違はその住む世界を相違させ、死後の最初の状態は長く続かない。次の段階では、外部的のものは漸次うすれ、内分の状態に入っていく。内分と外分とは互に相反するが、霊人の本態は内分にあるから、この段階で初めて本来の自分にかえる。生存時は限られた範囲外には出られないが、内分の自分となれば自由自在の状態におかれ、この状態に入って初めて、生存時のあらゆる行為が清算される。生存時に偽りのなかった霊人は真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらき、偽りの生活にあった霊人は、地獄的暗黒に自分自身で向かう。この状態に入ると、悪的なものはますます悪的なものを発揮し、善的なものはますます善的な力を発揮するから、同一の環境には住み得ない。こうして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え行為することになる。それは、その時の各々にとってはその時の真実であり、歓喜。
・「死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活することもできる。夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえすことができるのである。霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くはつづかない。何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。而して、最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいているから、外部的のもののみが強く打ち出される。故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的のものは漸次うすれて、内分の状態に入っていくのである。内分と外分とは、互に相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。生存時に於ては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲外には出られないが、内分の自分となれば、自由自在の状態におかれる。生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。故に、同一の環境には住み得ないのである。かくして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。」(二日んの巻)
――死後は、死ぬ時の想念そのままの世界に住む。
・「死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮す人 天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。真理を知ればよくなるぞ。」(黄金の巻)
――先祖は、肉体人を土台として修業する。
・「先祖は肉体人を土台として修業するぞ。めぐりだけの業をせねばならん。」(黄金の巻)
――内の自分は神で、外の自分(肉体と肉体霊)は先祖だから、先祖を疎かにするな。
・「内の自分は神であるが、外の自分は先祖であるぞ。祖先おろそかにするでないぞ。先祖まつることは自分をまつることぞ。外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。」(春の巻)
――木は根から芽が出て幹となり枝が栄えるもので、根のない草木はすぐ枯れる。地下にあるそなたの根である先祖を疎かにするな。分家しても先祖を祀らなければならない。未来にもえることは現在に生きることだが、夢ばかり追っていて、現在に生きる努力が足らない。
・「未来にもえることが現在に生きることであるぞ。そなたは現在に生きる努力が足らん。夢ばかり追ってゐてはうたかたぢゃ。そなたは先祖に対する考へ方が間違ってゐるぞ。先祖はそなたではないか。地下にあるそなたの根が先祖でないか。根のない草木はすぐ枯れる道理ぢゃ。先祖は家をついだ兄がまつってゐるから、分家した自分は先祖はまつらいでもよいのぢゃと申して御座るなれど、よく考へて下されよ。根から芽が出て幹となり枝が栄えてゐるのと同様ぞ。枝には根はいらんと申すのと同じような間違ひであるぞ。分家しても先祖まつらねばならん。先祖をおろそかにするでないと、気付けてあるでないか。」(月光の巻)
――のやり方は、内から外に向って行き、がいこくは、外から内に向って行く。
から出て
(よろこび)に帰り、無限より出て有限に形し、有限から無限に帰り、また有限に動くのがマコトのやり方。〇から
に行くのは逆だから、マコトのことは判らない。原因である先祖から正さなくてはならない。外から行く宗教や哲学や科学は、元を判らなくしているから、生きのいのちが判るはずはない。
・「がよろこびであるぞ。また
の
はムでもあるぞ。内から外に向って行くのが
のやり方、外から内に向って行くのが、がいこくのやりかた。〇から
に行くのは、マコトが逆であるから、マコトのことは判らん。外から行く宗教や哲学や科学が元を判らなくしてゐるのぢゃ。元わからんで生きのいのちの判る筈ないぞ。今の世は逆様ぢゃ。先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ。
から出て
にかへり、無限より出て有限に形し、有限から無限にかへり、又有限に動くのがマコトのやり方であるぞ。マコトの理解者には甘露の水ぞ。」(夏の巻)
――人民の悪が幽界にうつり、幽界の悪がこの世に映る。
・「この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。」(黄金の巻)
――死後、曲がった世界を造り出して自分で苦しむ、そこに幽界ができる。
・「誰でも死んでから地獄へ行かん。地獄は無いのであるから行けん道理ぢゃなあ。曲って世界を見るから、大取違ふから曲った世界つくり出して、自分で苦しむのぢゃ。其処に幽界出来るのぢゃ。有りてなき世界、有ってならん。)」(黄金の巻)
――目に見える世界のみに囚われて、タテのつながりを見ないか、行き詰る。死んでも自分は生きている。神示の、霊界と霊、現界と現身(うつしみ)から、大往生の理(ミチ)を弥栄に体得できる。霊と体は同じだが、人間の世界では別々だから、取り違えるな。
・「始めは形あるものを対象として拝むもよいが、行きつまるのは目に見える世界のみに囚はれてゐるからぞ。タテのつながりを見ないからであるぞ。死んでも自分は生きてゐるのであるぞ。大我に帰したり、理法にとけ入ったりして自分と云ふもの無くなるのでないぞ。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)とのことはくどう説いてあろうが。神示よめよめ。大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来るのであるぞ。霊と体と同じであると申しても、人間の世界では別々であるぞ。内と外、上と下であるぞ。取りちがいせんようして下されよ。」(夏の巻)
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