着実な歩みで向上する

――この先は、神の道でなければ動きがとれない。神の理を明らかにすれば、神はその人を明らかにする。

・「仏の力と神の力と同じでないぞ。同じ所までは同じであるが、もう此処まで来たら、この先は神の道(ミチ)でなくては動きとれん神の大理(オオミチ)は上の上であるぞ。神の理を明らかにすれば、神はその人を明らかにする。天使は天と地の和合者、仁人は地と天の和合者。」(黄金の巻)

――これからは、思考しなければ何もできない。心の手を合わすとは、サトルこと。苦しみぬいて得たことのみ、自分の身につく。

・「思考しなければ これからは何も出来んぞ。拝み合ふことは理解し合ふことぞ。手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。何故に、心の手 合せんのぢゃ。心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。サトルことぢゃ。苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。血ぢゃ。肉ぢゃ。」(黄金の巻)

――為せば、成る時。

・「為せ、為せ、為せば成る時ぞ。為さねば後悔ぞ。元たてよ。」(黄金の巻)

――いつも剣の下にいる気持ちで、心を引き締めろ。

・「いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、臣民 口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。」(富士の巻)

――行いが出来ていないと、何かが遅れ、それだけ苦しむ。

・「行(おこない)出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。」(キの巻)

――体験と理解のみが財産。神示が肚に入ったら、それでよい。

・「迷ふなよ。迷ふは慾からぢゃ。体験と理解のみ財産ぞ。神示肚に入ったら、それでもうよいぞ。去りて花咲かせ。肚に入るまでは去ってはならん。」(黄金の巻)

――言われたことをいつまでも守る身魂でなければ、ご用は務まらない。

・「一度申した事はいつまでも守る身魂でないと、途中でグレングレンと変る様では御用つとまらんぞ、」(三ラの巻)

――神が言われたときにすぐしないと、成就しないことがある。

・「神が申した時にすぐ何事も致して呉れよ、時過ぎると成就せん事あるのざぞ。桜花一時に散る事あるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫(まんごう)変らぬ松の世と成るぞ。松の国 松の世 結構であるぞ。」(水の巻)

――自分の小ささが分かった者は、神の国に近づいた。(ご神格)

・「自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのであるぞ。」(黄金の巻)

――自分のためにすることは、人のためにすること。

・「己のためすることは人のためにすることぞ。思いは力、実在ぞ。」(黄金の巻)

――神徳を積むと、頭に立っても、人前で自分の力が隠せるようになる。一歩一歩栄よ。

・「何も知らんものが出て来て邪魔するぞ。余程しっかり致しくれよ。邪魔も御役ながら、時と所によりけり。神徳積んだら人の前に自分かくせるやうになるぞ。頭に立つ者 力かくせよ。昨日より今日、今日より明日と、一歩一歩 弥栄えよ。一足飛び、見てゐても危ない。早く判れば後戻りさせねばならず、判らんで後押しせねばならず、少しの時の早し遅しはあるなれど、何れは神示通りに出て来るぞ。想念は形式をもって始めて力出るぞ。」(黄金の巻)

――神に抱かれると、平面から立体になって、有限から無限となり、神人となる。初めは子のためでもいいが、必ず、自分以外の者のために行ぜよ。

・「そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。そなたが有限から無限になるぞ。神人となるのぢゃ。永遠の自分になるのであるぞ。他のために行ぜよ。神は無理申さん。始めは子の為でもよい。親の為でもよい。自分以外の者の為に、先ず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ。一本足では立てん。二本足がよいぞ。やがては明くる二三(フミ)の朝、二二(フジ)は晴れたり、日本晴れ。」(黄金の巻)

――省みると道を見出し、悟ると道が判り、改めると道が進む。自分の中に厭なことがあるから、厭なことが起こってくる。

・「省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。苦しむばかりが能ではない。自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。厭なこと起って来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。肉体は親から受けたのざから親に似てゐるのぞ。霊は神から受けたのざから神に似てゐるぞ。判りた守護神 一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。」(黄金の巻)

――働きかける力は神から出るから、人間から和し奉らなければならない。祈りを忘れることは、神を忘れ遠ざかること。

・「神と人の和は神よりなさるものであるぞ。本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。信じ合ふ一人が出来たら一つの世界を得たこと。一つ得たら二つになったことぞ。祈りを忘れることは、神を忘れること、神から遠ざかること、それではならんのう。安全な道通れ。安全な教の所へ集まれよ。」(黄金の巻)

――大きな一神を信じるまでには、部分的多神から入るのが近道。存在が許されているものには、それだけの用がある。

・「悪く云はれるのが結構ぞ。何と云はれても びくつくやうな仕組してないぞ。(中略)何も彼も存在許されてゐるものは、それだけの用あるからぞ。近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎ廻るのぞ。大き一神を信ずるまでには、部分的多神から入るのが近道。大きものは一目では判らん。この方 世に落ちての仕組であるから、落して成就する仕組、結構。」(黄金の巻)

――動機が善なら、失敗は薬。

・「動機善なれば失敗は薬。」(黄金の巻)

――この神は今迄にない大変をいたすから、一度言ったことをどこまでも貫くのは結構だが、あまり小さく囚われていると判らんことになってくる。昨日は昨日、今日は今日と、固まるときには一度に固まらなければならない。動機が善なら失敗は薬だと、自分の都合のいいように弁解するのは、薬にならない。毒となることがあるから、省みよ。

・「一度申したこと何処迄もつらぬくそなた結構ぞ。なれども囚われているぞ。この神はちと大きな、今迄にない大変をいたすのであるから、あまり小さく囚われていると判らんことになってくるぞ。固まるときには一度に固まらねばならん。昨日は昨日、今日は今日ぞ。そなたは動機が善ならば失敗は薬と、われの都合のよいように、われとわれを弁解して御座るなれど、弁解したのでは薬にならん。毒となることあるぞ。省みよ。」(月光の巻)

――火と水(ヒトミ)。火と水の違いから、しくじるが、やり直せば、しくじりでなくなる。

・「この火(ほう)この水(ほう)ぞ。この火ばかりと思ふなよ。火と水(ヒトミ)ざぞ。善き火(ホー)に廻してやるぞ、良き水(ホー)の御用も回してやるぞ。しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違ひぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。」(黄金の巻)

――真理を知ってもよくならなかったら、よく省みろ。長い目で見てよくしようとするのが神の心。

・「真理を知って、よくならなかったら、よく省みよよくなるのがマコトであるぞ。悪くなったら心せねばならん。善人が苦しむことあるぞ。よく考へて見い。長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。神徳は重いから腰ふらつかんやうにして下されよ。その代り貫きて下されたら、永遠(トワ)にしぼまん九の花となるぞ。二二(フジ)に、九(ク)の花どっと咲くぞ。」(黄金の巻)

――信念を越えて、任せきった真念がある。

・「信念と真念は違ふぞ。信念は自分のもの。信念超えて真念あるぞ。任せきったのが真念ぞ。」(黄金の巻)

――想念の自由とは、神に向上するより上の、より良き方に進む自由。

・「曇りがあまりにひどいから、何事のびっくりが出るか、もう神も堪忍袋の緒 切れたぞ。人間が恨みや怒りもつと、その持物までが争ふことになるぞ。早う気持から洗濯して下されよ。死んでも続くぞ。結構に始末せねばならん。上に立つ者 余計に働かねばならん時来てゐるぞ。いくら古くから信心してゐると申しても【肝腎】が判りて居らんと何もならん。よい御用出来ん想念の自由とは神に向上する より上の、よりよき方に進む自由であるぞ。どの世界の人民も自由もつ。」(黄金の巻)

――肝腎のが判らないから、まとまらない。

・「世界中がいくら集まって、よき世にいたす相談いたしても、肝腎のが判らんから、まとまりつかん。」(黄金の巻)

――生命を捨ててかからなければ、まことの理解には入れない。弥栄とは、あゆみ一歩ずつ喜びが増していくこと。喜びの裏の苦にとらわれるから、苦しむ。

・「生命すててかからねば、まことの理解には入れん道理。身慾信心では駄目いのち捨てねば生命に生きられん道理。二道二股 多いと申してあらう。物の文明、あしざまに申す宗教は亡びる。文明も神の働きから生れたものぢゃ。悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむより尚悪い。何故に判らんのか。弥栄と云ふことは歩み一歩づつ喜び増して行くことぞ。喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢゃ。苦と楽 共に見てよと申してあらう。偶然の真理、早う悟れよ。」(黄金の巻)

――内にあるものが変われば、外からうつるもの、響いてくるものが変わってくる。

・「内にあるもの変へれば外からうつるもの、響いて来るもの変って来るぞ。内が外へ、外が内へ響くのぢゃ。妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二晴れるぞ。」(黄金の巻)

――「一日が千日」とは、神を知ってからの一日は、知らなかった千日よりも尊いという意味。初めは自分本位の祈りでもいいが、いつまでも自分本位の祈りだと悪になる。

・「一日が千日と申してあらう。神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん。止まると悪となるぞ。神の理(ミチ)は弥栄ぞ。動き働いて行かなならん。善と悪との動き、心得なされよ。」(黄金の巻)

――祈りの善悪に応じて、善や悪の神が出るが、初めはなかなか判らない。

・「自分の為ばかりの祈りには、自分だけの神しか出て来ない悪の祈りには悪の神。善の祈りには善の神。始めの間は中々判らんものぢゃ。神様のなされるマネから始めて下されよ。」(春の巻)

――真理を理解していれば、心配はいらない。求めるとは祈ることで、日々の祈りは行。次の祈りは省みること。

・「真理を理解して居れば心配いらん失敗も財産ぞ。真剣で求めると真剣さずかるぞ。求めるとは祈ること。よく祈るものは よく与へられる。日々の祈りは行であるぞ。百年祈りつづけても祈りだけでは何もならん。それは祈り地獄ぢゃ。祈り地獄 多いのう。肉体人は肉体の行せねばならん。日々の祈り結構いたしくれよ。次の祈りは省みることぞ。いくら祈り行じても自分省みねば、千年行じても何もならん道理ぢゃ。(中略)悔いあらためよと申してあらう。省みて行ずるその祈り弥栄えるぞ。平面の上でいくら働いても、もがいても平面行為で有限ぞ。立体に入らねばならん。無限に生命せねばならんぞ。立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん。一から二に、二から三にと、次々に進めねばならん。進めば進む程、始めに帰るぞ。に到るぞ。立体に入るとは誠の理解生活に入ることぞ。無限に解け入ることぞ。イワトあけなば二二輝くぞ。弥栄々々。」(黄金の巻)

――祈りが足らない。「祈り」とは、心で祈り願うことではなく、実行しなければならない。口と心と行と三つ揃わなければと言っていることを忘れたか。

・「そなたは祈りが足らんぞ。祈りと申すのは心でゐのり願ふことでないそ。実行せねばならん。地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか。」(月光の巻)

――マコトで祈れ。心で祈るだけでは、自分で自分をだますことになり、神をいつわることとなる。マコトで祈れば、何事もスラリスラリとかなう結構な世ぞ。

・「マコトに祈れと申してあろう。マコトとは〇(マ)123456789(コ)10(ト)のことと申してあろう。只心でゐのるばかりでは、自分で自分をだますこととなるのぢゃ。自分をいつわることは神をいつわることとなるのぢゃ。マコトでゐのれば何事もスラリスラリとかなふ結構な世ぞ。」(月光の巻)

――祈るばかりでは、物事は成就しない。為すには、まず神に祈り、為す己に祈った後、己が為さなければならない。そして、時々は省みなければならない。形や口先ばかりで拝まず、心と行と口と三つ揃って拝むなら、どんなものでも与えられる。拝む所へ物も神も集まってくるから、足らぬものは無くなる。余ることが無くなって満たされるのが まことの富、清富。

・「そなたはよく祈る。祈ることは結構であるなれど、祈るばかりでものごと成就せんぞ。為すには先づ祈らねばならんが、そなたはそなたの神にのみ祈ってゐるぞ。為すのは己であるから、己にゐのらねばならんぞ。己に祈りた後、己が為さねばならんぞ。乳房与えられても自分で吸はねば自分の身にはつかぬ道理ぢゃ。だが、為したのみでは未だ足らんぞ。時々は省みなければならんぞ。そなたは形や口先ばかりでものを拝んでゐるが、心と行と口と三つそろはねばならん。三つ揃ふて拝むならば、どんなものでも与へられるのぢゃ。拝む所へ ものは集まってくる。神も集まってくる。足らぬものなくなるぞ。余ることなくなって、満たされるのが まことの富ぢゃ。清富ぢゃ。」(月光の巻)

――人民はモノに囚われるから何事も判らない。立体になればそれだけ自由になって、世界が広くなるから、早く立体を覚れ。相手が八と出たら二と受け、十二と出たら八十八、また十二と受けるテもある。二十と出たら八十と和せよ。

・「相手八と出たら二と受けよ。人民と申すものはモノに囚われるから何事も判らんから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとして判らんことになるぞ。十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ。又十二と受けるテもあるぞ。二十と出たら八十と和せよ。立体になれば それだけ自由になるのざ。世界広くなるのぞ。早う立体さとりくれよ。」(春の巻)

――神は全智全能から超全智全能に弥栄している。新しき段階に入る門は、立体から複立体、複々立体、立立体へ。その元であるとなれば、超自由、超自在、超無限で、また超完成、超未完成でもある。

・「の次にがあり、その次にがあり、あると申してあろう。立体から複立体、複々立体、立立体と申してあろうが。と和せばとなるぞ。複立体であるぞ。が複々立体、が立立体ぞ。がその元であるぞ。判りたか。となれば超自由、超自在、超無限ぞ。それだけに又超完成であるぞ。超未完成でもあるぞ。神は全智全能から超全智全能に弥栄してゐるぞ。六ヶ敷いようなれど、このことよく判りて下されよ。新しき段階に入る門ぞ。」(春の巻)

――立体の真道。

・「立体の真道に入るは、小我(われ)死なねば、大我(われ)もなき道ぞ、」(松の巻)

――現実的には不合理でも、不合理にならない道をひらくのが、霊現交流の道、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道。

・「現実的には不合理であっても、不合理にならぬ道をひらくのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道行き詰りのない道新しき世界への道である。平面のみではどうにもならない時となってゐるのに、何して御座るのか。黒船にびっくりしては間に合わん。」(月光の巻)

――神のめぐみは淡々とした水のようなものだから、頭が高いと流れてはこない。片よって歩いてはならない。立体の道【正中の大道】を早くさとれ。平面より見れば相対はあるが、立体に入り、更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならない。真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就しない。善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄える。善にも外道の善があるから、心せよ。礼拝を忘れ、祈りをわすれることは神をわすれること。自分が助かろうとするから助からない。世界はこの世ばかりではないことを、よく得心せよ

・「頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。頭も下げず低くならんでゐては流れては来ないぞ。神のめぐみは淡々とした水のようなものぞ。そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻まげて自分のにほひをかいで見るがよい。そなたは左に傾いてゐるぞ。左を見なければならんが、片よって歩いてはならんぞ。そなたは右を歩き乍ら、それを中道と思って御座るぞ。そなたは平面上を行ってゐるから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じてゐるが、それでは足らんのう。立体の道を早うさとりなされよ。【正中の大道】あるのであるぞ。左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ。左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。原因の世界に入らねばならん。平面より見れば相対あるなれど、立体に入り更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。相対では争ひぢゃ。いくさぢゃ。真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就せんぞ。三千世界和平から出発せねばならんぞ。そなたは神示をよくよんでゐるが、それだけでは足らん。神示を肚に入れねばならん。つけ焼刃ではならん。神示を血とし生活とすれば、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程 栄えて来るぞ。思ふように運ばなかったら省みよ。己が己にだまされて、己のためのみに為してゐることに気づかんのか。それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄えるぞ。善にも外道の善あるぞ。心せよ。神示見て居らぬとびっくりが出てくるぞ。この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片はし八まべからぞ。判りたか。そなたは神体を偶像と申して御座るが、それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ。礼拝を忘れ、祈りをわすれることは神をわすれることぢゃ。そなたの住む段階では、祈り畏こみ謹んで実践しなければならんぞ。拝まんでも拝んでゐる境地はなかなかぢゃなあ。そなたはわれが助かろうとするから助からんのぢゃ。世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。我をすてて素直になされよ。三千年の秋が来てゐるのであるぞ。」(月光の巻)

――心の世界にないものは物質の世界になく、心のうごきが先で、肉体がその後でうごく。それが順序。霊界が主で現界が従であることを判れ。現実世界のことばかりしか判らないから、現実のことばかり言っているが、一の世界、無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得しなければならない。現実世界では、一に一たすと二だが、それは平面の見方、考へ方で、いくら極めても進歩も弥栄もない。

・「そなたは現実世界のことばかりより判らんから、現実のことばかり申して、一に一たす二だとのみ信じてゐるが、現実界ではその通りであるが、それが平面の見方、考へ方と申すもの、いくら極めても進歩も弥栄もないのぢゃ。一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならんぞ。そなたは心をもって居ろうがな。心があれば心の属する世界のある道理は判るであろうが。心で描いて、心で先づつくり出してから行為することも、その順序も判るであろうがな。心のうごきが先で、肉体がその後でうごくことも判って居ろうがな。心の世界にないものは物質の世界にない道理も判って居ろうがな。何故に迷ふのぢゃ。霊界が主で現界が従であること、判って下されよ。逆立してそなた自身で苦しんでゐること、早う得心して、うれしうれしで暮して下されよ。」(月光の巻)

――産むとは、自分をよりよく生長させることで、一つ生めば自分は一段と上に昇る。産むことによって、自分が平面から立体になる。毎日一生懸命掃除をしてもどこかにホコリは残るのに、掃除しない心にはホコリが積もっているから、神示で掃除せよ。

・「ウムと申すことは、自分をよりよく生長さすこと一つ生めば自分は一段と上に昇る。この道理わかるであろうがな。産むことによって、自分が平面から立体になるのであるぞ。毎日、一生懸命に掃除してゐても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。まして掃除せん心にホコリつもってゐること位、誰にでも判ってゐるであろうが。神示で掃除せよ。」(夏の巻)

――自分が体得し、自分から湧き出ねば自分のものではない。つけ焼刃は危ない。三が道。戦争か平和か以外に、水の外道の武器と火の外道の武器か以外に、新しきものがあるが、他に道はないと決めてかかっているから判らない。平面的考えから、立体に入れ。外道の悪を殺さずに抱くから、夜明けが来れば、善と悪がとけあって外道は消えてしまう。

・「与へよ、与へよ、与へよ、与へる政治と申してあろうが。戦争か平和かと人民申してゐるなれど、道はその二つでないぞ、三が道と、くどう申してあろう。水の外道の武器と火の外道の武器の他に、新しき武器気づかんのか。神示よく読めば示してあるのであるぞ。ほかに道ないと きめてかかるから判らんのざ。生れ赤児になれば判るぞ。知らしてやりたいなれど、知らして判るのでは自分のものとならん。自分が体得し、自分から湧き出ねば自分のものでないぞ。つけ焼刃は危ない、危ない。気狂ひに刃物ぞ。平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。神人共にとけ合ふことぞ。外道でない善と悪ととけ合ふのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず。外道は夜明けくれば消えて了ふぞ。夜明けの御用大切と申してあろうが。外道の悪 殺すでないぞ。抱き参らすから消えるのであるぞ。」(春の巻)

――大切なものは神が人間に与えてあるのに、どうしてあくせくするのか。

・「大切なもの一切は、神が人間に与へてあるでないか。人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。何故に生活にあくせくするのぢゃ。悠々、天地と共に天地に歩め。嬉し嬉しぞ。」(黄金の巻)

――型を外し、自分で自分を監視せよ。

・「型にはめると動きないことになるぞ。型外せと申してあらうが。自分で自分を監視せよ。」(黄金の巻)

――霊線を、幽界とつなげば自己愛となり、天国とつなげば真愛と現れる。一段奥へ進めば、新しき広い世界が大きくひらける。自分を高く深くする。無我ではない。大歓喜は一つだが、次の段階では二つ、三つとなる。

・「へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。判りたか。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。よろこびも二つあるぞ。三つあるぞ。大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのであるぞ。」(秋の巻)

――己のみ愛する自己愛を広げて、大きくして、他を愛するは真愛と合致させれば、そこに新しき理(ミチ)がひらける。自己愛を悪魔と説くのは悪魔。一段昇らなければ判らない。

・「他を愛するは真愛ぞ。己のみ愛するのは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させねばならんそこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。一段昇らねば判らん。」(秋の巻)

――何事もよろこびからで、結果から、またよろこびが生れるぞ。

・「何事もよろこびからぞ。結果から又よろこび生れるぞ。この道理わかれば何事もありやか。」(秋の巻)

――大神は大歓喜だから悪をも抱き参らせ、抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国が来る。神は喜び。人の心から悪を取り除かなければ神に通じないぞと教える今までの教えは、段階の低い教えで、大道ではない。

・「三十年で世の立替いたすぞ。これからは一日ましに世界から出て来るから、如何に強情な人民でも往生いたすぞ。神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教へてゐるが、それは段階の低い教であるぞ。大道でないぞ。理屈のつくり出した神であるぞ。大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今迄の教は今迄の教。」(秋の巻)

――自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与へても無くならない。与へてなくなるものは自分のものでない。本質は無限に拡がるから、与へる程、よりよく神から与へられる。

・「自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与へてもなくならんぞ。与へよ、与へよ、与へてなくなるものは自分のものでないと申してあろう。無くなると思ふのは形のみ見てゐるからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与へる程よりよく、神から与へられるぞ。井戸の水のようなもんぢゃ。汲めば汲むほどよくなる仕組。」(秋の巻)

――両目から泥を洗い去ると見えてくる。世の元からの真清(詞)水で洗い落せ。

・「目から泥を洗ひ去ると見へてくるぞ、右の目ばかりではならん、左の目の泥も落せよ。泥のついてゐない人民一人もないぞ、泥落すには水がよいぞ、世の元からの真清(詞)水で洗ひ落し下されよ、世の元の元の元の真清(詞)水結構。」(五十黙示録/星座之巻)

――自身の悪いくせを直すのが、御神業。昨日の自分であってはならず、死ぬまで、死んでも手習いせよ。お互に拝むと、総てが自分となり、拝むところに集まって来て、弥栄る。己自身のいくさが終っていないから、心と行が伴わない。神々様も自分のくせを直すために苦労なさっていて、そのために生長する。

・「口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花心と行が伴わんからぢゃ。己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、それが御神業ぢゃ。神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、そのために生長する昨日の自分であってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん、死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。お互におろがめよ、おがむと総てが自分となる、おがむところへ集まって来て弥栄ぢゃ。」(五十黙示録/極め之巻)

 

 

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