神にまつらふ

――まつり=まつわること=まつり合わすこと。

・「まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。草も木も同じまつり合せでないのざぞ。」(日月の巻)

――まつりせよ、まつろへ。

・「まつりせよ、地(つち)にまつろへよ、天(あめ)にまつろへよ、人にまつろへよ、草木動物にまつろへよ、と、くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、神拝む許りがまつりでないぞ。待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。」(アメの巻)

――の国は、神の国、神の肉体だから、汚してはならない。天の御三体、地の御三体の大神様をまつれ。

・「一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神々様 御降りなされるぞ、地から御神々様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。の国は神の国、神の肉体ぞ、汚(けが)してはならんとこぞ。」(天つ巻)

――神祀るとは、神にまつろう、神に従うこと。神にまつらうふには洗濯しなければならない。神がかかれば何もかも見通しとなる。

・「神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、(中略)神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民 耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。」(上つ巻)

――人が神とまつわれば神となるのが、真実の神世。神国が真ん中に和すには、を掃除しなければならない。

・「人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実(まこと)の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、と〇と申してあろが、戦もと〇と壊し合ふのでは無いぞ、と〇とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには〇掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、」(日の出の巻)

――神の国を治めるマコトは、〇(タマ)と(コト)をまつり合わせた真実(マコト)。

・「神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。〇とをまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか。(中略)光る仕組、中行く経綸(しくみ)となるぞ。」(カゼの巻)

――マコト

・「〇九十(マコト)とは〇一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。」(|三の巻)

――光をわすれ、光にそむくから、イヤな事がおこる、影がさす。禍や悲しみなどの暗いものがないのがマコト。中心は無で、その見えない力が永遠の生命と現われるが、見えないので判らない。有限の見えるものは有限。元の元の元をよく見極めて、中の中の中の見えぬものを掴むところから正さなければ、外側からばかり清めても何もならない。

・「わざわひと言ふものは無いのであるぞ、光をわすれ、光にそむくから、イヤな事がおこるのぢゃ、影がさすのぢゃ、禍とか悲しみとか言ふ くらい(暗い)ものがないのがマコトであるぞ、中心は無と申してあろう。中心は見えんから、判らんから、外のカスばかり見てゐるからつまらんことで、つまらんことが起ってくるのぞ、その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、見えるものは有限ぢゃ。この世の大泥棒をタカヤマぢゃと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを掴まねばならんぞ、そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。」(五十黙示録/碧玉之巻)

――始めの前にあるものが判らなければ、マコトではない。一つのものの表が男で、裏が女。男から女をつくったというのは、ある時期における教え。岩戸がひらけたから、教へではなく、道でなくてはならない。道は永遠。

・「始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん、男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが、一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教ぢゃ、岩戸がひらけたのであるから教へではならん、道でなくてはならんと申してあるぞ、道は永遠ぢゃ、〇から出て〇に至るのぢゃ。」(五十黙示録/碧玉之巻)

――神と人とが交流(まつり)合わして、この世の事がさしてある。今の上の人は神をだしにしているから、神の力が出ない。神ばかりで洗濯するのは早いが、臣民がかわいそう。

・「急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、(中略)早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。(中略)神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。」(上つ巻)

――この方が、富士山に腰かけて、世界中を守る。神にまつわれば、そこに光があらわれ、道がはっきり判ってくる。

・「あらしの中の捨小船と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、(中略)富士の御山に腰かけて、この方 世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。てんし様 御遷(うつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思へども、いつまで紅葉ないぞ。」(天つ巻)

――より上のものから流れてくるものにまつりて行くことが大切。総てに神の息が通っていて、宇宙の総てはこの神の現れであり一面。どこを掴んで拝んでも、すがってもいい。宗教と生活は、裏と表。心が暗くては何も判らない。よい目標を決めて、内の自分に火をつけて自分が光れば、世の中は明るい。

・「宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、その何処つかんで拝んでもよいのである。その何処つかんで、すがってもよいのであるぞ。水の流れも宗教ぞと申してあらう。総てに神の息、通ふているぞ。(中略)ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん。内の自分に火つけよ。心くらくては何も判らん。世の中は暗う見えるであろう。真暗に見えたら自分の心に光ないのぢゃ。心せよ。自分光れば世の中明るいぞ。より上のものから流れてくるものにまつりて行くこと大切ぢゃ。それがまつりの元。それが宗教ぢゃ。宗教は生活ぢゃ。生活は宗教ぢゃ。裏と表ぢゃ。」(春の巻)

 

 

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