神の真の民

――魂を守る日(火)の神と、身を護る月(水)の神が組んで、人になる。

・「左は火ぞ、右は水ざぞ、の神との神ぞ、日の神と月の神ざぞ、日の神許り拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直接(じきじき)恵み下さるのはの神、月神ぞ、ぢゃと申して日の神 疎(おろそ)かにするでないぞ、水は身を護る神さぞ、火は魂護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来てゐるぞ、火の魂入れてあるのざぞ、」(日の出の巻)

――理屈なくして何もかもが分かるのが、神の真の民。

・「神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者 沢山あるが、神には人のいふ善も悪もないものぞ。(中略)そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。言挙げせぬ国とはその事ぞ、理屈は外国のやり方、神の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、それが神の真の民ぞ。」(上つ神)

――神の民の言葉は、神をたたえるもの。それで、言霊幸はふ。

・「神の民の言葉神たたえるものと思へ、てんし様たたえるものと思へ、人ほめるものと思へ、それで言霊幸(さき)はふぞ、それが臣民の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。」 (下つ巻)

――神は人間の想念の中に入っているから、神の想念が人間に伝はる。言は、自分が自分に語る。

・「神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。人間の言葉となって人間に現はれる。言は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理、よく心得なされよ。」(黒鉄の巻)

――天人の言葉はマコトだから、只一言で万語を伝え得る。言葉の生命は愛であり、真だから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉ではない。日本の古(光)語がマコトの言葉、言霊で、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。人民もの言わなくなる。ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となる。

・「人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。」(五十黙示録/星座之巻)

――人民が正しく言葉すれば、霊も同時に言霊し、神も応へ給う。言葉は神をたたへるもの、マコトを伝へるもの、倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるもの。

・「人民が正しく言葉すれば霊も同時に言霊するぞ、神も応へ給ふのであるぞ。始め言葉の元があるぞ、ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現はれるぞ、神の現はれであるぞ、言葉は神をたたへるものぞ、マコトを伝へるものぞ、倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるものぞ。」(五十黙示録/星座之巻)

――言葉は生れ出るもの。まず言葉され、歌、文章、絵画、彫刻、建築、音楽、舞踊、あらゆる芸術の元となる。神に通ずればこそ、愛、真、善、美、喜びである。喜びなきものは芸術ではない。

・「言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉されとなり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、であり、であり、であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。」(五十黙示録/星座之巻)

――ささげるもの、与へるものは、いくらでも無限にあるでないか、ささげよささげよ、与へよ与へよ、言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげものであるぞ、与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。

・「ささげるもの、与へるものは、いくらでも無限にあるでないか、ささげよささげよ、与へよ与へよ言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげものであるぞ、与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。」(五十黙示録/碧玉之巻)

――アとオとウとは天人の言、アとエとイは天使の言、人民に与へられた元の言。五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ、十柱の子(みこ)と交わって、五十神と現はれる。故に五十神の中の三十二神は新しく生まれ、更に二十七神とはたらき、二十五有法とはたらく。

・「アとオとウとは天人の言(コトバ)、アとエとイは天使の言(コトバ)、人民に与へられた元の言(コトバ)であるぞ、五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現はれるのぢゃ。故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのぢゃ、更に二十七神とはたらき又二十五有法とはたらくぞ。」(五十黙示録/星座之巻)

――身魂は、上中下の三段

・「上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。」(下つ巻)

――上中下と、礼儀正しくしないと、神の光は出ない。

・「上は上、中は中、下は下の道と定まってゐるのぢゃ、まぜこぜならん、ちゃんと礼儀作法正しく致さな神の光出ないぞ。世に落ちてゐた鏡 世に出るぞ。」(〇つりの巻)

――種はもとからより分けてある。

・「元の田根(たね)が大切ざぞ、種はもとから択(よ)り分けてあるのざぞ、」(地つ巻)

――神の恵みを受ければ、体が甦る。神の子は日の子だから、日をいただけ。

・「ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。」(地つ巻)

――神の国には、神心があるのみ。死も無く、生もない。

・「神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。神は人であるぞ。であるぞ。であるぞ。である。である。である。である。動物であるぞ。為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。」(日月の巻)

――世が変わったら、雨も風も人間の希望通りになる。

・「世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。」(下つ巻)

――希望は神。希望にもえつつ、現在を足場として生きよ。希望もつ人は栄え、希望なき人は亡びる。アイウエオからアオウエイの世(天国)にうつって来る。

・「希望は愛の現れの一つ。どんな時、どんな人にも与へられているのぢゃ。希望にもえつつ、現在を足場として生きよ。呼吸せよ。同じことしていても、希望もつ人は栄え、希望なき人は亡びる。希望は神ぞ。アイウエオからアオウエイの世にうつって来るぞ。アオウエイの世が天国ぢゃ。用意はよいか。今の世は道具ばかりぢゃ。使ふ人民、早うつくれよ。」(春の巻)

――天にまします父のみではなく、マイナスの神、母を拝(おろが)まなければならない。一神として拝んでも足りないし、二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的。一即多即汎、地即天、天即地から表即裏、マコトを行じよ。

・「父のみ拝(おろが)みたたへただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長出来ないのであるぞ。一神として拝んでも足りぬ、二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神を拝(おろが)まねばならん、マイナスの神とは母のことぢゃ、天にまします父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコトを行じて下されよ。」(五十黙示録/星座之巻)

 

 

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