――日々の人民の御用が、神の御用と一致するように努力せよ。一致すればうれしうれしで、暮しむきも何一つ足らぬものがなくなってくる。食物も着るものもよろこんで飛び込んでくるし、住居も出来てくる。心のそれぞれも同様。
・「大君の勅(ミコト)にみそぎし今朝の太陽(ひ)を吸ふ。日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力せねばならん、一致すればうれしうれしで暮しむきも何一つ足らぬものなくなってくるぞ、食物がよろこんで飛び込んでくるぞ、着るものが着てくれと飛び込んで来るぞ、住居も出来てくるぞ。心のそれぞれも同様ぞ。」(五十黙示録/紫金之巻)
――神心に叶えば、どんどんと進む。
・「神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。」(日月の巻)
――どこにいても、救う者は救う。
・「富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。」(水の巻)
――ご用第一。神の仕事をしていれば、いざというときには神が助ける。
・「何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。」 (上つ巻)
――住む所も食べ物もなくなった時は、神が教えて引っ張るから、心配せずにご用せよ。
・「いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。神の国から除かれた臣民と神の臣民と何ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりて何うしたらよいかと申すことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、」(藤の巻)
――神心には始めも終わりもなく、総てがある。
・「神心には始めも終りも無いのぢゃ。総てがあるのであるぞ。世界見よ。三千世界よく見よ。総てが秘文ぢゃ。他力の中に自力あるのぞ。自分ばかりでは成就せんぞ。足ふみばかり。愛は愛のみでは愛でないぞ。真は真のみでは真でないぞと申してあらうが。まつり合せて入れて愛となり真となるのぞ。愛のみ出ると悪となり、真のみ出ると偽(ギ)となることあるぞ。偽(イツワ)りと悪とまつりて善の働きすることあるぞ。心せよ。」(黒鉄の巻)
――喜ばせて改心させる。すべてを愛せよは、高い立場のこと。
・「苦しめたら改心中々ぢゃ。喜ばせて改心結構ぢゃなあ。総てを愛せよと申すのは、高い立場のことで御座るぞ。九九(ココ)には九九の立場あるぞ。よく心得なされよ。」(黄金の巻)
――善にも悪にも神の心がある。喜びであるミコト(神の心)に生きよ。道は自分で歩まなければならない。
・「道は自分で歩まねばならん。自分の口で食物噛まねばならん。かみしめよ。ウジ虫に青畳、苦のたねぢゃ。畳には畳にすはるだけの行してから坐(すわ)らなならん。【生命はコトぞ。コトはミコトぢゃ】。ミコトは神の心であるぞ。喜びであるぞ。ミコトに生きよと申してあらう。コトあればオトあるぞ。オトあればイロあるぞ。イロあればカズあるぞ。善にも神の心あり。悪にも神の心がある。」(黒鉄の巻)
―― 一切が自分だから、一切を受け入れ、一切を感謝せよ。
・「一切に向って涙せよ。ざんげせよ。一切を受け入れ、一切を感謝せよ。一切が自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。」(黒鉄の巻)
――神様を真剣に求めれば、神様は人間を真剣に導かれる。悪を意志して悪を理解するところに、善としての悪のはたらきが生まれる。
・「理屈で進んで行くと、しまひには共喰から、われとわれを喰ふことになるぞ。神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。結構に導いて下さるぞ。悪を意志して善を理解すること許さんぞ。悪を意志して善を理解せんとするのが悪ぞ。善を意志して悪を理解せんとするのも悪ぞ。悪を意志して悪を理解する処に、善としての悪の用(はたらき)うまれるのざ。幽界も亦(また)神のしろしめす一面のこと。」(黒鉄の巻)
――神の理解に入ると、宗教に囚われなくなる。形式に囚われなくなる。
・「【真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。形式に囚はれなくなるぞ】。真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。政治いらんぞ。喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(フジ)にうつるぞ。」(黒鉄の巻)
――モノが異なれば、霊界での現れは同じでも、現実界に現れる時は違うことがある。二二はもとのキで、ナルトとはその現れのはたらき。
・「霊界での現れは同じであっても、現実界に現れる時は違ふことあるぞ。それはモノが異なるからぞ。二二はもとのキぞ。ナルトとはその現れのはたらき。」(秋の巻)
――人間はいつも善と悪との中にいるから、人間を幸福にするのは、心の向け方一つ。教派や教義に囚われるのは邪教で、神から出た教えなら、他の教えとも協力して共に進め。
・「人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、善のみと云ふこともなく悪のみと云ふこともない。内が神に居りて外が人に和し、内が霊に居り外が体に和せば、それでよいのぢゃ。其処に喜び生れるのぢゃ。神から出た教なら、他の教とも協力して共に進まねばならん。教派や教義に囚はれるは邪の教。豚に真珠となるなよ。天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入る。」(黒鉄の巻)
――みな釈迦、キリストだから、もっと大きな計画をもって、できるところから着手せよ。心が出来たら足場を固めなければならない。神の足場は人。
・「皆々釈迦ぞ、キリストぞ。もっと大き計画もちて御座れ。着手は出来る処からぞ。つかめる所から神をつかめよ。部分からつくり上げなされよ。我出してはならん。そなたはそれでいつもしくじってゐるでないか。天狗ではならん。心出来たら足場固めねばならん。神の足場は人ぢゃ。三千の足場、五千の足場。」(月光の巻)
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