――腹にチャンと神が鎮まっていれば、何事も動く。悪の国は気長くかかって急いでいないが、神の国の今の臣民は、気が短いからしくじる。急いではならんぞ、急がねばならんぞ。
・「神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂(からたま)人のはたらき見れは直ぐ分るでないか。腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、(中略)ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。神の印(しるし)つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。」(地つ巻)
――神をそっちのけにしたら、何もでき上らなくなった。
・「神をそちのけにしたら、何も出来上がらんやうになりたぞ。(中略)一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。」(下つ巻)
――神に従えば楽になり、神に逆らえば苦しむ。
・「神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。」(下つ巻)
・「苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。」(下つ巻)
――ご用を始末よくできれば、何事も楽になってくる。
・「一つでも半分でも神の御用つとめたらつとめ徳ざぞ、(中略)始末よくして下されよ、始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、火のタキ方から水の汲み方まで変るのであるぞ、大切なことであるぞ。」(|三の巻)
――神に逆らうものは、九分九厘でひっくり返って、一つも埒があかなくなる。
・「神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。」(中略)
――この道が開けてだんだん敵が多くなるが、敵が増えてくると、力が出てくる。
・「この道開けてくると敵が段々多くなって来るぞ、敵結構ぞ、敵尊べよ、敵に親切せよ、何れも神の働きぞ、敵も御役、悪も御役ぞ、敵ふへて来ると力出て来るぞ、神の仕組一切り。」(ア火バの巻)
――今の人民は欲の浄化を忘れている。欲を導け。霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけいったら、無限大の身体、無限の生命となる。祈りから総てのものが生まれる。
・「祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。生命のイキであるぞ。祈りから総てのもの生れるぞ。誠の喜びの祈りからはが生命し、かげの祈りからは〇が生命するぞ。人祈れば神祈り、人為せば神なる道理ぢゃ。禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生めよ。産めよ。今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ。」(黒鉄の巻)
――何につけても大いくさで、人の殺し合いばかりではない。神に解け入れ。次元が違うから、戒律が出来るから判らない。
・「神にとけ入れと申してあろう。次元が違うから、戒律出来るから、判らんのぢゃ。解け入れよ。何につけても大いくさ。人の殺し合ひばかりでないと知らしてあらう。ビックリぢゃ。」(秋の巻)
――キが到ればモノが到るから、モノを求める前にキを求めよ。人生の行き先の見当をつけずに、われよしの世界に成り下がっているから、草臥れ儲けばかり。
・「キが到ればモノが到る。モノを求める前にキを求めよ。めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。めあてはの
でないか。
に向かないでウロウロ。草木より、なり下がってゐるでないか。為すとはイノること。人の為にイノるは、己の為にイノること。今の人民、イノり足らん。」(黒鉄の巻)
――祈りばかりでなく、神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならない。教えは教えに過ぎない。ここは、光の理を伝え、行う所。
・「祈りばかりでは祈り地獄、神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん。水は低きに流れるぞ。喜びに叶ふ心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。無限段階あるのぢゃ。心して迷はんように致しくれよ。此処は光の理(ミチ)伝へ、行ふ所、教でないと申してあ ろう。教は教に過ぎん。理でなくては、今度はならんのぢゃ。天の理、地の理、もろもろの理、カタ早う急ぐぞ。教は局部的、時、所で違ふのぢゃ。迷信となるぞ。ハラが神であ るぞ。」(春の巻)
――カミヒトは、神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り、実践する人。自分のためばかりで祈ると、われよしの下の下。
・「カミヒトと申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ。神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのぢゃ。自分のためばかりで祈れば迷信、われよしの下の下ぞ。」(春の巻)
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