筋違いの信仰

――神様を拝んでも、筋が違うと何にもならない。

・「【神、拝しても筋違ふと水の泡ぞ】。」(黄金の巻)

――この道は、ただの神信心とは根本から違う。臣民は、神人が融け合った姿〝惟神〟と言いながら、神を無くし、命がけでと思いながら邪魔ばかりしている。

・「惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが、惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民 神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ、(中略)此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、金や学や智では大峠越せんぞ。神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、裏の裏とはその事ぞ、よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。手のひら返すぞ返さすぞ、」(アメの巻)

――ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルで、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジ。十と十と交わり和して百となり、九十九と動く。霊界には過去も未来もなく、「今」があるのみ、これを中今(ナカイマ)と言う。惟神(かんながら)の道とは、教えがなくなって、元の道が光り輝くこと。総大将は国常立大神で、竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱。

・「ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(ナカイマ)と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと判りて下されよ、教はなくなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神(かんながら)の道と申すぞ。」(五十黙示録/紫金之巻)

――神人交流の第一歩。真直ぐに真上に神をいただくとは、上ばかりではなく、真下、横、前後、立体360度に、真直ぐに神を頂くこと。

・「真直ぐに真上に神をいただくと申すことは、上ばかりではないぞ。真下にも横にも前後にも立体三六度に真直ぐに神を頂かねばならんと云うことぞ。神人交流の第一歩。」(月光の巻)

――三エスの神宝と、3Sの神宝は、毒と薬で裏腹。つきまぜてこね混ぜて、この世の宝とする仕組み。カスの掃除をするのは大切な仕事。

・「三エスの神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬でうらはらであるぞ。五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生れんぞ、力生れるから、カス出来るのざから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除する事 大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜて こねまぜて天晴(あっぱれ)此の世の宝と致す仕組ざぞ、判りたか。一方の3Sより判らんから、人民 何時も悪に落ち込むのぢゃ」(アメの巻)

――道は三つ(参)で、3(スリー)ではない、無限。平面的に言うと、右と左の外に、善の外道、悪の外道という道なき道があり、中の中のは無で動きがないから、無限の動き。そのの外の中は、人民にも動きが見える。この道は中ゆく道で、中の中ののは太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道。

・「道は三つと申してあろう。三とはであるぞ。3(スリー)でないぞと申してあろう。無限であるぞ。平面的に申せば右と左とだけでないぞ。その右の外に、又 左の外に道でなき道あるぞ。それを善の外道、悪の外道と申す。外道多いのう。中の中には中の道あるぞ。中の中のは無であるから動きないぞ。動きないから無限の動きぢゃ。そのの外の中は人民にも動きみゆるぞ。この道は中ゆく道ざと申してあろうが、中のの道は太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道ぢゃ。判りたか。」(春の巻)

――神を頼れば神の力が出るが、今の臣民は口先ばかり。学や知恵は外国にかなわない。

・「学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。」(下つ巻)

――上に唾きすればその顔に落ちる。金に執着し、自分さえよければよい人、口先ばかりで神様と言ったり、頭を下げたりしている臣民は一人も要らない。陸が海となり、見当がとれない病で死ぬ。

・「神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。それはまだよいのぞ、神の面(めん)かぶりて口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示(ふで)よく腹に入れて病追ひ出せよ、」(地つ巻)

――神と学の智の初めは紙一重だが、先にいくほど天地の差となる。これからは何もしない者にご用をさせない。今度神の帳面から除かれたら、永遠に世には出られない。

・「神の智と学の智とは始は紙一重であるが、先に行く程ンプ出来て来て天地の差となるぞ、の神の薬のやり方 悪の神の毒のやり方となるぞ、神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、今の臣民 神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、(中略)何もせんでゐて、よき事許り待ちてゐると物事後戻りになるぞ、神の道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、(中略)軽い者程 上に上に上がって来るぞ、(中略)今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神 キつけておくぞ。」(アメの巻)

――この方は、口上手、手身振り上手で、誠がない者がお嫌い。

・「口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。とどめ(かみ)なり。先見へるぞ、先見んのは途中からの神ぢゃ。」(んめの巻)

――ここを離れた人民が、帰ってくるのは難しい。

・「今はなれた人民、此処がよくなったと云ふて帰る事ははづかしい事になって、帰っても変なことになるぞ、今の内に早う立ち返って御用結構ぞ。世界に、人民に判らんめづらしき事を出すぞ、皆この神の仕組であるから、変りたこと、判らん事が愈々となったら、神代近づいたのであるぞ。」(|三の巻)

――口では良いことを言っても、実行しない偽善者が多い。

・「心に誠あり、口にまこと伝へるとも実行なきもの多いぞ。偽りに神の力は加はらない。偽善者 多いのう。」(黄金の巻)

――自分のみの信仰は、私心私情のため。自分を作ってから人を導くという理屈は、悪の隠れ蓑。

・「自分のみの信仰は、私心私情のため自己つくりてから人を導くのぢゃと理屈申してゐるが、その心根洗って自分でよく見つめよ。悪は善の仮面かぶって心の中に喰入ってゐるぞ。仮面が理屈、理屈は隠れ蓑。」(黄金の巻)

――自分をよくしてくれと言うのは、神を小使いにしている。

・「自分よくして呉れと申してゐるが、それは神を小使に思うてゐるからぞ。大きくなれよ。」(黄金の巻)

――世俗を捨てた宗教は、邪教。

・「【(テン)忘れるなよ】。世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。迷信であるぞ。」(黄金の巻)

――天狗、日和見、宗教のみで天国へ行くや、自分の教会のみが天国に通じる…は、皆悪の眷属。

・「天狗が出て来て三日天下、それも御役、御役 御苦労ぢゃなあ。良けりゃ立ち寄り、悪くなれば立ち去るやうな人民、早う退いて見物して御座れよ。いつも日和見してゐると気の毒出来るぞ。神に使はれるのは一通りや二通りの苦労では出来ん。宗教によるもののみ天国に行くと考へるもの、自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、皆 悪の眷族ばかり。」(黄金の巻)

――他の神を拝してはならない、他の宗教に走ってはならないという信仰は、それだけのものだから、早く卒業せよ。産土さまによくお願いなされ。

・「産土さまによくお願いなされよ。わすれてはならんぞ。宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構。他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの。判らんと申してもあまりであるぞ。」(月光の巻)

――同じ所に天国も地獄も霊界も現実界もあり、過去も未来も中今にある。同じ部屋に他の神仏をまつってはならんという一方的なメクラ宗教にはメクラが集まる。もっとと大き心、深い愛と真の世界を拝め。

・「同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。とけ入れよ。浄化が第一。」(月光の巻)

――悪を実行すれば悪いものが生まれ、根付いて悪くするから、浮いた心では役に立たない。

・「コトはモノになる。悪いことすれば悪いもの生れて来て、生れ故郷に喰付いて悪くする。善いことも同様ぞ。因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛抱して、世界の立替立直しの御用致すのであるから、浮いた心で参りて来ても御役に立たん。邪魔ばかりぢゃ。」(黄金の巻)

――守護神をよく致せば、肉体もよくなる。神の道は一本道だから、多くに見へても終りは一つになる。今が終りの一本道に入るところ、この道に入れば新しき代は目の前。神も今迄はテンデンバラバラだったが、今に一つにならねばならぬと天が命じている。人民の中と外も同様。今の人民はマコトが足らないから、マコトを言っても耳に入らないが、今度は神が人民にうつって、また人民となりてマコトの花を咲かす仕組。

・「守護神をよく致せば肉体もよくなるぞ。神の道は一本道であるから、多くに見へても終りは一つになるのぢゃ、今が終りの一本道に入るところ、この道に入れば新しき代は目の前、神も今迄はテンデンバラバラでありたなれど、今に一つにならねばならぬことに、天が命じてゐるのであるぞ。人民の中と外も同様ぞ。今の人民はマコトが足らんから、マコトを申しても耳に入らんなれど、今度は神が人民にうつりて、又 人民となりてマコトの花を咲かす仕組、同じことを百年もづづけてクドウ申すと人民は申すなれど、判らんから申してゐるのであるぞ。」(五十黙示録/極め之巻)

――何んでも彼んでもカヂをとって自分の思う通りに舟を進めようとするから、大変が起る。鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れる。渦にまかせる時はまかせるのが、ナルトの仕組の一面。

・「鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。カヂをはなせる人民少ないのう。何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。」(五十黙示録/五葉之巻)

 

 

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