――よいご用をする身魂ほど、肉体も霊も苦労させてある。
・「よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。」(一八の巻)
――世界を治める身魂の「あめのひつくの民」は、神が生まれ変わり死に変わり試しに試して、御用を務めたら末代名を残す。ひつくの臣民は落ちぶれているが、今に上が下になる。
・「神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草とは一人をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。」(下つ巻)
――世間が、あれなら日津久の民だと言うような行いをせよ。
「此の道 中行く道と申してあるが、あれなら日津久の民ぞと世間で云ふ様な行ひせねばならんぞ。神の国と申すものは光の世、よろこびの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まるよろこびの世であるぞ。見事 此の方についてご座れ。手引ぱって峠越さしてやるぞ。」(松の巻)
――進んで苦労しない人民は、神の気感にかなわない。
・「人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。」(アメの巻)
――因縁なくしては判らない難しい道だが、この道を貫かなければ、世界は一平にならない。
・「此の道は因縁なくしては判らん六ヶ敷い道であれど、此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、神が守るからおかげ万倍ぢゃ、神の帖面 間違ひないぞ、」(|三の巻)
――欲を出す、心が曇る、我よしになるから改心ができない。苦労しなければ、誠は判らない。
・「苦労いたさねば誠分らんなり、人民と云ふ者は苦に弱いから、中々におかげのやり様ないぞよ、欲出すから、心曇るから、我よしになるから中々に改心出来んなり、六ヶ敷いぞよ。慾さっぱり捨てて下されよ、慾出ると判らなくなるぞ。」(ア火バの巻)
――因縁のある臣民でなければご用できないから、どんなに苦しくても心は勇む。
・「いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。」(上つ巻)
――できないことも無理もきかなければ、この峠は越せない。
・「マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、出来んことも無理もきかねば この峠越せんこともあるのざぞ。天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが、も少し人民に判りて来んと、今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、早う知らしてくれよ。」(|三の巻)
――石にかじりついてもやらなければならないが、万劫末代まで変わらないマコトの神徳を与える。
・「トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。」(磐戸の巻)
――口・心・行の三つが揃ったら、(神)を入れよ。
・「口と心と行と三つ揃ふたら今度は次に入れて下されよ、は神ぢゃ、神示ぢゃ、神示元ぢゃ、と申してあろが、三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。九分九分九厘となってゐる事も判るであろが、」(んめの巻)
――神示は、誠一つで説いて、行へ。
・「神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。」(んめの巻)
――このご用は、一を聞いたら十を知るものでなければ務まらない。
・「一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、うらおもて、よく気つけよ、因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。」(下つ巻)
――〝一を聞いて十〟を覚らなければならない。平面的に説かなければ判らないが、平面的では立体のこと、次元の違ふことが判らない。
・「一聞いて十さとらねばならんぞ。今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう。」(春の巻)
――神示が理解できないのは、神示を読んでいない印。ひとこと言えば分かる臣民、一言えば十を知る臣民でなければ、まことのご用は務まらない。
・「神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、(中略)いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、」(地つ巻)
――臣民は堪えに堪えて、マコトをどこまでも貫け。生神が表に出て働くから、いくら物があっても人がいても、神なき国はいずれ往生する。
・「向ふの国いくら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神なき国は、いづれは往生ざぞ。この神の申すことよく肚に入れて、もうかなはんと申す所こらへて、またかなはんと申す所こらへて愈々どうにもならんといふ所こらへて、頑張りて下されよ、神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、其処迄 見届けねば、この方の役目果たせんのざ、可哀さうなれど神の臣民殿、こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ、マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手柄たてさして、神からあつく御礼申してよき世に致すのであるぞ、腹帯しっかり締めてくれよ。重ねて神が臣民殿にたのむぞよ、守護神殿にたのむぞよ。」(磐戸の巻)
――正とか不正とか言う平面的衣を早く脱いで、マコトを衣とせよ。マコトを衣にするには、心がマコトとなって、マコトの肉体にならなければならない。マコトとは数、言、色、その配列、順序、法則。
・「正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、マコトとは数(かず)ぢゃ、言(こと)ぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、法則ぞ。」(五十黙示録/極め之巻)
――打たれるようなものを心の中にもっているから、打たれる。マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことはできない。右の頬をうたれたら左の頬を出す愚かさをやめよ。左のほほを出す無抵抗で平和の元と言うが、それは無抵抗ではない。
・「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申してゐるが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけて下されよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。世界一家天下泰平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。」(五十黙示録/極め之巻)
――楽してご用しようとするのは、悪の守護神に使われている。
・「楽してよい御用しようと思ふてゐるのは悪の守護神に使はれてゐるのざぞ。」(カゼの巻)
――神の道に無理はないが、楽な道ではなく、もうこれでよいということはない。元の根のより、もう一つキの世にしなければならないから、神々にも見当がとれない。
・「世界中自在に別け取りしてゐた神々様、早う改心第一ぞ。一(ひとつ)の王で治めるぞ。てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、天二(てんぷ)様のことざぞ。行なしではまことのことわからんぞ、出来はせんぞ、神の道 無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さへ三千年の行したぞ、人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。(中略)神の道 無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいと云ふことない道ざぞ。(中略)元の根元の世より、も一つキの世にせなならんのざから、神々様にも見当取れんのぢゃ、」(カゼの巻)
――神の道に進むために罵られることが喜びとなり、その喜びを越えて神の喜びに入れば、罵られることはない。
・「神の道に進むために罵られることは人民の喜びぞ。その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないぞ。神敬ふはまだまだぢゃぞ。早うサトリて、神に融け入れよ。」(黄金の巻)
――命がけで信仰しなければ借銭なしにはならない。
・「いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。途中でへこたれんやうに、生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。途中で変る紫陽花(アジサイ)では、御用六ヶ敷いぞ。」(黄金の巻)
――カ、ミの洗礼無くして、名刀はできない。
・「火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。」(黄金の巻)
――八合目あたりに来るまでは、総ての様子の見当がつかない。これという先達の云う通りについていけ。おかしい先達は、初めからおかしい。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいものが出来る。信念を越えて自分より上のものにまかせきった理解から、確信が得られる。
・「八合目あたりに参ると総ての様子が、ほぼ見当つくぞ。それ迄は誰でもよくわからんもんぢゃ。これと云う先達があったら、先達の云うこと、云う通りについて行けよ。おかしい先達は始めからおかしいぞ。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来るぞ。信念越えて自分より上のものにまかせきったのが理解であるぞ。信念だけでは何事も出来ん。確信は理解からぞ。」(春の巻)
――つくられた時に神から命じられた使命がいのち。使命がないものは生まれない。自分の使命は、内に聞きつつ、外に聞け。使命を果たすことはよろこびだが、生命がけで努力した上にもしなくてはならない。苦のない努力はないが、果たせば苦は楽になる。果たさねば楽も苦。
・「使命がいのち。上から、神から命ぜられたことがいのちぞ。使命はつくられた時に与えられる。使命なくてものは生れんぞ。自分の使命は内にききつつ外にきけよ。使命果たすがよろこびぞ。使命果たすには生命がけでなくてはならん。生命ぢゃからのう。努力した上にもせなならんぞ。努力には苦もあるぞ。苦のない努力ないぞ。右を動かせば左もうごくぞ。果たせば苦は楽。果たさねば楽も苦。重荷あるからこそ、苦あるからこそ、風にも倒れんのぢゃ。神が主であるぞ。」(春の巻)
――行く所は一つだが、いつも大中心に向かって弥栄々々に動いて行かなくてはならない。神は順。本当のことを知るには、本当の鍛錬がいる。鍛えればこそ光が出て来る。
・「小乗の行と馬鹿にするでないぞ。理屈で神を割出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、何処まで行っても判りはせんぞ。土耕す祈りに神の姿現はれるぞ。とどまってはならん。いつも弥栄々々に動いて行かなならん。大中心に向って進まねばならん。途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるなれど、行く所は一つぢゃ。ぢゃと申して小の中心を忘れてはならん。神は順であるぞ。先づ小の神から進んで行けよ。ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ。たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ。鍛えよ鍛えよ。鍛えればこそ光出て来るのぢゃ。」(春の巻)
――長い目で全体と永遠を見なければ、物事は判らない。よいものほど値が高い。進むには、相当の苦労と努力――時も、金も、汗も、血も、涙もいるから、一歩々々進め。よき人民が苦しみ、悪い人民が楽しているから、今を、自分を元として善悪を言ってはならない。
・「一足飛びには行かん。一歩々々と申してあろう。一度に神様を知りたいと申してもさうは行かん。一年生からぢゃ。出直し出直し。子供に大学のことは判らん。十貫の荷物はかつげん道理。進むには、それ相当の苦労と努力いるぞ。あぐらかいて、ふところ手してゐては出来ん。時もいるぞ。金もいるぞ。汗もいるぞ。血もいるぞ。涙もいるぞ。よいもの程 値が高い。今を元とし自分をもととして善ぢゃ悪ぢゃと申してはならん。よき人民 苦しみ、悪い人民 楽している。神も仏もないのぢゃと申してゐるが、それは人民の近目ぞ。一方的の見方ぞ。長い目で見よと申してあろうが。永遠のことわり わきまへよと申してあろうが。支払い窓は金くれるところ、預け口は金とるところ。同じ銀行でも部分的には、逆さのことしてゐるでないか。全体と永遠を見ねば ものごとは判らんぞ。よく心得よ。(二月十五日、日月神)」(春の巻)
――信仰で霊的に病気を治すのは、一瞬には治らない。時間も、手数も、物も金も、大きな努力がいる。
・「病にかかると借金してでも名医にかかるのに、霊的大病は知らん顔でよいのか。信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。奇跡的に治るとみるのは間違ひ。迷信ぞ。時間もいり手数もいる。物も金もいる。大き努力いるのであるぞ。取違ひ多いのう。」(夏の巻)
――神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよい。迷いを払って真実に生きよ。信仰のありかたを知らない。長い目で永遠の立場からの幸、歓喜がおかげ。局部的一時的には いやなことも起ってくるけれど、天地を信じ、自分を知り、人を理解する所にこそ まことの弥栄がある。騙されてやろうとするからカスが残る。ひとまず騙されて、騙されないよう導く、まことにだまされる修業が大切。
・「考えてゐては何も成就せんぞ。神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのぢゃ。人間だけの現実界だけで処理しようとするのが今迄の考えぢゃ。今迄の考えでは人間の迷ひぞと申してあろうがな。迷ひを払って真実に生きよ。みたましづめぢゃ。加実しづめぢゃ。そなたは信仰のありかたを知らんぞ。長い目で永遠の立場からの幸が、歓喜がおかげであるぞ。局部的一時的には いやなことも起ってくるぞ。天地を信じ、自分を知り、人を理解する所にこそ まことの弥栄あるぞ。だますものにはだまされてやれよ。一先づだまされて、だまされんように導いて下されよ。そなたはそんな場合に我を出すからしくじるのぞ。だまされてやろうとするからカスが残るのぞ。まことにだまされる修業が大切ぢゃなあ。」(月光の巻)
――今度の御用は苦の花咲かすことで、真理に苦の花がさく。因縁のそなたは一聞いたら十がわかるから、云われる前に判ってもらわなければならない。人間の目は一方しか見えず、霊の目も一方しか見えないが、霊界の一方と現界の一方の一方は違う。独断は役に立たないから、見極めた上にも見極めねばならない。
・「そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。云われんさきに判ってもらわねばならんぞ。知らしてからでは味ないぞ。十人並ぞ。今度の御用は千人力、十人並では間に合わんぞ。人間の目は一方しか見えん。表なら表、右なら右しか見えん。表には必ず裏があり、左があるから右があるのぢゃ。自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るなれど、それは只一方的の真実であるぞ。独断は役に立たんぞと申してあろうが。見極めた上にも見極めねばならんぞ。霊の目も一方しか見えんぞ。霊人には何でも判ってゐると思ふと、大変な間違ひ起るぞ。一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違ふぞ。」(月光の巻)
――何ごとも神にまかせよ。心配りを忘れてはならないが、取越し苦労、過ぎ越し苦労はいらない。そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身が必要ない苦労をする。御神業とは、現在与えられている仕事で、その仕事をよりよく、より浄化するよう行じなければならない。心と口と行が違うから、違うことが次から次へと折り重なる。霊線のつなぎ方で、苦を苦と心するから苦しくなり、苦を楽と心すれば楽と出てくる。
・「そなたの苦労は取越し苦労。心くばりは忘れてならんなれど、取越し苦労、過ぎ越し苦労はいらん。そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身がいらぬ苦労をするぞ。何ごとも神にまかせよ。そなたはまだ神業の取違ひして御座るぞ。そなたの現在与えられてゐる仕事が神業であるぞ。その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばならんぞ。つとめた上にもつとめねばならん。それが御神業であるぞ。そなたはそなたの心と口と行が違ふから、違ふことが次から次へと折り重なるのぢゃ。コト正して行かねばならんぞ。苦を楽として行かねばならん。苦と心するから苦しくなるのぢゃ。楽と心すれば楽と出てくるのぢゃ。ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ。そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ。そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ。相手を神として拝めば神となるのぢゃ。この世は皆神の一面の現われであるぞ。」(月光の巻)
――よどんだ水は腐るから、忙しいのは神のめぐみ。忙しい中にこそ、神示よむ時がある。忙しいから神示を読むひまがないと、逃げ道をつくってはならない。
・「そなたは忙しい忙しい、神示よむ間もないと申してゐるが、忙しいのは神のめぐみであるぞ。よどんだ水はくさるのぢゃ。忙しい中にこそ、神示よむ時があるのぢゃ。逃げ道をつくってはならん。」(月光の巻)
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