――末法の世
・「末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。」(日の出の巻)
――富士山
・「富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。」(上つ巻)
・〝神〟?・・・「富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。(中略)どんなことあっても死に急ぐでないぞ。」(日月の巻)
――神の山はみな富士という。富士を開くとは、心に神を満たすこと。
――富士は晴れたり日本晴れ
・「神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士(二二)晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(マツリ)ぞ、分りたか。」(下つ巻)
・「二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二(ふじ)は晴れたり、岩戸あけたり。」(天つ巻)
・「岩戸ひらけるぞ。不二晴れるぞ。」(黄金の巻)
・「普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。」(富士の巻)
・「二二(フジ)は晴れたりとは、真理の世に出づことぞ。」(春の巻)
――日本晴れ。
・「神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。」(松の巻)
――建替え、建直し
・「建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、」(キの巻)
・「建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。(中略)建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。」(水の巻)
――まつり、まつろう、まつはる、調和(まつり)合わす
・「まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな、」(地つ巻)
・「神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、(中略)神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、」(上つ巻)
・「まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。」(日月の巻)
――天界に住む者は弱いが、和すから無敵となる。幽界に住む者は強いが、孤立するから弱い。
・「天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。仲よう和してやれと申す道理判りたか。」(黄金の巻)
――清めるとは和すこと。何事も清めれば、善は悪、陰は陽と違ったものが和せば、新しきものを生む。和すには同じあり方(五と五との立場)で和すが、位においては陽が中心で、陰が外でなければならない。天が主で地が従、男が上で女が下が和の正しきあり方で、これを公平という。さかさまはならない。
・「何ごとも清めて下されよ。清めるとは和すことであるぞ。同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。それがまことの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。和すには同じあり方で、例へば五と五との立場で和すのであるが、位に於ては陽が中心であり、陰が外でなければならん。天が主であり地が従でなければならん。男が上で女が下ぢゃ、これが和の正しきあり方ぞ。さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ。」(月光の巻)
――岩戸が開けたから、さかさまのものが出て来ているから、今度は合わないものと合せよ。この行は中々だが、これが出来なけば岩戸はひらけない。少しは苦しき行もあるが、気の合う者のみで和すのでは、和にならない。はじめからの神示よく読め。
・「気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。自分自身にだまされてゐる人民も多いのであるが、ついて御座れよ、少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、自分でもビックリぢゃ、はじめからの神示よく読んで下されよ、」(五十黙示録/碧玉之巻)
――つまらないことに心を残すのは、つまらない霊界との縁が残っていること。早く岩戸を開いて富み栄へよ。何事もはらい清めよ。清めるとは違うもの同士が和すこと。
・「つまらぬことに心を残すのは、つまらぬ霊界とのゑにしが残ってゐることぞ。早う岩戸を開いて富み栄へて下されよ、人民 富み栄えることは、神が富み栄えることぞ。何事もはらい清めて下されよ、清めるとは和すことぞ、違ふもの同士和すのがマコトの和であるぞ。」(五十黙示録/極め之巻)
――正しき和は、陽が中で陰が外、天が主で地が従、男が上で女が下、これが公平で、逆様はならない。陰と陰、陽と陽が和しても陰だが、陽と陰が和して始めて新しき陽が生れる。陽が本質的なもので、この和し方がはらいきよめ。
・「和すには5と5でなくてはならんが、陽が中、陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、さかさまならん、これが公平と申すものぢゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰ぢゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方がはらひきよめ。」(五十黙示録/極め之巻)
――大峠とは王統を消し、新しき元の生命となる。
・「大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。新しき元の生命(いのち)と成るのざぞ。」(アメの巻)
――いま一苦労ある
・「今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。(中略)神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。」(富士の巻)
――日本の国から光が出る(=土の上がり下がりの時)
・「今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。」(地つ巻)
――改心
・「改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。」(下つ巻)
――改心とはアホになることだが、なかなかアホにはなれない。平たく言わなければ理解されない。
・「改心とはアホになることざぞ、世界中のアホ中々ぢゃ、中々アホになれまいがな。世界中の人民に云ふて聞かして改心さすのではキリがないから大変を致さなならんのざぞ。六ヶ敷いこと申してゐるが平とう説かねば判らんぞ、世界の説教をよく聞きてくれよ、天の教、地の導き、よく耳すまして聞きとれよ、神の心 段々に判りて来るぞ。この者は見込ないとなったら物云わんぞ、もの聞けん様になったら、神示いやになったら其の守護神 可哀想になるのざぞ、見込なくなれば神は何も申さんぞ、」(ア火バの巻)
――め覚めれば、その日その時からよくなる仕組。悪の中に悪を入れてはならないが、智の中に総てを、悪も取り入れて理解せよ。
・「霊ばかりよくてもならん。体ばかりよくてもならん。もちつもたれつの世であるぞ。判らんのは、われが偉いと思ってゐるからぞ。め覚めれば その日その時からよくなる仕組、結構楽し楽しで どんな世でも過ごせるのが神の道。【智の中に悪をとり入れるゆとりの出来んやうではマコト成就せんぞ。智の中には総てを取入れて理解出来るやうに】なってゐるのであるぞ。愛の中に悪入れてはならんぞ。」(黒鉄の巻)
――お宮も一時は無くなる。
・「人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、」(上つ巻)
・・・上つ巻は昭和19年の神示なので、終戦前の宗教弾圧を指すと思われる。
――神の御心とは、一と十と。
・「神の御恵み神の御心判りたか、御心とは三つの御心ぞ、一と十ととであるぞ、」(アメの巻)
――世界のハラワタが腐りきっているから、ゼイタクを止めよ。止めなければ、いよいよをしなければならない。
・「今度は人民の心の底まであらためて一々始末せねばならんなり、誰によらん、今迄の様なゼイタクやめて下されよ。せねばする様せなならんなり、世界のハラワタ腐り切って居るのであるから愈々を致さねばならんなり、愈々をすれば人民愈々となるから、神がくどう気つけてゐるのざぞ。」(ア火バの巻)
――なりなる。「なる」は、内分は同じだが、形が変わること。
・「なりなると申してあろうが。なると申すのは内分は同じであるが、形の変ることであるぞ。ウムとナルとは同じであって同じでないぞ。」(夏の巻)
――互いに相反するウとムが、ウム組み組みて、一つになって動く。ウの中心はム、ムの廻りはウで、中心は無限、周辺は有限。
・「ウとムは相たがいに相反するのであるが、これが一つになって動く。ウム組み組みてと、申してあろうがな。今の人民の智では中々解けん。ウの中心はム、ムの廻りはウであるぞ。中心は無限、周辺は有限であること知れよ。」(夏の巻)
――山・川・野・海・草木動物ことごとくが自分で歓喜。その自分ができたら、天を自分とせよ。天を自分にするとは、ムにすること、〇に化すこと、ウとムと組み組みて新しきムとすること。
・「山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ。天を自分にするとはムにすることぞ。〇に化すことぞ。ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。」(月光の巻)
――慾を浄化せよ。無限のもの「ム」と、有限のもの「ウ」を混ぜ混ぜにして考えるから、人民の頭は兎角「ウ」になりがち。
・「無限のものと、有限のものと、ムとウとをまぜまぜにして考へるから、人民の頭は兎角ウになりがちぢゃぞ。慾、浄化せよ。」(夏の巻)
――中は無、外は有で、中になるほど無の無となる。
・「中は無、外は有であるぞ。中になる程 無の無となるのぢゃ。」(秋の巻)
――少しでも交じり気があったら先になって取り返しがつかないことになるから、今度は一厘の【くるひ】があってはならない。柱になる人民もあれば、屋根になる人民もあるぞ。天の王と地の王とをゴッチャにしているから判らなくなるし、その上におられる大王は人民には見当とがとれない無きが如き存在。人民が言う具体的にとは、一時的な その時の現れ。人民の言う絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口。そこから無に入り、空に生きよ。
・「少しでも交じり気があったら先になって取り返しがつかんことになるぞ、今度は一厘の【くるひ】があってもならんぞ。柱になる人民もあれば屋根になる人民もあるぞ。天の王と地の王とをゴッチャにしているから判らんことになるのぢゃ、その上に又大王があるなれど大王は人民には見当とれん、無きが如き存在であるぞ。人民は具体的にと申すなれど、人民の申す具体的とはコリ固った一方的なもの、一時的な その時の現れであるぞ。人民の申す絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口であるぞ、其処から無に入れよ、空に生きよ。いよいよの代(よ)となるぞ。」(五十黙示録/紫金之巻)
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