誠の神懸りで、千人力

――神がかかれる人、〝誠の神憑り〟を早く作れ。

・「神かかれる人 早う作るのぞ、身魂せんだくするぞ、神かかりと申しても狐憑きや天狗憑きや行者の様な神憑りでないぞ、誠の神憑りであるぞ、」(日の出の巻)

――神がかかっていないように見える誠の神カカリは、惟神のことで、神と人と融け合った真事の姿。これからは神カカリでなければ何もわからなくなる。神がかりには7つあり、それぞれがまた7つに分かれる。

・「神かがりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ、(中略)神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑りぞ。神カカリとは惟神(かむながら)の事ぞ、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿ぞ。惟神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、今の臣民のいふ惟神では無いぞ、此の道理 会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ。悪の大将の神憑りは、神憑りと分らんぞ、気つけて呉れよ、これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。」(日の出の巻)

――霊は永遠に弥栄えるから、見えない幸福は永遠。理(ミチ)にいそしみ、理(ミチ)にとけ入れ。自分の魂を育み生長させてくれる大切なものは、目に見えないところから流れてくるから、目に見へず、上、下、左、右、前、後から何となくせまってくるものをサニワして受けいれて、従え。毎日々々掃除してもホコリはたまるから、絶えず心の掃除や洗濯をしているか。

・「見へる幸福には限りがあり、見へぬ幸福は永遠であるぞ。理(ミチ)にいそしめ。理(ミチ)にとけ入れよ。モノは無くなるぞ。霊は永遠に弥栄えるぞ。毎日々々掃除してもホコリはたまる絶えず心の掃除よいか。洗濯よいか目に見へず、上、下、左、右、前、後から何となくせまってくるものをサニワせよ。サニワして受けいれねばならん。自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてくるぞ。和せよ。調和せよ。調和とは、上から、より清い所から流れて来るものに従ふことぞ。いよいよが一四一四となるぞ。」(春の巻)

――天の声は内から、人間の言葉は外から聞こえてくる。霊耳とは内からで、耳をふさいでも聞こえて来る。

・「天の声は内から聞こえて来る人間の言葉は外から聞こえて来る霊耳と申すのは内からぞ。耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。」(黒鉄の巻)

――霊を信ずる者は霊と語り、肉を信ずる者は肉と語り得る。

・「心は草にも木にも石にもあるぞ。天にまたたく星にもあるぞ。ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。の中のに悪は入れんのであるぞ。外のの中に、外の智の中に悪が入るのぢゃ。人間の智の中には悪も善も入るぞ。入るからこそ、これは善ぢゃ、これは悪ぢゃと判るのぢゃ。人間の自由は其処にあるのぢゃ。自由なければ発展ないぞ。弥栄ないぞ。霊を信ずる者は霊と語り、肉を信ずる者は肉と語り得るのぢゃ。人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ。よく心得なされよ。」(黒鉄の巻)

――人間は皆、かみかかっている。かみかかっていないものは呼吸しない。霊人は人間の心の中に、心を肉体として住んでいる。霊人と和合している(かみかかり)から、こそ、三千世界に働き栄える。人間の言う神かかりは、幽界のカミかかりで、ろくなことはない。

・「人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。このこと判りて居らうがな。霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。心を肉体として住んでゐるのぢゃ。その中に又住んでゐるのぢゃ。ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。霊人と和合してゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。神界のことも判る道理ぢゃ。幽界のことも判る道理ぢゃ。人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。ろくなことないのぢゃ。かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか。」(白銀の巻)

――流れ出たものは、形を変えて、また元にかえる。この道理を弁えないと、悪かみかかりとなる。

・「流れ出たものは又元にかえると申しても、そのままでは帰られんのであるぞ。天から降った雨が又天に昇るには、形をかえるであろうが、この道理をわきまえんと、悪かみかかりとなるぞ。」(月光の巻)

――霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは、間違いが多い。

・「目さめたら起き上がるのぞ。起き上がらずには居れまいが。神の命ずることは丁度そのやうに人間にうつるのぞ。霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いぞ。心せよ。ものに対しては人間そのものが霊であるぞ。人間はこの世の神と申してあらうが。ものは人間の自由自在。偶像は排すべし。十像は拝すべし。悪に行く理(ミチ)はないぞ。理は善のみに通じてゐるぞ。理なきところ進むでないぞ。」(黒鉄の巻)

――すべてのものに霊がかかるのは、一般かみかかり。特別神かかりは、神の御力を強く集める行がいるが、九部通り失敗する。神の理をよりよく、より高く集める理がマコトの信仰。

・「誰でも霊かかりであるぞ。石でも木でも土でも霊かかりぞ。これは一般かみかかりであるぞ、特別神かかり神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。九分通りしくじるのぢゃ。太陽の光集めること知っているであらうが。神の理(ミチ)をよりよく、より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ。理(ミチ)であるぞ。世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。旧、元旦、日月神。」(春の巻)

――神示が一度で判る人民には、ミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいらない。判らないからやらせているが、やらせると脇道に陥る。

・「神示が一度で判る人民にはミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいらん。判らんからやらしてゐるのぢゃ。やらせねば判らんし、やらすとわき道におちゐるし、いやはや困ったもんぢゃのう。」(秋の巻)

――竜体をもつ霊は神界にも幽界にもある。竜体だから神界に属すると早合点してはならない。

・「竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん。」(龍音の館)

――霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らず、その霊界が総ての霊界であるかの如く思っている。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対象とならないから、段階が異なってくると判らなくなる。人民界のことをよく知っている霊は、人民界を去って間もない霊か、地上世界に長く住んでいた動物霊か、人民に憑依していた霊。使命を持つ天使は別として、人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では天狗、神、仙人、狐、狸、猫などが大部分。

・「霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らないその霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対象とならないからである。人民界のことをよく知ってゐる霊は人民界を去って間もない霊か地上世界に長く住んでゐた動物霊か人民に憑依してゐた霊であるぞ。特別な使命をもつ天使は別として、人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)などが大部分であるから気つけおくぞ。」(龍音の館)

――掃除してキレイになった神洲清潔の民には、神がかかる。神の国「の国」神を祭って、神・土・人にまつらへば、嬉し嬉しの世となる。

・「神の国の山に祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。」(上つ巻)

――磨けたら、神が人民と同じ列に並んで経綸をする。

・「これからは、人民磨けたら、神が人民と同じ列にならんで経綸(しごと)致さすから、これからは恐ろしい結構な世となるぞ。(中略)肉体あるうちには、中々改心は出来んものぢゃから、身魂にして改心するより外ない者 沢山あるから、改心六ヶ敷いなれど、我慢してやりて下されよ。」(カゼの巻)

――日本晴れとは、神となって衣食住の心配がなくなること。

・「神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。」(松の巻)

――身魂の掃除の程度に応じて、神のうつり方が違う。

・「神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。」 (上つ巻)

――身魂が磨けただけの神をつけて手柄を立てさせ、磨けただけの神徳がある。世界中の神・臣民、生物をかまうから、お役はいくらでもある。

・「この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。(中略)その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。(中略)飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。」(下つ巻)

――人から、あの人ならと言われるようになれば、この方の光が出る。

・「人から見てあれならばと云ふやうになれば、この方の光出るぢゃ。行出来ねばお出直し、お出直し多いなあ。独断 役には立たんぞ。」(黄金の巻)

――神の入れものになった臣民には、千人力を与える。

・「いよいよとなりたら神が臣民にうつりて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ。一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、」(富士の巻)

――天国のまことのやり方は、一つ一つは弱くても一つに和すことで、千人力の光を出す。

・「落ちてゐた神々様、元へお帰りなさらねば この世は治まらんのであるぞ。一人一人ではいくら力ありなされても物事成就せんぞ。それは地獄の悪のやり方。一人一人は力弱くとも一つに和して下されよ。二人寄れば何倍か、三人寄れば何十倍もの光出るぞ。それが天国のまことのやり方善のやり方、善人、千人力のやり方ぞ。」(黄金の巻)

――千人力でなければ手柄は立てられない。富士の山が動くまではどんな事にも耐えて、死に急ぐな。

・「一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。その時その所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ。今日(けう)あれし生命勇む時来たぞ。」(月の巻)

――神が人に移れば、思わぬことができ、千人力が与えられる。

・「神が移りたら人が思はぬ事出来るのざぞ。今度は千人力与へると申してあろが。江戸の仕組 世の終わりぞ。天おろがめよ。つちおろがめよ。まつはれよ。秋の空グレンと申してあろがな。冬も春も夏も気つけてくれよ。」(日月の巻)

――〇を綺麗に掃除できた臣民から、よきご用に使って、末代名の残る手柄を立てさせる。神の仕組みが分かれば、心がいつも春になる。

・「今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行 出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行 出来ねば灰にするより他ないのぞ、今度の御用に使ふ臣民はげしき行さして神うつるのぞ。今の神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂みがいて下されよ。外国は〇、神の国はと申してあるが、は神ざ、〇は臣民ぞ、〇ばかりでも何も出来ぬ、ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神かかれるやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急(せ)けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体 沢山要るのぞ。今度の行は〇を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、(中略)どこにゐても助ける臣民 行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れて呉れよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。」(富士の巻)

――人が神となるよき時代となったら、神はモノ言わなくなる。この神は、巫女や祢宜にはかからない。

・「天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。」(磐戸の巻)

 

 

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