――すべては大神の肚の中にいて、大神が許されていればこそ存在し、いのちしている。世の中が悪い、人が悪いと言うことは、神を悪く言い、神界が悪いと言うこと。新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえなければならない。内の自分を洗濯して明らかに磨け。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る。三千年に一度の時、為せば成る時が来ているから、為さねば後悔する。
・「自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理。内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ。為せば成る時が来てゐるのぢゃ。為さねば後悔ぞ。時すぎて種まいても、くたびれもうけ。そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申してゐるが、すべては大神の肚の中にゐて、一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、いのちしてゐるのであるぞ。悪くうつるのは心のかがみがくもってゐるからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。」(月光の巻)
――三千年に一度のまたとない結構な時がめぐってきているから、為せば成る。自分の中の自分を掃除し、自分の外の自分を洗濯して磨けば、神と同列のミタマ。内にあるものを磨けば、外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなる。中の自分を掃除しないと、岩戸が開けていても、いつ迄たっても岩戸が開けない。
・「木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、三千年に一度と言ふ、又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、為せば成るぞ、六ヶ敷いこと申してゐるのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、みがけば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう。内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、けがれのないものとなるのぢゃ、中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。」(五十黙示録/扶桑之の巻)
――鏡を磨いて、世界を一度に見える心に掃除せよ。気が緩んだらすぐ後戻りになる。苦しむときは苦しめ。
・「世界一目に見へるとは世界一度に見へる心に鏡磨いて掃除せよと云ふ事ぢゃ、掃除結構ぞ。善と悪と取違ひ申してあらうがな、悪も善もないと申してあらうがな、和すが善ざぞ、乱すが悪ざぞ、働くには乱すこともあるぞ、働かねば育てては行けんなり、気ゆるんだらすぐ後戻りとなるぞ、坂に車のたとへぞと申してあろがな、苦しむ時は苦しめよ、苦の花咲くぞ。世は七度の大変り、変る代かけて変らぬは、誠一つの九(こ)の花ぞ、九(こ)の花咲くは二三(ふみ)の山、二二(ふじ)は神山神住む所、やがて世界の真中ぞ。」(ア火バの巻)
――「ながもの」の姿の神々が、世を創られ、臣民の種を植えられた。神が見て、これならというミタマに磨けたら、直々の守護神をつけて、天晴れにしてやる。
・「世こしらへてから臣民の種うゑて、臣民作ったのであるぞ。世、こしらへた神々様は「ながもの」の御姿ぞ、今に生き通しぞ。神が見て、これならと云ふミタマに磨けたら、神から直々の守護神つけて、天晴れにしてやるから御用見事に仕上げさすぞ、臣民ばかりでは出来ん、三千世界の大洗濯、誰一人 落したうもない神心、皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ。」(〇つりの巻)
――身魂とは身と魂が一つになっているもので、神の臣民には身と魂の分け隔てはない。外国は、身ばかりの所や、魂ばかりの所がある。
・「心とは神民の申す心でないぞ、身魂とは神民の申す身魂でないぞ、身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、神の神民身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ、外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、神は身魂の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ、身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、神の申すことちがはんぞよ。」(上つ巻)
――何より身魂磨きを。磨けば、神に意見できるほどの身魂になれる。中味が良くなってくると、表面を飾らなくても光が出てくる。
・「人民も磨けば神に御意見される程に身魂に依ってはなれるのざぞ、地(くに)の日月の神と栄えるのざぞ、何より身魂磨き結構。人気の悪い所程メグリあるのざぞ、日本のやり方違って居たと云ふこと、五度違ったと云ふ事判って来ねば、日本の光出ないぞ。表面(うわべ)飾るな。コトもかめばかむ程味出て来るのが磨けた身魂。中味よくなって来ると表面飾らいでも光出て来るぞ。」(んめの巻)
――身魂磨きとは、神から授かっているミタマの命令に従って、肉体心を捨てて、神の言葉に背かないようにすること。学や智を力と頼むうちは、ミタマは磨けない。
・「ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、根本の改めざぞ。」(磐戸の巻)
――身魂磨きとは、善いと感じたことを直ちに行うこと。神に祈らず、自分でするから、自己愛になる。
・「みたまみがきとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ。愛は神から出てゐるのであるから、神に祈って愛さして戴くやうにすると弥栄えるぞ。祈らずに自分でするから、本を絶つから、われよしに、自分愛になるのぞ。自分 拝(オロガ)むのは肉愛でないぞ。」(黄金の巻)
――身魂を磨くとは、神のものである身も心も、神からお預かりしている最も尊いところとして扱うこと。
・「臣民にわかる様にいふなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日 神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体(からだ)をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神にお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。」(富士の巻)
――早く身魂を磨いて、三種の神宝「御魂、鏡、剣」の、今は無くなっている真ん中の「玉」を入れなければ、剣と鏡だけでは戦に勝てない。
・「どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。まだまだわるくなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民 沢山あるぞ。玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。今は玉がなくなってゐるのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。(中略)剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。上下ないぞ、上下に引繰り返すぞ、もう神待たれんところまで来てゐるぞ、身魂みがけたら、何んな所で何んなことしてゐても心配ないぞ、神界の都にはあくが攻めて来てゐるのざぞ。」(富士の巻)
――この世始まって二度とない苦労だから、身魂を磨いていなければ越せない。神の臣民は、口・心・行がそろった命(みこと)になる身魂。いつでも神がかかれるよう、綺麗に洗濯せよ。
・「二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、(中略)神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来るは神の国、神の力でないと何んにも成就せん、(中略)いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。(中略)早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。(中略)口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。」(上つ巻)
――神の御用は、神のみこと(命)のままでなくては成就しない。
・「神の御用は、神のみこと(命(実言))のままでなくては成就せん。」(月光の巻)
――身魂を磨くには、まつりをしなくてはならない。
・「身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。」(地つ巻)
――人民は天狗。世の中は大神のハタラキの現れだから、自分はよいが世の中が悪いというのは、大神が悪いことになり、そこに底知れないほどの魔の仕組がある。
・「人民と申すものは天狗ざから、自分はよいのだが、世の中悪いのざと申してゐるなれど、世の中と申すものは大神のハタラキの現れであるから、【大神の中でのうごきであるから】、世の中が悪いと思ふのは、大神が悪いと思ふことになるのぢゃぞ、其処に底知れぬ程の魔の仕組があるぞ、気つけおくぞ。」(五十黙示録/扶桑之の巻)
――心がとらわれると、悪になる。
・「心大きく早う洗濯致されよ、とらわれるなよ、とらわれると悪となるぞ。(中略)悪とは我よしのこと。」(ア火バの巻)
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