第八章 事実の国

 太初、日本島に人類発生を見た時、「(アマ)(テル)()大神」の神勅によって、人祖(くにつかみ)が世界万国棟梁(トコヨクニオムヤ)日の本皇室の皇祖となり、その他の人類はことごとく臣僚に列せられ、日の本の国體が決定して君臣の別が定められた。かつ、人類の統率者は将来永久に一人であることに定まった。この事実(〇〇)を、広くしては人類全般が、狭くしては日本国民が認識することができれば、従来さまざま行われている、神国日の本とその皇室の意義について取り立てて言う必要を見ない。この事実の認識が不十分な観点で論じられる「日本国體(=国柄)論」は、ほぼ感情論・確信論・先君後民論(=君主が上で民が後?)等がその主要なもので、いずれも議論によって日本国體を決定し、皇室尊崇(=尊び崇める)の念を確立しようとする以外になく、結局はただ議論のための論議に終始する。以上のような議論で決定しようとする日本国体と皇室の由来は、実は、すべて論議を超越する厳然明瞭(〇〇〇〇〇)なる事実(〇〇)。元来、事実ははるかにあらゆる論議に優って権威あるものだから、事実の国である日の本では、唯この事実だけを把握すれば論議は不用として、古来日の本を「惟神(カミナガラ)(=神慮のまま)言挙(コトアゲ)(=言葉に出してとりたてて言う)」しない国と称し、不必要な「ことあげ(〇〇〇〇)」そのものである哲学は日の本ではその発達を見ていない。しかるに、この事実を把握し得ない輩は、論議すなわち哲学的・論理的探究によって日本国體や皇室の発祥を究めようとするが、到底、元来事実たる国體の由来が不可解なため、遂に、これを信仰という心情に附会(=こじつけ)するか、これを史上の幽玄(=奥深く微妙で容易にはかり知れないこと)だとして、論議を放擲(=投げ捨てる)せざるを得なくなって言挙(ことあげ)をしない所以となしつつあり、要するに、ただ彼等の認識不足を告白するに過ぎない。「言挙しない」をこういう意味に解釈するのは大きな誤りであるだけではなく、さらには国體の尊厳を冒瀆する罪を(あえ)て冒すものだと悟らざるを得ない。宇宙剖判(ほうはん)より人類界統一・日本皇室発祥に関する事実をせめて認識し得れば、前述のようなあらゆる論議はおのずから消滅して、真の神国たる日本国体の淵源(えんげん)(=根源)、皇室至巌の本義を了解し得る。「天地根本大祖神(てんちこんぽんだいそしん)」の御手動き、天運循環して、(ここ)に昭和の聖代に至り、神示と現示とよって、この事実をしっかりと定まって認識し得た至幸(=この上もない幸福)と共に、人類として最初に神現両界の真相を理解し得ることにいたった支楽(=この上もなく楽しいこと)を、また深く感謝せざるをえない。

 

 

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