第四十二章 皇統第22代[上代第22代]

  (アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()()(ヒカル)(アマ)()()(ツギ)(アメ)(ノヒ)天皇(スミラミコト) [御身魂 (アマ)(テル)()大神]

 駛身(かけりみ)神霊界第8次神政内閣での神政紊乱の状況が現界に反映し、前天皇の治世を挽回する意志で、「天の御三體大神」の一にまします「(アマ)(テル)()大神」が、現界の天皇として皇統第22代「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()()(ヒカル)(アマ)()()(ツギ)(アメ)(ノヒ)天皇(スミラミコト)」の身魂に出現された。そのため、天皇の御代は長い歳月にわたって様々な事態が発生したが、盛んな政治上の功績をあげられたことで、天皇を「日の本中興の御祖(〇〇〇〇〇〇〇〇)」と言われた。後代の「崇神(すじん)天皇」の御代、皇統第二十二代の女帝「天疎日向津比売(アマサカルヒニムツヒメ)天皇」の身魂は統治神「(アマ)(テル)()大神」の分霊なので同一の神霊であることから、後代改めて諡号(おくり名)を「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」とした。「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」は、古事記・日本書紀では直ちに日の本皇室の祖として伝えられているが、皇統第二十二代女帝として肉體をもたれた(アマ)()()(ツギ)天皇(スミラミコト)にして、「(アマ)(テル)()大神」は燿身(かがりみ)界に位し給う統治神。

 「崇神(すじん)天皇」以前は、「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」より神勅が降下される度毎に、必ず「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)御神霊」の御神勅と記されてあり、決して「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」の御神勅と記されることはなかった。ところが後代、記紀編纂に当って後章で述べる理由から、統治神たる「(アマ)(テル)()大神」と天皇たる「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」とを同一に記載する間違いを起こし、日の本の歴史は大変な歪曲を蒙った。この事実を指摘して明らかにして後、初めて過去・現在・未来にわたる「神界と現界との推移の真相」を明瞭することができる。また、「天照皇太神宮」という名称は、「垂仁天皇」の時、「倭姫命」に命じて「皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたまや)」の御神體たる「天疎日向津比売天皇」の神骨石像御神體を、大和笠縫(かさぬい)より現今の五十鈴川の川上に移し給いし時、改めて名付けられた神殿の名称。したがって、「天照皇太神」なる御名は、かつて有ったことはなかった。(昭和5年6月1日、「(アマ)(テル)()大神」初めて、「天照皇御神」となられた次第は、第171章参照)

 天皇御即位〇年九月三日、地球万国(トコヨクニ)に大変動起こり、建直しのために長年の努力を費やした。変動によって地表が陥没し低下した「皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたまや)」を造営し、御皇城山(オミンジヨヤマ)に竣工。即位〇年3月1日、天皇は飛騨・位山の大宮より浮船(うきふね)に乗って神通川を下って、「皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたまや)」に到着。この時、万国(トコヨクニ)五色人(イロヒト)王等85名が参朝し、御弟宮「月読尊」が副祭主、「思兼命」「児屋命」が祭典長、天皇みずから祭主となって大遷宮大祭を挙行。この時、天皇は美しい鳥の羽で作った薄く軽い衣(あまのはごろも)を召して、冠をつけて大舞楽を歌い舞われ、百官はこれを拝して祝った。この時より、「皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたまや)」の建てる日見日高見国を、婦見国(現在の婦負郡(ねいぐん))と称え、川を神通川と呼ぶことになる。

 皇統第22代女帝「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()()(ヒカル)(アマ)()()(ツギ)(アメ)(ノヒ)天皇(スミラミコト)」天皇は、天の御三體大神の意をあらわして、多年、社会の大改造を試みようと計画されていたが、弟宮「()()()(おの)(みこと)」が荒々しく身勝手に振る舞ったことに激怒。このことを機として、即位50億20年、13名の侍臣を伴って立山の岩戸に隠れたことを、「第一回岩戸閉め(〇〇〇〇〇〇〇)」と言う。この時、天皇の期待通り、日の本の百官群臣・外国民主等で当時の社会に禍を与えようとする者が時を得たように現れ、自分勝手に物事を決めて権力にまかせて無法・乱暴に振る舞う。万国(トコヨクニ)の政治はたちまち渋滞して、世界は全く常闇となった中、天皇は岩戸の中で状況をひそかに観察し、百官各人の善悪を識別した。

 世界の混乱がますます甚だしくなり容易ならぬ事態となったので、「思兼命」「児屋命」「太玉命」を初め五色人(イロヒト)王等(これを伝えて八百万神という)が協議し、天皇が隠れた所をひたすら尋ねたがわからなかった。ついに、越中国二井ヤの五百石の安河原に参集して、「宇受売命」が歌い舞い、500人の官人達が楽を奏し、拍手して「(アマ)(テル)()大神」に祈ってお出ましを懇願した時、鶏が東南東・南東の方位に頭を向け、五声を張り上げて夜明けの時を知らせる。立山の麓に神が大参集(神集いに集い)し、岩戸の大前で、「宇受売命」が岩戸の前に吹き出る温泉を葉に注いだ熊笹を手に持ち、それを打ち振りながら歌い舞い、群臣百官もこれに合わせてことごとく狂歌乱舞。この時、「宇受売命」の打ち振るう熊笹の火花・湯花が、群臣の顔にかかり、邪意悪心を抱いている者はたちまち傷つき、抱いていない者は何事もなかった。(これが探湯(くかたち)の初め。)

 この騒動を岩戸の中で聞いていた天皇は、13名の侍臣の一人「多紀里姫」に命じて、岩戸より出て状況を伺わせられる。入り乱れて騒いでいると見た「多紀里姫」は、群臣各々の心を識って報告する。天皇が自ら見ようとして岩戸から出られた時、「手力男尊」が手を取ってお出ましを乞い、天皇が再び入られないように岩戸の外に七五三(シメ)縄を張り廻らした。時に、天皇即位50憶3千3年のことであった。

 こうして、天皇は、湯花で火傷した群臣を集めて、立山の皇城の傍のククリシメバラにことごとく監禁し、社会の大改造に着手。ここを後に改めて「畜生原」と称し、また改めて「サイノ河原」と言う。(現在、立山にサイノ河原の名残れり)[群臣は「()()()(おの)(みこと)」の所業を憎み、「伊邪那岐(イザナギ)天皇」に請うて尊を処罰し、支那の檀国千檀木根に流した。檀国に着いた命は、その地を檀君国と名付け、これより尊を「須佐男(すさのお)檀君(だんくん)尊」と称し、その後、尊が朝鮮に行った後に到るまでも「檀君(だんくん)」と言う。]

 以上を「第一回の岩戸開き(〇〇〇〇〇〇〇〇)」と言い、天皇が岩戸に隠れられてから社会大改造が終了するまで約3000年の歳月を経過した。「第一回の岩戸開き」で活動した諸命の身魂は、石凝留命[輪城彦神]、思兼命[追世意彦神]、手力男神[八尾大陣(やつおだいじん)大神]、児屋命[天若彦大神]、太玉命[天照彦大神]、猿田彦命[天力上神]、宇受売命[大鶴姫(おおづるひめ)大神]等で、これらの命が天皇の意を守って協力して社会の改造に当った。

 この大改造は、自在の時代の社会情勢があまりにも混沌としていたからで、天の御三體大神の神意によって許された自在の時代が終了し、いよいよ次の限定の時代に入るという意味でのものではなかった。したがって、この改革の将来にはさらに第二回の岩戸開きがある。当時は自在の時代だったことから、諸臣とその身魂の根元なる諸神霊は、事に当り、未だ支配慾と恋愛慾の足かせ手かせから離脱することができない状態にあった。さらに、この改革は究極の完成に到るものではなく、諸臣と諸神霊の慾望の赴く所に従い、自在時代での自在の導くままに行われた。すなわち、この改革は自在の時代が完全に成熟しない時に行われたものなので、「身魂の還元整理(〇〇〇〇〇〇〇)」は許されるところとはならず、各神はその身魂の浄化を許されないままの状態で社会の改造を行った。故に、もとより不完全なるは明かだが、これは天の御三體の大神の意図より出たものなので、やむを得ない事と言わなくてはならない。

 日本神話の「天照大神」の岩戸隠れは、人類界での前述の消息を神話化して伝えたもの。「石凝留命」以下諸神を神として伝えているが、事実は皆大臣以下の諸臣。身魂はもちろん神だが、ことごとく肉体を有する人間で、それ等が天皇の命によって現社会の改革に尽力した。ところが、在来伝えられる所によれば、神霊と人間との区別を混同したために、一方で岩戸隠れという事実に対して哲学的な根拠をつけようとし、さらに一方、肉體がない神霊が現人類界の各地で前述のような様々な行為をしたように伝え、また「天照大神」が岩戸隠れをされた場所が日本国中に幾多もあるような種々の煩雑と誤謬を招来した。要するに、三次元界の事実を四次元界の事実として神話化したために生じた矛盾に外ならない。

 天皇は社会改造後、万国(トコヨクニ)諸般の政法を定めて、養蚕紙・綿糸・穀類十四種を畠田に作り、海魚を漁らしめ、海川山野を拓いて根焼き法を教えられた。また、食器・酒・味噌の製法、家屋の建築法を教えられ、糸で綾を織って男女寒暑の衣裳を作り、米を磨く製法を創めて教えられた。

 檀君国に三皇女を残して帰国した「()()()(おの)(みこと)」は、越中国・山田川の上流に住む大蛇(オロチ)賊を平定。尊は、この時()叢雲劔(〇〇〇)に、賊を切れる友の劔(〇〇〇)を添えて姉姫の天皇に献上。天皇は「()()()(おの)(みこと)」の罪を赦されて、『汝の妹瀬櫛稲田姫命、今より産む王子は天皇の皇子たるべし。』と宣言される。謹んでお受けした「()()()(おの)(みこと)」は、妃尊を伴って出雲国日の御崎の宮に住む。「(アメ)()(オシ)()(ミミ)尊」「穂日命」「活津日子根命」「天津日子根命」「熊野久須毘命」誕生。天皇は「(アメ)()(オシ)()(ミミ)耳」を皇太子にし、皇太子の住所を飛騨スベル山(現今の越中国婦負郡金剛山の南)に定めた。これが仏教のスメル山の起源。

 「(アメ)()(オシ)()(ミミ)皇太子」が皇太子となったことは、(いにしえ)の皇祖第一代「(アメ)日豊本(ヒノムト)(アシ)()()天皇(スミラミコト)」、すなわち「(アマ)(テル)()大神」が「大地の上の将軍」に、『汝を皇太子と定め、人類の支配者と為す』と宣言された『天孫降臨』の神勅降下の御事と類似することから、後代、記紀の編纂で「(アメ)()(オシ)()(ミミ)皇太子」よりその御子「()()()尊」にわたる事実を、天孫降臨として誤って伝えるところとなった。

 以上の「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)」と「御弟()()()(おの)(みこと)」の争いは、駛身(かけりみ)神霊界で自在時代の開始時にあたり、「(アマ)照彦(テルヒコ)大神」と「(ワカ)()()(ギミ)大神」との間に引き起こされた争いの状況がそのまま現界に反映してきたもの。「(アマ)(テル)()大神」の妹神「(ワカ)()()(ギミ)大神」は「(アマ)(テル)()大神」と御身魂は同一で、この度、「(アマ)照彦(テルヒコ)大神」は現界に「()()()(おの)(みこと)」として現れられ、神霊界での争いがそのまま御身魂を有する現実の肉體に顕現したものである。

 天皇みずからヒヒイログネで造られた劔が「十種の神宝の第十(〇〇〇〇〇〇〇〇)」で、「天日真浦尊」にヒヒイロガネで()()を造らせ、「生玉尊」に()を造らせ、以上三箇を天皇御自身が常に体に着けられた。これが「三種の神器(〇〇〇〇〇)」で、天皇が譲位される時、これを「(アメ)()(オシ)()(ミミ)尊」に授けられた。また神勅によって、御父「伊邪那(イザナ)()天皇(スミラミコト)」の時に定められた天皇守護の三神宝劔を「神日本魂御劔(カンヤマトタマンミツルギ)」と命名された。

 天皇御即位〇年12月8日、皇太子「(アメ)()(オシ)()(ミミ)尊」に譲位され、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」全神宝(カンダカラ)と三種神器を授けられた。即位〇年11月15日、能登国宝立山より神幽(カミサ)り給えり。

 

 

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