真皇真輝彦不合三代天日天皇
即位410年2月3日、上代の歴史を編纂させて、神代の象形仮名文字に改変し、天皇自ら祭主となって「皇祖皇太神宮」の御神體に合祭して神仏の来臨を請い願われた。男女・官人の服装を制定し、万国の政法を改正。皇室と一般の祭年祭日・節句祭日を定める。
一月 一日[皇祖皇太神宮祭] 二日[五色神御親神祭] 三日[諸大臣]
四日[御自身] 五日[諸宮員] 六日[局姓]
七日[戸長] 八日[兵隊] 九日[牛馬]
十日[山岳] 十一日[河川] 十二日[海津]
二月 二日[桂柳門代を造り、蓬の餅をついて、皇祖神祇を祭る節句祭日]
三月 三日[柿桜の門代に菴蘆子餅をつきて同神祇を祭る節句祭日]
四月 四日[瑞葉卯児花の門代に桜葉の餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
五月 六日[白膠木菖蒲の門代に茅の尾垂餅をつきて神祇を祭る節句]
六月 六日[柊蠏花の門代に蓮葉の餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
七月 七日[干榊楓の門代に神桑葉餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
八月 八日[根着萩花草花の門代に稲餅焼米をもって神祇を祭る節句祭日]
九月 九日[鶴木菊花の門代に柿の餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
十三日[夜、柿を餅につくり、月輪に供することあり。]
十月 十日[緑葉木の門代に十種の新穀を飯に炊き神祇を祭る節句祭日]
十一月十一日[山椿柏の門代に蕎麦餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
十二月十二日[カサミフユサ花の門代に玉栗餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
以上の祭を行わさせ、万国支那国へ教官を派遣して教伝された。
「天照日大神」より『今より人の命二千歳以下と定む。』と神勅があり、天皇は泣かれた。
即位2万1120年8月6日、武蔵津海景信山に大宮を建設。即位2万2120年11月3日、皇太子「玉噛彦尊」に譲位。翌年10月6日、武蔵津海景信山大宮にて神幽り給う。御遺骸を駒岡に葬って、天皇を「景信の神」と勧請し、「皇真王の神」と祭る。(駒岡は現今横浜市鶴見区の奥にあり。)また大臣「髙雄命」を葬る所を、髙雄山と云う。(現今の東京都の高尾山なり。)
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