皇位継承の各神宝を代々の天皇が様々な苦心を払って伝えてきたことは前述した。この間、駛身神霊界で、天照彦系諸神霊が、その支配権を永久に持続せんとして、まず日の本歴史改竄の計画に着手する。
皇統119代[神倭22代]雄略天皇、21年1月21日、「平群武内真鳥」に詔「左の5名(大伴室屋 葛城円 物部自連 巨勢男人 蘇我韓子)の願いにより、万国棟梁皇祖皇太神宮神躰の、神代文字天皇御系譜の巻より、天之御中主天皇から上代天皇及び神代の神を除き、狭野天皇(神武天皇)までの所を写し取ることを許可する。汝、真鳥宿禰の写しの巻より写し取らすべし。」
5名はことごとく「天照彦大神」系の身魂を有する者で、しかも、右天皇御系譜の写しが、後世、古事記編纂に当ってその骨幹となった。物部氏が写したものは、後に美濃国中山村山本家に伝わり、「大海人皇子」[天武天皇]の家に止まる事30年、古事記編纂となる原因が、ここに生じた。
この理由から、古事記の要となった部分は「天之御中主天皇」以降の系譜であり、編纂にあたってはまず「天之御中主天皇」より筆を起こすべきではない。即ち、この上代第4代「天之御中主天皇」を宇宙根本祖神となしたために、この天皇が本来の「元無極體主王大神」に代って、宇宙根本祖伸として記されることになった。それ以降は順次これにしたがってその年代が喰い違わないようにしなければならず、人類発生を第32代「天疎日向津比売天皇」の時とし、また、第1代「天日豊本葦牙気天皇」に降下された「天孫降臨の神勅」を、第24代「瓊々杵天皇」の高千穂遷都に無理にこじつけて、「瓊々杵天皇」に降下ありしものとして記した。
古事記は、このような年代の食い違いを無視し、包み隠して作成されたもの。しかも、その杜撰(=いい加減)な事はそれに止まらず、人皇10代「崇神天皇」の御代、「天疎日向津比売天皇」を日の本上代中興の御祖として称え奉った御名「天照大神」を、天の御三體大神の一なる「天照日大神」と混同。限身界の天皇が、直ちに燿身界の統治神たることとなった。さらに、葺不合第1代「武鵜草葺不合天皇」の皇后「玉依比売后宮」と葺不合第71代「天照国照日子百日臼杵天皇」の皇后「玉依比売皇后宮」の名前が同じ点から、その間70代にわたる日本中古文明黄金時代だった葺不合皇朝全部を、歴史から抹殺し、神倭第1代「神武天皇」を葺不合第1代天皇の皇子として伝えるといった大誤記を、あえて犯すに到った。
これによって明かなように、古事記は不確かでいい加減な事はなはだしく、大誤謬(=大間違い)・大矛盾(=つじつまが合わない)を含み、史実としてはほとんど一考の価値もないもの。さらにこれを仔細に検討し、その本文で、「天地初発の時、高天原に成りませる神の御名は、天之御中主神、次に高御産巣日の神、次に神産巣神、この三柱の神は、並独神成り座して、身を隠し給う。」と述べてあることを読んで、これを形而上(=形を持たない超自然的)的な神文として考える時は、必ずしも無意味だとは言いにくい。しかし、その記載の事柄全部を事実とみなし、これを歴史として取扱い、その結果、日の本皇室と国体の尊厳をこれより説明しようと試みるのは、大誤謬・大冒瀆をあえて犯すものだと断定せざるを得ない。
(※ 古事記――「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神と成り坐して、身を隠したまひき。次に國稚く浮きし脂の如くして、久羅下那州多陀用弊流時、葦牙の如く萌え騰る物に因りて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次に天之常立神。此の二柱の神も亦、独神と成り坐して、身を隠したまひき。上の件の五柱の神は、別天つ神。次に成れる神の名は、國之常立神。次に次に豊雲野神。比の二柱の神も亦、独神と成り坐して、身を隠したまひき。」)
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