葺不合第69代「神足別豊天皇」の御世、日本島に大地変が起こり、越根国の北方(日本海)が大陥没し、山河草木が滅びたため、当時最盛期だった日の本の文化は、潰滅するところとなった。このため、当時日本島に在った住民は再び太古の状態に帰って穴居生活をなすことを余儀なくさせられた。今日随所に発見されて考古学の好対象となっているものは、この当時の穴居の跡。考古学と歴史はこれを根拠として、当時日本島の住民が原始以来文化を有さなかった蒙昧未開の民族と断定しているが、この断定を下すに当っては、その前提として一つの重大な事象を考慮することが必要。しかも、このことはこれらの諸学者が今日まで全く無視してきたところで、それはこの日本島が世界第一の地震国たる事実。
この事象は今日なおそうであり、いわんや太古の地球地殻の変動が激甚だった時代を想像すれば、思いは半ばを過ぎたあたり。一例を述べると、古文書に記す所に由れば、富士山は古来前後8回の大噴火があり、当時富士大宮(現在の静岡県大宮町)があった地表は、今日45尺(約13.6m)の熔岩の下に埋没したという。これによって、将来全国各地を発掘する時があれば、当時の文化の遺跡は随所に発見し得る。ことに、越中は御皇城の在った地として、今なお地名で上古の発音がそのままであることを幾多指摘できる。(その中で、あるいは漢字を当て嵌めて、後に音読するものがある。また、仏法伝来後、仏語に転化したものがある)これらを詳しく点検すると、上古の地文をそのまま今日の地図の上で読み得るものであり、これによっても、日本における上古・中古の文明が存在したことを確証し得る。
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