第百二十五章 皇統第96代[葺不合第71代]

  天(アマ)照(テル)国(クニ)照(テル)日(ヒ)子(コ)百(モモ)日(ヒ)臼(ウス)杵(キネ)不(アハ)合(セズ)七(シチ)十(ジュウ)一(イチ)代(ダイ)天(アマツ)日(ヒ)嗣(ツギ)天(スミラ)皇(ミコト)

  玉(タマ)依(ヨリ)比(ヒ)売(メ)皇后宮(キサキノミヤ)

 「天(アマ)照(テル)国(クニ)照(テル)日(ヒ)子(コ)百(モモ)日(ヒ)臼(ウス)杵(キネ)不(アハ)合(セズ)71代天(アマツ)日(ヒ)嗣(ツギ)天(スミラ)皇(ミコト)」は、「竹媛尊」「宮建媛尊」「噌野媛尊」を妃、他6名を嬪とされ、「田鶴媛尊」[御母宮建媛尊]「彦五瀬尊」[御母竹媛尊、又の名、稲飯田竹媛尊]「狭野(サノ)尊」[御母皇后]「三毛野入野尊」[御母建媛尊]「串柿野尊」[御母建媛尊]等の諸皇子・皇女が誕生。

 即位21年10月(神武即位前229年)、日本島に再び大変動、大地震があり、人文ほとんど潰滅し尽す。即位43年12月27日詔、万国(トコヨクニ)御巡幸――ヨモツ国トリコ、ドスト水門―→同133年、秋津根大和生駒の宮に還幸。在位216年、皇太子「彦(ヒコ)五(イツ)瀬(セ)尊」に譲位、同年神幽(カミサ)り給う(御齢303歳)。皇后宮と共に「生駒二神」として祀り奉る。

【消えた葺不合朝71代】

 皇后の御名「玉(タマ)依(ヨリ)比(ヒ)売(メ)皇后宮(キサキノミヤ)」が、葺不合(ふきあえず)第1代「武(タケ)鵜(ウ)草(ガヤ)葺(フキ)不合(アワセズ)天(スミラ)皇(ミコト)」の皇后宮(キサキノミヤ)と同一の御名だったことから、在来の古記が、葺不合(ふきあえず)71代の皇后宮(キサキノミヤ)をそのまま第1代天皇の皇后宮(キサキノミヤ)とした結果、葺不合(ふきあえず)朝71代の歴史を省略するに到り、従って「神(じん)武(む)天皇」を葺不合(ふきあえず)第1代天皇の皇子として伝えた。(第138章参照)

 

 

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