狭野尊不合七十三代天日嗣天皇
神日本磐余彦天皇神倭一代[神武天皇][御身魂 山武姫大神]
多多良五十鈴媛皇后宮
皇后宮は、葺不合67代天皇の皇子「言代大宝尊」の子、「春日建櫛甕玉尊」の女。(註 日本記は「言代大主尊」を「言代主命」とし、一説として「大物主尊」=「大和櫛甕王大物主神」の子とする。「言代主尊」は「大国主命」の子、「大物主」は「大国主命」の和魂を伝うるもので、「言代大主尊」より大の字を脱し、春日建櫛甕玉の三字によって「大物主神」の子とせしもの。古記が杜撰なる事を知るべし。)
天の御三體大神の神意によって、日本が完全に滅んだ後の建直しの目的で「神倭磐余彦天皇」が即位し、その身魂「山武姫大神」は、遂に日の本皇室の皇霊統に入る事を得た。このことは、「天照日大神」の神意に基くもので、やがて来るべき第二回の岩戸開きを期して、まず外国神霊を日本皇霊統に入らせ、日の本をそれら諸神霊の支配下としてその再建に努力されたため、わずか2600年にして、今日見るような日の本に恢復し得た。
「山武姫大神」は勇み立ち、心躍って日本島文化建設の事業に着手。「山武姫大神」の手足となって働く家臣としてその事業を補佐した「磐古大神」「御幣田姫神」「幡十台神」等の外国諸神霊は、この後、様々な人間の身魂として現界に出現し、個有日本を完全に滅ぼし、外国諸神の意の侭の日本を造ることに専念する。すなわち、「妙見」[磐古大神]、「普賢」[御幣田姫神]、「文珠」[幡十台神]等の諸菩薩は、極力仏法の弘通に努め、後に儒教が入って漸次拡まったことは、これら諸神霊の「日の本奪取の計画]の現われに外ならない。
当時、越中の地は大地変の後で、「皇祖皇太神宮」を修理中だったので、天皇はまず「太神宮」の東、神通川の岸から遙拝(遠見の里と名付ける)。それより神宝を奉持して大和に帰り、畝傍山に「皇祖皇太神宮」を鎮祭。神宝たる神日本魂御劔の名によって、名を「神日本磐余彦尊」と改め、御齢112歳4月3日、この畝傍分宮の大前で、即位の大礼を挙行。天皇みずからが祭主となって天津日嗣の高御座に昇り、南面して「天照日大神」に天盃を捧げ、万国五色人王の棟鿄天皇の御宝、神日本魂三神宝劔・神骨像石の御神體・天疎日向津比売天皇の三種之神器、神龍立瓶・神代上代の皇統象形仮名アヒル文字の巻・十六菊形御紋宝等を奉持して、正殿で即位した。
「神日本磐余彦天皇」は、文化が完全に滅んだ日の本建直しのため、一時、世界万国を統一して治めることを完全に捨てられる。これを第二回岩戸閉めと云う。天皇は即位50年の記念祭に際し、現在、われわれが使用している新片仮名文字、アイウエオ以下ンまで、五十一字を作成。(第117章参照)また、文化回復のために、韓国や支那より文物の輸入を図った。
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