後 醍 醐 天 皇
天皇の身魂は「地上丸大神」であられ、その出現によって、一時皇政の復古を見たが、「山武姫大神」一派は、古来よりの目的を挫折する結果となることから、大神は猛然と奮起し、皇統をかき乱すことに努めた結果、現界で南北両朝の対立を見る。当時、南朝の各天皇が経験した臥薪嘗胆の苦心について、現存する史実はわずかにその一区分を記すに過ぎない。(第164章参照)「山武姫大神」は茫然自失し、ついにその画策が成就しがたいことを覚る。
ところが、この間、「山武姫大神」の部下の諸神霊は、なおも南朝を滅ぼすために密かに執拗な策略をめぐらせようとし、歴史に現れない顕著な事項としては、神倭98代「後村上天皇」正平3年、即ち北朝「光明天皇」貞和4年、「足利尊氏」[身魂 大野大陣大神]は全国に命令して、南朝一味が身を寄せた神社・仏閣をことごとく焼却。また正平10年、北朝「御光厳天皇」文和4年、全国に令して、古事記・日本書紀・古語拾遺等に記載されている神宮・神社で南朝に加担したものを、これらの書籍と歴史からことごとく完全に消し去ることを、7年間、極力実行した。(第164章参照)
その一方、これら外国諸神霊がわがもの顔にのさばっていることに対応して、久遠の昔よりその事態に当っていた十六神の大神は、常に皇室擁護のため絶大な活動をされていた。されば、南北朝分離して62年後、「後亀山天皇」は、北朝6代「後小松天皇」に対して、父子の礼をもって神器を譲られて、南北朝の合一を見、「山武姫大神」の画策は全く失敗に終わる。
その後、世に三種之神器を中心とする南北朝正閏(=正統と閏統)の議論が騒がしいが、北朝に伝えられる神器の真偽如何は問わず、万国棟梁天皇御身守にして皇位継承の神宝たる三種の神器は、必ずヒヒイロガネを以て製したるものでなければならない。しかも、その中古「天疎日向津比売天皇」製作の神器は、「崇神天皇」以来、「皇祖皇太神宮」神主「竹内氏」子々孫々守護して、今日に到る。やがて、この神器が天皇の手許に奉還された暁には、従来の南北、正閏の議論は全く無意味となり、終るこことなる。
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