醍 醐 天 皇
天皇は、「聖宝理源大師」[身魂 青森白木上大神]に勅命して、大峰山修験道を再興させ、延喜式延喜格(えんぎしきえんぎきゃく)ができて、神道が盛んになった。
大峰山修験道は「役小角」の後、一時衰微したが、「理源大師」が勅命によって再興に努めた。大師の説破(=他の説を言い負かす)する所となった大峰山山麓・洞川の白竜の毒気のため倒れたが、醍醐池の白竜が大師の病を治し、共に大峰再興に努力した。この時より1000年の後、第2回の岩戸開きがあることから、そのための準備を開始したことが、この大峰再興の神意なり。日の本全国より集合して来た神霊・人霊はそれ以来、1000年間、そこで修業を積み続け、昭和4年9月26日、いよいよ期が熟したことから、全山の神霊人霊およそ数百万がことごとく下山して、日本全国に散り行き、各々因縁ある肉体に宿った。これを「醍醐天皇」一千年の仕組みという。(註 昭和6年醍醐天皇1000年祭、昭和5年聖宝、理源大師、1025年祭)
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