天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇 [御身魂 天照日大神]
駛身神霊界第八次神政内閣に於ける神政紊乱の状況が現界に反映したる。前天皇の御治世を挽回し給わんとする御意志を以て天の御三體大神の一にまします「天照日大神」が現界の天皇として、皇統第二十二代「天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇」の御身魂にご出現あらせられたり。此の故を以て、天皇の御代は殊に長き歳月に亘り、且つ其の間様々なる事態発生し盛んなる御治績を挙げ給いし故を以て、天皇を日の本中興の御祖と称し、後代「崇神天皇」の御代に到りて、天皇の御身魂が「天照日大神」にてあらせらるゝ所より、改めて天皇を「天照大神」と称え奉る。
此の「天照大神」は、古事記・日本書紀に記さるゝ所に従えば、直ちに日の本皇室の祖として伝えられ居れども、「天疎日向津比売天皇」は皇統第二十二代の女帝にましますなり。勿論天皇神幽り給いし後は、天皇の御身魂は統治神「天照日大神」の御分霊の故に、御同一の神霊にましませども、後代御諡※し奉りて「天照大神」となり給えるは、皇統第二十二代女帝として御肉體を有し給う天津日嗣天皇にして、「天照日大神」は燿身界に位し給う統治神にましますなり。「崇神天皇」以前に於ては、所謂「天照大神」より御神勅降下の度毎に、必ず「天疎日向津比売天皇御神霊」の御神勅と記されあり決して「天照大神」の御神勅と記されあることなし。然るに後代記紀編纂に当りて、後章述ぶる如き理由を以て、統治神たる「天照日大神」と天皇たる「天照大神」とを同一に記する誤謬を来し、為に日の本の歴史は尠からざる歪曲を蒙りしものなり。故に、右の事実を指摘闡明したる後に於て、初めて過去・現在・未来に亘る神界と現界との推移の真相を明瞭になすを得るなり。また、「天照皇太神宮」という名称は、「垂仁天皇」の御時、「倭姫命」に命じて「皇祖皇太神宮」の御神體たる「天疎日向津比売天皇」の神骨石像御神體を大和笠縫より現今の五十鈴川の川上に移し給いし時、改めて名付けさせ給いし名称即ち御神殿の名なり。従って、「天照皇大神」なる御名は、嘗て有りたる事なし。(但し、昭和五年六月一日、「天照日大神」初めて、「天照皇大御神」となられ給いし次第は、第百七十一章参照)
天皇御即位〇年九月三日、地球万国に大変動起り、此の建直しの為に、長年の御努力を費やし給う。また此変動によりて、「皇祖皇太神宮」の地表陥没低下せしを以て、天皇詔して、「皇祖皇太神宮」の御造営を命じ給い、時ありて御皇城山上に其の竣工を見たるを以て、御即位〇年三月一日、天皇飛騨の位山の大宮より川浮船に乗御あり、神通川を下航し給いて、「皇祖皇太神宮」の大前に着御あり、此の時に万国の五色人王等八十五名参朝して大前に集い、御弟宮「月読尊」副祭主となり、「思兼命」「児屋命」祭典長となり、天皇御親ら祭主となり給いて、大遷宮大祭を挙げさせ給う。此の時、天皇無極に美しく御身に羽衣し、冠して大舞楽を歌い舞わさせ給う。百官一同之を拝祝し奉る。此の時より、「皇祖皇太神宮」の建てる日見日高見国を、婦見国(現在の婦負郡)と称え、川を神通川と呼ぶ事となれり。
天皇は、天の御三體大神の意を體して、社会の大改造を試み給わんと多年御計画を廻らし給いしが、偶々御弟宮「須佐之男尊」に暴戻の御振舞あり、天皇大いに怒らせられ、此の事を機として、即位五十億二十年、十三名の侍臣を御伴いありて、立山の岩戸に隠れ給う。之を第一回の岩戸閉めと云う。玆に於て、天皇の御所期の如く、日の本に於ける百官群臣・外国民王等にして、当時の社会に対して禍心を抱ける者、時を得顔に現れ来り、専断横暴の振舞到らぬ所なく、万国の政忽ち渋滞し、世界は全く常闇となれり、而も天皇は、岩戸の中に在しまして、此の状況を祕かに御観察ありて、百官各人の善悪を一々御識別あり給えり。
されど、此の世界の混乱益々甚しく、事態容易ならざるを以て、「思兼命」「児屋命」「太玉命」を初め、五色人王等(之を伝えて八百万神と云いしなり。)協議し、天皇何処に隠れましますや只管に質ぬれども得ず。遂に越中国二井ヤの五百石の安河原に参集し、「宇受売命」歌い舞い、五百人の官人達楽を奏し、拍手して「天照日大神」に祈りて、天皇の出御を懇願し奉る。此の時、鶏ヒタツヘ(東南東)ヒイダ(南東)の方位に頭を向け、五声勢声して時を作りたるにより、「思兼命」先づ覚りて、ヒタツ・ヒイダの方位を望むに、立山あり。乃ち、天皇の即位〇年二月十六日、群臣、立山の麓に大参集(神集いに集い)して、岩戸の大前に於て、「宇受売命」熊笹を手に持ち、岩戸の前に吹き出づる出湯を葉に注ぎて、それを打ち振り乍ら歌い舞う。群臣百官も亦之に和して悉く狂歌乱舞す。此の時、「宇受売命」の打振る熊笹の火花・湯花群臣の顔にかゝり、邪意悪心を抱ける者は忽ちにして傷つき、然らざる者は何事もなかりき。(是れ探湯(くかたち)の初めなり。)
天皇、此の擾乱を岩戸のうちに聞し召して、十三名の侍臣の一人「多紀里姫」に命じて、岩戸より出でて状況を伺わしめ給う。「多紀里姫」乃ち出でて擾乱と見、群臣各々の心を識りて之を復命す。玆に於て、天皇、更に御身親らみそなわし給わんと岩戸より出で給いし時、「手力男尊」御手を取りて、出御を乞い奉り、天皇再び入御なからん為に岩戸の外に七五三縄を張り廻らす。時に、天皇即位五〇億三千三年なり。
斯くて、天皇、湯花にて火傷せし群臣を集めて、立山の皇城の傍のククリシメバラに悉く監禁し、社会の大改造に着手し給う。此処を後改めて畜生原と称し、又改めてサイノ河原と称す。(現在、立山にサイノ河原の名残れり)[群臣、玆に於て「須佐之男命」の所業を悪み、「伊邪那岐天皇」に請い奉りて、尊を罪し、支那の檀国千檀木根に流す。尊は檀国に到りて、其地を檀君国と名付け、之より尊を「須佐男檀君尊」と称し、其の後、尊朝鮮に赴かれし後に到るまでも、猶、「檀君」と称し奉る。]
以上を第一回の岩戸開きと称し天皇岩戸に隠れ給いしより社会大改造終了に到るまで、約三千年の歳月を経過せり。
此の第一回の岩戸開きに際して活動せる諸命の身魂は、石凝留命[輪城彦神]思兼命[追世意彦神]手力男神[八尾大陣大神]児屋命[天若彦大神]太玉命[天照彦大神]猿田彦命[天力上神]宇受売命[大鶴姫大神]等にして、之等の諸命が天皇の意を體し、協力して社会の改造に当りしなり。此の大改造は、当時自在の時代に於て社会の情勢余りに混沌たるものありしを以て、天の御三體大神の神意によりて許容されし自在の時代が終了して、愈々次の限定の時代に入るの意味に於けるものにはあらざりき。従って、此の改革の将来には、更にまた第二回の岩戸開きあるものにして、当時猶引続き自在の時代にありしを以て、事に当りし諸臣及び其の身魂の根元なる諸神霊は、未だ支配慾と恋愛慾との桎梏を離脱する事を得ざる状態にあり、為に此の改革は、究極の完成に到るものには非ずして、諸臣及び諸神霊の慾望の赴く所に従い、自在時代に於ける自在の導くが侭に行われたものなり。即ち此の改革は、自在の時代が未だ完全に成熟せざる時に於て行われしものなりしを以て、身魂の還元整理なる事は猶許さるる所とはならず、即ち、各神其の身魂の浄化を猶許されざる侭の状態にて社会の改造を行いたるものなりし故に、固より不完全なるは明かなるも、是れ、天の御三體の大神の意図より出でたるものなるにより、またやむを得ざる事と謂わざるべからず。
日本の神話に於ける「天照大神」の岩戸隠れは、人類界に於ける前述の消息を神話化して伝えしものにして、「石凝留命」以下諸命を神として伝え居れども、事実は皆大臣以下の諸臣なり。其の身魂は勿論神なれども、悉く肉体を有する人間にして、其れ等が天皇の命によりて現社会の改革に尽力せるなり。然るに、在来伝えらるゝ所によれば、神霊と人間との区別を混同せる為に、一方に於て此の岩戸隠れなる事実に対して哲学的なる根拠を附会せんとし、更に一方肉體なき神霊が現人類界の各地に於て前述の如き様々なる行為をなしたる如く伝え、また、「天照大神」の岩戸隠れなし給いし場所が、日本国中幾多存するが如き、種々なる煩雑と誤謬とを招来したるなり。要するに、三次元界の事実を四次元界の事実として、神話化したる為に生ぜし矛盾に外ならざるなり。
天皇、社会大改造の後に、万国諸般の政法を定められ、蚕養紙・綿糸・穀類十四種を畠田に作り、海魚を漁らしめ、海川山野を拓き、根焼き法を教えしめらる。また、食器・酒・味噌の製法、家屋の建築法を教えられ、更に糸にて綾を織り、男女寒暑の衣裳を作り、米磨く製法を創めて、之を教え給う。
「須佐之男尊」は、檀君国に三皇女を残して御帰国あり、越中国、山田川の上流に住せる大蛇賊を平定し給う。尊、此の獲給える叢雲剣に、賊を切れる反の剣を添えて、姉媛天皇に献じ給う。玆に於て、天皇詔して、「須佐之男尊」の罪を赦し給い、
『汝の妹背櫛稲田姫命、今より産む王子は天皇の皇子たるべし。』
と宣わせ給う。「須佐之男尊」、謹んでお受けし給い、妃尊を伴いて、出雲国日の御崎の宮に住まわせ給う。「天之忍穂耳尊」「穂日命」「活津日子根命」「天津日子根命」「熊野久須毘命」御誕生あり。天皇詔して、「天之忍穂耳尊」を皇太子に冊立し、皇太子の御住所を飛騨国スベル山(現今の越中国婦負郡金剛堂山の南)に定め給う。是れ、仏教のスメル山の起源なり。
此の「天之忍穂耳皇太子」の冊立の御事は、往昔皇祖第一代「天日豊本葦牙気天皇」即ち「大地の上の将軍」に「天照日大神」より御神勅ありて『汝を皇太子と定め、人類の支配者と為す』と宣いし、所謂『天孫降臨』の神勅降下の御事と類似するによりて、後代記紀の編纂によりて、「天之忍穂耳皇太子」より其の御子「仁仁杵尊」に亘る御事実を天孫降臨として誤り伝うる所となりしものなり。
以上の「天疎日向津比売天皇」と「御弟須佐之男尊」の御争いは、駛身神霊界に於て自在時代開始せらるゝ時に当りて、「天照彦大神」と「稚比売君大神」との間に惹起されし御争いの状況が其の侭現界に反映し来れるものにして、そは「稚比売君大神」は「天照日大神」の御妹神にあらせられて、御身魂は御同一にましまし、「天照彦大神」は此度は現界に「須佐之男尊」として現れ給い、神霊界に於ける争いが、其の侭の形を以て、其の御身魂を有する現実の御肉體に顕現したるものなり。
天皇、御親らがヒヒイロガネを以て剣を造り給う。是れ十種の神宝の第十なり。また「天日真浦尊」に命じて、ヒヒイロガネを以て鏡・剣を造らしめ、「生玉尊」に命じて、玉を造らしめ、以上三箇を天皇御自身常に玉體に着けさせ給えり。是れ即ち、三種の神器にして、天皇御譲位に際して之を「天之忍穂耳尊」に授け給えり。また神勅によりて、詔して、御父「伊邪那岐天皇」の時神定ありし天皇守護の三神宝剣を、神日本魂御剣と命名し給う。
天皇御即位〇年十二月八日詔して、皇太子「天之忍穂耳尊」に皇位を譲り給い、「皇祖皇太神宮」全神宝及び三種神器を授け給う。御即位〇年十一月十五日、能登国宝立山より神幽り給えり。
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