第四十六章 皇統第二十六代[葺不合第一代]

   (タケ)()(ガヤ)(フキ)不合(アハセズ)身光(ミヒカル)(アマ)()()(ツギ)(アメ)(ノヒ)天皇(スミラミコト)  [御身魂 佐田彦王(さだひこおう)大神]

   玉依姫(タマヨリヒメ)(キサ)(キノ)(ミヤ)             [御身魂 竜宮(りゅうぐう)乙姫(おとひめ)大神]

 天皇、日の本の文化発展を図り給う大御心を以て、御一代の間、前後実に十数回、国内に於て遷都を行わせ給う。即ち、先づ天皇御即位〇年(カナメ)月五日、詔して、越根能登宝立山に大宮を御造営御遷都あり。

 次に、 秋津根山城ミクシ峠に御遷都

 次に、 出雲松江に御遷都

 次に、 穴門長門天乞山(あまごいやま)に御遷都

 次に、 愛媛国千里山に御遷都

 次に、 速日別肥後の八代宮に御遷都

 次に、 遠津海伊豆天城山に御遷都

 次に、 遠津海サガミ大山に御遷都

 次に、 吉道路彦下毛湯岐山に御遷都、同所を帝爵山と云う。

 次に、 道路奥岩木山に御遷都

 次に、 越根中御皇城山(オミンジヨヤマ)に御遷都

 次に、 蝦夷イシカ、ソウケ山に御遷都

 次に、 道路奥陸中六角牛早池甲子三山に御遷都

 次に、 道路奥光井(アカイ)岳に御遷都

 次に、 武蔵津海安房鋸山に御遷都

 次に、 草木根紀井安堵の峯に御遷都

以上の如き頻繁なる御遷都を行い給い、其の都度、皇室を中心として其の地方の文化啓発に努め給えり。

 天皇、神勅により詔して、御紋章を制定し給う。即ち、太陽日神に(かたど)りたる日の丸を中心とし(〇〇〇〇〇〇〇〇)十六方位の御光条(〇〇〇〇〇〇〇〇)を附し、其の光条の一つ毎に其の方位に於ける一柱一柱の神霊を(カタド)らしめて、十六菊形の紋(〇〇〇〇〇〇)を作り、之を皇室の御紋章となし給う。更に、其の中心の日の丸形の中に八咫(やた)の鏡形を置きたる十六菊形の御紋章を以て、「(スミ)(オヤ)(スミラ)オホ)(タマシヒ)(タマヤ)」の定紋とし、神宮(たましいたまや)幔幕(まんまく)に用い給う。また、神宮(たましいたまや)幄舎(あくのや)の幔幕に用いる紋として、七五三桐の(〇〇〇〇〇)紋章(〇〇)を作り給う。七五三なる数は、天然の運行を(かたど)りたるものにして、天地万物社会人間悉く自然の姿に順応すべき事を表したるものなり。岩戸開きの時に当り、岩戸の外に七五三縄(しめなわ)を張り廻らせし事も同一意義にして、天皇に対し七五三(ヒメ)の如く自然にして従順なるべき意を表示したるものなり。天皇、更にヒヒイロガネにて十六菊形の御紋章を作り、「(スミ)(オヤ)(スミラ)オホ)(タマシヒ)(タマヤ)」に奉納し、神宝(カンダカラ)となし給う。また、第二代「(ツクリ)(ノシ)()(ヨロズ)()天皇(スミラミコト)」の御代に天皇御身守りとして勅定ありし日の丸御旗を国旗(〇〇〇〇〇〇〇〇)として更に勅定し給う。

 天皇、皇子十三尊あり給いしが、悉く夭折(ようせつ)せられ、最後に即位二百六十三万年、「諸塚尊」御誕生あり、皇太子となり、後「(カル)(シマ)(ヒコ)尊」と御改称あらせらる。また、天皇詔して、万国(トコヨクニ)を御巡幸あり。予母津国に行幸し給いし時、ヨモツ国をヨウロベ(〇〇〇〇)と改称し給う。是れ、ヨーロッパ(オイローパ)の洲名の起源なり。御巡幸終りて奇日根速日岳の大宮に還幸し給う。其の後、支那国王「天能氏」及び「地能氏」来朝あり。後、「天能氏」(わたくし)に「天皇氏」と改称し、「地能氏」(わたくし)に「地皇氏」と改称す。(第百三章参照)

 天皇の御代、「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)御神霊」よりの神勅ありて、

(アメノ)(シタ)(トコヨ)(クニ)(オム)()一人天皇(スミラミコト)神宝(カンダカラ)は、神骨像神體、神代文字神代之巻、生都劔刃、神日本魂三神宝劔、円鏡、八咫鏡(やたのかがみ)・八サカの曲玉及び三種の神器なり。』

と定めらる。

 天皇・琉球へ行幸の後、道路奥光井(アカイ)の岳に大宮を造りて、遷都あり。此時、琉球の「和多都豊玉彦命」より、天皇御遷都の度毎に、必ず海より(りゅう)(とう)を奉捧すべき旨言上す。天皇之を嘉し給う。御即位二百八十三万八千四十年(神武即位前八万七千二百三十三年)一月六日、奇日根鵜戸大宮にて、皇太子「(カル)(シマ)(ヒコ)尊」に御譲位あり。二年の後、十月十八日、奇日根平山の大宮に於て神幽り給う。飫肥(ヨビ)の上陵に斂葬(れんそう)し奉る。

 「武鵜草(タケウガヤ)不合(アハセズ)天皇(スミラミコト)」を以て第一代となす。葺不合皇朝(〇〇〇〇〇)は、天皇の以後、実に連綿(れんめん)七十三代、神倭(かむやまと)第一代「神武天皇」に及びたるものなりしが、日の本に在来伝えらるゝ古記に従えば、此の「神武天皇」は葺不合(ふきあえず)第一代天皇の御子として記されあり。即ち、其の間に於ける七十二代約八万七千二百年に亘る歴代天皇の御事蹟・日本及び万国(トコヨクニ)の歴史は、悉く抹殺省略せられて伝わる所なく今日に及ぶまで隠匿(いんとく)され()りて、何人も以て関知(かんち)する所とならざりしなり。

 斯の如き由々しき大錯誤は、後代記紀編纂の時に当り、(ゆえ)ありて(あえ)て為されたるものにして、斯の如きを来すに到りたる誘因種々ありて、後段更に説明すべきも、今其の一、二を述べんに、先づ、上記葺不合(ふきあえず)第一代天皇の皇后の御名を「玉依姫皇后宮」と称し奉り、更に後代葺不合(ふきあえず)皇朝第七十一代「天照国照日百日臼杵天皇」の妃もまた「玉依姫皇后宮」と称し奉る。「神武天皇」は、此の天皇の第四番目の皇子「狭野尊」に座まし、此の皇后宮の御名御同一なる点よりして記紀編纂者をして誤記省略に導きたるものなり。現に日本書紀の示す所によりて、「神武天皇」御東征の年代を見るに、天孫高千穂降臨(即ち仁仁杵天皇御遷都)ありてより、百七十八万二千余歳と記されあり、此の間僅かに四代の天皇の御代を経過せるのみなりとせば、右は余りに長きに亘る歳月なりと云わざるべからず。何が故に斯の如き歴史の省略と隠慝(いんとく)が必要なりしかは漸次後章に説くべけれど、之を要するに、宇宙は猶未だに自在の時代にあり、加え、現実界現象の由って来る根源たる駛身(カケリミ)神霊界に於て、往昔(おうせき)日の本に渡来せる外国諸神、日の本を永久に其の掌中に簒奪(さんだつ)せんとする企図遂行の為に、あらゆる手段方策を弄し、遂に世界人類界の根源たる日の本の歴史湮滅(いんめつ)に成功し、以て其の専断横暴に資せんと図りし事より出でし外ならざるなり。

(第百三十八章・百四十三章・百四十五章参照)

 

 

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