第百五十七章 皇統第二百一代[神倭第百四代]

   () (つち) () (かど) 天 皇

 此の頃、「八百八光神」「八百幡神」「八尾狐(ヤツヲキツ)」「金毛九尾」及び仏魔等の諸霊、駛身(カケリミ)界の各時各方面に於て大争乱を開始したるが、其の反映・遂に応仁の乱以降の戦国時代として、現出するに到れり。

 此の間、天皇の御宇(ぎょう)文明三年詔して、越中国婦見郡宮川郷公郷村赤上神明「太古棟鿄系図神宮、皇祖皇(アマ)(テル)()大神宮」修繕建替に要する木取山二十数ヶ所を御下賜(かし)あり、当時世は紛々たる戦国の大混乱裡にありしが、皇室に於かせられては、依然「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」を深く御軫念(しんねん)ありて、左の如き御墨付を賜いしなり。

   治 国 万 民 平 安 祈 念

 願()()() 皇祖(アマ)(テル)()大神宮並に神主(カンツカサ)竹内家替造普請木取山登志亭(として)婦見郡新川郡之内()大高山西新山洞山御鷹山笹津山寺井六ヶ所木地字名全部新川郡内立山薬師嶽山黒部毛勝山駒嶽山僧嶽山滝倉谷山北又谷山成谷山柏尾谷山別又谷山南又谷山阿部木谷山十五ヶ所木地字名全部永遠仁賜不事。

    (かむ) (やまと) 百 三 代

     成  仁               花押

  文明三辛卯(かのとのう)年三月十六日

勅使権大納言正二位  源   通 秀 朝 臣

   権中納言正三位  藤 原 実 久 朝 臣

  「皇祖(アマ)(テル)()大神宮」並仁神主(カンツカサ)

     竹内越後守惟義へ

     竹内三郎修理太夫義信へ

(備考 右御墨付に於て、成仁天皇、御自ら、神倭(〇〇)百三代を仰せらる。――但し、(おき)(なが)(たらし)天皇[神功皇后]が皇統に漏れ居る為に、百三代となる――斯の如く、特に神倭代(〇〇〇)と記し給えるを見れば、又他の代あらざるべからず、神武天皇を以て皇統第一代とするに於ては、斯く特に神倭代(〇〇〇)と申さるゝ謂なし、即ち、皇室に於ては、神倭(かむやまと)代に対する葺不合代(〇〇〇〇)を当時猶認めあり。又、(アマ)(テル)()(タマシイ)(タマヤ)とあるによりても、上代に対する御認識は当時猶充分に御座せし事と拝察す。)

 而も、一方世情益々混乱を重ねるに従い、仏魔の暴威愈々激しく、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」の湮滅(いんめつ)を期して長享二年、加賀・能登・越中に於ける天台・真言・曹洞・浄土・真宗の僧徒士族を合して七千余、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」及び其の摂社・末社・附近神社を襲撃して、其の全部を破壊し終えり。是れ、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」が皇位攪乱に失敗せる鉾先を転じて、万国棟鿄(トコヨクニオムヤ)(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」の破壊を目指したるものにして、其の鋭鋒の赴く所、如何に執拗停止する所なかりしか、右によりて其の一班を察知し得べし、古来北越の地に仏教興隆せし所以を考うるに、即ち、其の他は、(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)の存する地、而も、太古以来の神器・神宝(カンダカラ)の秘蔵せらるる地なるを以て、其の地を囲繞(いじょう)して仏魔密集し、以て其の隙に投ぜんとしつゝあるの危きを思い到る時、思わず慄然たるを禁じ得ざるものあり(註 第百六十四章参照)

 

 

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