7.「近世時代」皇統第98代~皇統第219代

◆皇統第98代[葺不合(ふきあえず)73代][神倭(かむやまと)第1代]神日本磐余彦(カンヤマトイワレヒコ)天皇(スミラミコト)(じん)()天皇)

  (サヌ)()(ミコト)(アハ)(セズ)(シチ)(ジュウ)(サン)(ダイ)(アマツ)()(ツギ)(スミラ)(ミコト)

  神日本磐余彦(カンヤマトイワレヒコ)(スミラ)(ミコト)(カム)(ヤマト)一代(イチダイ)(じん)()天皇][御身魂 山武姫(ヤマタケヒメ)大神]

  多多良五十鈴(タタライスズ)(ヒメ)皇后宮(キサキノミヤ)

 皇后宮は、葺不合(ふきあえず)67代天皇の皇子「言代大宝尊」の子、「春日建櫛甕玉尊」の女。

(註:日本記は「言代大主尊」を「言代主命」とし、一説として「大物(おおもの)(ぬし)尊」=「大和櫛甕王大物主神」の子とする。「言代主尊」は「大国主命」の子、「大物(おおもの)(ぬし)」は「大国主命」の和魂を伝うるもので、「言代大主尊」より大の字を脱し、春日建櫛甕玉の三字によって「大物主神」の子としたもの。古記が杜撰(ずさん)なる事を知るべし。)

(ヤマ)(タケ)(ヒメ)大神が皇霊統に初侵入】

 「天の御三體大神」の神意によって、日本が完全に滅んだ後の建直しの目的で「(カム)(ヤマト)(イワ)()(ヒコ)(スミラ)(ミコト)」が即位し、その身魂「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」は、ついに日の本皇室の皇霊統に入る事を得た。このことは、「天照日(アマテルヒ)大神」の神意に基くもので、やがて来るべき「第二回の岩戸開き」を期して、まず外国神霊を日本皇霊統に入らせ、それら諸神霊の支配下で日の本の再建に努力させ、わずか2600年で、今日見るような日の本に恢復し得た。

 「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」は勇み立ち、心躍って日本島文化建設事業に着手。「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」の手足となって働く家臣として事業を補佐した「磐古大神」「御幣田姫(ごへいだひめ)神」「幡十台神」等の外国諸神霊は、この後、さまざまな人間の身魂として現界に出現し、個有日本を完全に滅ぼして、外国諸神の意のままの日本を造ることに専念する。すなわち、「妙見」[磐古大神]、「普賢」[御幣田姫(ごへいだひめ)神]、「文珠」[幡十台神]等の諸菩薩は、極力仏法の弘通に努め、後に儒教が入って漸次拡まったことは、これら諸神霊の「日の本奪取の計画]の現われに外ならない。

 当時、越中の地は大地変後で、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」は修理中だったので、天皇はまず「(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」の東、神通川の岸から遙拝(遠見の里と名付ける)。それより神宝(カンダカラ)を奉持して大和に帰り、畝傍山に「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」を鎮祭。神宝(カンダカラ)たる神日本魂御劔の名によって、名を「(カン)日本磐余彦(ヤマトイワレヒコ)尊」と改め、御齢112歳4月3日、この畝傍分宮の大前で即位の大礼を挙行。天皇みずからが祭主となって天津(アマツ)日嗣(ヒツギ)高御座(たかみくら)に昇り、南面して「天照日(アマテルヒ)大神」に天盃を捧げ、万国(トコヨクニ)五色人(イロヒト)王の棟鿄(オムヤ)天皇(スミラミコト)の御宝、神日本魂三神宝劔・神骨像石の御神體・(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)の三種之神器、神龍立瓶・神代上代の皇統象形仮名アヒル文字の巻・十六菊形御紋宝等を奉持して、正殿で即位した。

 即位50年の記念祭に際し、現在われわれが使用している新片仮名文字、アイウエオ以下ンまで、51字を作成(第117章「古代文字」)。また、文化回復のため、韓国や支那より文物の輸入を図った。

【第2回岩戸閉め】

 「神日本磐余彦(カンヤマトイワレヒコ)天皇」は、文化が完全に滅んだ日の本建直しのため、一時、世界万国(トコヨクニ)を統一して治めることを完全に放棄した。これを「第2回岩戸閉め」と言う。

大広木正宗(おおひろきまさむね)大神の各宗教樹立】

 3次元現界では日本文化覆滅という大事があり、4次元駛身(かけりみ)界では、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」がのさばりつつあった時、駛身(かけりみ)界で第7次神政内閣没落後、外国に赴いていた「大広木正宗(おおひろきまさむね)大神」は、事態が急なるを見て、最初の目的だった外国教化の事業にいっそう努力し、現界の各地に出現して教えを樹立した。

○ 紀元57年(紀元前604年[*中国571年?])、楚の陳都に「老子」[身魂:支那古来の神霊「盤古大神」]生誕。「大広木正宗(おおひろきまさむね)大神」が導いて、その幽玄な老経の完成に努力した。

○ 「綏靖天皇」の20年(紀元前562年[*624年?])、インド天竺国カビラ城に、万山黒人王「唐良羅衛尊者」の末裔の「釈迦」[身魂:山武姫(ヤマタケヒメ)大神の分霊]生誕。「大広木正宗(おおひろきまさむね)大神」「大力之大神」「日之出大神」等の諸神が、正しい道に教育する任務に当たり、荘厳な仏教を樹立した。

○ 「綏靖天皇」の31年(紀元前551年)、魯の昌平郷陬邑(すうゆう)に「孔子」[身魂:山武姫(ヤマタケヒメ)大神]生誕。「大広木正宗(おおひろきまさむね)大神」が導いて、その厳粛な論語その他の完成に努力した。

○ 「孝安(こうあん)天皇」21(紀元前372年)年、「孟子」[身魂:大広木正宗(おおひろきまさむね)大神]生誕。老・孔を綜合して、その濶達(かったつ)(=度量が広く、小事にこだわらない)な王道の(かなめ)を完成させた。

○ 「(すい)(にん)天皇」26年(紀元前4年)、猶太(ユダヤ)に、「基督(キリスト)」[身魂:大広木正宗(おおひろきまさむね)大神]生誕。

○ 「(すい)()天皇」18年(皇紀1270年[西暦610年*570年頃?])、イスラム教を樹てた「ムハメット」[身魂:大広木正宗(おおひろきまさむね)大神]生誕。

【近世仏魔の侵入】

 日本再建に必要な物質文明の輸入と共に、儒教の教えも次第に日本に入り、文化の進歩に貢献した半面、個有日本を消そうとして儒教・仏教の魔が侵入し、随時、随所でのさばり蔓延(はびこ)るようになった。

 日本各神社は、本来、ただ清浄で飾り気がなく正しいものでなければならない。ところが、今日われわれが常に見る神社は、境内に狛犬の像(〇〇〇〇)があり、建築では鼻巻象(〇〇〇)唐獅子(〇〇〇)鳳凰(〇〇)等の彫刻があることから、そこに何ものが根を張っているかがわかる。(註:鼻巻象は普賢菩薩[御幣媛神]、唐獅子は文殊菩薩[幡十台神]、鳳凰は妙見菩薩[盤古大神]の象徴。殊に祥鳥と言われる鳳凰は、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」の創造化した孔雀を思わせ、日本皇統を奪い取るというかねてからの願いによって、ついに鳳輦(ほうれん)(=屋形の上に金銅の鳳凰をつけた輿)を作って、おそれ多くも陛下の頭上に置く。将来、鳳輦は廃止されるべきもの。

 日の本在来の神霊は、これら魔の跳梁を防ぎ止め、極力これに対抗。日の本諸神霊が何をおいても守護しなくてはならないものは、やがて再来すべき世界統一で物質的根拠象徴となる、皇統継承の天璽象徴たる「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」と、皇室にある神代上代の御神宝。その保護のため、現界では代々天皇が、神勅の指示するところに従ってさまざまな方法であらゆる苦心と努力を傾け、神界でも同時に、遠くの将来を見据えて着々と諸般の準備が進めた。

◆皇統第105代[神倭(かむやまと)第8代](オホ)日本(ヤマト)()()(ヒコ)(クニ)(クル)(スミラ)(ミコト)孝元(こうげん)天皇]……身魂:(ヤツ)()(ダイ)(ジン)大神

  (オホ)日本(ヤマト)()()(ヒコ)(クニ)(クル)(スミラ)(ミコト)孝元(こうげん)天皇] [御身魂 (ヤツ)()(ダイ)(ジン)大神]

 即位12年1月1日、「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)御神霊」の神託により、仏魔侵入に対して、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)神宝(カンダカラ)・神代上代の万宝と三種之神器を、他国人又万国(トコヨクニ)人に秘密に秘蔵せよ」と詔。

◆皇統第107代[神倭(かむやまと)第10代]()()()(イヒ)(リコ)()()()()(スミラ)(ミコト)崇神(すじん)天皇]……身魂:大野大陣大神

  ()()()(イヒ)(リコ)()()()()(スミラ)(ミコト)崇神(すじん)天皇]  [御身魂 大野大陣大神]

 即位3年3月3日、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」の神宝(カンダカラ)中、上代天皇神宮骨像石神體48八體から1體を宮中に、他の1體を丹後「元伊勢(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」に秘密裏に勧請。後、宮中のものは大和笠縫村(かさぬいのむら)に移して祭祀。これは、「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()(スミラ)(ミコト)」の神骨石像神體で、天皇は上代「日の本中興の御祖」であることから、その神霊の威徳によって仏魔を下そうとする天子の意から出た。この時より、「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()(スミラ)(ミコト)」を、「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」と称し奉る。

 即位62年3月1日、五色人に秘密で三種之神器(〇〇〇〇〇)を製作し、製作された神器を以後代々の天皇に譲ると定め、真の神器(〇〇〇〇)は「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」に秘蔵した。

◆皇統第108代[神倭(かむやまと)第11代](イク)()(イリ)(ヒコ)()()()()天皇(スミラミコト)(すい)(にん)天皇]

  (イク)()(イリ)(ヒコ)()()()()天皇(スミラミコト) [(すい)(にん)天皇]

 即位25年、大和笠縫村に鎭祭していた神宝「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)」の神骨像神體を、更に「倭姫命」に命じて、伊勢五十鈴川上に鎭祭。即ち、現在の「伊勢太神宮内宮」を「天照皇大神宮」と称す。此の翌年、「基督(キリスト)」生まれる。身魂は「大広木正宗大神」。

◆皇統第111代[神倭(かむやまと)第14代] (タラシ)(ナカツ)(ヒコ)天皇(スミラミコト)仲哀(ちゅうあい)天皇]

  (タラシ)(ナカツ)(ヒコ)天皇(スミラミコト) [仲哀(ちゅうあい)天皇] [御身魂 大広木(おおひろき)正宗(まさむね)大神]

  (オキ)(ナガ)(タラシ)(ヒメ)(キサ)(キノ)(ミヤ) [(じん)(ぐう)皇后] [御身魂 大鶴(おおづる)(ひめ)大神]

    (タケ)(ウチノ)宿(スク)() [身魂 八尾(やつお)大陣(だいじん)大神]

 天皇、神意を尊重しなかった(かど)で、即位7年3月14日巳の日、突然に崩後。「(アマ)(テル)()大神」の神勅により、「(オキ)(ナガ)(タラシ)(ヒメ)皇后(キサキノミヤ)」が天津日嗣の高御座に登る。時に皇后の御齢42歳。此の登極の御事が史実に残らなかったため、現在の皇統に漏れており、単に摂政の始めとして記録されるに止まっている。

◆皇統第112代[神倭(かむやまと)第15代] (オキ)(ナガ)(タラシ)(ヒメ)天皇(スミラミコト)(じん)(ぐう)皇后]

  (オキ)(ナガ)(タラシ)(ヒメ)天皇(スミラミコト) [(じん)(ぐう)皇后]

 即位元年11月14日、筑紫国蚊田宮にて皇子「誉田別尊」御誕生。天皇詔して、御自ら「竹内宿禰」[身魂 八尾(やつお)大陣(だいじん)大神]を率いて三韓に進み、「忍熊王」を始め53王を征伐。蚊田宮に残されていた皇子「誉田別尊」には、「竹内木菟宿禰」及び「景行天皇」の皇女「五百城入姫尊」に鳩八十羽を付けて侍従させ、天皇と皇子との御文通はこの鳩によってなされた。即位3年冬12月23日蚊田宮に凱旋。其の時まで「誉田別尊」の御誕生を発表されなかったため、皇子は三ヶ年間母天皇の御胎内に在られた事として、伝えられる。

 即位54年甲戌5月5日、「(タケ)(ウチノ)宿(スク)()」に詔して、筑紫三井垂将玉垂の地中にうつら(虚―空洞)を作らせ、天皇の御宝、潮満玉(〇〇〇)潮干玉(〇〇〇)を秘蔵される。その所に、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」「太陽日神」「大陰月神」「日向津天照大神」「豊玉彦神」「豊玉彦姫」を、「高良玉垂の神」として勧請。天皇自ら祭主となり、宿禰祭長となって、祭祀し奉る。即位69年4月17日、御齢110歳を以て、若桜宮に崩御。池上に葬り奉る。

◆皇統第113代[神倭(かむやまと)第16代] 誉田(ホムタ)天皇(スミラミコト)応身(おうじん)天皇][御身魂 地上丸大神]

  誉田(ホムタ)天皇(スミラミコト) [応身(おうじん)天皇]  [御身魂 地上丸大神]

 即位11年1月6日、詔して、「竹内宿禰」を勅使として、越根中国赤池上「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」に派遣、代々天皇の神宝・上代天皇御親作の神籬立甕・「(オキ)(ナガ)(タラシ)天皇(スミラミコト)」の水金鏡及び神代上代の万宝を神宮の地中に秘蔵、仏魔の暴挙を免れる。天皇、即位11年3月1日、自ら祭主となり、大祭礼を挙げ給う。即位45年2月15日、御齢111歳を以て、豊明宮に崩御。

◆皇統第131代[神倭(かむやまと)第34代](トヨ)()()(カシ)()比売(ヒメ)天皇(スミラミコト)(すい)()天皇]

  (トヨ)()()(カシ)()比売(ヒメ)天皇(スミラミコト) 「(すい)()天皇」

 当時、「普賢」「文珠」「妙見」等の諸菩薩が、部下眷属と共にまた相次いで日の本に侵入して、各所の神社を占拠し、ますますわがもの顔にのさばったため、代々の天皇は苦心を重ねてきた。「(トヨ)()()(カシ)()比売(ヒメ)天皇(スミラミコト)」((すい)()天皇)の御代に到り、「(タイ)()(シャウ)(グン)」は「聖徳太子」の身魂として出現、天皇の摂政として長く政治に参与した。「聖徳太子」は我国歴史では佛法弘通の大先覚者として伝えられるが、これは上辺(うわべ)の見方に過ぎず、太子は表面では仏法に帰依し、内々ではその鋭鋒を挫いた。

 天皇即位18年、アラビアで「マホメット」[身魂 大広木正宗(おおひろきまさむね)大神]がイスラム教(〇〇〇〇〇)を創始。第7次神政内閣以後、外国に走って後、「大広木正宗(おおひろきまさむね)大神」はさまざまな教えを樹立したが、大神の新教創設はイスラム教で最後となった。

◆皇統第136代[神倭(かむやまと)第39代](てん)()天皇……身魂:(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神

  (てん) () 天 皇  [御身魂  (ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神]

 素服(=飾り気のない服)軍国を始め、滋賀大津に皇居を定め、唐制に倣って律令を制定。身魂「(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神」は「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」が現界に出現して活動されたもので、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」諸神の佛法弘通に対して、毒をもって毒を制する意図で、唐制の採用を試みた。

◆皇統第137代[神倭(かむやまと)第40代](こう)(ぶん)天皇……身魂:(タイ)()(シャウ)(グン)

  (こう) (ぶん) 天 皇  [御身魂  (タイ)()(シャウ)(グン)

 壬申の乱で天皇軍は破れ、勢田(=瀬田)で崩御。この戦は次代「天武天皇」[身魂 (アマ)(テル)(ヒコ)大神]との伯・甥間の争闘で、4次元駛身(かけりみ)界で神政紊乱開始の際、「(タイ)()(シャウ)(グン)」対「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」の争闘が反映したもの。

◆皇統第138代[神倭(かむやまと)第41代]天武(てんむ)天皇……身魂:(アマ)(テル)(ヒコ)大神

  (てん) () 天 皇  [御身魂  (アマ)照彦(テルヒコ)大神]

 「大海人(おおあま)皇子」(後の「(てん)()天皇」)は都を逃れて、美濃国中山村、山本家(太玉命の子孫、すなわち(アマ)(テル)(ヒコ)系の身魂を有する)に隠れ、この家で、物部氏より伝わる「雄略(ゆうりゃく)天皇」勅令による許可、「(アメ)()()(ナカ)(ノシ)天皇(スミラミコト)」以降の天皇系譜を読み、古事記の重要部分を作成。その後約30年で即位し、詔して、古事記の編纂を命じる。(註 第138章参照)

 「太ノ安万侶」の序文を見ると、古代日本には文字がないように記されているが、このような虚偽をあえて後代に残すのは、「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」系諸神の日の本歴史改竄の意図から出でしものに外ならない。

◆皇統第140代[神倭(かむやまと)第43代]文武(もんむ)天皇……身魂:山武姫(ヤマタケヒメ)大神

  (もん) () 天 皇  [御身魂  山武姫(ヤマタケヒメ)大神]

【役小角と大峰山】

 御代、仏魔が甚だしくわがもの顔にのさばるようになったことから、「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」は「役の小角」に現れて大嶺山(おおみねさん)を開き、神仏を混合して、大いに仏魔の鋭い矛先を挫いた。魔軍として伝えられる「(ひと)(こと)(ぬしの)(かみ)(ひとことぬしのかみ)」は「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」の現れで、「小角」はこれに指導されて大峰に入った。「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」の身魂たる天皇は、「小角」を捕えて大島に流罪したが、「小角」は後に(ゆる)されて大和に還る。峰より遂に仙人となって天に昇ったが、行方はわからない。

◆皇統第141代[神倭(かむやまと)第44代]元明(げんめい)天皇

  (げん) (めい) 天 皇

 「稗田阿礼(ひえだのあれ)」(当時28才の女、身魂:(アマ)(テル)(ヒコ)大神)と、「太ノ安万侶(おおのやすまろ)」(身魂:(アマ)(テル)(ヒコ)大神)は、古事記の編纂を終え、「元明(げんめい)天皇」に奉る。編纂に当った者の身魂は「(てん)()天皇」を始めことごとく「(アマ)(テル)(ヒコ)系神」で、この裏面の神霊的根拠から見ると、かねてより日本歴史を跡方もなく消すという思念をもつ(アマ)(テル)(ヒコ)系諸神の意志に従って編纂されたものであることは明らか。すなわち、この古事記をもって正当な日本歴史と判断するのは大なる誤りであると推測することは難しくない。

◆皇統第143代[神倭(かむやまと)第46代](しょう)()天皇……身魂:耕大陣(たがやしだいじん)大神

  (しょう) () 天 皇  [御身魂  耕大陣(たがやしだいじん)大神]

 天皇は、自ら「三宝(さんぼう)(やっこ)(=仏・法・僧の三宝に供養するため身を捨ててその奴隷となる)」と称して()()(しゃ)()(ぶつ)を建立し、表面では帰依するも、内々にその鋭い攻撃を挫いた。仏像建立にあたってその體内に、古記、宝物を蔵して、それが散り失せることを防ぐが、後年、戦争による火災で仏像の首が落ち、ことごとく無くなった。

 天皇は大いに意を払ったが、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」系神の威は依然として盛んで、僧「行基」[身魂:山武姫(ヤマタケヒメ)大神]が現れて本地垂迹を説き、「道教」[身魂:青森(アホキ)白木上(シラキジョウ)大神]が出て朝の要路に立ち、後、第49代「(しょう)(とく)天皇」の御代に到って、遂に法王となって権勢を振るった。

◆皇統第148代[神倭(かむやまと)第51代](かん)()天皇……身魂:天若彦(あまわかひこ)大神

  (かん) () 天 皇  [御身魂  天若彦(あまわかひこ)大神]

 天皇は平安城をさだめ、皇居の守護のため、「最澄」[御身魂:耕大陣(たがやしだいじん)大神]に、皇居の鬼門方角に当たる比叡山に延暦寺を建立させる。比叡山には「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」の分霊「天国上則義大神」が在られ、ここに国祖の霊が在られると仏教弘通の妨げになることから、これを強制的に追い払い、神社を山の向かい側(現今、日吉大社「大山祇神」のある所)に移す。かつ、皇居には鬼門に当たるため、不開門(あかずのもん)を作って国祖の皇居守護を永遠に封じ、その間には「(タイ)()(シャウ)(グン)」の使者たる猿2匹を門番に当らせた。すなわち、「天若彦(あまわかひこ)大神」と「耕大陣(たがやしだいじん)大神」が、国祖を馬鹿にしてからかい、その神意を閉じて(ふさ)ごうとする皮肉な処置。

◆皇統第150代[神倭(かむやまと)第53代]嵯峨(さが)天皇

  () () 天 皇

 御世、「空海」[(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神]が高野山を開き、真言宗を弘通する。日の本における真言宗は、仏教各宗派中、最も日本神道に類似する。すなわち「空海」は、仏教の教義をかりて神道を説く者で、さらには、仏教を日本の神道化しようと努めた者。

◆皇統第154代[神倭(かむやまと)第57代]清和(せいわ)天皇……身魂:地上(チジョウ)大陣(ダイジン)大神

  (せい) () 天 皇  [御身魂 ()(ジョウ)(ダイ)(ジン)大神]

 天皇は、僧「行教」[身魂:御幣田姫(ごへいだひめ)神]を勅使にし、「宇佐八幡」を男山に迎えて祀り、神体として仏體を用いた。「八幡神」は「彦火火見天皇」の神霊「地上丸(ちじょうまる)大神」だが、この神霊を駆使し、これに代わるに仏霊をもってした。後代、「八幡太郎義家」がこの「男山八幡」で元服する。この頃、一般民衆に対する部門の勢はようやく強くなり、各地の武家は、部門の総師たる「義家」の威厳を期待して、全国にあまねく「八幡神社」を建立。こうして建てられた「八幡神社」は、総て神体を置かずに仏體を入れ、これを「僧形八幡(〇〇〇〇)」と云う。

 当時、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」が、神界で「御幣田姫(ごへいだひめ)神」[普賢]に盛んに外国化を行わせ、自神は皇室の外戚中にようやく侵入しつつあった。これは政権が外戚「藤原氏」に移ろうとする下地で、しかも、さらにこの時、日の本神社「八幡宮」に仏魔の侵入を許したことで、やがて、「八幡宮」を利用して仏魔が勢力を部門に植え付け、ついには政権を武門の手に入れる前提が出来上がる。

◆皇統第158代[神倭(かむやまと)第61代]醍醐(だいご)天皇

  (だい) () 天 皇

【大峰再興と、「醍醐天皇」一千年の仕組み】

 天皇は、「聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)」[身魂:(アホ)()(シラ)()(ジョウ)大神]に勅命して、大峰山修験道(〇〇〇〇〇〇)をふたたび盛んにさせ、延喜式延喜格(〇〇〇〇〇〇)(えんぎしきえんぎきゃく)ができて、神道が盛んになった。

(※ 延喜格――平安時代、藤原時平、三善清行らが編修した(きゃく)の集成。弘仁格、貞観格の後をうけ、貞観11年(869)~延喜7年(907)まで、39年間の詔勅や官符の類を官司ごとに排列整理した12巻。現存しない。)

 大峰山修験道は「役小角」の後、一時衰微(すいび)したが、勅命によって「理源大師(りげんだいし)」が再興に努めた。大師もまた、第四の説破(せっぱ)(=他の説を言い負かす)する所となった大峰山山麓・洞川(どろがわ)の白竜の毒気のため倒れたが、醍醐池の白竜が大師の病を治し、共に大峰再興に努力。この時より1000年の後、第2回の岩戸開きがあることから、そのための準備を開始したことが、この大峰再興の神意。それ以来、日の本全国から集合した神霊・人霊は、1000年間、そこで修業を積み続け、昭和4年9月26日、いよいよ期が熟したことから、全山の神霊人霊およそ数百万がことごとく下山して日本全国に散り行き、各々因縁ある肉体に宿った。これを「醍醐天皇(〇〇〇〇)一千年(〇〇〇)の仕組みという。(註 昭和6年醍醐天皇1000年祭、昭和5年聖宝、理源大師、1025年祭)

◆皇統第160代[神倭(かむやまと)第63代]村上(むらかみ)天皇

  (むら) (かみ) 天 皇

 皇室を、「金毛九尾」の悪狐霊が悩ませる。怪火が起きて内裡(だいり)を初めて焼き、約100年間に内裡が炎上すること十数回。これは「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」が、外国における諸神の怨みや嘆きから生まれた思凝神(シコリガミ)である悪狐「金毛九尾」の一団を褒賞で(そそのか)し、日の本皇室をかき乱そうと意図した結果、悪狐はわがもの顔にのさばって、その後の禍が甚だしくなった。

【日本魂の根源】

 日の本では、大祓祝詞(〇〇〇〇)にあるように「天の御蔭日の御蔭を隠りまして」と云い、臣下各人の功績はことごとく天皇の威徳となり、天皇はこれを天祖の御稜威(みいつ)(=威光)に奉った。これが日本魂の根源。ところが、外国では「一将(いっしょう)功成(こうな)り、(ばん)(こつ)()る」というように、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」がことごとく部下の功績を自分のものとするため、諸神霊の怨恨が一団となったものが思凝神(シコリガミ)「金毛九尾」。天皇がこの悪狐の禍で悩んでいた時、当時11歳の「阿倍(あべの)(せい)(めい)」がこの悪狐を祓って、天皇のお体を安らげた。「(せい)(めい)」の身魂は「(タイ)()(シャウ)(グン)」で、これによって、「(タイ)()(シャウ)(グン)」は、「安倍隆盛上大神」と名付けられる。

◆皇統第170代[神倭(かむやまと)第73代]白河(しらかわ)天皇……身魂:大広木正宗(おおひろきまさむね)大神

  (しら) (かわ) 天 皇  [御身魂  大広木正宗(おおひろきまさむね)大神]

 「(じん)()天皇」以来、日の本に紛れ込んだ仏魔は、結束して日の本を奪い取ろうと努力したが、遂にその間に欠裂を生じ、争闘を起すようになる。「白河天皇」の御代、延暦寺と円城寺の僧徒が戦い、これを始まりとして各地で僧徒がかき乱したため、天皇はしばしば高野山に行って難を避けた。

◆皇統第172代[神倭(かむやまと)第75代]鳥羽(とば)天皇

  () () 天 皇

 「金毛九尾」の悪狐がまた皇室を悩まし、僧徒がまた大いに戦う。伝説によれば、この時、「金毛九尾」は美姫「玉藻前(たまものまえ)」に変じて「鳥羽(とば)天皇」を悩ましたが、「安部泰親(あべのやすちか)(安倍泰親?)」に見破られて下野那須野に逃れ、殺生(せっしょう)(せき)になったと言われる。

(※ 鳥羽天皇の寵姫・(たま)藻前(ものまえ)は妖狐の化身で、殺されて石になったという。この石に触った人に災いを与えたので()(ふか)(くさ)天皇の時、玄翁(げんのう)和尚が杖で打つと、二つに割れて死霊が現れ、成仏して消えたと伝える。栃木県那須温泉の近くにある溶岩の塊。)

◆皇統第177代[神倭(かむやまと)第80代]六条(ろくじょう)天皇

  (ろく) (じょう) 天 皇

 御世、「平清盛」[身魂:(アマ)(テル)(ヒコ)大神]が太政大臣となって横暴を極める。外戚「藤原氏」と「平氏」のわがままで勝手な振る舞いは、全く仏魔と「金毛九尾」の仕業。後、ついに「()鳥羽(とば)天皇」他、二天皇が承久(じょうきゅう)の乱を起こすに到る。「清盛」の横暴は「木曽義仲」[身魂:(アホ)()(シラ)()(ジョウ)大神]によってまず挫かれ、後、「源頼朝」[身魂:()(ジョウ)(ダイ)(ジン)大神]がこれに代わって、ついに征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)となって幕府を鎌倉に開いた。

 「清和(せいわ)天皇」の御代より政権の外戚に移ったが、ついに武家となったことは、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」が、極力「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」その他諸神神霊を追い立てて、天皇より統治権を奪い取ることを画策し、ついに成功を見たもの。以来700余年にわたる武家政治も、表面的に見る時はその間各種の原因・理由を指摘できるが、それは上辺(うわべ)の理由に過ぎず、その現象の裏面にあって秘かに策略を廻らして活動する諸神霊の動きを見ないなら、真個(しんこ)(=まこと)の歴史を語ることはできない。

◆皇統第184代[神倭(かむやまと)第87代]()堀河(ほりかわ)天皇

  () (ほり) (かわ) 天 皇

【日蓮宗の開宗】

 貞応元年、「日蓮」[身魂:(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神]が生まれ、「()(ふか)(くさ)天皇」の建長5年4月28日、日蓮宗(〇〇〇)を開宗した。天皇の政権は多年外戚「藤原氏」に移っていたが、「頼朝」に到って武門に帰し、まもなくその外戚「北条氏」に移っていく経過は、天の御三體大神が黙視することができない一大事だった。そのため、「天照日(アマテルヒ)大神」は「(じん)()天皇」当時以来、因縁がある「(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神」[饒速日尊(にぎはやひのみこと)の神霊]に対して、天皇の政権確立の勅命を発す。これが、「日蓮」が「(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神」の身魂を有して出現した由来。「日蓮」は承久の乱を下剋上の甚だしきものとし、しかも、これは当時の仏教各宗派の誤った教義に由来するとした。

 「日蓮」は仏法の研鑚が終って後、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」に到って、日の本の根本神道を究めんと訪ねること3回。当時の神主(カンツカサ)「竹内氏」よりその熱誠(ねっせい)を認められ、ついに「竹内氏」系図を見ることを許される。ここに初めて太古よりの日の本の真相を識る事を得、直ちに「伊勢大廟」に参籠(さんろう)して、21日を経て郷里小湊に帰り、日蓮宗を立教する。立教の真意義は、武門に移った政権を返還させて皇室を確立するにある。これによって、「天照日(アマテルヒ)大神」の神勅に報いることが、その身魂「(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神」の意志だった。

 ところが、この間の動静を察知した仏魔「妙見菩薩」[盤古大神]は、「日蓮」の計画が成就すると、多年日の本に植え付けてきた自己の努力が失われることから、咤呮尼天(〇〇〇〇)吒枳尼天(〇〇〇〇)?)(だきにてん)[狐霊]「妙太郎」「法太郎」をけしかけて「日蓮」を引き落し、「(ジフ)(ダウ)(ユキ)(ナリ)大神」の画策を挫折させようとする。そのため「日蓮」はその道の半ばにして志を失い、単なる一宗門の開祖として終わり、初期の目的を達することはできなかった。「天照日(アマテルヒ)大神」は大いに怒り、「日蓮、妙見、天に殴り上げて、おみとに入れて()し殺す」と布告。以上は、外国渡来の神「盤古大神」が、日の本在来の神霊を敗北させた一例。

(※ 咤呮尼天(だきにてん)……死者の肉を食う夜叉(やしゃ)(鬼神)の類。密教では、胎蔵界曼陀羅外院にあって、大黒天に所属する夜叉神。日本では稲荷神の本地仏とされ、愛知県の豊川稲荷((みょう)(ごん)寺)に祀られる。)

◆皇統第194代[神倭(かむやまと)第97代]()(だい)()天皇……身魂:地上丸(ちじょうまる)大神

  () (だい) () 天 皇

【南北両朝の対立と合一】

 「()(だい)()天皇」の出現によって、一時皇政の復古を見たが、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」一派は、古来よりの目的を挫折する結果となることから猛然と奮起し、皇統をかき乱すことに努めた結果、現界で南北両朝の対立を見る。当時、南朝の各天皇が経験した臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の苦心について、現存する史実はわずかにその一区分を記すに過ぎない。(第164章「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)沿革」参照)

 南北朝合一によって、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」は茫然自失し、ついにその画策が成就しがたいことを覚るが、この間、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」の部下の諸神霊は、なおも南朝を滅ぼすため、密かに執拗な策略をめぐらせようとした。歴史に現れない顕著な事項としては、神倭(かむやまと)98代「()村上(むらかみ)天皇」の正平3年、即ち北朝「光明天皇」貞和4年、「足利尊氏」[身魂:大野大陣大神]は全国に命令して、南朝一味が身を寄せた神社・仏閣をことごとく焼却。また正平10年、北朝「御光厳(ごこうごん)天皇」の文和4年、全国に令して、古事記・日本書紀・古語拾遺等に記載されている神宮(たましいたまや)・神社で、南朝に加担したものの、書籍と歴史からことごとく完全に消し去ることを、7年間、極力実行した。(第164章参照)

 その一方、久遠の昔より、これら外国諸神霊がわがもの顔にのさばっている事態に対応していた「十六神の大神(〇〇〇〇〇〇)」は、常に皇室擁護のために絶大な活動をしていた。されば、南北朝分離して62年後、()亀山(かめやま)天皇」が北朝6代「()小松(こまつ)天皇」に対して父子の礼をもって神器を譲り、南北朝の合一を見て、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」の画策は全く失敗に終わる。

 その後、世に三種之神器を中心とする「南北朝正閏(せいじゅん)(=正統と閏統)」の議論が騒がしい。北朝に伝えられる神器の真偽は問わず、万国棟梁(トコヨクニオムヤ)天皇の御身守にして皇位継承の神宝(カンダカラ)たる三種の神器は、必ずヒヒイロガネで製したものでなければならない。しかも、その中古「(アマ)(サカル)(ヒニ)(ムカ)()()()天皇(スミラミコト)」製作の神器は、「崇神(すじん)天皇」以来、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)神主(カンツカサ)「竹内氏」子々孫々守護して、今日に到る。やがて、この神器が天皇の手許に奉還された暁には、従来の南北、正閏の議論は全く無意味となり、終わる。

◆皇統第201代[神倭(かむやまと)第104代]()(つち)()(かど)天皇

  () (つち) () (かど) 天 皇

 「八百八光(はっぴゃくはっこう)神」「八百幡神(はっぴゃくはたしん)」「八尾狐(ヤツヲキツ)」「金毛九尾」と仏魔等の諸霊が、駛身(かけりみ)界の各自各方面で大争乱を開始し、その反映がついに応仁(おうにん)の乱以降の「戦国時代」として現出する。

 「()(つち)()(かど)(てん)(のう)」、文明3年詔。越中国婦見郡宮川郷公郷村赤上神明、「太古棟梁系図神宮(たましいたまや)、皇祖皇(アマ)(テル)()大神宮」の修繕・建替に要する木取山20数ヶ所を授ける。当時、世は入り乱れた戦国の大混乱にあったが、皇室では「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」を深く心配し、「治国万民平安祈念」の御墨付を賜る。――「願()()() 皇祖(アマ)(テル)()大神宮並に神主(カンツカサ)竹内家替造普請木取山登志亭(として)婦見郡新川郡之内()大高山西新山洞山御鷹山笹津山寺井谷六ヶ所木地字名全部新川郡内立山薬師嶽山黒部毛勝山駒嶽山僧嶽山滝倉谷山北又谷山成谷山柏尾谷山別又谷山南又谷山阿部木谷山十五ヶ所木地字名全部永遠仁賜不事。」  神倭(かむやまと)103代(ふさ)(ひと) 花押 文明三辛卯(かのとのう)年3月16日 (勅使 権大納言正二位 源通秀 朝臣  権中納言正三位  藤原実久 朝臣)(「皇祖(アマ)(テル)()大神宮」並びに神主(カンツカサ)職 竹内 越後守惟義へ 竹内 三郎修理太夫義信へ)

(備考 「(ふさ)(ひと)天皇」自ら、御墨付で神倭(〇〇)103代と言うが、「(オキ)(ナガ)(タラシ)(ヒメ)天皇(スミラミコト)」が皇統に漏れているため、103代となる――このように、特に神倭代(〇〇〇)と記すのを見れば、他の代はあってはならず、神武天皇を皇統第1代とするにおいて、特に神倭代(〇〇〇)と言う謂れはない。すなわち、皇室では、神倭(かむやまと)代に対する葺不合代(〇〇〇〇)を当時認めており、(アマ)(テル)()神宮(たましいたまや)とあることからも、上代に対する認識は当時充分にあったことと拝察する。)

 一方、世情はますます混乱を重ね、仏魔の荒々しい勢いはいよいよ激しく、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」が跡形もなく消えたことを期して、長享2年、加賀・能登・越中における、天台・真言・曹洞・浄土・真宗の僧徒士族を合して7000余が、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」とその摂社・末社・附近神社を襲撃し、その全部を破壊し終わった。「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」が皇位をかき乱すことに失敗した鉾先を転じて、万国棟梁(トコヨクニオムヤ)(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」の破壊を目指したもので、その鋭鋒が向く所ではいかに執拗で停止する所がないか、その一班を察知できる。

 古来、北越の地に仏教が興隆した理由を考えるに、その他は(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)の存する地であり、しかも、太古以来の神器・神宝(カンダカラ)が秘蔵された地であることから、その地をぐるりと禍根で仏魔が密集して、その隙に投ぜんとしつつある危なきを思う時、恐ろしさに思わずぞっとすることを禁じ得ない。(註 第164章「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)沿革」参照)

◆皇統第203代[神倭(かむやまと)第106代]()奈良(なら)天皇

  () () () 天 皇

 享禄2年、本願寺家宰(=主人に代わって家を取り仕切る)「下間(しもつま )筑前坊(ちくぜんぼう)」一味が、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」を破壊し、神主(カンツカサ)を殺す。また、加能越三州の明神社の神主(カンツカサ)をことごとく殺害。こうして、上代天皇より長い年月にわたって存在した万国棟梁(トコヨクニオムヤ)(スミ)(オヤ)(スミラ)(アマ)(テル)()(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」は、暴虐な仏徒の手によって全く没落した。しかし、この事態になったにもかかわらず、上代より代々受け継ぎ伝えてきた万国棟梁(トコヨクニオムヤ)天皇(スミラミコト)の神器・神宝(カンダカラ)は、深く土中に埋められていたため、僧徒や土地の賊徒の難を免れて無事だったことは、もっぱら十六菊形御紋章に象徴される日の本守護の「十六神大神」の加護による。上代天皇がこの紋章を定めた真意に深き思いが潜められていると共に、仏魔の悪意を隠した執拗な裏面の魔手がどのあたりにまで及んだかを思わざるを得ない。

◆皇統第204代[神倭(かむやまと)第107代]正親町(おおぎまち)天皇

  (おお) () (まち) 天 皇

 天正3年、「織田信長」[身魂:(アマ)(テル)(ヒコ)大神]が「足利氏」を滅し、天正10年、「明智光秀」[身魂:(アホ)()(シラ)()(ジョウ)大神]が「信長」を滅す。「天照日(アマテルヒ)大神」「(アホ)()(シラ)()(ジョウ)大神」「(タイ)()(シャウ)(グン)」の葛藤で、遂に「(タイ)()(シャウ)(グン)」の勝利に帰し、天正13年、「豊臣秀吉」[身魂:(タイ)()(シャウ)(グン)]が関白に任じられる。幾何もなく、第108代「()(よう)(ぜい)天皇」の慶弔5年、関ヶ原の戦で「豊臣家」は滅亡。

 同8年、「徳川家康」[身魂:(アマ)(テル)(ヒコ)大神]が征夷大将軍に任じられて幕府を江戸に開くに到り、この葛藤の勝利は再び「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」の手中に帰し、武門政治300年の基礎を開いた。慶長10年、「秀忠」[身魂:天若彦(あまわかひこ)大神]が征夷大将軍に任じられるに及び、国祖「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」の隠退後、表にははっきり出ないが「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」が強い勢力で管理する代は依然として継続されつつあった。

◆皇統第207代[神倭(かむやまと)第110代]明正(めいしょう)天皇

  (めい) (しょう) 天 皇

 寛永17年、前田富山城主が、「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」で、〝これから先は神域で乗り物を降りて入れ〟と書かれた下乗(げじょう)札を破壊し、「仏如来の他教の信者を罪科(つみとが)に行う事」と命令。これまでの仏魔が跳梁する現れから、当時、全く衰えて微かになり尽した「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」に対して、なおかつこのような迫害を蒙らせた。

◆皇統第212代[神倭(かむやまと)第115代](なか)()(かど)天皇

  (なか) () (かど) 天 皇

 宝永7年、越中で大洪水があり、上代よりの「(スミ)(オヤ)(スミラ)(オホ)(タマシイ)(タマヤ)」の地は流出して跡方もなくなったが、神主(カンツカサ)「竹内氏」一門がその神器・神宝(カンダカラ)を土中に埋めて、明治の聖代に至るまで完全に守護した。

皇統第217代[神倭(かむやまと)第120代]光格(こうかく)天皇

  (こう) (かく) 天 皇

【煎り豆に花咲く時節到来、天理・金光・黒住先走り】

 「光格(こうかく)天皇」の文化18年(今日[昭和7年]より152年の昔―*文化は14年迄、安永9年?)6次元仮凝身(かごりみ)界創造神「天一天柱主(アメハジメアメハシラヌシ)大神」は、7次元「天地根本大祖神(てんちこんぽんだいそしん)」の意を体して、天の岩戸開きの勅命を5次元燿身(かがりみ)界創造神「天の御三體大神」に下された。この勅令が降下して[発布]されるや、宇宙の万事万般は盛んな勢いで活動を開始。かつて悠久を経て来った「自在の時代」は、ここにようやく「限定の時代」に入り、やがて統一ある神政成就に到ろうとする黎明の微光がゆらゆらとなびき始めた。

 この勅命によって、天の御三体の大神の(いち)の神(=第一の神)なる「天照日(アマテルヒ)大神」は、文化11年冬至の日、まず「黒住宗忠」[黒住教祖]に神憑って、神政復古(〇〇〇〇)万国棟梁天職天皇の世界統理復帰(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)を直接授け、これを日の本皇室に伝達した。当時、日の本は自在の時代の(ぎょう)(せい)(道徳の薄れた人情軽薄な世)で、しかも、大昔の葺不合(ふきあえず)皇朝6代「(イシ)(ホコ)()(ナミ)(トリ)(タテ)天皇(スミラミコト)」以来、天皇自身が神人合一となることは稀有となり、天皇を助ける側近を初め、将軍「徳川氏」は云うに及ばず、その他神官・僧侶、一人として大神の神意を受ける器量を有する者が皆無である時、「黒住宗忠」なる真の人が現われ、ここに初めて大神の神勅を直接受けたことは、すでに時到れるの故であり、かつまた計り難き神意の顕れ。

 「宗忠」はこの天命を直受してより、表から見えるところでは、その教え「黒住教」を拡め、内々では、神の神命実現に努める事30年。次代「仁孝(にんこう)天皇」を経て「孝明(こうめい)天皇」の御代に到り、初めて時期到来。三度禁中に参内して、「天照日(アマテルヒ)大神」の神勅を天皇にお目にかかって奏上した。ここにおいて天皇は始めて大神の神意を了解し、それ以後、天皇は徳川幕府に対する態度を一変。皇政維新についての目論見を、すべてこの神勅に基いて建てた。「宗忠」は安政2年に没したが、翌3年、京都吉田に「宗忠神社」が祭祀されて「宗忠大明神」の号を賜り、勅願所と定められた。日の本が始まって以来、官位のない臣下の身で大明神の号を賜ったのは、「宗忠」惟一人。これによって、「孝明(こうめい)天皇」がいかにこの神勅を重んじたか拝察しうる。

 天の岩戸開きの勅命を創造神より受けた、5次元・天の御三体の大神は、大昔の第4次神政内閣以来、隠退していた国祖「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」を徴して(呼び寄せて)その再起を促し、「天の岩戸開きに対し、再び立って、神・現・幽の建替建直しを実施して、もとの神代の神政に還元せよ」と勅命。国祖「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」は、煎り豆に花咲く時節(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)がようやく到来したことから直ちに勅命を拝受し、古来、大神と共に隠退した「金神系諸神」[大神の直属神と八百八光(はっぴゃくはっこう)神]にその再起を命じる。ここに葺不合(ふきあえず)皇朝末期、日本島文化覆滅当時に準備した「国祖三千年(〇〇〇〇〇)の仕組み」によって、いよいよ三界の建替建直し、日本天皇が世界を統べ治めることへの復帰、神政復古の大神業実現の準備に着手。このことはまた一面、往古葺不合(ふきあえず)59代「(アメ)(ツチ)(アカ)(タマ)(ノシ)(テラス)天皇(スミラミコト)」の御代に、「天照日(アマテルヒ)大神」の「今より6000年の後、再び世界統理の時到る」旨の神勅が発布された神意の実現。

 こうして、「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」は、大神業の最初の実行準備として「仁孝(にんこう)天皇」の御代、天保9年(1838年)10月、天理教祖「中山みき子」に「天の将軍」と称して出現し、「このたび神が表に現われて、詳しい事情を説いて聴かせる」と宣べる。これを大神の「第一の宣示(せんし)(=公示)」として、しだいに世界の建替建直し、神政成就について記述。当時、世に真人はおらず、神と人との交通の任を果させるべく、ようやく純潔な「中山みき子刀自」の肉體を完成し得て、ここに神意の発展をなさしめた。すなわち、「黒住宗忠」に対しては「天照日(アマテルヒ)大神」より、天命勅授としてこれを皇室に伝え、「中山みき子」に対しては「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」より、多年「自在(〇〇)の時代」にあった神界・現界の両界を限って、統一ある神政成就の域に進めるために、神霊と人類の全般に向って未知の真理を明示し、創造神の神意を完全に具体化しようとする意志で、仔細な記述があった。

 以上のように、「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」が神・現・幽三界の建替建直しに着手し始められた時に当って、一方で、太古以来長年の間、隠然地界の司宰神(〇〇〇〇〇〇〇〇)だった「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」、長年月、日の本に紛れ込んでいた「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」、その他、日の本の神界・現界の両界を奪い取って全世界を掌握しようとする野望に加担した諸神霊は、国祖「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」の再起を知り、彼等に不利な時となったと感知したが、なおもこの大勢に抵抗して初期の目的を達成し、末法万年(=仏滅後にその教えの効力が消滅する長い年月)を継続させようと、あるときはこっそりと,あるときは表立って努力した。

 ところが、天の御三体の大神はこの大神業を実施するに当って、神霊界に争闘が起ることをできる限り避け、平和円満に神政成就の理想的境地に到達させようという神慮の下、再起した「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」と部下「金神」系諸神に対して、暴挙を慎んで可能な限りひたすら我慢して軽々しい振る舞いを慎むよう戒める。これによって「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」は、あらためて部下直属神と「八百八光(はっぴゃくはっこう)神」にこの天の御三體大神の神意を伝え、軽挙妄動を慎むことはもちろん、現在表面に立っている「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」系と「(アマ)(テル)(ヒコ)大神」系諸神霊に対して、怨恨で事を処理しようとすることがないよう、充分な訓戒を与えた。

 この「金神」系諸神は、今日までの過去長い年月にわたって隠退し、全く表面に現われたことがなかったため、再起に当ってはまず現界人類にその出現を認識させ、これを神として尊びあがめさせる手段を取る。すなわち、(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」は安政6年10月、大神の分霊神たる「(タイ)()(シャウ)(グン)」を「天地金の神」として金光教祖「川手文治郎」に出現させ、「金神」系統神再起の真意義を徹底的に伝えた。すなわち、人間として最初に「金神」の認識を得たのは、この金光教の開祖。ここで、「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」の臣下の神を初めて「金神」と称し、盛んに尊崇礼拝して、これを広く世に拡めたことから、開祖「川手文治郎」は「金光大陣」なる神命を賜った。

 以上のように、黒住・天理・金光の三教祖によって、「天の御三体大神」と「(クニ)(ヨロズ)(ツクリ)(ヌシ)大神」は、神霊界諸神と皇室始め人民全般にわたって、「国祖」と「金神」系統神の出現を発表したが、これはそもそも神政復古準備の序曲で、これを「天理・金光・黒住先走り」と云う。

 この間、現界では、優れて賢い資質をもった「(こう)(めい)天皇」が「(アマ)(テル)()大神」の神命を理解し、やがて来る明治維新(〇〇〇〇)の準備を着々と進める。これに対して、「山武姫(ヤマタケヒメ)大神」系諸神は、またも日本皇室を悩ます手段に出、ついに「(こう)(めい)天皇」は、傷ましくも倒幕の事業半ばにして急に崩御される災難に遇った。

 

 

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