◆皇統第220代[神倭第123代]明治天皇……身魂:大地将軍
明 治 天 皇 [御身魂 大地将軍]
美 子 皇 后 宮 [御身魂 大鶴姫大神]
「神武天皇」の時、「天照日大神」よりの神勅で、やがて「大地将軍」の霊統たる「明治天皇」が出現あるべき事が定められていた。その神勅がいよいよ実現する時期に到り、皇統第220代神倭第123代天皇として、御身魂「大地将軍」たる「明治天皇」が即位。「美子皇后」の御身魂は、「大鶴姫大神」。
700年にわたって政権を掌握した武門が、政権を奉還して皇政復古し、海内統一して、いよいよ神政復古の準備に向かうことになり、即位した明治天皇は明治維新の大業を進めた。
天皇は立派で優れた16歳の時に皇位を継承し、維新の大業を進める。明治元年8月、御即位の大礼に際しては、紫宸殿の南廂下に「水戸斉昭」が献上した径二間の大地球儀が置かれ、天皇は高御座に登壇後、親しく地球儀を左右左と見て回り、神政復古、世界統理の神意を表明。この時、天皇が高御座に登られたと同時に、内侍所に安置された神宝を、高御座と同平面にまで高さ1尺5寸を上げさせられたことは、皇祖皇宗御神霊の延長として、天津日嗣(=天皇の位)に就く意義を明らかにされたことであり、太古での登極令(=皇室令)の意義をそのまま則ったもの。
ところがその後、明治時代の日本は、欧米の文化を急激に輸入したため、天皇の即位当初の意志・計画はことごとく破壊される結果を招来したことは、明治初年に発布された、天皇が意思を表示する文書「詔勅」、法律・勅令・条約・予算などを公布する時、冒頭に付して天皇の裁可を表示した「上諭」が一つとして実現されたことがなかったことによっても明らか。これは「山武姫大神」系の外国諸神等が、皇政復古という、彼等に望ましくない事態となることに対抗すべく、西洋の文物制度を急激に輸入することで神政復古の神勅を妨害しようとする策に出た結果だった。
【国常立大神の宣示「神・人の身魂の建替建直し」と、大本】
国祖「国万造主大神」は、皇統第220代神倭第123代「明治天皇」の皇政復古を始まりとして、現界的に世界棟鿄天職天皇が統べ治める神政復古の準備を進めようと計画。明治6年より、国祖「国万造主大神」が天皇に神憑って諸般の事を親授されたが、天皇を輔佐する群臣百僚の多くは「山武姫大神」以下外国諸霊の虜となり、神政復古の神の意義を理解する者は少なく、明治維新後の諸施設は、全く神意神策に反して、物質的にも精神的にも日の本を欧米化し尽し、個有本来の日の本を混乱させたに過ぎず、神政復古の真意とは遠く隔たっていた。その間、明治22年2月11日には帝国憲法と皇室典範が制定されて、日の本は単なる立憲君主国となってしまい、世界随所に存在する帝王国の一例に過ぎない状態となった。世界棟鿄天職天皇が統べ治めるという大目標と甚だしく隔たり、また翌23年11月には帝国議会の招集があって、神政復古の形勢は頓挫する。
この状況を見た国祖「国万造主大神」は、現界の建替を除いて、まず「神・人の身魂の建替建直し」より着手すると決める。これを実施すべく、23年春、「明治天皇」への憑依から離れて、神・人の身魂の建替・建直しから着手すべく、神・現・幽三界の諸神霊に対して、地の祖神として再び出現。「三界の大整理・身魂の建替・建直しを実施して神政成就に達すべき。内外の諸神はいずれもこの命に服従すべし」と宣言し、創造神の神策と宇宙の天律について順次説明。この宣示の中で、「国万造主大神」は自らを「国常立大神」と名乗り、これより以降、「国常立大神」と称し奉る。そして明治25年1月、国祖の分霊神「稚比売君大神」の霊統たる大本開祖「出口直子」に「国常立大神」自ら親憑して、その宣示を発表した。ただし、当時、日の本皇室ではなお「山武姫大神」の部下たる「金毛九尾」と仏魔の跳梁が甚しく、これら諸悪霊の爪牙の害毒が及ぶことを考え、日本天皇の世界統理復帰の一事については説かなかった。
【身魂の淘汰整理――日清・日露戦争】
この「国常立大神」の宣示によってようやく天津神策を理解し、「国常立大神」が地の親神である事を認め、直ちに国祖の許に馳せ参じた先駆は、「竜宮乙姫」系神団。その他の内外諸神霊は、宣示は聴いたが、国祖の威力を識らず、直ちにこれに服従しようとするものは殆んどなく、かえって諸神は宣示に反抗したため、内外諸神系の間に大争闘を起こす。この度再起した「金神」系諸神と日の本在来の神系は、「盤古大神」系諸神と大戦争を開始し、神霊界の山河はことごとくこれら神霊で埋められた。この4次元界の戦争が現界に反映したのが、明治27・8年の日清戦争。この神現両界の戦争の結果、将来の建設に必要な破壊、すなわち身魂の淘汰整理は、創造神の意志に沿うべく相当程度まで行われた。
その後の10年、「国常立大神」は引き続き天の神策を説き、補佐役として神定された「日之出大神」の穏健な政策を快く受け入れ、争闘を用いず、外国諸神系の神霊に覚醒を促し、一日も早く宇宙の「限定の時代」に入らんと努力。ところが、「山武姫大神」系の諸神霊がなお猛威をふるったため、日の本系の神霊は耐えられなくなり、ついに再び大戦争が起こる。それが現界に反映して、明治37・8年の日露戦争となったもので、この両戦争とも、日の本系神霊の勝利に帰した。
【明治天皇御製は、国祖大神再出現の神意】
「明治天皇」はこの間、日本天皇として国家経営と同時に、「大地将軍」の身魂として国祖「国常立大神」より諸種の神示を受けられたが、神示と経営する現実との不一致が絶えず、その一部分を拝察する。
御製の殆んど全部は、神霊が何ものかを経験しない人間には、その意味を読むことはできない御歌のみ。ことに、「国常立大神」が憑られている間の御歌には、現実的な解釈だけでは全くその意味を推し量れないものが多く、また、世間で伝えられる御製も、この国祖大神の神意を推し量る上で、おのずから別の歌意を読める。ゆえに、「明治天皇」の御製を単に日本皇国の元首としての御歌とのみ考えるのは大いなる誤りで、国祖大神再出現の神意なり。天がその神策を進めていることを理解して初めて、陛下の数万首の御製の本当の意義を理解することができる。
とすれば、明治43年の日韓合併は、決して日の本天皇の意志ではなく、また国祖「国常立大神」の意志でもなく、神政復古と共に、朝鮮には自治を広くいきわたらせるべき。太古の日の本の地図を見れば、天越根国[スミラミコトクニ]の境界は決定されており、支国の一半島朝鮮を合併して、地図の色彩を変えるような些細な事は天皇の御意でもなく、神意でもない。天皇はその当時の時勢から、止むを得ず合併を許されたもので、その時の御製に、「ひとむらと思ひし雲のいつの間に 天津み空を覆ひはてけん」と詠まれたのは、日韓合併に到る制止がたき経緯を歌われたものと拝察する。このほか凡て、「天照日大神」と国祖「国常立大神」の真意と天職天皇としての御意志はどうかを心に銘じて御製を読めば、「明治天皇」の御製はことごとく創造神の神策と宇宙の天律に即した理解から作られたものとを拝察できる。明治23年春、「国常立大神」が、天皇より離憑された時の御製「おのが身に まがつの神はなけれども うからやからに悪はゐるなり」を読めば、ほとんど推察できるのではないか。
かつて、「神武天皇」出現の時、「天照日大神」の神勅によって、「饒速日大神」[十道行成大神]以下日の本の諸神霊が、日の本に入り込んだ「山武姫大神」系神霊に対する矛を収めた時の神勅に、「やがて一旦は、大地将軍の身魂たる明治天皇に、此の世を持たすにより汝等矛を収めよ」とあったように、「明治天皇」が出現して45年にわたる維新の大業を遂行したが、この神勅にあるように、明治天皇の治世の間に神政成就に到らなかった。懼れ多いが、「美子皇后宮」の身魂が「大鶴姫大神」で、未だ全人類統率者としての皇祖の身魂「大地将軍」と「常世姫大神」に復帰されていなかったため、神勅の通り、天皇の出現と経綸は一旦終わり終わり、世は「大正天皇」の御代となった。
◆皇統第221代[神倭第124代]大正天皇
大 正 天 皇
【大戦は、建替建直しの最初の準備】
国祖「国常立大神」の指揮下に馳せ参じて神業に参加した「竜宮乙姫大神」は、大正元年11月16日、「大正の代はあじさいの花盛り、後はんめの花盛り」と告げる。「大正天皇」の御代は、まず大正3年に勃発した欧州大戦に続いて日独戦争があり、多事多難の御代だった。この欧州大戦は、「日之出大神」がなお猶太系神を操縦して外国系の神に内争を起こさせたもので、将来起るべき外国の建替建直しへの最初の準備行動。
大正4年11月4日、「気津久日売大神」は「大正天皇」即位に際して、即位式をかき乱して日の本を混乱させようと図り、数ヶ月前より神霊的に大活動。これに大いに心を悩ました「国常立大神」は、天の御三体の大神に対して、「稚比売君大神」の霊統たる「出口直子」をして、満30日間丑の刻の祈願をかけ、遂にようやく事なきを得る。このように未だ神策天津を解さない諸神霊があることから、「国常立大神」はさらに「日之出大神」をして、内外諸神霊に天津神策と諸国の神武よりこの方の因縁を説き、各神和合して神政成就に向って進むべきと力説。「大鶴姫大神」「やつをきつ」等は、初めて天津神策を理解し、神業に従事すべきと誓うが、なおも「山武姫大神」は「金毛九尾」と仏魔をそそのかし、また日の本皇室を悩まして、ついに大正8年より「大正天皇」は病気にかかる。
加えて、多年上須榛名山で勢力をふるっていた「高津玉大神」が、大正11年以降、皇室をかき乱す最後の策を弄し、その現界への顕れとして、当時の皇太子妃冊立の際に重大事件を起こす。「良子女王殿下」の身魂は「ハザンノリヒメギミノ大神」で、「天照日大神」の直系「常世姫大神」の分霊。日の本皇室の霊統太初の皇祖「大地の上の将軍」と「常世姫尊」の時に還元すると、「山武姫大神」系諸神の当初よりの日の本の皇位を奪い取る目的が全く失敗して無駄となることから、最後の画策として、「高津玉大神」を皇太子妃冊立に際して大妨害を試みた。ところが、その画策が成就しないと覚った「高津玉大神」は、この謀り事から全く手を引き、「国常立大神」の下に後悔の実を捧げることを誓う。「高津玉大神」が天津神策を理解したことは、引き続いて「千寿姫神」[観世音菩薩]「万倆姫大神」「幡十台神」[文珠菩薩]「御幣田姫神」[普賢菩薩]「大海原姫神」「手蔓姫神」等に及び、これらの諸神霊がようやく天津神策を理解して、「国常立大神」の旗下に入るに到った。
諸神霊がようやく国祖「国常立大神」の宣示に従う所となったことから、時到れりとして、大正10年2月、「日之出大神」は初めて日本天皇の世界統理復帰を力説し、内外諸神霊と現界人類にこれを発表した。さらに、「国常立大神」は万国棟梁天職天皇の世界統理復帰の準備として、「大地将軍」の霊統たる皇太子「裕仁親王殿下」を欧州各国に派遣。大正10年3月3日、皇太子殿下が軍艦鹿島香取に乗って日の本を発航し、欧州各国の元首を歴訪したことは、実に葺不合皇朝第71代「天照国照日子百日臼杵天皇」即位43年万国御巡幸以来の大盛事で、近き将来における世界統理復帰の前提。
以上のようにして、神政復古の神業は次第にその進捗を見たが、未だ天津神策を理解しない諸神系団は日の本各方面で勢力をふるい、国祖「国常立大神」に対してその神業を妨害しつつあった。「国常立大神」系諸神霊は木曽御獄の4次元界にあり、その眷属10万と言い、最も有力な神系団。この国祖系神団に対して――「盤古大神」[妙見]系神団は、摂津妙見山の4次元界に、「山武姫大神」系神団は、信濃善光寺の4次元界にあって、智慧第一と言われる「勢至菩薩」がその内に。「高津玉大神」系神団は、上野榛名山4次元界に。「金竜姫大神」系神団は、紀伊那智山4次元界に。「天照彦大神」系神団は、大和生駒4次元界に在って、国祖系神団と対抗しつつあった。
日の本で諸神系団が相対立して和合平静に到らない間に、「金毛九尾」の悪霊はついに大正11年6月、アメリカ・ワシントンで海軍会議を開催させて大いにその猛威を奮い、国防の実力をわきまえずに抵抗した日本代表はこれに大敗した。
大正14年に到り、「明治天皇」の神霊は神霊界に還元する神界より「天懸部日輔子尊」という御名を賜って、日本皇室守護と日本建替、建直しに関して大活動を開始する。日の本各地の神社・山谷等で勢力をふるう外国諸神霊をことごとく探って調べ、その勢力範囲を調査して、他日の建替の準備を完成したが、「金毛九尾」「仏魔」等はわがもの顔にのさばり、ついに「大正天皇」は大正15年12月15日、45歳で崩御。
【登極令の変遷】
大正4年の即位の大礼は、「明治天皇」在世中に発布された新登極令(=皇室令)に比べ、さらに大きな相違がある。よって、太古よりの即位大礼祭の模様と登極令の変遷は、章を改めて掲げる。
1、皇統第1代皇祖天日豊本葦牙気皇主天皇即位大礼祭
「天神人祖一神宮」へ「天御光太陽貴王日二神」「太蔭目二神」「万星神」をあわせて祭り、天皇みずから祭主・結婚祝祭・即位大礼祭を行う。自身が「天御光太陽貴王日大神」[大照日大神]に向かって杯を奉る。「太陽日神」の神勅に、「天下五色人王の上に無極代まで、必ずスミラミコト一人と定め、必ず平安御恵み助けるぞ」とあり。
2、皇統第4代天之御中主天皇即位大祭
天皇はまず十二万位神を定め、五色旗を造って高御座に五色人王五色旗を捧げることに定め、天皇の身にヒヒイロガネの劔を付け、手にヒヒロギの八ヒロ矛笏を持って、高御座に即き、「代々の天皇は必ず一人、身に矛劔、手に矛笏を持って、即位することに定める」と詔。
(※ 「ヒヒイロガネ矛ケン」「ヒヒイロ矛笏」 絵図)
3、皇統第10代高皇産霊天皇即位大礼祭(第139章参照)
4、皇統第20代惶根天皇即位大礼祭
天皇自身に造ったヒヒイロガネ矛劔(神日本魂三神劔の一)を神體とし、自身祭主として「皇祖皇太神宮」へ納祭。「天照日大神」へ天杯を奉り、次にヒヒロギの八ヒロ矛笏を手にして、高御座に即く。この時、「皇祖皇太神宮」「天照日大神」より「神宮神體を吾と思い、その後、代々の天皇自身が祭主となって天地人の祭りをせよ」と神勅あり。
5、皇祖第22代天疎日向津比売天皇即位大礼祭
「皇祖皇太神宮」神殿を造り、自身が祭主、弟「進男尊」が副祭主、「思兼」「児屋」「太玉」の3大臣祭長となって祀る。「天照日大神」に向って、天皇自身が大杯を奉り、天津日嗣の高御座に南面して即位。「万国の五色人王の棟鿄天皇の宝・神の骨像21體・神代文字惶根天皇のヒヒイロガネの劔以下3神宝劔を万国の五色人王の上の棟鿄天皇の宝と定める」と詔。
6、皇統第23代天之忍穂耳天皇即位大礼祭(第139章第3節参照)
7、皇統第24代天(之)仁仁杵身天皇即位大礼祭(第139章第3節参照)
8、皇統第25代天津彦火火出見天皇即位大礼祭(第139章第3節参照)
9、皇統第31代不合第6代石鉾歯並執楯天皇即位大礼祭(第139章第3節参照)
10、皇統第36代葺不合11代禍斬劔彦天皇即位大礼祭
「皇祖皇太神宮」前殿で、天皇・皇后が祭主となって「天照日大神」に天杯を捧げ、天下万国棟梁の三ッ劔の神宝と、「日向津比売天皇」が造らせた三種の神器をもって即位。(註 天皇の即位式に、初めて三種の神器を他の神宝と共に身近に奉持される。)
11、皇統第44代葺不合19代少名形男彦天皇即位大礼祭 神定
即位8年1月1日、「「天照日大神」の神託に基いて、万国棟梁天下一人の天皇の即位大礼祭は、今後必ず万国五色人の祖根たる「皇祖皇太神宮」の大前で天津高御座に即き、その前で、「天照日大神」に対して新天皇自らが天盃酒を捧げ、次いで「皇祖皇太神宮」の天盃三杯の酒を捧げて後、高御座に登って即位すること」と詔。さらに、三劔神宝・神體骨石像神體・神籬立瓶の宝・ヒヒイロガネで造った十六菊の紋・日の丸旗・神代文字の巻の神體等を、天皇の御宝として、即位に際し、天皇の御身近くに奉持し、平年平日は、宝全部を「皇祖皇太神宮」に安置し置くべきと、神託あり。
12、皇統第5代葺不合第30代円背之男天皇即位大礼祭
「皇祖皇太神宮」前殿で即位、皇后宮は一般下座に即かせ給う。
13、皇統第56代葺不合第31代橘媛天皇即位大礼祭
「皇祖皇太神宮」前殿で即位。媛天皇は天津高御座に即き、世幸男「恵長薬王合尊」一段下座に即かせる。 (※ 「世幸男」=女帝の配偶者で、必ず男帝の男系子孫)
14、皇統第58代葺不合第33代清之宮媛天皇即位大礼祭
天皇即位91年11月17日、詔。神代上代天皇の詔命によって即位し、天下の安穏を統合管理した。それ以後、「高御座を神代上代天皇の天神地祇を視察し奉る時の玉座と定め、天皇はその次の座、世幸男(は一般下座につき、以下座席五級を定めて、万国五色人王及び女王の席に充てる。
15、皇統第84代葺不合第59代天地明玉主照天皇即位大礼祭 神定
天皇、即位63年3月15日、天越根中国「棟鿄皇祖皇太神宮」の本殿に上り、天皇・皇后・皇太女が拝礼した時、「天照日大神」より神託あり。「天下万国五色人王の総主たる棟鿄天皇天津日嗣の即位式は、天皇が南面して高御座に即き、皇后宮または世幸男は、右の一段下座に即き、高御座の向って右を皇祖皇太神宮の神體・三劔の御宝・神骨像・神代皇歴代天皇の霊神宝の巻・神籬立瓶・三種の神器の座と定め、将来堅く守って、違ってはいけない。必ず、皇祖皇太神宮を拝礼して御祭りせよ。」
16、皇統第94代葺不合69代神足別豊天皇即位大礼祭 神定
「天疎日向津比売天皇」の神勅――「天日豊本葦牙気皇美二神の骨像21體・神籬立神代文字付瓶十六アヤ惶根劔・アメマウラ劔・イクツヒコネノ劔・ヒヒイロガネ造神代文字付玉鏡・天下万国の五色人の祖神の骨像の宝・棟鿄皇祖皇太神宮の神體棟鿄天皇の宝とし、葺不合第69代神足別豊天皇即位大礼祭の3月15日、皇祖「天照日皇大神天御光日神」に向って大杯を奉り、万国棟梁の天皇一人に限り、「日向津比売天皇」の神勅によって定めた高御座に南面して即位。高御座はその八方位に必ず上代天皇代々の即位時に上代天皇自身に造った神籬立瓶を樹て、外に臣注連を張り、その外に弓を八ツ、ツギの外に鳥居を四方に建てて臣注連を張り、外に五色人王五色幣旗を奉り、神服にて礼拝。
高御座南面栄に、日像の繍帽額長さ108尺8寸5分、幅4尺8寸5分、金色の日像を立てる。高御座の西方下に、皇后の御座帳台を設け、多く高御座に似たる南面に、月像の繍帽額長さ88尺5寸、幅4尺5寸、金色の月像を建て、高御座の下台の高欄の四方に、「東」青人王 星像を頭に頂く彫刻をなし、「西」白人王 星像を頭に頂く彫刻をなし、「南」赤人王 星像を頭に頂く彫刻をなし、「北」黒人王 竜の上に星像を頭に頂く彫刻をなし、その高欄の上に高さ24尺5寸、東西に24尺、南北に20尺の高御座を置く。高御座の東西、南北に、金色繍帽紋付金銅で十六菊大紋を造って付ける。この高御座の八角殿に、天皇が南面して即位。
17、皇統第98代葺不合第73代狭野天皇[神武天皇]即位大祭
天皇、112歳、ウベコ月立3日、畝傍山の「皇祖皇太神宮」の分宮大前で、天皇御自身祭主となり、天津日嗣の高御座に登り、南面して「天照日大神」に天杯を奉持し、万国の五色人王の棟鿄天皇の宝、ヒヒイロガネの三劔神宝。神骨像の神籬・三種神器・神籬立瓶・神代上代の皇霊形仮名天ヒル文の宝巻・ヒヒイロ金十六菊花の紋章を奉じて正殿で即位。天皇はヒナタ面、そのヒニリの方に皇后は一段下座に、天皇のヒナタ面のヒガシ座に神宝天神座一段下の座は、神官が並ぶ。
18、皇統第119代神倭第22代雄略天皇即位大礼祭
神倭第21代「安康天皇」、即位3年11月13日、上代天皇即位式の通り、自身が祭主となって、万国五色人王の祖神棟鿄「皇祖皇太神宮」「太陽日神」へ杯を奉り、次に高御座に南面して即位。以上「大泊瀬幼武[雄略]天皇」即位5年辛丑11月11日に、皇居泊瀬朝倉宮にて、「棟鿄皇祖天照日皇太神宮」神主、記。(大臣 紀竹内平群真鳥宿禰、大連 紀大伴 室屋印之、物部日連)
以上によって見ると、即位式は必ず「皇祖皇太神宮」大前で施行することを原則としたが、「太神宮」の造営その他の事情によっては、分宮や皇居で行われることもあった。天津日嗣継承の天璽の象徴たる御神宝は高御座に向って右に置かれ、天皇はその左に南面する。皇后はその左の一段下座に着座。これが即位式として神定された座席。神宝を天皇の左側に置くのは、御神宝それ自体が皇祖第1代天皇より前天皇までの御神霊そのものにして、新天皇はその延長として、皇祖皇宗と共々に天津日嗣の御位に即くという真意のように拝さられる。ゆえに、現在の登極令は、上古の有様に改正されて然るべきものと考えられる。なお、両陛下の写真を、現在のように皇后宮を向って右に置くのは誤り。これは、成婚式の時における姿で、古式に由れば、次の如し。
葺不合不合第28代天之海童噱楽之雄天皇は、神託にて御成婚の議を定められる。天皇即位46年8月14日、皇祖「天日豊本葦牙気天皇」より神託あり。「天皇の婚儀式は、天皇は向って左座の一段高座に、皇后は向って右座一段の下座に即かせ、天皇は天人座、皇后は八百万神地神座として右下座のこと、今後代々天皇婚儀式として必ず堅く守るべし。」
以上は、皇祖天皇が神勅をもって成婚の儀式を定められたもの。この時の両陛下の御座は、向って右が皇后宮で、世に行われる内裡雛の姿がそれ。故に、現両陛下が皇太子と皇太子妃殿下の砌り、成婚の写真は天皇陛下が向って左が正しく、即位大礼後の写真は、皇后陛下は向って左が正当と考えられる。
◆皇統第222代[神倭第125代]昭和天皇……身魂:大地将軍
昭 和 天 皇(裕仁天皇) [御身魂 大地将軍]
良 子 皇 后 宮 [御身魂 常世姫大神]
創造神「天一天柱主大神」の意志が漂い行くところ、宇宙はその「自在の時代」が終了。神政復古して、「限定の時代」に入る機運が熟し、人間界でもその準備時代が終了したことから、世界万国棟梁天職天皇世界統理の時期がついに到来。ここに、皇統第222代[神倭125代]「昭和天皇」(裕仁天皇)[身魂 大地将軍]、「良子皇后宮」[身魂 常世姫大神]が即位した。
日の本皇霊統は、第222代にして、皇統第1代「天日豊本葦牙気皇主天皇」と「天日豊本葦牙気皇美皇后宮」の時の姿に復帰。大昔、日の本に紛れ込んだ「山武姫大神」は、長年日の本皇霊統をかき乱して帝位を奪い取ろうと絶大な努力をしてきたが、その威力と苦心をもってしてもなお、世界万国棟梁国の皇霊統を冒すことはついに不可能に終わった。神国の皇霊統は、やがて現実において、万国棟梁天職天津日嗣天皇及び皇后宮となる準備の完全な完成を見た。
両陛下の身魂で根源に復帰させることを完全に成し遂げないかぎり、どうやっても万国統理の神政政治に戻ることは不可能。かつて「明治天皇」の身魂は「大地将軍」だったが、皇后宮の身魂が未だ皇祖のそれではなかったため、「神武天皇」の御時、「天照日大神」が神勅で「将来、一旦は、大地将軍たる明治天皇に世を渡す。」と言われたことが、事実一旦終わり、明治時代に神政復古に到らなかったわけがここにある。いよいよ昭和の時代に入り、創造神「天一天柱主大神」意志によって「自在の時代」が終わり、「限定統一時代」に入る天の岩戸開きを目前に実現させるため、現界建直しの凡てに先立って、まず天皇・皇后両陛下の身魂の還元が完了した。
以上のように、現界で両陛下の身魂還元なる根本の準備が完了した一方、神霊界での「日之出大神」国祖「国常立大神」の神意に則った様々な苦心・経営は、着々とその効果を現わし、外国諸神霊は順々に天津神策を理解・会得して、帰順復帰を願い申し上げたことをもって、昭和4年10月2日、国祖「国常立大神」は、内外諸神霊を紀州熊野新宮の4次元界に召集。「日之出大神」に、あらためて神策天津を教え諭させた結果、太古以来日の本撹乱の主謀たりし三巨神、すなわち「山武姫大神」「勢至菩薩」[山武姫大神の分身]「十億道神」も、ようやく天津神策を理解し、「国常立大神」の御前で頭を地につけて拝礼、大神の指示に従うと誓った。
この三巨神の帰順(=反逆の心を改めて服従すること)を期として、紀州熊野神宮に鎮座する「十二柱姫神」が出現する。これら姫神は、太初よりこの方一度も世に現われたことはなく、日本魂の生粋たる姫神。いよいよ時期が到来したことから出現し、国祖「国常立大神」の輔佐神として立ったこの十二柱姫神を、世に「船魂十二柱大明神」と言う。
このように、三巨神を始めとして大方の諸神は天津神策を理解し、「国常立大神」に服従した。ただ「山武姫大神」の手足となって動く「金毛九尾」の悪霊は、その邪心を変えず、なおも執拗に日の本皇統の攪乱を継続する。
【天地御和合「第二回の岩戸開き」】
昭和4年、日の本皇統を搔き乱す容易ならない事件が発生したことから、「明治天皇御神霊」は、ついにその策謀を黙って見過ごすべきではないとして、最後の断乎たる処置に出るべきと国祖「国常立大神」に奏上。国祖「国常立大神」はこの奏上を喜んで受け、昭和5年2月12日(紀元節の翌日)、全部の内外諸神霊に対して、日の本千代田城の4次元界に集合を命じた。
この時、「八代竜王大神」[国常立大神の御子]が会合の目付役となり、「明治天皇御神霊」も列席。「国常立大神」が何度も何度も天津神策を説諭した後、「日の本を盛り樹てて、神・現・幽三界の建替・建直しの功によって各神にその位処を得させる。天地根本大祖伸の真意なので、各神は可能な限り早く、日の本の神・現両界を奪う野望と司配慾の誤った意志を棄て、各々が持場に帰って、天から命じられた自分のすべきことを全うし、日の本よりの神命に服従すべき事。」と、丁寧に繰り返し教え戒めた。
この神集は前後10日で終わり、内外諸神がことごとく国祖「国常立大神」の諭したことを理解した結果、昭和5年2月21日、「山武姫大神」を筆頭に、長年日の本に紛れ込んで自分の考えで理非の分別もなく横暴な行動をほしいままにした諸神霊は、互いに手をつないで日の本を去って各々の本国に帰り、また宮中に侵入していた「金毛九尾」の一団と仏魔の一団も一緒に逃れ去った。
ここにおいて、大昔、創造神の神策によって「自在の時代」が開始された「天の岩戸閉め」以来、すなわち、現界で皇統第4代「天之御中主天皇」以来、種々様々な激しい変化や揉め事がさまざまに入り組む変化を経た日の本駛身神霊界と宮中は、初めて太初の清純に戻る。この事は「明治天皇御神霊」[天懸武日穂尊]の名誉ある功績で、このため「明治天皇御神霊」は神界より特に「大地之将軍」と名を賜り、それ以後、「直霊大神」「八大竜王大神」「十六神大神」と共に、宮中守護神に任命された。
こうして大昔、「神武天皇」[御身魂 山武姫大神]即位をもって「第二回岩戸閉め」を行い、支那と韓の文物の輸入、すなわち和光同塵の政策を取られて以来2590年、昭和5年2月21日に到り、「山武姫大神」の退去によって、ここに「第二回の岩戸開き」となった。
(天運循環して、昭和5年、自在時代(宇宙の混乱状態)は初めて終了を見た。文化11年(1814年)より今日まで150余年間にわたる国祖「国万造主大神」の努力によって、太初での天の岩戸閉め、現在の神政復古・神政成就等の真相が、初めて神霊と人間に明らかとなった。慾望・争闘・善悪の原因の理由と、「天地根本大祖神」の描かれた戯曲の真相とのあらましを知ることになって、永代の遠の眠りより覚め、神人諸共に、神政成就の彼岸に日本丸を押し渡そうと浪路を押し分けて進みつつあるのが現在。
古歌「永き代の遠のねふりの皆眼さめ、浪のり船の音のよきかな」は、下から読んでも「なかきよのとおのねふりのみなめさめ なみのりふねのおとのよきかな」。上下二読ともに同一なこの歌は、波路を押し分けて進みつつある現状況がやがて来るべきを、神界(上読)現界(下読)によんだ神の啓示。この夢が醒めた後、善玉・悪玉ともに「こういうことだったのか」と手に手を執って喜ぶ時、これが神政成就の時なり。)
こうして、「山武姫大神」を始めとして外国諸神霊各々がその本国に帰った後、これら外国諸神霊が統一会議を開催した結果、国祖「国常立大神」に対して誓約を献上するべく、昭和5年3月17日をもって、「高津玉大神」「幡十台神」[文珠菩薩]「御幣田姫神」[普賢菩薩]外、従神一柱を従えて来朝し、「日の本にして完成すれば、永世服従すべし」との誓約を言上。国祖「国常立大神」はこれを快く受け入れた。これが現界に現れた形式は、同年同月同日、デンマーク国皇族4名が公式に来朝し、国書を捧呈したという事実。
さて、「山武姫大神」以下各外国諸神霊が、日の本に対して服従の誓約を献上したといっても、これら諸神霊の部下たる小神霊共は、日の本よりの退去を認めることができず、ことに米国の「金毛九尾」の重神はなおも日の本に抵抗しようとして、ロンドン軍縮会議でその執拗な魔力をふるい、日の本の海防にまたまた大斧銊(海防政策や体制に大きな改革や厳しい措置)を加えさせた。
一方、日の本神霊界では外国諸神の退去を機として、隠退して世を恐れはばかって肩身が狭い暮らしをしていた日の本金神系諸神は、永年の怒りや抑えた恨みを晴らすため、神政復古の準備完成を性急に実行しようとする意志を強く持って譲らず、国祖もまた、日の本神霊の大多数を占めるその急進主義に傾こうとする意・動きだった。こうなっては神霊界と人類界に及ぼす衝動があまりにも大きく、人類がこれに耐えられないと思いめぐらした「日之出大神」は、国祖に忠告して、急進派の諸神霊を緩和する。約100日間の大論争の結果、急進・漸進両派が互いに譲り、準備が完成次第、行うべきは必ず行うが、必ず「天照日大神」の神命によって事を行い、決して単独行動は取らないこととし、ようやく論議の一致を見た。
大昔、第4次神政内閣以来、永年にわたって駛身神霊界で、表には出ないが司配権を掌握していた「天照彦大神」は、今度の天地和合の取持役として神定された「木花佐久夜姫神」[地上姫大神]の世話で、円満にその政権を国祖「国常立大神」に返したことから、「自在の時代」はついに全くその形式を消滅し、天津神・国津神は各々その個有の位置に帰り、宇宙は「限定の時代」に入って天地はここに定まり、これを「天地御和合」という。
大昔よりこの方、創造神の許された「自在時代」の間に、4次元駛身界諸神霊は権威に逆らういろいろな争闘に直面したことでようやく自覚を生じるに到り、「限定の時代」が到来。真の統一・真の自在ある調和の神政成就の域に入ろうとして、まず神政復古の魁たる「天地和合」が実現なされた。時に、昭和5年6月1日、天の岩戸はここに初めて開ける。
ここで、天地和合を取り持った「木花佐久夜姫神」は、その居所である富士山より、「天地御和合」の神命を神界内外の各方面に向って発令。その後、また神霊会議の結果、さらに夫神「彦火火出見神」[地上丸大神]と共に、この神命の伝達使節として、以前から先だって来朝した誓約使神に対する答礼使神の任を授けられて、海外に派遣されることになった。すなわち、現界の事実としては、「高松宮殿下」[御身魂 彦火火出見神――地上丸大神]と同妃殿下「御身魂 木花佐久夜姫神――地上姫神」の欧州への渡航となった。両殿下は昭和5年6月25日、まず英国皇帝「ジョージ五世」[身魂 山武姫大神]と会見して、「裕仁天皇」に対するガーター勲章贈呈に返礼されたことは、使命の表面、現実的意味で、神霊的使命は、天地御和合の神令の伝達だった。したがってその後、帰国まで1年有余の間に、実に24ヶ国の元首を訪問。しかもその節、「羅馬法王」に対して、妃殿下の気分がすぐれないため訪問しなかったことは、法王の身魂が国魂神(=国土を治める神)ではないため、神霊的意味での正使たる「木花佐久夜姫神」は、その神霊を伝達する必要ないからだった。
大昔、上代第25代彦火火出見天皇」が万国巡幸の際、天降ったのは25ヶ国で、今回、「高松宮殿下」の訪問もまた25ヶ国の元首だった。しかも、「彦火火出見天皇」が巡幸の際、日の本に向って発航された所はヒウケイビロスタコマ水門で、今回「高松宮殿下」は帰朝の途中、サンフランシスコから乗船。その間、悠久の年月を隔てながら、全く同一の事をされた事実を、歴史は繰返すと云う。すなわち、同一の身魂は、かつて自分が為した行動を、後世でそのまま繰返して行う因縁を云う。
こうして、天地和合の神命は、駛身神霊界全般にわたって隠す所なく伝達され、駛身4次元界の建替はここに全く完了した。すなわち、もはや「自在時代」は終わりを告げ、「限定の時代」に入ったことをもって、まず、「天照日大神」は、神の世界での天津日嗣天職天皇の位のままで宇宙の宝座に即き、宇宙の司宰神(=司る神)として、「天照皇大御神」となった。次に、「国常立大神」はあらためて「国祖 地の親神」の座に帰還。ここにおいて、神代での神政政治この方、初めて玉のように美しく澄み切った清浄な駛身神霊界が出現し、これより諸神は協力して、限身界すなわち人類界の建替建直しに望む事となる。
【人類界建替建直し準備】
人類界の建替建直しの準備として、昭和5年6月12日、国祖「国常立大神」の命によって、「竜宮乙姫」[玉依姫大神]はその部下と共に、竜宮海(丹後沓島の4次元界)より、「国常立大神」の坐ます木曽御岳の4次元界に参集し、日の本の建替建直しについて大神の大命を拝受した。同年6月19日、「竜宮乙姫」はその部下と共に、琵琶湖の4次元界を本拠として内外諸神を集め、自らがその主座となって、日の本の現界建替について神庭(=神域)会議を開催。会議は5日で終了し、同24日、日の本の各国魂神・各産須那神と各竜神団は、各々その部署に就いた。
「国常立大神」は、主宰神として日の本全般の建替に当り、さらに大神の命を受けて活躍する諸神は、「日之出大神」を筆頭に、「直霊大神」「大地之将軍[明治天皇 御神霊]」「龍宮乙姫」「八大竜王大神」「国祖系竜神」「竜宮系竜神」「八大竜王系竜神」「各国 魂神」「各産須那神」「茅の裏竜神団」は、日本島全土を取り捲いて霊的な封鎖をなし、また千代田宮城守護として特命されたものは、「千代田城竜神団」「代々木原竜神団」「肝川竜神団」「三殿守護の白狐」等で、各々その任に当たる。
このように諸神団體が部署に就く中で、再び日の本に紛れ込んだ「金毛九尾」の重臣神が、最後の勇気を奮ってひたすらその画策の実現を企てたため、「竜宮系竜神団」との争闘は次第に猛烈となる。これが現界に出現した最初の事件は、昭和5年11月14日の「浜口雄幸」の遭難。当時、内閣の主班だった「雄幸」が、ロンドン会議後、日の本に紛れ込んだ「金毛九尾」の重臣神の操り人形となったもので、狙撃者「佐郷屋某」は「竜宮系竜神」の操り人形だった。
(※ 浜口雄幸首相の受難――ロンドン海軍軍縮条約の枢密院審議を乗り切った浜口内閣だったが、昭和5(1930)年11月14日、統帥権干犯に憤った右翼青年によって狙撃されて重傷を負った浜口首相は、その後健康状態が悪化、首相を辞職。その後、帰幽。)
昭和5年11月初め、「天地根本大祖神」より創造神「天一天柱主大神」、司宰神「天照皇大御神」、地の親神「国常立大神」に対して、宇宙開闢以来空前の、某大神の勅が降下した。このため同年11月21日、「天照皇大神」[駛身界に出現した「天照皇大御神」]が地上に降臨し、こうして「国常立大神」の日の本建替えの準備は次第に進捗。昭和6年4月20日、「国常立大神」が、「天照皇大神」に「地上建替準備の完成とその実施に関しては、徐々に下命ありたし。」と奏上。これを聞いた司宰神「天照皇大御神」より、初めて「現界建替開始」の神勅が降下される。これは昭和6年6月20日の御事で、同時に「大地将軍」の神霊が、今上「裕仁天皇陛下」に降臨した。
昭和6年(1931年)7月2日、「国常立大神」より「宇賀之御魂大神」[気津久比売大神]に神命が下り、大神は従神と共に直ちに満洲に行き、同月4日(2日?)、万宝山事件が突発。この「宇賀之御魂大神」「大正天皇」の即位式をかき乱そうと、大きく最後まで勝手気ままにふるまった神が、天津神策を理解すると同時に、最初の神命を承って率先して大活動を開始。自在時代での自神の行跡を大きく贖う意味で、大活躍した。
(※ 万宝山事件――昭和6年、中国東北部(満州)長春郊外、万宝山付近で、同地に移住した朝鮮人が水路工事を強行したことに対し、中国人農民が日本帝国主義の手先とみて襲撃した事件。 土地と水に民族感情がからんだ衝突事件だったが、日本はこれを中国側の不法行為として大々的に宣伝し、満州侵略の気運を高めた。)
昭和6年8月7日、国祖「国常立大神」より「櫛玉饒速日神」[十道行成大神]と「神功皇后神霊」[大鶴姫大神]に対して、外国での建替準備という大命が降下した。これは、「饒速日神」は「神武天皇」の時、「山武姫大神」の日の本皇霊統への侵入を阻止、遷都して矛を取った「十道行成大神」で、当時、「天照日大神」の神勅によって矛を収めた。また、近世では僧「日蓮」に現れて皇統確立を図ったが、また途中で挫折したことから、今回、特に外国の建替に当たって率先して、その統率神である天命を国祖大神より拝受したもの。また、「神功皇后」の身魂「大鶴姫大神」は、「横領姫大神」として日の本の撹乱を画策した一方の旗頭で、「神功皇后」の時は罪滅ぼしのために三韓を征伐して国威を海外に発揚したが、未だその罪が赦されるところとならず、さらに「明治天皇」の皇后宮として出現されるも、また中絶したことから、ここに、「十道行成大神」の随神としてこの大命を拝する。
(※ 三韓征伐――仲哀天皇は、「西方の金銀豊かな国を服属させて与える」との神託を信じず、九州南部の豪族・熊襲と戦争を始め、急死。その後、神功皇后は子供を宿したままで朝鮮に出兵し、新羅を平定。新羅王が王族を人質に差し出して金・銀・絹を献上するのを見た高句麗と百済も、大和朝廷への朝貢を約束した。筑紫国に帰国後、生まれたのが応神天皇。)
【現界的に第二回岩戸開き開始】
昭和6年9月12日、国祖「国常立大神」は、日の本の諸大神に摂津六甲山の4次元界に集合を命じ、富士山におられる大神を除く各大神全部がその地に参集した。内国の擾乱清掃と外国の建替に関して、1週間にわたる大会議の結果、それに対する各神の部署と方策全部が決定。その部署の大略は――「国常立大神」が主宰神となり、海外派遣神としては、「饒速日神」「日之出大神」「神武天皇御神霊[山武姫大神]」「日本武尊御神霊[山武姫大神]」「神功皇后御神霊」「朝日明神」「月日明神」等。さらに、特派神として、「宇賀御魂大神」を支那に、「猿田彦大神」は米国に、「大己貴大神」は印度に赴く事を命じた。これら諸神は直ちに主宰神「国常立大神」の意を体し、昭和6年9月18日、各方面に向って出発し、外国の各国魂神と協力して決定方策に従って諸般の活動を開始した。すなわち、支那満洲に向った「宇賀之御魂大神」は直ちに、同日ぴったり子の刻近くに奉天(柳条湖)事件を引き起こさせ、ついに第2回の岩戸開きがいよいよ現界的に開始した。
(※ 奉天事件――昭和3年(1928)6月、中国東三省(満州)を支配し、北京政府の実権を掌握していた張作霖が、国民政府軍に敗れて北京から奉天に引き揚げる途中、日本の関東軍参謀河本大作らの陰謀によって列車もろとも爆破され即死した事件。)
こうして、各方面に向って出発した諸神は、天津神策を理解して日の本を樹て、かつ外国建替に当って国祖「国常立大神」の命に従い、その意のように活動すべき諸外国の国魂神と互いに通じ合い、それ以後、機に応じて活躍する。この外国国魂の諸神の主要なるものは――「山武姫大神 英国」「高津玉大神 仏国」「金毛九尾 米国」「十億道神 露国」「道精堂神 伊国」「独立道神 独国」「盤古大神 支那」。
次に、昭和6年12月25日、宮中を守護すべき神として「三十二神」が神定められる。この三十二神は、近古よりの「八神殿の八神」、現在の三殿のうちの神殿に奉斎される諸神に代るべき神霊で、この三十二柱が神霊宮中で守護の部署に就く時が、神政復古の時。
いよいよ、現界の建替に従事する諸神霊とこれに反抗する諸神霊との争闘が、ますます明瞭に現れる時期に入り、昭和7年、再び日の本に紛れ込んだ金毛九尾の重臣神等は終りに到って奮い立ち、かの日比谷の大逆事件を引き起こす。「宇賀之御魂大神」は昭和7年1月28日、上海に走って上海事件を捲き起し、また「金毛九尾」と「竜神系」との争闘は、5月15日、「犬養毅」の惨殺として現われる。
(※ 「昭和7年」に、「日比谷」「大逆事件」に関連する事件はない。
「日比谷焼討事件(明治38年)」……日露戦争講和条約反対に端を発する民衆暴動で、この後の大正デモクラシー運動の出発点に位置する。東京日比谷公園で民衆と警官が衝突し、内相官邸・国民新聞社・警察署・交番・キリスト教会・市街電車などを焼打ち。東京市と府下4郡に戒厳令がしかれて軍隊が出動した。市内約7割の交番・派出所が焼かれ、負傷者2000人、死者17人、検束者2000人(うち起訴者308人)。)
「大逆事件(明治43年)」……幸徳秋水ら多数の社会主義者・無政府主義者が、明治天皇暗殺を計画したとして、大逆罪のかどで検挙・処刑された事件。検挙者は全国で数百名。翌年1月、24名に死刑宣告。」
(※ 上海事件――昭和7年(1932)1月、第一次上海事変。満州事変に対する世界の批判の目をそらすため、中国民衆の抗日運動を弾圧することを目的として日本の軍隊が上海に上陸し、中国軍と衝突した事件。中国軍の頑強な抵抗にあい、5月に停戦協定締結。 昭和12年(1937)8月、第二次上海事変。日華事変の最中、日本軍が上海に進撃して全市を占領した事件。日中戦争をさらに拡大させるきっかけとなった。)
(※ 犬養毅――総和7年5月15日、海軍の急進派青年将校が中心となり、クーデターを起こそうとした事件。首相官邸、政友会本部、警視庁、内大臣牧野伸顕邸、日本銀行などを襲撃。犬養首相を射殺した。軍部はこれを利用して政党内閣制の廃止を迫り、軍部独裁への一歩を進めた。)
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