<皇祖皇太神宮沿革[其の一]>
天地が開け始めた頃、「天神人祖一神宮」として創設された「皇祖皇太神宮」も、地上にその影さえも無いまでに至る。その変遷の概要を収録して、その盛衰の跡を思い出して忍ぶことを助ける。
1、第1代 「天日豊本葦牙気天皇」
元根年サナヘ月、「大空底日球日神」[天照日大神]と上神霊、万国の棟鿄、黄皇主孫命の守護の神、支弟姉妹五色孫民王の守護と共に、地球天元国へ初めて還元。天皇・皇后外20名のミド女の皇子・皇女達と同時に越し移り、「天神人祖一神宮」を造営。「天豊工人宮造知尊」「天日家造工知彦尊」が神宮を造り、天皇自身が祭主となって祀った。「天の越根国」と命名。
2、第2代 「造化気万男天皇」
即位〇〇年、越根中日見日高見国神明光の「天神人祖一神宮」へ、上代の万神を「天日万言文造主尊」に命じて文書にして神霊に捧げる。また、天地万国の五色人の最初の始祖「天日豊本葦牙気皇神天皇」の頭骨、頸骨で、頭形・身形・像形24の神體を造り、神代文字で上代の神名を彫刻して、神體と定める。
3、第3代 「天日豊本黄人皇天皇」
上代天皇の御名と、万国御巡幸、万国主の勅定の次第を記録させ、「天神人祖一神宮」の御神體とした。
4、第4代 「天之御中主天皇」
即位〇年ウベコ月立5日、「天神人祖一神宮」の本殿の社前の四方位に、日羽鳥トマリ鳥居を建てる。「元無極體主王大神」より「天之御中主天皇」までの歴史を編纂し、これを天越根中大日見国光池上神明「天神人祖一神宮」の御神體として奉納。
5、第10代 高皇産霊天皇
「元無極體主王大神」より歴代天皇をはじめ、今上帝・皇后・皇子・皇族系図を「天神人祖一神宮」に合祀して本殿を改造。宮の屋根をヒヒイロガネで葦き、前殿を参殿造とし、神宮の名を「皇祖皇太神宮」と改称。太神宮の四方に、大鳥居を造営。五色人の90柱を祭り、「別祖太神宮」と言う。祭神である日の神の宮の川上奥山に、太神宮の分霊を祀り、「元伊勢太神宮」と云う。また、ここに「皇后堂」を建て「伊勢山大皇后堂」と云い、「皇后合神社」またの名「天伊勢神社」と云う。「伊勢」の名の始めなり。(註 この山をいま金剛堂山と云い、山頂に五箇の山両陵が現存する。)皇后堂の祭神は「高皇産霊皇后」「宇麻志阿志訶備美皇后」「天(之)常女皇后」「豊斟美皇后」「須比智邇(美)皇后」
6、第11代 「神皇産霊天皇」
上代の歴史を編纂し、その書巻を「皇祖皇太神宮」に奉納。また、7皇子に命じて、万国形の地図を作り、同じく奉納。
7、第14代 「国之常立天皇」
越根中御皇城山クレ羽山に「皇祖皇太神宮」の本殿・前殿を造営し、宮城四方に鳥居を建て、「皇祖皇太神宮」を祀る。また、越根中国日見日高見神明光池上「皇祖皇太神宮」で、大祈念、大祭礼を挙行。
8、第15代 「豊雲野根天皇」
諸皇子に歴史を編纂させ、「元無極體主王大神」より「国之常立男神」までを上代の神と称し、成った巻物を「皇祖皇太神宮」の御神体とする。
9、第17代 「角樴天皇」
即位〇年ミナ月立7日、万国五色人令、支那邦令兄弟「黄能氏」「盤皇氏」「義皇氏」支那天竺邦王「摩迦黒尊者」等178名が来朝。天皇の御前に参朝拝礼し、五色人王、五色旗を立てて奉る。五色旗を「皇祖皇太神宮」に奉納、五色人等、神前に拝礼。
10、第18代 「大斗能地王天皇」
即位〇年ムツヒ月円3日、越根中国「皇祖皇太神宮」の本殿を造り替え、祈念殿を二井ヤのヨク、大宮よりヒカシよりヒニリ向きに新造し、本殿・前殿、祈念殿の四方に大鳥居を造って「二井ヤ宮」の造営が成り、「二宮」と云う。後、「奥井殿」と称し、三度改めて「ヲク田宮」と称す。天皇・皇后みずからがヒヒイロガネで、ホド文ミド文、万国地図を刻んだ宝劔を造らせ、「皇祖皇太神宮」の御神体を祀る。
11、第19代 「面足日子天皇」
越根中日見日高見神明赤池上ヒニリ御皇城山根の「皇祖皇太神宮」の本殿・前殿を造り替え、「太神宮」の四方にニハトリ居を建造。即位〇年、ナヨナ月立9日、万国御巡幸より二井ヤ浜に御還幸。同所を日入祝と名付け、後、東岩瀬と云う。天皇、東岩瀬に「皇祖皇太神宮」の分霊殿を造営し、「東岩瀬太神宮」と称う。さらに「太神宮」を山根御皇城山に改築し、屋根をヒヒイロガネにて葺く。四方位に鳥居を造営し、遷宮祭を行う。
12、第20代 「惶根天皇」
天皇・皇后は自作のヒヒイロガネの劔矛(ホド文・ミド文で神名と万国図を刻む)を、「太神宮」の御神体として奉納。
13、第21代 「伊邪那岐天皇」
伊邪那岐・美二神が、筑紫日向阿波岐原で身禊祓された時、「天越根中国日見高見神明赤池上皇祖皇太神宮で、大祭礼乞祈(=請願)をなせ」との神勅あり。天皇・皇后は即刻参拝して、本殿・前殿・四方の鳥居を造替、自ら祭主となって大祭礼を挙行。万国五色人王383名が参朝拝礼し、大楽舞で歌う。
即位〇年、神勅によって、天皇の御宝としてヒヒイロガネで劔矛を作り、「大斗能地王」「惶根王」の宝劔と共に、万国五色人の棟鿄たる皇孫天皇の果てがない億代まで、必ず天皇の身守家宝と定め、「天照大神」に譲位。
14、第22代 「天疎日向津比売天皇」
「皇祖皇太神宮」神殿を造り、「天御光日神」[天照日大神]に天盃を奉って、天津日嗣高御座に即く。即位の年、イヤヨ月立1日、天皇は「皇祖皇太神宮」で大遷宮祭を行う。(第42章参照)
15、第23代 「天忍穂耳天皇」
自身に「天照日大神」と「日向津媛天皇」が神憑り、「今後、天皇が神幽り給いて遺骸を祭葬する場合、必ず「皇祖皇太神宮」の神主がその祭主となるべし」と定める。即位○年イヤヨ月マドヒ7日、詔。神代歌を記し、「天日忍日古命」「万国言文字知主命」「石動彦命」「栗羽方守命」「天忍神彦命」「天根杵彦命」「活津根彦命」「天津彦根命」の諸神が奉捧し、天皇自らが祭主となって「皇祖皇太神宮」へ奉納。(第43章参照)
16、第24代 「天仁々杵天皇」
「皇祖皇太神宮」と「懸賊四社」を改めて再興し、祭る。
(1)赤池白竜明神[空的空海川野山万災難除守神]――祭神「大空霧雲祓吹尊」「海原大海主尊」「玉之姫」「道主神」「綿津見尊」「黄竜神」「黒竜神」「青竜神」「赤竜神」「白竜神」
(2)護法守神[兆勝守神長寿守護神]――祭神「大山草木蒔主尊」「津速五百筒火産尊」「風二神」「猿田彦尊」「宇受女尊」「大国主尊」「八百万天狗神」「火乱神」「万国言語伊吹尊」「万国八意五十一言造根尊」
(3)五色商運神[恵比寿商大神・天地神和合守神]――祭神「天豊恵比寿商主尊」「万五十一音形仮名文造根尊」「天豊言明文尊」「万国言語学尊」「蛭子尊」「天相合二神」「万福酉主尊」「五色人祖二十三柱民」
(4)稲荷王神[福主神・富貴神]――祭神「天日瑞穂造美尊」「天豊穀食類姫尊」「豊宇気比女尊」「太田大上祖二神」「第市比売尊」
右御再興後の「皇太神宮」神域の模様は、左の如し。[竹内真鳥謹記]

更に詔して「皇祖皇太神宮」の御船代(みふなしろ)(=神社で神体を謹んで納める、石船の形に作られた箱)と、真の三柱について、左の如く定めた。――天越邦天国天皇の身を、永遠に守護の大神を「皇祖皇太神宮」に棟梁天皇共に4柱の神宝と神體とを神殿中に祭る法は、真の3柱神として、
天照日神の皇子 天日豊本葦牙気皇神(天皇の神霊にして大地将軍)
月蔭神の皇女 天日豊本葦牙気皇女神(皇后の神霊にして常世姫大神)
造化気万男女神(天皇の神霊にして 地上丸大神
皇后 〃 地上姫大神)
を、「天の火球国」より勧請し奉る。更に、これを謹んで安置する御船代として、上代「天照日大神」が、「万国棟梁政治天皇を一人と定め、天空浮船に乗って、右三柱の神が、天日豊天越根中国に天降られたことを形取って神殿の中真に船代を形どり、三柱を樹て、これに真の三柱神の神霊の来臨を請い祀れ」と定めた。さらに、「造化気万男女神天皇」自身が船代の造り方を詔して、「天豊工人宮造知尊」「天浮船大空乗公運尊」に造らせ、「神殿・神體の舟代の真の三柱に祭る祭式は、天皇自身と臣神主一人の別、人には秘密に秘伝し、アヤマルナヨ。祭式法を見る者の国・家・身・子は、天の罰罪によって死ぬ。必ず神を拝礼信心せよ。富貴来幸天賦天然の幸徳日神月の神あり。」と定め、「造化気万男女二柱天皇」は、自身が祭主となって奉斎したと伝えられる。
「永遠サキノヨ、天皇並に臣必ず堅く守れ、代り努め代れ」
即位16年イヤヨ月立1日の大祭礼に当り、天皇自ら神籬立瓶を造って、上代天皇の大神名を神代文字で彫り付け、8個を高御座の八方位に建て、即位式を挙行。神籬立瓶を「皇祖皇太神宮」に納祭。今後の代々の即位でも同様に、必ず神籬立瓶を建てることとされる。
17、第25代 「天津彦火火出見天皇」
天皇・皇后自身が神籬立瓶を作り、高御座の八方位に樹て、即位し、これを「皇祖皇太神宮」に奉納。「日の神」の神勅によって、即位〇年イヤヨ月立3日、天皇が祭主、「思兼命」が祭典長、「児屋根命」「太玉命」が祭官となって、大遷宮祭を挙行。五色人王380名が参拝。「太神宮」大祭礼に際しては、必ず、探湯祭・鎮火祭・釜塢祭を、神主がその術を行い、上下万民の安泰を祈祭すべしと詔。
18、第26代 「武鵜草葺不合天皇」
即位〇年ミナツ月立7日、詔。十六菊御紋章・日の丸国旗を制定して、天皇の紋と定め、更に「皇祖皇太神宮」の紋を定めて右に刻し、ヒヒイロガネで御紋章を作らせる。ムツヒ月1日を「皇祖皇太神宮」の祭日と定める。
19、第28代 「真皇真輝彦天皇」
即位〇年ムツヒ月立5日、詔。「太神宮」造営で、屋根を鵜の羽を葺草にして葺きあわせ、「元無極體主王大神」より葺不合2代「軽島彦天皇」までを合祀。二井ヤのヲク井に祈念殿を新造し、「皇祖皇太神宮」の分霊を祀る。太神宮神主は、大祭礼には必ず大神の御前で、探湯祭・鎮火祭の中渡り祭・釜塢祭の米のフカシを、大神に奉ると定める。
即位〇年ケサリ月3日、「皇祖皇太神宮」の御神體を定める。――「三種の三劔神宮」「神骨像神體」「天疎日向津比売天皇の三種の神器」「忍穂耳天皇・仁仁杵天皇・彦火々出見天皇・葺不合天皇身造の神籬立瓶」「ヒヒイロガネの十六菊御紋章」「神代文字にて成れる霊巻物の神体、日の丸旗」。
即位〇年イヤヨ立1日、新たに編纂した歴史を、さらに神代象形文字で纂らせ、「太神宮」の御神體に合祭。
20、第29代 「玉噛天皇」
霧島山に大宮を造り、「皇祖皇太神宮」の分霊と「伊邪那岐・美二神」以上の男女の神霊を合祀して、大祭。「真皇真輝彦天皇」以上「天疎日向津比売天皇」までを、阿蘇山に合祀。「鳴沢之雄命」以下39神の霊を、「加賀白山宮相殿」に祀祭。守長寿富守護瓊矛として霧島山に逆矛を立てて納め、「伊邪那岐天皇」所持の人頭形の印[御神霊]を、赤池上・神明「皇祖皇太神宮」の御神霊として納祭。
21、第39代 「火之進奇猿媛天皇」
即位86年ハヤレ月円4日、富士の大宮を造り替えて、再び左の祭神を勧請。(第59章参照)――「木花咲耶姫尊神霊」「皇祖皇太神宮分霊」「天照日大神」「天疎日向津比売天皇神霊」「天豊国押彦天皇神霊」「豊狭姫皇后神霊」
22、第40代 「臼杵天皇」
即位〇年ムツヒ月籠9日、遺詔「上代天皇の神霊と、今後代々天皇の神霊は、必ず天越根中日見日高見神明の皇祖皇太神宮に合祀すべし」。
23、第44代 「少名形男彦天皇」
神託により、即位式には、「皇祖皇太神宮」御神体を天皇の身近くに奉捧して祭り、平年平日は神宝全部を「皇祖皇太神宮」に安置すべきと定める。
24、第48代 「天饒国饒狭真都国足天皇」
即位53年ムツヒ月円8日、詔。今後「皇祖皇太神宮」の神主は「竹内」と名のるべきと定め、他人がこの姓名を使用することを禁じる。
25、第52代 「建玉天皇」
即位102年ムツヒ月立5日、詔。「皇祖皇太神宮」は今後、必ず御皇城中央――ヒナタ[南]の方 2里20丁、ヒウケ[北]の方 1里20丁、ヒガシ[東]の方 1里30丁、ヒニリ[西]の方 2里10丁――を「太神宮」移転地の境内と定め、造替の時、神明に向って左に行くを「神宮」と云い、次に造替え左に行くを「御皇城山神宮」とする旨、「天疎日向津比売天皇」より、今上建玉天皇・皇后・皇太子に神託あり。「今後必ず50年毎に造替え、天皇が代った時にも必ず造り替えよ」と定め、家屋はヒヒイロガネで葺き、神主職は皇子を以てする。
26、第54代 「神豊実媛天皇」
即位〇年ウベコ月円9日、詔。常道路下毛国三本遺鹿子山に「皇祖皇太神宮」の分霊を祀り、「甲子大神宮」と言う。
27、第58代 「清之宮媛天皇」
即位100年ムツヒ月立6日、詔。「皇祖皇太神宮」分霊を宮中に親祭することに定める。(同床共殿の初め)
28、第75代 「神足別国押之女天皇」
即位103年ムツヒ月立6日、詔。「皇祖皇太神宮」の本殿・前殿及び五社懸族(赤池白竜神、安産守神、白狐七十五神、大空万主神、千兆勝神)
29、第92代 「春建日媛天皇」
即位〇〇〇年ケサリ月籠7日、詔。天越根中婦見神明ヒニルの方、御皇城山のヒナタ・ヒウケ・ヒニリの方、長沢より四方水門までを大宮の境内とする。
30、第94代 「神足別豊天皇」
「神竹内真戸利王尊」[神主]に詔して、白石で赤池白竜の身形神體大小二個を作らせる。
31、第95代 「神心伝物部建天皇」
即位〇年ケサリ月籠10日より、諸カタの高千穂峰に天越根中「皇祖皇太神宮」分霊を再度勧請し、「天孫天降宮」と云う。この時より「天孫降臨」と呼ぶ。
32、第98代 「神武天皇」
秋津根別大和畝傍山へ「皇祖皇太神宮」を乞い奉る。112歳、ウベコ月立3日、畝傍山の「皇祖皇太神宮」分宮の前で高御座に登り、「皇祖皇太神宮」の神體をもって即位。
33、神倭16代 「品陀和気天皇[応神天皇]」
即位11年正月6日、詔。再び棟梁の民「竹内宿禰」を勅使として、越根中国日見日高見神明赤池上棟梁「皇祖皇太神宮」に差遣し、神代より伝えられた、代々天皇の即位に用いられた御宝、上代天皇自身が造られた神籬立瓶五組・神功皇后の水金鏡・神代上代の万宝を、神宮の地中に秘蔵せしめ、天皇即位11年3月朔日、自ら祭主となって、大祭礼を挙行。
34、神倭22代 「雄略天皇」
「安康天皇」3年11月21日、葺不合朝天皇御即位式の儀をもって、天津日嗣の高御座に登られ、上代の即位式礼はこれをもって終わりとする。
35、神倭25代 「仁賢天皇」
即位5年、「皇祖皇太神宮」大祭礼を挙行。天皇御親祭の終り。後の詔で定紋を定め、日見日高見神明宮赤池上並に金屋上御皇城山両宮、ヒナタよりヒウケに向って右平地を「神明宮」社左、山田川ヒニリ「御皇城山宮」社地止と神代より定め、神代より左に替造り建宮の時、右の宮地はカラ地と定め、右平地の赤池上神明池に、「神武天皇」の孫「意富祁天皇」[億計天皇・仁賢天皇]即位6年ケサリ月円5日夜九ッ刻に「御皇城山宮」よりヒガシ「神明宮」の宮へ遷宮。「御馬皇子」祭主万国棟梁「皇祖皇太神宮」の勅祭主・「御馬皇子」と、神主「竹内真鳥」にて謹祭。摂社宮・境内社と太神宮懸族四社宮は、いずれも皆、遷宮式祭と五行神祭・雷神祭を行う。
「補遣 一」……万国五色人法政を定め[唐字の急練習中 真鳥]、神皇産霊身光天皇・神皇産辡皇后宮は、即位70億3000年イヤヨ月籠5日、謹んで万国五色人の政法事を定める。
――「一、万国五色人よ、天の天皇と、皇祖皇太神宮・神主に背くなよ。」「一、天国の天皇が、万国に今先の代々天皇の氏・民主を造った。天国の天皇に背くなよ。」「一、天国の神託に背くなよ。」「一、天国の神の教えに背くなよ。人に害禍をするなよ。」「一、五色人よ、天国の天皇・神主・神国の神子民に、恨みや憎しみを持つなよ。負けるぞ。死ぬぞ。潰れるぞ。」「一、汝を産んだ父母に背くなよ。」「一、天国の天皇が造った法政を、教えと親に背くなよ。」「一、人の男女を取るなよ、人に禍をするなよ、すると天罰があるぞ。堅く法政を守れよ。背くと潰れるぞ。病魔に合うぞ。万災難に合うぞ。ベンボ(=貧乏?)になるぞ。万事負けるぞ。万人が憎しみや恨みの相手となり、和合しなくなるぞ。死ぬぞ。十代先まで天罰あるぞ。必ず、背くなよ。ソモカノ人こそ君に忠義達ゾ。天賦天資天然の無極ク勝幸福徳長寿子孫々在宝立身高名開運を身に付神籬守護あるぞ。」(豊葦原姫命、天底立角己利命、天豊歴史頭命、天豊八意知命 皇祖皇太神宮納祭 (右、上記神代文字巻ニアル写し))
「補遣 二」……天皇御系譜の巻に記載される、「皇祖皇太神宮」神殿の大きさの大略を記す。
――「1、葺不合4代 玉噛天皇即位○年ムツヒ立5日、太神宮本殿・前殿造替。本殿661尺、奥681尺、前殿1301尺、奥1041尺」「2、葺不合6代 石鉾歯並執楯天皇。本殿601尺、奥661尺、前殿1213尺、奥1021尺」「3、葺不合7代 豊媛天皇。本殿721尺、前殿1261尺」「4、葺不合10代 千足媛天皇。本殿661尺、前殿1261尺」「5、葺不合14代 火之進奇猿媛天皇。本殿661尺、(※ 前殿の記載なし、記載漏れと思われる)」「6、葺不合17代 表照明媛天皇。本殿661尺、前殿1261尺」「7、葺不合24代 天饒国饒黒浜彦天皇。本殿661尺、前1261尺」「8、葺不合27代 建玉彦天皇。本殿661尺、奥行601尺、前殿1261尺、奥行1061尺」「9、葺不合31代 橘媛天皇。本殿661尺、四方の宮前1261尺」「10、葺不合50代 神足別国押之女天皇。本殿661尺、前殿1261尺」「11、葺不合五十七代 天津照雄之男天皇。本殿660尺、前殿1261尺」
<別祖神宮(外宮)の沿革>
1、 10代「高皇産霊」、即位○年ウベコ立3日、「天神人祖一神宮」を改名して、「皇祖皇太神宮」に、「別祖太神宮」を天皇自らが祭る。
2、 神倭10代「崇神天皇」、即位60年ナヨナ月1日。天越根中日見日高見神明日神宮御皇城山月神宮万国五色人の祖根の神棟鿄「皇祖皇太神宮」の懸族4柱の中、「五色商運神社」を改めて、「別祖神宮」と再勧請。(神主 武雄心命、勅使 大彦命 丹波道主命・吉備津彦命・武渟名川別命)
<皇祖皇太神宮沿革[其の二]>
「皇祖皇太神宮」神主「紀氏平群竹内氏」(後、改めて竹氏)系図の記載の順序に従って、「皇祖皇太神宮」沿革に関係あるものを抜粋した。(なるべく原文のままを記す。)
1、「武内宿弥」。大臣。「紀」姓を賜る。「大足彦忍代別天皇」[景行天皇]即位11年、士官。同20年、東エビルス国・支那国天竺邦万国を巡回。同51年辛酉8月11日、棟梁の臣となり、「大ささぎ帝」[仁徳天皇]即位15年乙酉9月朔日、紀伊国の産物を持参。「竹内宿弥」、31歳で初めて天皇の使臣となり、その時、菊花を五種五色草菊で献じる。天皇は喜び、東西南北を四方、その間合十六方位、地球全部を主王の紋と定めて十六菊の紋と名付け、十六菊の真ん中に「太陽日神」(=日の神)の全く丸い形とし、天皇自身が羽衣に付けると定める。日神御前の臣注連紋を造らせ、大紫院五七の桐紋にして桐の花のツボミを五、七と葉を三枚とし、七・五・三の桐の臣注連紋と名付け、「皇祖皇太神宮」の紋とする。また、太神宮神主家紋は、十六菊中真丸中に八咫鏡の形を付けたものとし、臣注連紋としては、大紫院の五・七の桐の紋を付けることに定める。(以上、神主職「紀竹内平群木菟宿弥」謹御受)
2、「紀竹内直麿臣」、大宝3年6月15日、武蔵国飯倉城山に「神明宮」分霊勧請。
3、「紀竹内直麿臣」、文武天皇大宝4辰年3月15日、天皇が勅令で、永遠の神主を命令。地行面日見郡宮川郷・新川郡高野郷楡原保郷を賜わる。
4、「紀竹内大伴部赤池仲麿」、棟梁「皇祖皇太神宮」神體・神代文字の巻三ッの宝・アカズの瓶の宝・神代上代の神の骨像・石に神代文字付きの神體43體・ヒヒガネの御劔大小4振・鉄劔1振・神代文字付き神體・「神功皇帝」捧「水金鏡・忍穂耳尊天皇」より「緩靖天皇」まで代々の天皇自身が造らせた神籬指瓶(内外に神代文字彫付)19箇、五鈴劔その他、数品・「皇祖皇太神宮」の棟梁の我国の天皇の御宝太神宮(天平17乙酉年、2月5日より15日迄、「紀竹内池上赤池明神」花押)
5、「紀竹内赤池久江麿」弘法の由来。延暦20辛己年シブル月の籠の3日、我が家に来り、赤池白竜万堂に居る。その夜、僧真渙弘法羽根田の稲を掛るはさはの小豆を取し、「弘法」の足あと形を付けてそれをかくし、「皇祖皇太神宮」「赤池白竜万明神」「五色商運明神」に祈念。不思議に天が曇って雪が降り、足あと形が隠れる。籠の4日とは、24日の事。4日アヅキのかゆを喰えば、必ず害虫災病が除かれると云う。その時より、大師のあとかくしのかゆと名付けて、万民が食した。
6、「紀竹内経姫」「紀竹内義信」、竹内家へ養子。「清和源氏真純親王」8代目の孫「源義信」「八幡太郎源義家」殿の媒介者にて定める。
7.「紀竹内越中守惟真」、「長慶天皇」南朝崩御時に伴い、元中九壬申年閏10月15日、「惟真」「信治」「惟尚」が自害。
8、「紀竹内越中守宗義」、母は「後醍醐天皇」皇女「良子内親王」
貞和4年10月5日、室町幕府「足利尊氏」が内々に、全国に敵の一族味方(註 南朝方)が住む寺社院を焼き捨てるよう命じ、寺社が居宅を焼き捨てられる。文和4年正月7日より、古語拾遺・古事記・日本記等、歴史にある神宮・寺社方の内で、南朝の味方がいた寺社院を全部削除するよう、全国の「尊氏」の味方に通知命令(2度目)。御国(=地方?)や万国の大根源の祖神棟鿄「皇祖皇太神宮」を始め、「赤池白竜辨財天明神」別寺社、日本中に数百箇所が削除され、残念、残念。また、古文書・宝物品全部、室町方に焼却し、実に嗚呼、残念。「皇祖皇太神宮」に「尊沿帝」[後醍醐天皇]と「寛成帝」[長慶天皇]を隠して奉っていたため、「皇祖皇太神宮」と神主家は、「足利」に害されて大没落。神宮の神體全部・宝全部・竹内家宝全部・大瓶に入れて地中に埋め、子孫代々に遺言として守護し、堅く守るべし。
棟鿄「皇祖皇太神宮」「神功皇后」幷に「後醍醐天皇」「長慶天皇」塚、また両天皇の御霊太神宮を、今後、天皇が政権の御代に必ず時の天皇にご覧いただいて、必ず再興すべし。(「紀宗義」、「竹内宿禰」正孫34代目)
9、「紀竹内三郎義信」「皇祖皇太神宮」神主が、明応9年正月17日、「黒瀬覚道」賊頭・衆徒・越中加賀能登国中の寺の坊主1600人のために殺される。長享2年戌申年3月より、加賀・能登・越中の大賊徒、三ヶ国各寺坊主、天台・真言・曹洞・浄土・真宗の坊主を始めとして土賊7000余人、棟鿄「皇祖皇太神宮」を始め、各社を大得に荒され、「皇太神宮」と神主家、不孝にも大大没落に及ぶ。嗚呼、残念なり。
10、「紀竹内三郎左衛門尉勝秀」、長享2年戌申年(註 前節に同じ)、三ヶ国各寺坊主賊8000人が三ヶ国を荒す。その時より、「皇祖皇太神宮」幷に、神代歴代天皇の系図神體骨像神代文字付25體骨石、五色人祖系の宝の巻、天皇五親翰数百枚、「神功皇后」の即位巻、「忍穂耳天皇」「仁仁杵天皇」「火火出見天皇」「葺不合天皇」自造神籬指立・鏡劔・曲玉・神代文字付「弘法」「日蓮」「道実」その他大臣・大将軍・国主の真蹟を大瓶に入れ、地の中に埋めて秘蔵した。毎年4度、出して乾かすべし。今後、わが子孫は必ず、時の天皇の治世代、政権の御代に必ず、時の天皇にご覧いただくべし。必ず「皇祖皇太神宮」「神功皇帝宮」「後醍醐神宮」「長慶神宮」を再興すべし。
享禄二巳丑年、本願寺家宰「下間筑前坊」、賊頭主のために、また「皇祖皇太神宮」、神主「竹内家」を始め、越中国・能登国・加賀国全部の「明神」神主を殺され、また「明神」を荒される。
11、慶長7年4月16日、「紀竹内明三郎左衛門重綱」は、「前田利長」の前に引出され、神宮と竹内の宝を出せと詮議される。
12、大昔より「皇太神宮」鳥居前は、国主でも馬に乗ったまま通る事は禁止という高札があるにもかかわらず、「紀竹内赤池神明三郎康重」が馬に乗って通ったため、鳥居前で落馬。国主は大いに立腹して大昔よりの高札を抜き捨て、その年より、「仏如来の他教の信者を罪科に行事。寛永17庚辰年11月12日 領主 富山城主」の高札を立てる。この高札によって「皇祖皇太神宮」と「紀氏竹内家」は大没落し、宝物を皆大瓶に入れて埋めた(3度目)。他人には長享2年、享禄2年の時、宝物を全部失ったと言い、子孫が仏のために法律や道徳に背く行為をされても、必ず他人には黙っていることを堅く護るべし。
13、「紀竹内宮川赤池三郎右衛門尉基重」は、宝暦6年までに3度法廷に引き出され、宝暦6年2月27日、前田のために107歳で自害。慶安3年庚寅5月20日、前田分家富山城主殿の命によって、「康重」殿の代より後、代替りには必ず一度は法廷に引出され、家に代々伝わる宝物を出すよう迫られる。明暦元年正月18・19日、江戸大火10万8000人焼死。[明暦三丁酉年、「紀氏基重」花押]
14、「紀竹内赤池三郎兵衛尉義康」は、国主幷に坊都に再三、竹内と「皇太神宮」の宝物を出せとせめられたため、「皇太神宮」幷に家が大没落し、残念の余りに自害。
補遺――在来の日本歴史で、東北・蝦夷地方を視察したと伝えられる、棟鿄の臣「武内宿禰」の世界万国巡廻の真相は左の如し。――[神倭25代天皇即位2年カナメ月円10日、唐字練習中、「真鳥」印之] 祖父 武内宿禰 詔 御命令、万国巡廻ス。巡廻順由来記。「竹内」改「武内」改め「竹内」と賜わる。
「大足彦忍代別天皇」即位56年カナメ月籠1日、詔。天下万国の棟鿄「皇祖皇太神宮」神體神宝、天皇の御宝神日本魂劔その他の神宝を、守秘蔵法守護の神主職を永遠に汝が子孫に遺言し、堅く守事せよと有難く詔に定め、「武内宿禰」に命令賜う。同日、定紋も改めて賜わる。(象形文字)[武内家の守る神宝ぞ]
「大足彦忍代別天皇」即位21年ケサリ月籠6日、詔。東方と北陸、蝦夷・支那・ヨモツ・ヨリト・エビルス・万国の巡回を命令。「武内宿禰」が受けて、巡回の準備にとりかかる。即位23年イヤヨ月円5日、天皇の御前へ参上し、円七日、「大中臣大推臣命」「ト部大狭山命」「大伴武田命」「物部十千根命」「人民富足命」別、無官82名連れて大和を出発。天越根中国「皇太神宮」に参拝。サナヘ月立3日、自身が祭主として大祈願し、「皇祖皇太神宮」の不思議の文字の守を全部身につける。
道路奥陸奥の今別の水門より、ミナツ月円5日、海原の浮大船に乗って出発。天空浮船三舟造り持行・支那へフクミ月立8日、支那国コルフコイ水門着き、巡廻。神代ニ支那国ニ天国天神と、支那国祖「盤古氏」以下、代々霊を祭ったその所を奉天と言う。それを拝礼して、天国の天皇、不合33代「清之宮姫天皇」即位151年ケサリ月立1日、詔。自身が万国御巡幸の際、支那国へ天降り、この地に太神宮の分霊を祀り、この地を天津と名付ける。その神殿を拝礼して、支那国の「和帝氏」に面会し、その他383名に別れて巡廻。正定、大原、蘭州、青海耳、都克、巡廻し。天竺、スリナガル、パトナ、プーナ、ベラ。ベルシアシラス、シナイ、ダチル、サマラ、ムワンサ、ヌヤサ、セナ、ツリ、ベサリ、ピヘ、パニア、イバダン、ベイラ、マレヒト、フエズ、マラガ、フラスナント、イラプチヒ、パガ、モスクヴァ、サマラ、オムスク、パイカル、レナ河イサツカヤ、オホタ河アルカ、キチギンスク水門より舟乗り。エヒルス国、テラーユーコシ河サークル、エドモントン、ツルス、イリ、ハンゴル、レナタ、エヒルスマツリン、パラ河パラ、パラ河バルマ、バラナ、ラフラタ、サンチアゴ、ラパト、バナフ、メキシコ、ウレス、タコマ、ハゼルトン水門依り舟乗り。オセア国、クロイドン、アルベリ、ゴーラー、ノルサム、パリト河パンシ水門迄巡廻。アンナサイゴン着シ、高州・福州・登洲水門依り三韓開城谷山巡廻。水門より天国の白日別筑前宗像水門へ安着。
「大足彦忍代別天皇」即位50年カナメ月籠10日、28ヶ年目、(註 日本武尊御東征はこの武内宿禰万国巡廻中の出来事なり)総大将「武内宿禰」始め、「大伴武日命」「物部十千根命」「大中臣大推命」「人民富足命」「ト部臣狭山命」別無官82名が安着。秋津根大和日宮に参上、言上し、天皇大江に喜ばれる。御言があり、早刻、天越根中国ノ「皇祖皇太神宮」に礼参拝。自身が御礼して祭主し、即位51年、ハヤレ月籠1日、棟梁之臣と賜わる。
(※テンゴクヒノクニワマナコダマデアルコトヲシレヨフトコヨクニワカラダデアルコトヲシレヨ)[天国日の国は眼玉であることをしれよふ。万国は體であることを知れよ。]
祖父「武内宿禰」由来記、神倭25代「意富祁天皇」、即位2年カネメ月10日、唐字練習中、万国を祖父「武内宿禰」御命により、巡廻の道スズメ由来記、すなわちこれ
――(※絵文字20) 紀平軍竹内真鳥
――(※ ルビがついた絵文字)
我子孫必ず遺言堅ク守ル伝ベシ。
<神政復古準備>
大昔、創造神「天一天柱主大神」の神策である「天の岩戸閉め」によって、駛身神霊と限身人間界に、「自在の時代」が到来。この長い年月が経過する間、支配慾と恋愛慾に駆られた争闘のうちに、神霊と人間は既に幾多の波瀾に耐え、相当量の試練を終了。再び、仮凝身神「天一天柱主大神」の神策によって、次の時代たる「限定の時期」に入らんとする時となった。
この新たなる時代を実現するため、天の岩戸を再び開けて、神・現・幽(駛身神霊界・限身現界・幽界)三界の建替建直し、大神業に着手することになる。これは、神界では、神政復古の準備、現界では、万国棟梁天職天皇としての日本天皇の復旧、すなわち、人類界の建替建直しを開始される準備、幽界では、諸霊魂の整理・浄化実施の準備なり。準備、現界では、万国棟梁天職天皇としての日本天皇の復古の準備、すなわち、人類界の建替建直しを開始される準備、幽界では、諸霊魂の整理・浄化実施の準備なり。
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