いよいよ全身全霊を打込み、神の命のまま進む事となった。何しろ神の意図が半分、自己意識が半分というような訳で、普通人より心強い気もするが、普通人より心細い気もする。勿論それほどの経済的余裕もなく、先ず数ヵ月維持する位の程度しかなく、確実な収入の見込もない、実に不安定極まる生活ではあるが、しかし絶間ない奇蹟や神示の面白さで、経済不安など忘れてしまうほどで実に、歓喜の生活であった。只まっしぐらに霊的研究と病気治療に専念したのであった。
病気治療といっても医学を修得した私でもなく、ただ種々な病気に罹り病院へ入院した事三回、医師から見放された重病二回あり、四十歳頃迄は健康の時より病気の時の方が多いくらいで、全く病気の問屋であったため、その都度医学書を読み耽ったまでである。ざっとその種類を書いてみると、十二、三歳頃までは、腺病質の所謂虚弱児童で、薬餌に親しみ通しであった。それでも小学校だけはどうやら終えたが、子供ながらも、他の健康児童をみると実に羨ましかったものである。しかし不思議にも学校の成績はよく、大抵主席か二番より下らなかった。十四歳で小学校を卒え画家の目的で美術学校予備校に入学したが、数ヵ月後眼病に罹ったので中退、二ヵ年有名な眼科医を巡ったが終に治癒せず諦めてしまった。ところが間もなく肋膜炎に罹り、大学病院施療科に入院、穿孔排水したところ、二百グラム余出た。これは半ヵ年位で治癒したが、その後一ヵ年を経て再発、種々の医療を施したが、漸次悪化し、一年余すぎた頃肺結核となり、当時有名な入沢達吉博士の診断を受けたところ、不治の宣告をされた。それが菜食療法で全治したのである。
その後数年間一切を放擲し、健康快復に努めたので、漸次快復し、漸く自信を得るに至ったので、二十五歳独立して小間物屋を創めた。素人であり、しかも母と親戚の娘と私の三人暮しで、九尺間口の借家で店の事は一切万事私一人でやったのである。当時の模様をざっと書いてみるが、朝起きるや、掃除一切は勿論商品の仕入れも販売も私一人でやったのだから大変である。しかも全然経験がないから、商品の用途さえ分らない。その都度母に聞くのである。これは何という名前だ、頭のどこにさすものだというような訳で化粧品から油、元結に至る迄、俗に種類の多い事を小間物店というくらいだから、覚える事は容易ではない。その間客は絶えず買いに来る。当時、スキ油一コ、元結一束など一銭であったので、一銭の客にも一々有難うを言い頭を下げるのだから堪らない。それがため半ヵ年位経った頃とうとう重症な脳貧血に罹ってしまった。何しろ電車通りへゆくとその音響のため、眩暈がして倒れたり、また十分も人と談話をすると、口が利けなくなるというくらいであるから、その苦痛は甚しいものであった。二、三ヵ月医療を受けたが効果がないので、人の奨めで灸療法を受けたところ、やや軽快に向い、その先生から運動を勧められ、晴天の時は一里以上の歩行をした。それが効果を奏し、二、三ヵ月で殆ど全快したのである。ところがその空白を埋めるため馬力をかけた事と、商売の方も相当熟練したので非常に繁盛した。しかし前途を見る時、小売よりも問屋の方が有望と思えたので、多少儲けた金で創めたところ、頗る順調に発展十年位で一流の問屋となったのである。その間にも一年に数回位病気に罹った。その中で重症なチブスに罹った時は遺言までしたくらいで、入院三ヵ月で全治した。また痔出血で入院一ヵ月、その他胃病、リヨウマチ、尿道炎、頻繁な扁桃腺炎、神経衰弱、猛烈な腸カタル等々数え切れないほどである。
それから間もなく失敗、その結果信仰に触れる事になったのは別項の通りである。ここで私の生れた頃の事を書いてみるが、私の生まれたのは東京都浅草橋場町という町の貧民窟であった。今も微かに覚えているが、親父は古道具屋で店が三畳位、今が四畳半位の二間きりであった。そこから十町位ある浅草公園に毎晩夜店を出しに行ったものである。私が物心ついてから父からよく聞いた話であるが、今夜幾らか儲けないと、明日の釜の蓋が開かないというので、雨の降らない限り、小さい荷車へ僅かばかりのガラクタを積んで母は私を背負い、車の後押しをしながら行ったという事である。そんな訳で赤貧洗うが如く、母は今でいう栄養失調という訳で、乳がろくろく出ないので、近所に蓮宗寺という寺の妻君に乳貰いに行ったものである。それから私が小学校を出る頃、家計も漸く多少の余裕が出来るようになったので、美術学校へも入いれたのである。従って子供の頃と、世帯を持ってからも、相当期間貧乏の味と金の有難味を充分植えつけられたので、それが非常に役立っており、今以て無駄と贅沢は出来ないのであるから、寧ろその頃の逆境に感謝している次第である。
その後の病気を書いてみるが、別項の如き歯痛や心臓弁膜症、疥癬等も随分苦しんだもので、特に歯痛で悩んだのは、大変なもので左に書いてみる。
今から三十五年ほど前、私は慢性歯痛で苦しんだ事がある。何しろ一本の歯の痛みさえつらいのに、毎日四本も痛むのだから堪らない。当時米国で長く開業していた有名な某歯科医に、一年位かかってあらゆる薬をつけたが治るどころか、ますます悪くなるばかりだ。或日右の歯科医はこう言った。「私が知っている限りの薬はみんなつけたが治らないから、これ以上どうしようもない。来月私の友達がアメリカから帰ってくるので、いくつか新しい薬を持って来るだろうから、それをつけてみるより外に方法がない。」と言うのである。
これほどの歯痛の原因が偶然な或事により、薬毒という事が判ったのでピッタリやめてしまった。ところがそれからだんだんよくなって今日に至った。右の或事について何れ詳しく書くが、当時私は余りの苦痛に何度自殺を企てたか判らないくらいで、右の或事は私の生命を救ってくれたのである。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.