【御教え】
あの通り、美術館ももう直き出来上るんで、まあ――皆昼夜兼行でやってます。つまり突貫工事というんですね。それに就いて今迄の経路を一通り書いてみたんですが、それを読ませます。
(御論文「美術館出来るまで」)【註 栄光一六〇号】
美術館出来るまで
(栄光一六〇号)
かねてから建造中の神仙郷も、いよいよ完成の運びになったので、私は慶賀に堪えないのである。と共に断然異彩を放っているものとしては、何といっても美術館であろうが、これも見らるる通り、想ったより早く出来、後は内部の設備だけとなり、そこへ品物を並べさえすれば、それで落成した訳である。また神仙郷全体も同時に完成となるので、いよいよ来る六月十五日を卜し、美術館の開館式を兼ね、神仙郷落成の祭典を挙行する事となったのである。そこで美術館について色々かいてみるが、元来日本における今までの美術館は、一般人に対して常時開催するものは一つもなく、僅かに春秋二回の短期間だけ、特殊の人に観せるだけなので、社会的文化価値としての意義は、まことに薄かったのである。また陳列の品物も支那美術、仏教美術、茶道に関したもの、西洋の絵画等に偏っているので、狭い意味でしかなかったが、今度の箱根美術館に至っては、規模は小さいが東洋美術全般に亘ったもので、しかも出来るだけ各時代における優秀作品を選んだつもりであるから、自画自讃ではないが、まず世界に二つとない美術館と言えよう。としたら国家的にみても、日本の文化的地位を高めるに、すくなからぬ貢献となるであろう。という訳で本当を言うなら、こういう公共的事業は、個人や宗教団体などでは無理であって、国家が行うべきものではあるが、何しろ現在のごとき経済事情の下であってみれば、それも不可能であろうから、私の美術館企画は時機を得たものと言えよう。そうして今仮に美術館と名の付くだけのものを造るとしても、建築費及び陳列する美術品を蒐集するその苦心と資金は容易なものではない。それに開教後間のない新しい本教の事とて、人も知るごとく今まで何だ彼んだ官憲の無理解や、社会の誤解等による妨害圧迫もはなはだしかったため、その困難は一通りではなかった。それらを切抜けてともかく予定通り造り上げる事が出来たのであるから、考えてみれば到底人間業とは思われない。これを思えば神様の御守護のいかに厚いかという事で、全く感謝感激に堪えないのである。
そうしてこの美術館は、建築も設備もことごとく私の設計に成ったもので、専門家の力は全然借りなかったのである。というのは私は自信もあったのと、将来日本はもちろん世界各地に、新しく出来るであろう美術館の、模範としての新企画のものを造りたいからである。そういう意味において私は微細な点にまで特に意を用いた事はもちろんで、この意味においても是非大方の批判を仰ぎたく思うのである。また美術品についても日本独特の物を蒐めるべく努力を払い、標準についても時代時代の名人の傑作品を主としたのである。このように日本美術を主眼とした美術館は、お膝元の日本は愚か、外国にもまだないので、現在としたら世界一と言っても過言であるまい。ここで最初からの経緯を一通りかいてみるが、それは何から何まで奇蹟づくめで、到底人間業ではない事は余りに明らかである。
次にそもそもこの計画であるが、終戦後二、三年を経る頃までは、美術愛好の私の事とて、経済の許す限り見当ったものを、ボツボツ買い集めて楽しんでいたのである。ところが幸いなる事には、その頃は終戦後のドサクサ紛れで、割合好い物が安く手に入った。今考えてみればこれも御神意であった事がよく分るのである。そうこうする内、ちょうど一昨二十五年の暮れであった。彼の神仙郷の片隅にあった鳥の家を移築する事となり(当時大成会本部に宛てた家屋)その跡に百五、六十坪の空地が出来たので、何か適当なものを建てたいと思っていたところ、ふと頭に浮んだのが美術館の建設であった。そうだ美術館には少し狭いが、位置も環境も申分ないので、まず心の中では決めたが、何しろ小さく共仮にも美術館としたら、生易しい金では出来ないし、そうかといってそんな多額の金は当分見込はないから、せめて敷地だけでも造っておけば、いずれは建てられる時期も来るだろうと、まず敷地を作るべく取掛ったのである。それが昨年夏頃ほぼ出来たので、こうなると美術館を早く建てたいと思う心が、矢も楯も堪らないので、早速阿部君に相談したところ「それでは早速調べてみましょう」と、調べたところ満更見込がないでもないという話で、万事は神様が何とかして下さるに遠いないと思い、取敢ず準備に掛かったのがその年の十月であった。すると翌十一月に入るや、思いも掛けない程の金がドシドシ入って来るし、献金の申込も続々あるので、いつもながら神様の御守護の素晴しさには、ただただ驚くの外なかったのである。という訳で今日までにちょうど入用だけの金は、過不足ないくらいに集まり、予期以上順調に出来上った。という次第で計画を立てた時から、僅々八力月半で完成したのであるから、このような性質の建物で、このようにスピードで出来上ったものは、これも日本はもちろん世界にもまだ例はなかったであろう。
それというのも最初から奇蹟の連続で、欲しいと思う物は黙っていても手に入るし、必要だけの金は信者の熱と誠でキチンと集って来る。というように常識から言っても、これ程の美術館としたら相当の歳月と苦心努力は当然だが、右のように左程の苦労もせず、面白いくらいにスラスラと出来上ったのである。全く神様のおやりになる事は、想像もつかないのである。それについては世間知らるるごとく、今まで出来た幾多の美術館にしろ、例外なく孤手奮闘一代にして、巨万の富を重ねた立志伝中の偉い人達が、数十年に亘って蒐めた美術品を財産保護のためと、名誉心を満足させるなどで造ると共に、一部の限られた人達に観せるだけだから、私の意志とは根本的に異っている。私は天下の美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与され、それが芸術としての真の生命である事を痛感していたからである。
ここで神秘な面を少しかいてみるが、先日私は奈良へ行ってつくづく思われた事は、彼の聖徳太子の不朽不滅の鴻業である。そもそも日本における仏教渡来は、衆知のごとく欽明天皇の十三年であるが、最初の頃は今日の新宗教と同様当時の官憲の無理解や、神道の圧迫等によって教線振わず、遅々としていたが、敏達三年太子生誕され、長ずるに及ぶや何しろ稀世の偉人で、慈悲の権化ともいうべき聖者であられたので、一度仏教を知るや、これこそ仏陀が自分に与え給うた救世の使命と感じ、ここに仏教弘通の一大本願を起されたのである。そうして方法としては仏教美術によるこそ最も有力であると思惟され、ここに奈良の地を選んで聖地とされ、七堂伽藍を建立されたので、それが法隆寺であるから、言わば当時としての地上天国の模型であった訳である。そればかりではない。太子の大智識は独り仏教のみではなく、政治、経済、教育等、あらゆる面にわたって、往くところ可ならざるなき自由無碍な叡智は、当時の人民をして畏敬の的とされ、太子を千手観音の化身とさえ崇め称えたので、ここに仏教は天下を風靡するに到ったのである。これによってこれをみれば、日本における仏教の開祖こそ、全く太子その人であられた事は間違いないのである。
そうしてこの時から数百年間が、いわゆる原始仏教時代であったが、その後伝教、空海、法然、親鸞、日蓮等の名僧智識相次いで輩出し、それぞれの派閥を作って今日に到った事は誰も知る通りである。右のごとくであって、奈良朝期がいかに仏教華やかであったかは、彼の東大寺における大仏建立の一事によってみても知らるるのである。何しろ文化のまだ幼稚な時代に、アノような巨大な名作を造り上げたという事は、全く信仰の熱がいかに高かったかを物語って余りあるのである。
ここで私の事を記かねばならないが、私が早くから美術を愛好し、今度の美術館を造るまでに到った事も、宗教発展には何より適切なものと思ったからでもある。それと共に私は医事、農業は固より、政治、経済、教育、芸術等、全般にわたって真理を説き、迷蒙を打破し、新文化創造の指導原理を示しつつあるにみて、私のすべては太子の業を、世界的に押拡げたものとみればよく分るであろう。ただ異うところは太子は高貴の階級から出たに反し、私は下賎から出た点で、これも弥勒下生の意味と思えば肯けるはずである。また今一つ言いたい事は太子は釈尊に帰依して、仏教弘通に当られたのであるが、私は釈尊を私より下にみている、というのは釈尊は二千六百年以前、すでに今度の私の救世の大業に対する準備的役割をされたからである。以上によって私と太子との関係も、美術に力を注いでいる事も大体分ったであろうが、今一つの重要な事は、主神の御目的である病貧争絶無の地上天国ともなれば芸術至上の世界となるからである。
大体今の経路で分ったと思います。面白いのは、あの美術館に入る壁の処から、段々上って――あれを作る時には鳥の屋があったんですね。処があんな幅の広い立派な道を作ったので、家内なんかも驚いて――あの道丈は馬鹿に立派だと思います。私も只何となくああしたいのでやったのが、今思ってみると、美術館の入口にピッタリ合っちゃうんです。あれが一尺外れても工合が悪いんです。だから神様がちゃんと用意された訳ですね。けれども、私は分らなかったんです。只そういう気持がしてやったんです。それから面白いのは、竹をあそこに植えましたが、普通は田舎にある竹藪みたいに万遍なく生えるものですが、見ると一所にかたまって生えたり、又飛んで生えたり――あれが面白いんですよ。万遍なく生えたのでは、百姓屋の竹藪に岩があるという丈で、風情がないです。処々にかたまって生えるというあれが面白いのです。支那の壇芝瑞という人の絵は、竹許りある。それで壇芝瑞という人の竹は、ああいう工合に一所に寄って生えているものですね。支那という国は妙な国だなと思って居た。処がやっぱり支那という国にもそういう処があるんじゃないかと思っているんです。だから丁度其処は支那風の感じなんです。之は今読んだ通りに、終戦後とても素晴しい物がどんどん出て――私が好きな物はどんどん出て、手に入るんですね。で、然も其時分に非常に安かったんです。其時集まった物は、今はとても――幾ら金を出しても買えないです。売物がないです。ですから其時分から神様がちゃんと用意されたんですね。で、私は美術館なんて考えは少しもなかったんです。只私は好きで欲しいから――買いたいから買うという丈だったんです。そういう工合で、全然神様がやられているという事が分るんですがね。そんな訳で今読んだ通り宗教を弘めるに就いて、美術を利用したといいますか、それは今迄に聖徳太子以外にないですよ。外国にも無論なかったですね。只日本の――聖徳太子。今度は私がやるという丈ですね。此点が今迄の宗教は非常に間違っていたですね。反って、そういった美術とかそういうものは、一つの贅沢な享楽的な意味で排撃した位ですね。反って、汚ない家に住んで粗衣粗食で居る事が、本当の信仰としての生命である様に、そういう様に説いたり実際行ったりしたですね。まあ日本なんかでも、開祖なんていうと、乞食坊主同様に、草履脚絆で足袋をはいてやっていたのが、如何に本当でなかったかという事が分るですね。それはやっぱり、何時もの通り、世の中は地獄ですから信仰も地獄だった。今度は昼間の世界になるし、天国的宗教としては今迄と反対に美しい――美ですね。そんな事は良く分るんです。
今迄世界で色んな大きな仕事をした――偉い人は、大ざっぱにみると面白いんです。それに就いて、私の仕事をみる人は、よく―丁度秀吉と同じ様ですね。という事をよく言われるんです。今迄大袈裟にやった人は無かったですからね。それで私も何時も言うんですよ。成程見た丈の目ではそうみえるかも知れないが根本が違う。つまり秀吉は成程偉いには偉いが、結局、あの仕事をしたのは、遠慮なく言えば大きな殺人強盗ではなかったか、つまり殺人強盗の親玉ですよ。石川五右衛門が千鳥の香炉を取ろうとして捕った時に秀吉が、貴様はずるい奴だ、なんて太い泥棒だ、と言うと、冗談じゃない。俺よりか太閤殿下の方がずっと大泥棒だ。天下を盗ったじゃないかと言ったそうですが、それは決して間違っていないですね。だから今迄の英雄豪傑というのは、大量殺人―とか、人の物を盗るとか、実際殺人強盗の頗る大きいのですよ。だから大きい為にそれをほめられる事になっちゃったんですね。又徳川家康も偉いには偉いが、結局秀吉が盗ったそれを、やっぱり自分が盗っちゃったんですから―物にしたものを物にしたという訳なんだから、根本を考えてみれば、全般的には表面丈ですね。只仕事の結果は偉いという事は言えるけれども、根本はあんまり褒める訳にはいかないんです。けれどもそれは、そういう考え方は小乗的見方なんです。大乗的に言えば、矢張り其時代にそういう事をしなければいけなかったんですね。矢張り神様の御経綸の一つだったんです。ですから、要するに善悪の批判は出来ない訳なんです。そういった、道義的に正邪善悪を正してみれば、そういう理窟になる訳ですね。ですから、之は日本に限らない。外国でもそうですが偉い事業をした人は兎に角悪でやったですね。悪の手段ですね。で、悪を用いない本当に慈悲や善で救おうとしたのが皆宗教家ですが、宗教家は善をすすめ悪をするなという丈の話で、仕事はしなかったですね。つまり物質面のそういう事はやらなかったですね。だから結局幾ら人を救おうとしても、そういった英雄や政治の為に抑えつけられて、結局目的を達する事が出来なかった。それは相当の功績もあげましたけれども、本当に救う事は出来なかった。只今迄はそういう工合に、事業をする英雄と、そういった形の事をしないで、政治をする。そういう風に別れ別れになっていたですね。私が之から段々する仕事は両方兼ねているんです。一方で救い乍ら、又仕事も大きな――今迄の英雄や何かのやる、それ以上の形あるものをしようと思ってます。それも、別に私がやるのではなくて、神様が私を使ってやらせるんですから、自惚れる事も出来ないですよ。明ら様に解剖してみればそんな訳ですね。ですからつまり聖徳太子という人は日本的に規模が小さくそういった事をやられたんですね。であるから、今迄の歴史をみても斯ういう風に思われるんですね。どうしても偉い人とか偉い事をするのは、善では駄目だ。善という奴は、要するに意気地なしだ。だから意気地のない奴が宗教にこもったり、宗教人になったりするという事を言われますが、それも間違っちゃいないですね。どうも今迄の宗教家というものは意気地なしの点が非常にあったですね。だから悪に負けて、何うする事も出来なかったという事なんです。もう一つは斯ういう点も大いにあるんですが、それは力ですね。今迄の宗教で色々偉い人がやるのは力が無かった。例えて言えばキリストにしろ釈迦にしろ病気を治す事は――キリスト自身は一寸はやりましたが、弟子にやらせるという事が出来なかった許りでなく、病気というものを知らなかったんですよ。だからお釈迦さんなんかは全然今のお医者さんと同じで、病気は薬で治せと、薬草彙本なんてお経を説いたんです。ですから病気は浄化作用という事は全然知らなかったんです。そうしてみると本当に救いという事は出来なかった。出来なかったから悪人に負けたんですね。というのは、それ丈の力を与えられていなかった。結局悪人に頭を下げさせるのは病気です。どんなに力のある悪人でも病気には敵わないですよ。幾ら威張っても病気丈はしようがないですよ。ですから結局病気を治すという事は、悪に勝る訳ですね。ですから私の仕事で、病気を治すという事が根本です。それで、あとの貧乏とか争いとかいうのは其枝葉という位のものです。話はその位で――。
「結核信仰療法」は出来上って、之から印刷に掛るんですが、之はみれば解りますが、私は随分力を注いでやったんです。医学を息の根が止まる程やっつけたんです。それでいて決してそれを攻撃する事も、反対する事も出来ないんですね。何となれば一分の隙もない様に書きましたから――まあ打込む隙がないというわけですね。だから之を出したら、随分驚くだろうと思いますね。で、世界中に配りますからね。特に、割合アメリカなんか早くはないかと思っているんですがね。今度の新聞に出ますが、アメリカの病院に入って、浄霊で治したのが、アメリカの院長や担任の医者がみて解らないんですよ。不思議だというんです。ですから、そういう処に本を是非見せてやりたいんですよ。矢張り其人は結核なんですよ。大学に入っていたので―結核とすると、病院に強制的に入れちゃうんです。それで色々奇蹟がありましたが、それで神様がアメリカの大きな病院の院長と医者を教育する。そういう面なんかも大いに読ませたいと思うんです。
今度から別の面白い本を書始めたんですがね。それは「私物語」というんです。之を今読ませますがね。兎に角今迄斯ういうものを書いた人はないし、之は面白く色んな事の覚りを得るという意味ですからね。
(御論文「私物語 序文」)
私物語 序文
(『私物語』より)
今日世界人類の約半数以上は、何等かの宗教信者であり、其中の大部分はキリスト教、回々教、仏教の三大宗教が占めている事は、今更言う必要はないが、右の三大宗教の創立者は、キリスト、マホメット、釈迦の三聖者である事も分り切った話である。そうして彼等が弘通の方法としての殆んどは、教えを基本としての、筆と口によった事で、それ以外の手段は余り用いなかったようである。
処が私に至っては全然異っている。右の如く教えもあるにはあるが、それは一部であって、全体としては人類が生きていくに必要な凡ゆる文化面に及んでいる。其中でも特に既成文化の誤りを匡し、真の文化の在り方を種々幾多の方法と現実とを以て教えている。其最も主眼としているのは、病気と貧乏と争闘を此地上から消滅する事であって、之は常に私の唱えている処であるから略すが、此様な救世の大業を遂行しつつある私を知る人としては、私に就ての何やかや出来る限り知りたいと思うのは当然であろう。而もそういう人が将来世界中如何に多数に上るか知れないとしたら、地上天国世界の紀元を作る私としては、後の世の為自分という者のあるがままの姿を出来るだけ審らかに記いて置きたいと思うので、之からかくのである。
そうして私がついも思う事は、右の三大聖者にしても、成程立派な教えを丹念によくも説いた事は、彼の仏典などが八万四千という浩瀚なものであるにみて、其努力には頭が下る位であるが、不思議な事には自己自身を少しも説かなかった。恰度立派な着物を纏い乍ら、裸となるのを嫌うかのように見えるので、感想や告白などは全然知る由もない。つまり腹の中まで曝け出さなかったのである。或いはそうする事を欲しなかったからでもあろうが、其点甚だ遺憾に思うのである。
処が私は全然異っている。何となれば私というものの一切を、縦横無尽に晒け出し、思いのまま凡てを記いてみたいからである。そうして文中不可解な点もあるだろうし、虚々実々、大小、明暗、有限無限等々で、興味津々たるものがあるであろうから、味わいつつ人生を覚り得ると共に、揺がざる魂の持主となるのは断じて間違いないと思うのである。
(御論文「私の神秘」)
私の神秘
(『私物語』より)
私はいつも思っている事は、私程不思議な人間は世界肇って以来一人もない事を信じている。実に何から何迄不思議だ。自分でさへそう思っているのだから、他の人としたら私という者の実体を想像してみても、結局群盲的であらう。というのは神秘性が余りに多いからである。処が面白い事には人間の意欲の中で、最も興味を惹くものとしては、何といっても神秘性であろう。そうして神秘というものは、凡ゆるものに潜んでいる。彼の人類学者が古代の遺蹟や、原始人の生活を研究するのも、其当時の神秘を探りたいからであろうし、科学者が一生を賭してまでも物理現象を研究し、解剖し、専攻するのも、無から有を生ぜしめたり、原子発見や物質転換の理を知ろうとするのも、其物の神秘を暴こうと思うからであろう。又医学者が一生を顕微鏡と首ッ引きで、死体解剖や動物実験に努力をするのも、生命の神秘を掘出そうとする目的であり、天文学者が望遠鏡から大空を絶えず覗いているのも、日月星辰、風雨、雷霆、気候の変化などの研究に浮身をやつすのである。其他歴史家、地理学者等もそうであり、文学者、美術家等がインスピレーションに触れるべく、芸術的神秘を得ようとするのも同様であろう。此様に専門々々によって形は異うが、神秘を欲する点には変りはないのである。
又話は違うが、男女の恋愛にしても根本は神秘的魅力である。相愛する感情の波に揺れつつ離れ難くなって、遂には生命迄も犠牲にするのも実に神秘である。というように人生は絶えざる神秘との戦いであるとも言えよう。実に神秘なるものは、学理でも理屈でも分らないと共に、其力は無限である。従って今日の如く文化の進歩したのも、神秘探究こそ根本条件といってもいいであろう。そうして神秘中の神秘ともいうべきものは、何といっても信仰であって、神仏に対する信仰の神秘性は、恋愛以上といっても過言ではあるまい。とはいうものの単に宗教といっても、既成宗教は一部を除いては、今日殆んど神秘らしいものはないと言うのが実際であろう。成程開教当時は相当神秘もあるにはあったであろうが、長い間に在るだけの神秘は、最早暴き尽されて了ったのでもあろうが、そこへいくと新宗教によっては神秘性が多分にあるというのは、何だ彼んだ言われ乍らも今日既成宗教を圧倒して相当の発展をしつつあるという事実である。恰度古女房と新婚ホヤホヤの若い女性との相違のようでもあるが、然し新宗教にも神秘性の多い少いのある事は勿論だが、其中で自画自讃ではないが、特に我メシヤ教位神秘の多い宗教は、恐らくあるまい。何よりも本教発展の速かなるにみても肯れるであろう。そうして其奇蹟の本尊が私であるとしたら、私という者に内在している神秘力は、如何に豊富であるか想像もつかないであろうから、私は出来るだけ分らしたいと思うが、此説明こそは実に困難である。どうしても或程度以上は、其人の智慧証覚に応じて覚るより仕方がないのであるから、精々身魂を磨いて覚者となる事である。では之から色々な面から、私自身を解剖し、赤裸々に露呈しようと思うのである。
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