六月二十七日

【御 教 え】

 美術館は見らるる通り段々整って来つつありますけれども、大分上層方面に評判になった様な話をよく聞くんです。神様は一番――インテリから上層階級の人達を救うには、普通では中々接近して来ないんです。それには美術館なんていうのは最も良いんです。之以上そういう人達を寄せる方法はないでしょう。で、そういう人達が此の土を踏めば、それで霊的に結ばれちゃうんですから、先ず嫌でも救われる動機が出来る訳です。ですから美術館というものは、その一つの御仕組です。中々宗教的に話を聞いても、馬鹿にして――何んだ新しい宗教なんていうのは、どうせインチキ的なもので、旨く拵えてある。うっかりそんな事にひっかかって迷信の(とりこ)(とりこ)?)になっては大変だという、そういう観念が非常に強いですから、そういう人を救うには、尋常一様では駄目なんです。又美術館なんていうと、そういう人達が非常に憧れを持って居ますから、一言も喋らなくて良いです。只此処に見に来る丈で霊的にそこに縁が結ばれる。で、いずれ時が来ればこっちの話が耳に入る様になります。要するに、霊的に邪魔していた様なものが弱りますからね。ですから中々神様は旨くやられると思って感心しているんです。

 三十日は新聞記者だとか文士だとか芸能人だとか、そういう人達を招待する事になってます。で一日は著名人です。偉ら方を招ぶ事になっている。三十日は、外国の記者とか又美術の愛好家という様な人達が来る様な話なんです。新聞方面の外人は、喋ったのを翻訳するより、あらかじめ原稿を書いて貰いたい――それを翻訳した方が非常に早くて楽だという様な意向なんで、原稿を書いたんです。それを今読ませます。談話体になってます。

 御論文「美術館建設の意義」【註栄光一六四号】

美術館建設の意義

(栄光一六四号)

 私はメシヤ教教主岡田茂吉であります。今日は御多忙の処、折角御光来下さいました段、厚く御礼申し上げます。

 ()て今回特に開館に先立って御覧を願う次第は、美術に対する具眼者である諸氏の御批判を仰ぎたいと共に、一言私の抱負を開陳致したいからであります。そうして、宗教本来の理想としては、真善美の世界を造るにあるのでありまして、真と善とは精神的のものでありますが、美の方は形で現わし、目から人間の魂を向上させるのであります。御承知の通り、西洋でも希臘(ギリシャ)(ロー)()の昔から中世紀頃迄は勿論、日本に於ても聖徳太子以来鎌倉時代迄は、宗教芸術が如何に盛んであったかは御存じの通りであります。従って、絵画、彫刻、音楽等凡ゆる芸術は、宗教が母体であった事は、否み得ない事実であります。

 処が現代に至っては、それが段々薄れてゆき、宗教と芸術とは離れ離れになってしまい、そこへ近代科学の影響も手伝って、宗教不振の声は常に聞く処であります。そのようなわけで、どうしても宗教と芸術とは車の両輪の如くに進まなければならないと思うのであります。

 処で、それはそれとして、日本という国柄に就いて一言申したい事は、本来地球上の国という国は、人間と同様それぞれその国独自の思想文化を持っている事であります。では、日本のそれは何かと申しますと、美によって世界人類を楽しませ乍ら、文化の向上に資する事であります。日本の山水美が特に秀でている事や、花卉、草木の種類の多い事、日本人の鋭い美の感覚、手技(しゅぎ)の勝れている点等を見ただけでも、よく分る筈であります。処が、そのような根本を知らないが為、戦争などという無謀極まる野望を起した結果、アノような敗戦の憂き目を見るに至ったのであります。然も、再び戦争などを起さないよう武器まで取上げられてしまったという事は、全く神が、日本人の真の使命を覚らしむべくなされたのは、言う迄もありますまい。尤も、最近再軍備などと喧ましく言われていますが、これは単なる防衛手段であって、それ以上の意味はないのは勿論であります。

 以上によってみても、今後日本の進むべき道は自ら明らかであります。即ち、それを目標とする以上、永遠なる平和と繁栄は必ず招来するものと信じ、(かね)てこの事を知った私は、微力ながら、その考え方をもって進んで参ったのであります。そうして、その具体的方法としては、先ず美の小天国を造って天下に示すべく企図し、その条件に適う所としては、何と言っても箱根と熱海で、交通の至便と、山水の美は勿論、温泉あり、気候空気も良く、申分ない所であります。そこでこの両地の、特に景勝な地点を選び、天然の美と人工の美をタイアップさせた、理想的芸術境を造るべく、漸く出来上ったものがこの地上天国と、そうして美術館であります。それに就いては、御承知の如く日本には今日迄、日本的の美術館は一つもなかった事であります。支那美術館、西洋美術館と博物館の宗教美術等で、日本人であり乍ら日本美術を観賞する事は出来ないという有様で、今仮に外国の人が日本へ来て、日本独特のものを見たいと思っても、その希望を満たす事は不可能でありました。としたら、美術国日本としての一大欠陥ではありますまいか。というわけで、今度の美術館が、幾分でもその欠陥を補うに足るとしたら、私は望外(ぼうがい)の幸いと思うのであります。

 それから、こういう事も知って貰いたいのです。それは、昔から日本には世界に誇り得る程の立派な美術品が豊富にあり乍ら、終戦までは華族富豪等の奥深く死蔵されており、殆んど大衆の眼には触れさせなかった事であります。つまり、独占的封建的思想の為でもあったからでありましょう。それが、民主的国家となった今日、昔の夢となった事は勿論であります。そうして、元来美術品なるものは、出来るだけ大衆に見せ、楽しませて、不知不識の内に人間の心性(しんせい)を高める事こそ、その存在理由と言えましょう。とすれば、先ず独占思想を打破して、美術の解放であります。処が幸いなる哉、戦後の国家的大変革に際して、秘蔵されていた多数の文化財が市場に放出されたので、これが我が美術館建設に如何に役立ったかは、勿論であります。

 そうして、今度の美術館は規模は小さいが、今後次々出来るであろう内外の美術館に対し、模範的のものを造りたい方針で、一から十まで私の苦心になったもので、勿論庭園も一切私の企画で、一木一(いちもくいっ)(そう)と雖も悉くそうでありますから、素人の作品として欠点は多々ありましょうが、聊かでも御参考になるとしたら、私は満足に思うのであります。尚且つ将来あるかも知れない空襲や、火災、盗難等に就いても、環境、設備等充分考慮を払ったつもりでありますから、国宝保存上からも、お役に立つでありましょう。

 以上で大体お分りの事と思いますが、つまり日本本来の美の国、世界のパラダイスとしての実現を念願する以外、他意はないのであります。

 尚近き将来、熱海にも京都にも、地上天国と、それに附随する美術館を作る計画でありますから、何卒今後共宜しく御支援あらん事を、茲にお願いするであります。これを御挨拶と致します。

 それで私の思う事は、普通美術館と言いますと、今迄世間にある多くの美術館――その頭で考えるのとは大いに違う。成程建築、設備、並べてある品物というのは、今迄にないという処を認識させたいのでありますが、無論分るに違いないですから、分るにつれて非常な反響を呼ぶだろうと思います。然も、いずれは映画で外国にも知らせますから、世界的に評判になるだろうと思ってます。そうして信仰の方から言うと、メシヤ教というものの存在―というと消極的ですが、新しい変った宗教だ、兎に角美術を之程尊重すると、そんな点に於て世界中一度に分る訳です。此れも神様の御仕組なんですから、之からそういった様な意味に於て、世界的発展の時期が段々近附きつつあると思うんです。振返ってみると、驚くべき事は、宗教になってから――宗教法人になってから、この八月で満五年になるんです。そうすると最初始めた頃は、信者の数は数百人で、無論金の力も殆どない位です。それが僅か五年間に之丈の仕事が出来たという事は、そのスピードは今迄に例がないです。何しろ早いです。之は私も驚いて居るんです。私は早くしようと思う積りはない。只神様の思召の儘に(あせ)らず騒がず順々に進んで居るんですが、結果を見ていくと実に早い。之はみんな知って居るでしょうが、去年の今頃は未だあそこの処をボジクッたり石を割ったりしていたんです。美術館の計画を起したのは十月です。それが今あんな工合に出来たんです。普通でしたら之は何年もかかるでしょう。世間にある今迄の美術館というのは一生涯かかったんです。私が何時も言う白鶴美術館なんかは八十年かかったんです。三十台(代?)からああいうものを買蒐めて、それも支那のものに限っているんです。日本のものは全然ない位なものです。支那の陶器と銅器ですが、それを買蒐めるのに五十年かかった。それで美術館は、そうですね未だ十年にはならないです。数年前です。で、九十越して――九十幾つで死んだのです。ですから一生涯かかった訳です。処がこっちは、本当に言えば二、三年位のものです。二、三年前から私は美術館をいずれは造らなければならないと思って居た。それが支那美術許りでなく日本美術を主にしてやったんですから、そういうのと較べてみれば実に人間業ではないです。兎に角神様が腕を振われたんですからして当り前でしょうが、兎に角驚くより他にないです。

 之が若し世界的になるとしたら、一層驚く訳です。無論世界的になりましょう。此処に並んでいる五つの支那美術丈でも、大英博物館の支那陶器に遜色ない積りです。之は私が言うのでなく、あっちを見て来た人の話です。英国の支那陶器というものは、博物館のホップレスという人の品物です。それからデヴィットと、この二つが支那陶器としては世界的になっているんです。その美術品に、此処にある支那陶器は負けていないです。負けているのもあるが、勝っているのもあるんです。大体から見て私の方が勝っているでしょう。一番勝っている強みは、英・米でも――どちらも支那から買っているんです。私は日本で買っているでしょう。処が日本のは伝世と言って、古い時代から伝わって来ているんです。藤原時代から来ているんです。その儘伝わってます。支那のは土中物と言って土に埋めたものです。土に埋めたものは光沢がなくなって、色や何かも変化して全然駄目です。そういうものが十万円とすると、伝世物は五十万か百万か――何十倍というものです。その強味が大変なものです。それから、宋元の絵――此処に並べてある――之は、英米にないです。之丈は支那にもないです。焼けたりしてます。日本丈しかない。処が絵に限って、昔から大名が非常に大切にしたんです。ですから、あの中に、白地のに鳥が止っているのは、銭舜拳という人のですが、あれは秀吉が大切にしていた。それ程珍重されたものです。ですからああいったものを見ると、如何に大事にしたかという事が分るんです。そういう為に、支那の絵というのは今日本丈にしかないんです。兎に角日本は、何時かも言った通り、世界の美術館と言っても間違ってはいないです。そんな様な訳で、今に外国の偉い人や何かも、必ず此処に来るだろうと思ってます。それで神様の経綸は型でやると言う事を言ってますが、此美術館というものは箱根の山の上――山の上というのが東と西の丁度間です。之は先にもよく言いましたが、之を今から言えば、日本は世界中の型になっているんです。之は講和前ですとそういう様な事を非常に喧ましかったが、講和になってみれば差支えないから言いますが、日本人は世界中の型なんです。之は、一番分る事は、日本人というのは世界の何処の文化でも咀嚼出来るんです。世界に他に斯ういう国民はないです。日本人は、西洋の文化でも支那の文化でも南洋の文化でも何んでも呑込んで、自分のものに出来るんです。此点をよくみると日本人というものは特殊の人種という事が分るんです。仮りに文学や音楽でも、東洋人であり乍ら支那人には解らないそうです。支那人にはないそうです。特に西洋音楽は解らないそうです。処が日本人は、西洋音楽でも今では西洋人に負けない位に偉い音楽家が出来ているんです。それから絵でもそうです。ピカソやマチスの、今は―真似ですが、兎に角今度なんかも四十点か色んな油絵を出品しましたが、その位そういったものが日本人は偉いんです。ですから、私は前に斯ういう事を言った事があるんです。日本は組立工場とも言える。つまり、自動車や何かの―アメリカの大工場のフォードなんかそうですが、各専門々々の会社を下に持っていて、車は車、発動機は発動機――そういった様に部分的の会社を持っていて、それが一ぺんにフォードの本社に集まって組立てて一つの自動車として完全なものにする。それと同じで、日本は世界中の色んな文化を取入れてそれを組立てて本当に実用になるという様なものを作る。それが日本の使命だと言った事があるが、そういう様な訳で日本人というものは世界の見本になるべきです。そうすると日本という国が、矢張り見本になるんです。そこで神様は日本の中心―中心というのは箱根の山なんです。神山ですね。之が中心です。神山の向うが西で、こっちが東です。そうなっている。つまり関西、関東になっている。そこで此の美術館というのは天国の型です。天国という事は、つまり芸術です。天国の表徴は芸術なんです。それを造ったという事は、之が段々広がって世界的になるにつれてミロクの世になるんです。つまり丸(〇)の丸(〇)の中心です。之になる。だから只単に美術館としてでなく、そういった様な非常に深い経綸上のものなんです。だからミロクの世のポチ(・)が出来た様な物です。早く良いものが出来たという事は、其意味で神様が段々それをやる。その為に品物なんかでも殆ど神様が寄せたんです。何時でも道具屋が「斯ういうものなんか売物に出るものでないが不思議ですね」と言っている。ですから私は「変ですね」と言って腹の中で笑っている。そんな様な訳ですからトントン拍子に行ったんです。で、神様の型という事は面白いので、ひとりそういった様なもの許りでなく、人間がそうなっている。米国人の型、英国人の型、支那人の型、中にはアフリカ人の型もある訳です。そういう人の一人々々が信者になって救われると、それが広がって――そういった型になる訳なんです。それがずっと広がって一国になる訳です。で、良くみるとそれが沢山あります――それは言う訳にはいかない。それも、喜ぶ人許りでなくて、中には――君はアフリカ人の型だというと、どうもね。中には共産党の型も或いはギャングの型もあるかも知れない。そんな様に型でやって行くんです。私が色々と世界中の事を知ったという事は、型で知らされているんです。之も大本教のお筆先にあります。「大本は世界の型であるから、この中を見て居ったら世界の凡ての事は良く分るぞよ」というお筆先があるが、それは全く間違っていないです。ですから大本教の中に世界の型が色々ありました。それを大体神様から色々知らされてましたから、そこで世界の将来ということが大体分るんです。そういう事も之から書き始めてますが、そういった――一つの、神様の経綸上の神秘に就いてですが、書く事が多いので書くのが間に合わない位です。そんな様な訳ですから、信仰でも自分一人ではないんです。何万人何十万人の、自分は代表者になっているから、自分をそう軽く見る事は出来ないです。そうかといって、俺は何処の国の型なんて言うと自惚れが出ますからね。で、地上天国になるのに一番邪魔しているのは、何んだと言うと薬なんです。之もあんまり知らせると、色んな反対や被害があるから今迄あんまり言わなかったが、それもいずれは知らせなければならない。

 之は短いのですが、それを一寸書いてみた。

(御論文「薬毒の恐怖」)

薬毒の恐怖

(栄光一七三号)

 あらゆる病原は薬剤である事は、私の常に唱えているところであるが、これについて一層深く突込んでかいてみると、右の原理を常に頭に置いて診査すればよく分る。たとえばこの病気は何の薬を服んだためとか何の注射のためとか、何を塗布したからだとか、洗滌したからとかを考えてみるのである。仮に盲腸炎にしろこれはいつ何の薬を服んだから、消毒薬を用いたからと考える。言うまでもなくその薬毒が膿化し、盲腸部に固結したものだからである。また胃に関する病気にしても、何の薬を何年間服み続けたからだとか、この神経痛は、リョウマチスは、腫物は、ひょう疽は、脱疽等々もそうであり、頭痛、眼、鼻、耳、歯痛、歯槽膿漏、扁桃腺炎、声嗄れ等、何も彼も原因は薬であるから、必ず見当はつくはずである。また薬を用いた事のない子供とすれば、もちろん親の薬毒が遺伝したものであるから、その気で考えれば直ぐ分るはずである。

 というようにほとんど想像もつかない訳であるから、恐ろしい話である。しかし我神霊医学を修得すれば根本が薬毒である事が分る以上、病気の心配から解放されるのである。そうして歯痛の原因が盲腸手術のためがよくあるのも、ちょっと意外に思うであろうし、あらゆる手術の際の消毒薬が色々な痛みの原因になる事も、非常に多いものであるから、身体のどこかに激しい痛みや、執拗な痛みのある場合、既往の手術を想い出せば必ず肯くであろう。また歯槽膿漏の原因が腎臓萎縮による余剰尿が上へ昇るためと知ったら驚くの外ないであろう。その他数え上げればキリがないから、この辺で止めておくが、要するに万病ことごとくの原因は薬毒なりと知ればいいので、これだけでもその人は安心立命を得たのである。

(御論文「薬屋さんには御気の毒」)【註 栄光一六五号】

薬屋さんには御気の毒

(栄光一六五号)

 近頃時々耳にする話だが薬屋さん連中が当局に向って投書其他の方法で本教を非難し妨害的態度に出ているそうだが、之も決して無理とは思わない。何しろ病気の原因は薬であるという事を唱えるのであるから、本教を憎むのも当然で、吾々も常にお気の毒とは思っている。然し本教の建前は病無き世界を造るにある以上、其目的を達成する必要から、病の根本を明かにしなければならないので、つまり小の虫を殺して大の虫を助けるという訳である。

 右に就てハッキリ言いたいのは、お医者さんでも薬屋さんでも、本来の使命は金儲けのみではあるまい。人命を救うのが主要目的であるのは今更云うまでもあるまい。従って人間の命が助かる事なら、夫が自己に多少の不利益があっても賛成すべきが当然で、之も亦止むを得ないであろう。然し深く考えてみると右の如く本教に対して、妨害しなければならない程、薬屋さんに影響が行くとすれば、其効果の著しいかを物語っているのである。とすれば此効果に対し、如何に反対したとしてもそれは一時的で、何れは本教の方が勝つに決っているし、若し本教よりも薬の方が勝つとすれば、本教の方が負けるから問題はないのである。という訳で先づ自然の判定に委せておくのが、最も妥当ではなかろうか、敢て考慮を望む所以である。

 

(御論文「救世の警鐘」)【註 栄光一六五号】

救世の警鐘

(栄光一六五号)

 あらゆる病気の原因は薬であるという事は、私は常に唱えているところであるが、それを知らない一般は、病気に罹るや、薬で治るものと絶対信じており、良い薬さえ発見すれば治るものとして、各国の専門家はその研究に没頭し、新薬を発見しようとして懸命になっている。ところがそのように薬剤万能時代である今日、私の説は薬で病気が治るどころか、反って病気が作られるというのであるから驚く外はなかろうが、しかしこれが真理である以上、まず白紙になってこの文を読んで貰いたいのである。

 右のごとく薬剤によって病気が作られ、しかもそれを治そうとする薬が拍車をかけるとしたら、これ程重大問題はあるまい。重ねていうが病気に罹るや必ず薬を用いて、一時的ではあるが苦痛が緩和するので、それを治る過程と誤認して、今日の医学が出来たのであるから、この事を知って何ら先入観念に捉わるる事なく、病人は現在及び既往の経過を考えて見ればよく分るであろう。今一つ云いたい事は、薬害は独り病ばかりではない。一切の不幸の原因となる事実である。たとえばこの間自殺した作家林房雄氏夫人繁子さんにしても、自殺の原因は夫君の婦人関係もあったようだが、主なる原因は神経衰弱の昂進という事である。この神経衰弱という奴もヤハリ薬毒が主因である。何よりも同夫人は睡眠薬が効かなくなるくらい、重症不眠症になっていたという事であるから、余程酷い睡眠薬中毒に罹っていたのである。また入院をも非常に嫌ったそうだが、これなども前の入院の経験で病院では強い薬を用いるため、その苦痛に懲りたからであろう。このように薬害の余波は幾多の悲劇を作っている。

 以上によって分ったであろうが、人間の苦悩なるもののほとんどは薬毒が原因であって、早い話が彼の感冒の苦痛にしろ、その他の病気による痛み、痒み、不快感等も原因はことごとく薬であるから、もしこの世界から薬がなくなったとしたら、病苦は消滅すると共に、不幸の大半も消滅するのはもちろんである。そうなってこそ社会は平和明朗となり、憎しみも争いもなくなり、戦争の脅威さえも解決さるるので、ここに初めて人類待望の安心立命の世界が生まれるのである。

 このような社会になったなら、人間は健康で安心して働けるから、貧乏もなく、心も豊かに生活を楽しむようになり、その結果病院も、製薬業も、医師も、看護婦も、病気に付随する一切の職業は不必要となるから、社会全体のプラスたるや予想もつかない大きなものがあろう。その上思想も健全になる以上、犯罪は激減し、警察、裁判所、監獄等の不快なものもなくなり、農業方面も薬害を知って用いないから虫害もなく、金肥人肥も全廃され、農作物の収穫は何倍に増えるか分らない程で、ここに鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の時代となり、名実共に地上天国となるのはもちろんである。

 以上は薬害を赤裸々にかいたのであるが、このように恐るべき薬の害を、何千年もの間人類は気が付かなかったという事は、実に不可思議である。全く時の来らなかったためで、それがいよいよ私によって発見されたのであるから、この事が人類全般に知れわたるにおいて、その歓喜たるやいかに素晴しいかである。すなわち文化の一大転機であり、空前の大奇蹟である。これこそ病貧争絶無の地上天国が近づいた事の何よりの証拠であって、それにはまず薬害を知らせる事こそ根本であるから、この文を警鐘としてここに発表するのである。

 

 

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