【御 教 え】
美術館も見らるる通り足場が取れまして――未だ外の方は色んな構いや、自動車の通る様な橋を作りますが、建物丈は外観が大体出来た訳です。誰でもそう思うんですが非常に早いんです。スピードですね。恐らく斯んなに早いのはないだろうと思うんです。之は、商売人で此処で仕事をしている人は殆ど全部信者になっている。それから又奉仕者が一生懸命にやるという様な訳で、要するに普通の建物と違って、つまり信者さんが本当の熱と誠でやるんですから早いのが当り前なんです。そうして、早ければ出来がぞんざいかというと、之は又あべこべですから実に良く出来ている。丁寧に出来ている。見れば分りますがね。内部でも、世間にある美術館とは余程異う訳ですね。何処となく品が入ってますからね。つまり味わいがあるんですね。建築なんていうのは――良いとか悪いとかいうのは、丁寧にやって気を入れたものは味があるんです。つまり見ていて飽きないんですね。之でみると一番よく分るんですね。理窟でなく感じですね。ですから私は美術館の中をみると、味があるんです。何も飾らない内から、あそこに居ると何時迄も居たい気がする。それでつい時間がかかる。そういう点なんか実に面白い。
十日あたり前から品物を飾る予定ですがね。之は、飾り方も、只雑然と決りきった事でなく、中の品物から並べ方から余程意味があるんです。掛物にしろ――此の掛物、此絵の隣は此絵と、調和がなくてはならない。だから並べ方も出鱈目では矢張り面白くない。それに絵なんていうのは非常に粗い細かい、色がいろいろありますからね。それから墨絵――そういう点なんかが一つの芸術なんですよ。処が世間のは、そんな事は全然無関心――でもないでしょうが、傭われた人がお役でやる様な訳ですから、陳列の仕方なんかも随分変なのが沢山あるんです。それに就いて私のやり方ですね。早く出来るという事を一寸書いてみたんですが、之は大いに参考になると思いますから今読ませます。
(御論文「私の考え方」)【註 栄光一六二号】
私の考え方
(栄光一六二号)
私は何事でも、非常に深く考える癖がある。例えば或計画を立てたとする。それが大抵の人は、成可早く着手しようと思ってジットして居られないばかりか、行り始めたらどうにかなるだろう位に運命に対する依頼心が強いが、偖て始めてみると中々そんな訳にはゆかないで、大抵は鶍の嘴と食違い失敗するのである。というように失敗の場合を考えないで、成功の場合のみを考えるから危険千万である。処が私は反対で最初から失敗を予想してかかる。若し失敗したら斯ういうように建直すという案を予め立てておくから、よしんば失敗しても余り痛痒を感じない。暫く時を待つ。そうすれば致命処ではなく、容易に再起が出来るのである。
そうして金銭についてもそうである。これを私は三段構えにしている。第一の金を遣って足りなければ、第二の金を遣い、それでも足りなければ第三の金を遣う。というようにすれば決してボロなど出す気遣いはない、というように凡て準備を充分調べておき、何事も念には念を入れて行るから、これを上面から見ると間怠いようだが、失敗がないから案外早く進捗する。その為無駄な費用も、時間も労力も省けるから、算盤上予想外な利益になる。私は皆も知る通り、随分大胆な計画を次々立て実行するが、不安がなく、気楽な気持でスラスラゆくのである。
右のように、最初から準備万端整っても私は直ぐに掛る事はしないで、徐ろに時を待っている。すると必ず好機会がやって来るから、その時此処ぞとばかり乗り出すのである。そうして出来るだけ焦らないようにする。人間は決して焦ってはいけない。焦ると必ず無理が出る。無理が出たらもうお仕舞だ。世間の失敗者を見ると、例外なく焦りと無理が原因となっている。それに就いていつも思い出すのは、彼の太平洋戦争の時である。初めの間はトントン拍子に旨く行ったので、いい気持になり慢心が出て来たので、様子が大分変って形勢が悪くなって来ても、何糞とばかり頑張り、無理に無理を重ねたので、その結果ああいう悲惨な結末になったのである。その頃私は斯う焦りが出た以上もう駄目だと考えたが、その頃は人にも言えないから、我慢してしまったのである。という訳で、最初から敗戦の場合を考慮していたなら今少し何とかなったに違いないと、実に残念に思ったものである。全く当事者の浅慮が原因であったのは言うまでもない。
右のような訳であるから、私を見たら或時は頗る短兵急であり、又反対に悠々閑としている事もあるので、先ず端倪すべからずであろう。それもこれも神様の御守護の厚い為は勿論だが、私のする事、為す事、実に迅速に捗んでゆくので、吃驚しない者はない。本教の異例な発展の速度をみてもよく分るであろう。次に注意したい事は、人間は精神転換をすることである。それは無闇に一つ仕事に齧り附いている人がよくあるが、斯ういう人は割合能率は上らないものである。つまり飽きたり、嫌になったりしても我慢するからで、これがいけないのである。寧ろそういう時は遊び事でもいいから転換するに限る。よく芸術家などで、気の向かない時は決して手を出さない話をよく聞くが、成程と思うので、寧ろ或点は我慢な位が反って能率が上るものである。その様な意味で私は仕事に固着する事を嫌い、それからそれへと転換して行く。そうすると気持もよく、面白く仕事が出来るから頭脳の働きもいいのである。とはいうものの、その人の境遇によってはそうもゆかないから、右の理をよく弁えて、臨機応変にやっていけば、余程有利であるという事を教えたまでである。
之は何事もそうですが、浄霊なんかの場合も、つまり三十分なら三十分、一時間なら一時間やる場合にも、続けてやらないで一旦気を入れて、そうしてやると効果があるんです。それで急所を見附け様と思って、一生懸命やるが急所が見附からない。それで一旦気を抜くと、直ぐ見附かる場合がある。それも、そういった転換の為ですから、転換するという事が非常に良いんです。で、やってみてスラスラと行く事は良いんですが、一寸行詰ったり一寸考えに余ったり解らなくなった時は全然それから離れて他の事をやる。そうすると先の事が反って解るものです。ですから私は一つ事を長くやらない様にする。大抵な事は最近一時間以上やる事は滅多にない。御守とかを書く場合大抵一時間ですね。それから先はやっぱり能率が上らなくて、上手いものが出来ない。それから色んな指図ですね。大抵一時間から三十分です。それでどんどん変えていくんです。そうすると其一つ一つが割合旨く出来るんです。斯ういう事はつまらない事の様で、非常に仕事の上に影響があるんですね。それから何か考える場合に、一つ事を考えていると結局解らなくなっちゃう。だからあんまり考える事はいけないですね。何でも、一つ事を考えてみて斯うと思う考えがわかなければ止しちゃって、他のことを考えて他の事をするんです。そうして良い考えは刹那にフッと浮かぶものです。考え抜いて浮かぶものじゃないんですよ。ですから、よく相談なんかそうですよ。何時間会議をしたとか――よく聞きますが、そんな事で決して良い案は出るものじゃないんです。ですから何時か私は、信者の幹部の人で会議をするのに三時間とか四時間したというから、駄目だ。精々三十分か一時間で、それで案が出なければ止したらいいと言ったんです。良い案というのは一つしかないんです。三つも四つもないんです。一つしかないんです。ゴタゴタやっているのは其一つが見附からないからやっているんです。よく議会とか代議士会とか、一つ事をゴタゴタやってますが、その一つの良い事が発見出来ないからやっているんですが、発見出来ないという事は頭が悪いからですね。頭が悪いという事は、頭が曇っている。曇っているという事は、今の人は薬を服んでいますから、そこで良い考えが出ないんです。よく色んな議論をしているのがありますが、一番面白いのはラジオの政界座談会がありますが――政界の色んな偉い人が集ってやりますが、一つ事を色々議論してますが、どっちも理窟があるんですが、自分の理窟が良いと思って言っているんです。その理窟を較べてみるんです。最後に於て較べてみると、どっちかが良いんです。それで分ります。みんな色々言いますよ。それで較べてみてどっちが良いかという事が分らないんです。で、自分は之が良いと思って、口角泡を飛ばして――今に喧嘩が起るかという様な事がありますね。ラジオでは見られないが、テレヴィジョンになったらよく分りますね。今はラジオ丈だから何んだか、丸で口論ですね。議論でなくて口論ですね。ああいう処をみても、今のああいう人達の頭脳というものは、甚だどうも褒められないですね。そんな様な訳だから、無駄な時間と無駄な努力を費して――大体議会でも年中延期延期ですが、延期等――つまらない、くだらないものをして延期をしてますがね。よくもそんな暇が―代議士なんていうのは、暇人の相当な方ですね。だからああいう人達がゴタゴタしているのは―一種の、悪く言えばお道楽でしょうね。一つの――議論をして、理窟を言っているあれが面白いんでしょうね。国民はいい面の皮だ。そんな様な工合ですからね。今の人に一番の肝腎なのは、頭をもう少し良くしたいですね。そういう点からいうと、明治初年の政治家の方が頭が良かったかも知れないですね。頭が良かったという事は、あの時代の人の方が誠が多かったですね。やっぱり誠から出る論は良いですよ。不純な論だから変なんですね。一番面白いのは共産党の方から出る意見ですね。そういう事はどうも変なんですよ。大変理窟に合いそうでいて合っていないですね。だからラジオの時局座談会とか討論会ですね。あれをみても、共産党系の人は辻褄が合わないんです。で、自分はやっぱり良いと思うんでしょうが――一生懸命にやってますが、どうも聞いて居ても馬鹿々々しいですね。やっぱりそれは誠から出ていないせいでしょうね。本当に国を想い、社会を想い、人民の幸福を想って言う言葉は必ず人を動かす良いものが迸しるですね。
話は横道にいきましたが、結局人間は頭の働きですね。よく智慧と言いますが、智慧というのはそれから出るんですからね。だから宗教に於ても、智慧という事に非常に重きを置かなければならないんですが、其点に於て仏教でお釈迦さんが説いたのは、智慧という事に非常に重きを置いてますが、之は非常に良いですね。智慧正覚というと――お釈迦さんは覚者と言いますがね。覚りを得た人を覚者と言いますが、之は矢張り覚者になると良い智慧が出るんですね。それから偉い坊さんなんかは大智と言いますが、大きな智慧ですね。そういう様な智慧という事は、頭が良くなければならない。頭を良くするには、今言う精神を転換させるんですね。そうすると頭は非常に良くなる。それを今言った訳です。
それから此間結核半減のお祝をしましたが、あれを一寸書いてみた。
(御論文「結核半減記念祝に就て」)【註 栄光一六一号】
結核半減記念祝いに就て
(栄光一六一号)
先日、日本における結核死亡率が半減したというので記念祝いをしたが、これを吾々からみると余りに軽率どころか、馬鹿馬鹿しいとさえ思われるのである。というのは、なるほど死亡率は半減したが、患者の数は少しも減らないのみか、依然として増加の傾向にあるので、この点深く考えてみるべきである。なるほど患者の数が減ったなら、それこそどんな御祝いしても、吾々も喜んで賛成したいが、死亡者だけの減少では、到底楽観は出来難いのである。これも医学は根本が分っていないから仕方がないが、実は喜ぶどころか悲観した方がいいくらいである。それを今詳しく解説するが、これが分ったなら冷汗三斗の人が随分あるであろう。
いつもいう通り、近来ストマイ〔ストレプトマイシン〕、パス〔パラ‐アミノ‐サリチル酸〕等次々新薬が出るが、これらの薬効は毒物による浄化作用停止の力を強めたまでで、一時的に病気症状が減るから利くと思うだけで、実は小康を得るにすぎないのである。従って単に死ぬのが延びただけで、もちろん長くは続かないから安心は出来ないので、これが死亡率は減っても患者の数は減らない根本原因である。では今まで通りにしていれば、今後どうなるかというと、無論時の経つに従い再び浄化が起り始め、患者の数も増すので、再び薬を用いるが、今度は以前程に効かないから、毒を一層強めた薬が出来る事になるのはもちろんで、ちょうど麻薬中毒患者と同様である。そうしている中にいよいよ効かなくなり、ついには全然効果がなくなると共に、今までの強い薬毒の浄化も加わって、悪性結核激発となり、急死する者数知れずという事になろうから、今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろう。
以上のような訳でその時になったなら、今度の記念祝典を憶い出して身が縮むであろう。私はこのような悲観的な事は言いたくはないが、そうなるのは今から判っている以上、警告せざるを得ないのである。ここで重ねて言うが、今日のごとき死亡率半減期間は一時的であるから、来年、再来年というように、再び頭をもち上げ始めるのはもちろんであるから、当局も一般人も大いに周章て出し、結局今日の新薬が恐怖時代を作った事になるのである。としたらその迷言たるや言うべき言葉はないのである。しかも文化の発達した米国の医学者達までが、依然としてその迷言に目覚めない今日、ここに神様は大慈大悲の大御心によって、私をして世界に知らしめんとなし給うのである。
ここで今一つ重要な事がある。右のごとく新薬の効果によって、直に死なない半病人が増えるから、毀れ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働く事も出来ず、軽作業がやっとくらいの人間がおびただしい数に上るであろう。としたら国家全体から見ても由々しき大問題である。
そこへゆくと本教浄霊は、保有しているだけの毒素を溶かして排泄させるのであるから、真の健康者となるから、これ程素晴しい福音はないであろう。従って当局も医家もこれを知ったなら、私情や私利を度外し、一日も早く吾々の仕事に参加すべきで、これこそ最も賢明であり、医学者否文化人としての真のあり方であろう。いずれはそうせざるを得ない事になるのは明らかであるから、好むと好まざるとにかかわらず、断然百八十度の転換を勧めて止まないのである。
之に就いて「結核信仰療法」は出来て、今印刷の方に廻ってますからね。之は日本にも世界にも医学に関係した方面に出来る丈配る積りですがね。そうしたら少しは目が覚めかかるであろうと思ってます。随分徹底して書いてますからね。先ず医学が病気を作っている根本から精しく書いてありますからね。随分驚くだろうと思います。然しそれを反対するとか、突込むということは恐らく出来ないですね。それを出来ない様に実例をあげて徹底して書いてありますからね。まあ、黙って居る事も出来ないですね。日本人も、驚くお医者さんがあり、外国の医学界もどうしても黙って居られないですね。こっちは別に騒がす積りじゃないが、どうしても、この病気というものに対する本当の事を解らせなければならないですね。それで人類から病気を無くするという事が、地上天国でも五六七の世でも根本ですからね。それには何うしても世界人類を徹底して解らせなければならないですね。其の第一弾ですからね。まあ、只じゃ済まないと思いますね。そうしたら何と言って来ますか――何とか言って来るだろうと思いますがね。そうしたら又其次の手を打つ積りです。それで少なくとも日本はお膝元ですから之は手取り早いから、先で聞きに来るか何んとかせざるを得ないだろうと思うんです。何しろ今そういった世界の状態をみると黙って居られないですよ。今度出来たハイドラジットにしろ、あれなんか大変な品物の様に大騒ぎをやっている。各国の政府が関心を持って、其国のお医者に試験させ様としてますが、何んでも彼んでも薬に頼る。薬と、或いは手術とか、そういうことの一寸でも新しいものが出来ると、直ぐに飛びついて研究するという事が、殆ど薬迷信に捉われきって居るんですから、之をぶち壊さなければしようがないですからね。といっても、此儘で行けば之で誤魔化して行けますが、いずれ浄化が段々強くなりますから、それは色んな病気が急激に増える時期が来ますから、そうなってから周障(章?)てると犠牲者が大変ですから、そうならないうちに警告を与えて置く必要があるんです。今年は赤痢なんかが非常に増える傾向にあって、何十年振りと言ってますが、今にこんなものじゃないですね。何十年振りじゃなくて、レコードを破ったり、それこそ今迄の何倍どころではない、何十倍という時期が来るんです。ですから其時になって、始めてメシヤ教が言った事は本当だ。之だという事が解りますから、そうすれば信者に一ぺんに束になって来ますよ。ですから今の処は、その準備をしているんですね。そういう時代になると、治したり訳を教えてやる人が非常に必要ですから、そういう人を今神様が作っているんですね。ですから今信者になっている人はそういう人なんですね。そういう人にしろ、矢張り色々――医学では、博士もあるし学士もあるし町医者もあるし――まあ、成可く博士になる様に一生懸命にね。
それから今評判の国際美術館というのを上野でやってますが、あれは世界中の画家が協同的にみんな出したんですから非常に値打はあります。それで日本、アメリカ、イギリス、フランス、イアリア、ブラジル、ベルギーと、大体そんな処ですね。ドイツはない様でしたね。それで各国の油絵の中から選んだ。相変らず未だ変な病気は治らない。やっぱりああしてみると、薬で病気を作ったり、それから肥料で減産にしたりしているのと――そういった間違った頭が、美術の方もよく似ているんですね。丁度油絵なんか、不思議な絵許りですよ。其中で評判になっているのはフランスのルオとブラックですね。マチス、ピカソは非常に新しがってやってますが、此二人はそう新しがらないどっちかというと――旧派じゃないが、落着いた方の作品なんです。然しそれを良く見ると――それは本当の審美眼から言うと問題にならないですよ。ルオーなんかも非常に大騒ぎをやってますが、美術の内に未だ入ってないですね。未だ工芸品ですね。未だ、あの人達は美術という事を知らないんです。日本でもそういう画家は非常に多いですがね。それで世界中のを比較してみると、矢張り日本が一番です。之はそういう評判もある様ですが、確かに油絵は――日本はお弟子の様ですが、外国のよりか良いですね。それで日本の油絵は、兎に角活気があるんです。未だ若々しいですね。処がフランス、英国あたりのはもう時代から過ぎた――或いは、もうくたびれているという様な工合で、殆ど活気がないですね。沈滞している様な工合ですね。フランスなんか、人は非常に褒めてますが、全体からみて絵が非常に弱いんです。迫力がないんです。それともう一つは、フランスでいうとボリュームですね。ボリュームが非常にない。其点に於て日本は一番ですね。ですから日本人というものは、兎に角美術に於ては世界に卓越している人種と言ってもいいですね。
それから、私はそれに就いて此間宮本武蔵の絵を買ったんですがね。達磨の絵ですが、実に上手いんです。私は驚いたですね。支那の宋時代の有名な牧谿だとか梁楷ですね。ああいう人達と遜色ないです。今度美術館に出しますがね。字も上手いです。字は一休によく似た字ですが、一休より上手いかも知れない。沢庵なんか問題にならないです。沢庵に始終教えて貰ってましたがね。武蔵の字は沢庵よりずっと上手いです。そうすると武芸者ですね。武芸の達人になると、レベルが同じになるんですね。一つの名人になると、他の事も矢張りそれにつれていくものなんですね。之は、よくそういう事をみますがね。私の処にありますが支那の宋時代の坊さんで、有名な虚堂という人のがある。観音さんの絵を私は持ってますが、之は実に上手いです。之は字より上手い位です。余り習ったとは思えないですね。矢張り字が上手い――上手いという事はそれ丈行が積んで魂が偉くなっているから、そういう人のは字を書いても絵を画いても同じにいくんですね。何時も言う通り、東洋美術としては支那の宋元の時代ですね。宋元を過ぎて明になると、実に下手ですね。実に不思議ですね。処が、宋時代に偉い画家が出ましたが全部坊さんです。だから牧谿和尚とか梁楷禅師とか――そんな様な坊さんなんです。最近手に入れたものですが、五代という――宋よりも一寸前です。唐、隋、五代から宋になるが、其時代の徐熙という人は実に上手い。私は驚いたですね。今度美術館に出しますが、之を今の画家が見たら、到底目がくらみますね。今、くだらない西洋の絵だとか、日本画なんかも迷って油絵なんかの真似をしてますが、之は良いものを見ないからでしょうね。昔の名人のをね。だからどうしても良いものを見せなければならない。今度美術館もそういった支那の名人、日本の名人――そういうのをやって見せ様と思ってます。之で大いに刺戟されるだろうと思います。そういった美術家許りでなく一般の鑑識眼は高くなると思います。結局そういった良いものを見なければならないので、そうすると、他の良い悪いが解るんです。処がくだらないもの許り見てますから、頭が下になっている。私は始終良いもの許り見てますから、今言う国際美術展に行っても、楽しんだり鑑賞しようという心が起らないですね。腹が立ったり情けなくなったりね。美術を楽しみに行くのではなくて、美術を憤慨しに行くんですね。馬鹿々々しくなるが実際はそうですね。だからそういう人達に良いものを見せたら相当刺戟して、頭が変るだろうと思います。
日本でも今度文化事業の為に行く梅原龍三郎という人ですね。油絵の――。あの人は今日本で一番の名人でしょうが、あの人は非常に書画骨董が好きですね。私より好きかも知れないですね。買ったといってから、それから絵を画く。それ丈のものを稼ぐ。実にすごいですね。それでやりますから、梅原龍三郎のは実に良い。今度出しますがね。何処か違うんです。非常にボリュームがあるんですね。ですから見応えがあるんですね。他の現代の油絵とは違うんです。矢張りそれは見る人があるんで、あの人の絵が一番高いです。高くて、画くと直ぐ売れちゃうんです。もう一人安井曾太郎という人が居ますが、あの人の絵は私はどうもね。だからそういった点に於ても、ああいった古い美術品を好きな人は何処か違うんですね。宮本武蔵みたいにね。それから、小説家がそうですよ。吉川英治がそうですがね。あの人は古くからそうです。三十年前からですが、稼いだ金で全部買っちゃう。だから今も良いものを持ってます。だからあの人の作品も大いにそれが影響していると思うんです。今度の、宮本武蔵の書いたものは、吉川英治と徳川夢声は非常に欲しがるだろうと思いますがね。宮本武蔵は「二天」と書いてある。それから国宝が一つある。それは有名な―鶏の蹴合いの絵ですが、何しろ国宝になるんですから、如何に良いか分る。それに、実に数が少いんです。私も先から欲しいと思っていましたが、今度のは非常な傑作で喜んでます。そんな訳で、作家で好きなのは川端康成、大仏次郎。女では吉屋信子。ああいうのが好きな人は、あの方でも偉くなるんですね。だから人間はああいう古い美術で頭を養うというのは、他の事に良い影響がある。その方の親玉は秀吉ですね。若い時分から好きで、戦の最中で集めて来たという事は実に驚くべき事なんですね。だから信仰上から言っても、ああいうものを見るという事は、要するに魂を向上させるんですね。魂の位を上げるという事になるから、矢張り美術館というものは宗教上から言っても必要なんですね。
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