見らるる通り地上天国の、大体箱根の模型は出来た訳なんです。特にあの通り美術館も思い通りで来たので、私は非常に満足している訳です。大体メシヤ教というものは、地上天国を造るという意味で、最初の――つまり地上天国の模型を造るんです。で、世界の経綸は、即ち神様の御経綸というものは面白いもので、丁度果物の様なものでして、まあ梅なり桃なりが、実そのものは世界なんですが、種がつまり中心になる訳です。中心という事は、今はっきり言う事は出来ませんが、種の中心に又種の元があるんです。そういう工合でして、そうして世界を色々するには、一番小さい種が変るんです。そうすると、丁度池に石を抛り込んだ様なもので波紋を起します。そういう様なもので、世界を天国にするには、極く中心の中心の小さい――そこを色々に変えるんです。色々変えるというのは、天国を造るんです。で、天国を造るその本尊様がつまり私なんです。ですから私というものは、世界の極く中心なんです。その中心というものはポチ(・)なんです。で、丸(〇)にチョン(・)ですね。之が宇宙の形なんです。丸(〇)が宇宙でして、チョン(・)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になるわけなんです。それは非常に神秘ですから、精しく話すると面白いんですが、未だ時期がそこ迄行っていませんから、時期を待って居るのです。中々、神様の事は深いんです。そこで地上天国を造るという事は、それが丁度石を投げて波紋を起す様に、段々広がって行って世界が天国になるという事になるんです。ですから、小さくても――単に之丈のものでいても、之が非常に大きな意味になるんです。ですから六月十五日――之が過ぎると同時に変わるんです。箱根は何時も言う通り霊界になるんです。熱海は、現界になる。ですから之が過ぎると、今度は熱海の地上天国の方が非常に捗って参ります。それで熱海の地上天国が出来ると今度は世界的に変ります。それは目に見える様な変り方になります。今の処は霊の方ですからはっきり――著しくは見えないが、何となく変っていきますよ。それは確かです。
昨夜、今度アメリカから来た宗教研究家と言いますか、宗教調査と言いますか、之は新聞にも出てましたが、ブレーデンという人ですが、日本に於ける神仏両方――既成宗教を一週間許り簡単に調べたそうです。新興宗教も調べて、昨日はメシヤ教を調べた。其時の色んな質疑応答がありましたが、アメリカは――之は此間話しましたが、緯の棒の中心であり、日本は経の棒の中心である。それを結ばなければならない。それを結んで始めて真の文明が生まれるという話をしたんで、非常に喜ばれていた様です。だからして貴方が此処にお見えになったという事は、つまりその切掛だという様なお話をしたんです。ですからそういう意味に於て、昨日は六月十五日ですから、十五日にアメリカの人が宗教的の意味で私とそういう話をした事は、やはり今言う緯と経が結ぶ極く最初の――まあ、画き始めになるという意味なんです。此間京都に行った時にも、名古屋で講和記念日に中教教会で私は話をしましたが、其時に今日は経緯の結びの日だ。講和記念日というのはそういう大きな意味が含まれている。それは名古屋という土地が、関東と大阪、京都――関西の間です。その中間が名古屋です。ですから中京というのは、丁度十字の結び目になるんだから、今日の日玆に立寄った。その話もしましたし、講和記念日とそういう関係があるという話をしました。それが段々現われるというのは昨夜がそうです。現われの極く初めです。そういう様な工合で地上天国は段々時期が進むに従って具体的になっていくんです。それは世界の動きを良く注目すると分ります。中々興味もあるんですよ。
然し良い方の話許りして嬉しがっても、中々そこ迄行ってませんから――未だ油断は出来ないです。というのは要するに浄化です。人間の身体の病気許りでなく、世界の浄化があります。今我我の方は天国建設の方の仕事をやってますが、世界的には大破壊の仕事をやっているんです。之は毎日の新聞に出ている通り、如何に破壊すべきやという大仕掛な計画をしている面もあるんです。で、破壊と創造です。之を世界的でみると、創造されつつ破壊されていくんです。丁度花と同じで、花の髄が出かかって同時に花弁が散っていくんです。ですから花が散る方が破壊で、髄が出来る方が創造です。そうして髄が段々大きくなっていく。やっぱり散花結実です。そういう頭を以て之からの色んな出来事を注目すると大体分ります。
美術館も之から皆さん見られますが、案内書が間に合わないので、私がざっとした案内書の代りをしますから良く聞いて貰いたい。
中は六部に別けたんです。入口から入って左の方の広い処を一分、右の方を最初入った処を二部、次に入る処が三部です。二階に上って、右の広い処が四部、それから左の方に最初入った小さい処が五部、その後が六部――と、斯ういう工合に別けましたから、そういう順序でお話をします。之はというもの丈の説明をします。
最初入った一部は屏風と陶器です。屏風は光琳のものが二つあります。之が見物です。光琳の二曲が一つと、つまり一本です。それからもう一つは一双です。二曲が二つになっている。一つの方は極彩色の水浜の図ですが、岩に水鳥が沢山居るんです。之は光琳の図録には出てますが、非常な傑作なんです。今パリに行っている佐野繁次郎氏は、光琳では之が一番だと言って、自分でも写したりして非常に褒めてます。その隣の白地に金泥のカスミに秋草を画いてますが、之は淡彩です。去年の博物館の琳派展覧会の時に同じ様な屏風がありましたが、あれは弟子が画いたものです。一寸見ると同じ様なものですが、良く見るとずっと出来が悪いです。それから根津美術館にもそれと同じものがありますが、それは偽物の様です。悪いけれども、それを言わなくちゃ、こっちの本物が分らない。こっちが本物です。それは実に良いです。その反対の隣の方の、足利末期の名人ですが、海北友松という画家です。之は極く簡単な墨絵ですが、面白いもので有名です。国宝になっているんです。もう一つ、右手の方には現代――明治以後の画家です。その内の代表と言っても良い位ですが、京都の今尾景年の孔雀を画いた金屏風ですが、之は先の山下亀三郎さんが、之以上ないという屏風を作って、景年にうんと最高の物を画いて呉れと言って――非常な力作です。実に――現代画でも、見て値打があります。之は汪精衛が日本に来た時にあの屏風を必ず立てたそうです。御自慢だったんです。あとは陶器ですが、その内で見るべきものは、真中に仁清のものがあります。之は日本の陶工で第一番のものなんです。むしろ、日本陶器の真髄は仁清にありと言っても良いです。というのは日本の他の陶器は、何んでも結局支那の写しです。支那をお手本にしている。柿右衛門でも、支那の明時代の赤絵物を模したものです。少しは日本的なものがありますが、大体支那の赤絵の模倣と思って居れば良いです。それから、乾山はそれ程支那の模倣はしてませんが、やはり支那の一部を模倣したのと、オランダの模倣をした。そこに兄の光琳から大いに学んで作ったんです。兎に角乾山は各国の良い処を――朝鮮の風も取入れてあります。そうして琳派の特色を発揮したというものなんです。処が仁清に至っては全然外国のものは少しも取入れてない。独自のものを作っている。そこに素晴しい価値があるんです。そこで私は昔から仁清が好きで、最初から仁清丈を蒐める方針で――だから仁清が一番蒐まっているでしょう。仁清の内の最も傑作を三点部屋の真中に飾りました。その真中の一つは支那の唐子人形です。それが二人花車を引いている。花の髄の意味を陶器で表わしている。それで二人で引いているんです。置物です。仁清のものは名作と言えば壺ですが、そういった置物はないですよ。恐らく、それ一つじゃないかと思います。その意味に於て珍器です。珍物なんです。それから左手の方にある水指ですが、之は雲に菊畑が画いてあるんですが、金を多く使って、その工合が非常に仁清の特色を発揮しているんです。仁清の優美な何んとも言えない美しさが良く表われているんです。右手の方には茶碗が二つあります。茶の湯の茶碗です。之は重茶碗と言って有名なものです。仁清の茶碗の内では、之が一番としてある。その意匠たるや非常に新しい――現代の図案の感覚です。それと一寸も違いないです。今の人が作った様な意匠です。三百年前にあれを作ったという仁清の頭というものは、実に大したものです。未だその他のも私は持ってますが、今度出るのは之丈です。之が大いに注目する価値があると思います。その隣に乾山の鉢が二つ出てます。之も乾山の内の名作ですから良く見て貰いたい。あとは鍋島、九谷です。その皿が多くありますが、之は世間にもありますから、そう自慢する程の事はない。世間のは兎に角大抵は毀があります。今度出ているのは毀がない物ばかりですから、其点は誇っても良いと思います。それから窓際に画貼があります。之は現代の物で、取立てて言う程ではないです。
次の二部は現代の美術品を飾ったんです。そこで掛物は雅邦、栖鳳、大観、玉堂、春草と、此五人のものを出しました。現代としては古径だとか靭彦、清(青?)邨、龍子――そこいらを出したいんですが、どうも未だもう一息という処があるのと、それから其人達の傑作が手に入りませんし、場所もないし――いずれ熱海にでも出来た時に飾る様になりますが、今回は今の五人のものを並べたんですが、その内で素晴しいものとしては、栖鳳の竹と雀です。之は私は頭が下ります。この技術に至っては古人に遜色はないです。鯛も中々良く出来てますが、鯛の方は可成り写生味が多い為にもう一息という感じがします。竹に至っては絶品です。殆ど神技に近い――神技と言っても良い。見れば分ります。それを見ると息が止りそうですよ。それから、工芸品としては蒔絵の白山松哉という人の、あれが昔から一番の名人ですが、此人のが二点出してます。一つは沈箱と言って香を入れる箱です。あそこに行けば分ります。もう一つは香合と言って香を薫く台です。之は、陛下が出御なされる時に香を薫くんです。香を薫いて良い香がしている処に出御するという香合です。之は、素晴しいものです。何しろ香合の裏迄蒔絵の立派なものがついてます。明治以来の名人のはみんな出てます。松哉の次のは、普通の人は知りませんが川之辺一朝という――松哉と並び称されている人です。これは海浜の絵ですから見れば分ります。其次が赤塚自得という中々有名な人ですが、ダリヤの料紙文庫の硯があります。其次が蜀江の嫌味のない奥床しいものです。金一色で画いてあります。之も文庫硯です。それから硯が三つありますが、之は模したものです。模したと言っても、贋物を作るという意味じゃない。模したものも非常に名人がある。小川松民で、鎌倉時代の有名な政子の硯箱の写しですが、もう一つは光悦の舟橋の硯箱の写しです。之は大正頃の名人の迎田秋悦作です。それから彫刻の佐藤玄々という人は昔からの――古今を通じての名人です。入って左手に猫がありますが、この猫たるや実に素晴しいものです。本当の猫を見る様な感じです。それから中の方に入ると、鷹と観音さんと大黒さんと三つありますが、之も大したものです。あとは波山の陶器ですね。揚成の堆朱と、そんな処です。次の三部はお茶に関係したものです。その中で面白いのは、支那の無準という坊さん――有名な坊さんですが、此人ので大きな字で「帰雲」と書いた掛物があります。之は説明すると、面白い由来があるんです。昔、無論徳川初期あたりですが、尾張の陶器の名人で、古田織部という、之は織部焼の先祖です。此人は茶器を焼くのが上手いので、各大名から贔屓にされていた。そんなこんなでお茶の会を始終開くんです。或る時其会に、其時分細川の――最初は幽斎ですが、其次の人か、兎に角細川の殿様が茶会に行って、「帰雲」がお気に入った。是非譲れと言った。それは譲る事は出来ないというと、一字千金というから二字で二千両で売れと言った。駄目だと言っても、俺は気に入ったから貰って行くと言って持って行った。其当時はそれは差支えない事になっていた。椋奪御免です。むしろ殿様に持って行かれる様に出した位です。それも持って行かれるのを誇りと思ったんです。自分も好きなので売らなかったんですが、どうも殿様が持って行くのでは仕方がない。で、二千両でまからなかったから三千両なら承知出来るだろうと、使いの者に三千両届けさせたという謂があるんです。ですから如何に気に入ったかという事が分るんです。私も、そういう事を知らない時に、一目見るなり非常に気に入ったんです。それで後で分って――そういう記録があります。やっぱり良いものは同じ事だと思いました。その隣に大燈国師――京都の大徳寺の開祖です。此人の字があります。日本の書では大燈の字が一番良いとしてある。之も名品ですよ。ああいった墨蹟物は細かい字よりも大きな字が良いんです。大きさが丁度良いんです。で、書くのも面白味があるんです――決らないでね。去年京都に行った時に看読真詮搒という、あれは後醍醐天皇の罪を仏様に許して貰うという――それで悲想(悲愴?)味がある。去年の時にも私は良く見ましたが、非常に固い何んとも言えない悲想(悲愴?)――そういった気分を受ける。感じを受けるんです。処が今美術館に出したのは、そうではない非常に明るい楽しい様な気分が良く出ているんです。非常に字が面白いんです。之も見るべき価値がある。それから一休の像を画いたのを出してありますが、之は一休が生きている時にそれを写生したのです。ですから、想像画じゃないから、成程一休という人は斯ういう人だなという事が分ります。見れば分ります。成程一休らしい感じがします。私は会った事はないが――。あとは大した物はありません。竹の花生があるんですが、之は利休が小田原に太閤殿下のお供をして来た時、伊豆の韮山の竹が良いというので、自分で切って拵えた花生です。それも出てます。それから白い花瓶がありますが、之は大したものです。支那の定窯と言って――定窯と言うのは大抵皿が多いんです。あの花瓶は世界的のものかも知れないです。実に良いです。茶碗がありますが、楽茶碗でアヤメというのがあります。之は此間京都の官休庵先生――お茶の方の一人者です。官休庵先生に貸したんですが、非常に面目をほどこしたというんで、非常に厚い礼状を寄越したんですが、それは長二郎(長次郎?)の作品の内では一番良いと思います。実に良いです。誰も褒めない者はないです。それが出てます。楽茶碗です。それからもう一つ鳳凰を画いた鼈甲になってますが、支那の茶碗で玳玻盞というんですが、玳玻盞も色々ありますが、この位出来の良い、鮮かに出来たのは之が一番だろうという評判です。之は鴻ノ池家から出たんですが、見るべき価値があります。それから青磁の茶碗があります。金で縁をとった――之は藤田家から出たので、青磁の茶碗としては日本で一番だと言われてます。非常に良いお茶碗です。その他にも名品ばかりですが、一々説明しても切りがないからその位にして置きます。今度は二階に上って、四部は掛物と蒔絵が主ですが、それから巻物も――大した何はないが、中に源氏物語がありますが、そういった大和絵の大家で住吉具慶という人の画いたもので、良く其時代の気分が出ているんです。上品で何んとも言えない。歌と絵と交互になっているんですが、私が見ても――堪らないです。それから宗達の巻物と光琳の団扇です。あとは光悦の書いた楷書です。楷書というのは珍しいんです。もう一つは仮名書の画帖ですが、光悦の内でも絶品なんです。この位良い画帖はないです。その画帖は近衛家の祖先が光悦に直かに頼んで画いて貰ったものだそうです。ですから普通見るよりか良いです。見物です。掛物での一番は光琳の達磨ですが、私は光琳の伊勢物語の双幅があるんですが、元の持主から出して呉れるなというので、その代り達磨を出しました。之も有名なもので、実に柔い内に凛とした処があるんです。実に何んとも言えないものです。もう一つ光琳の秋草の芙蓉を画いた――此掛物の上手さというのは何うして斯んな筆を使うかと思う。今の画家もいずれ見るでしょうが、頭が変らないかと思う位です。今の絵は塗末絵と言って塗末するんです。その秋草の絵は一気にパッパッと画いてある。あの技術というのは、今の画家では到底逆立ちしても画けないでしょう。それから、あと宗達の物が三幅あります。宗達の鷺の――葉ですが、葦の葉みたいなものですが、それが一気にスーッと画いたものは、出力は素晴しいものです。それから宗達の犬がありますが、宗達の犬の中でも之が一番だとの評です。私は特に出したというのは、去年博物館の琳派展で、宗達の墨絵の「たらしこみ」というのは、画家の方では、粋然措く能わざるものがあった。黒犬があったが、安田さんの持っているものです。処がそれよりか私の処の犬はずっと良いです。あっちは黒犬ですが、こっちはブチなんです。それでずっと丁寧に画いてあって、それは何んとも言えないですね。非常に愛らしい。之は見れば分りますが、之でも画家は驚くだろうと思います。あとは鶏です。もう一つありますが、之は「たらしこみ」を最も良く表わしている。あとは乾山の雪松――之は非常に迫力のある、つまりボリューム――それがあるものです。それからもう一つは宮本武蔵の達磨の絵ですね。之を見ては実に驚きます。支那の宋元時代の名画と匹敵する位の上手さがあるんです。之は話より見るに如かずですから、説明しません。その隣に浮世絵を四、五点出しています。真中の大きいのは湯女と言って昔の湯屋で傭ってある商売女です。之が又非常に良いんです。それが日本の浮世絵の掛物では一番とされているんです。もう一つ彦根屏風というのがありますが――屏風であって、戦災で屏風から離して又仕立てたもので、それに屏風というのは掛物より一つ落ちますから、今の湯女は浮世絵でも一番です。之は博物館でも非常に欲しがってましたが、何ういう訳か私の方の手に入ったんです。何時か博物館の人が来て非常に口惜しがっていた。その隣に土佐光起の高尾が一寸横に肘をついて寝そべった処ですが、之が堪らなく良いんです。その片つ方の方が宮川長春の双幅ですが、若衆と娘でしょう、その双幅ですが、之が又実に良いんです。それから蒔絵は色々ありますが、特に真中にある一つの手箱ですが、説明書がついてますからそれを見れば分ります。もう一つは印籠箪笥と印籠掛です。それから印籠です。印籠は又素晴しいものです。一つだって容易に手に入らないものを十二掛けてあります。之はその道の人が見たら吃驚するだろうと思います。未だあります。硯箱でも、有名な硯箱がちょいちょいあります。之は現品を見て貰うんです。時間がないから、はしょって言います。次が支那陶器、支那の絵ですが、此絵たるや素晴しいものなんです。何が素晴しいと言って、容易に手に入らないものです。中々昔から、支那の宋元時代の絵はみんな大事にして大名の宝物みたいになっている。ですからその内の良い絵になると、箱に鍵がかかっている。ですから絵を鍵で開けたりするんです。何故そうするかというと、絵が一つ無くなると、それこそ首なんです。命懸けなんです。その位大事にした。その時分参勤交代で江戸に行く時は立派な荷物の籠を作って、交替で担いで行ったんだそうです。その位大事にした。昔はそういった掛物や茶の湯の茶碗は人間の生命よりも大事にしたものです。一々説明すると大変ですから、見て貰いたい。陶器も一品物は特別に飾ってあります。この中で一番値打のあるものは青磁の香炉ですが、これは世界にないです。私は随分イギリス、アメリカ、日本もそうですが、調べてみたがないです。その位良いものはないです。色と言い形と言い細工と言い、幾ら見ても欠点がないんです。一番良い処に出てます。あと絶品もありますが、時間がないから説明しません。その隣の六部ですが、此処の名品は何と言っても因果経です。天平因果経と言って天平の初期に出来た。此間の奈良の博物館にも因果経があったが――天平でも末期に出来た。此の因果経が出来てその後に出来たんですからずっと落ちるんです。美術学校の所蔵になってます。私の処に出ているのは――日本に色んな巻物がありますが、その最高のものが因果経なんです。その内の――三種か四種かありますが、その内一番良いのが天平因果経です。それは実に良いんです。美術学校のものは、其の内十五行がアメリカに行ったんですが、とても珍重して、もっと欲しいというのが何の位あるか分らない。是非見ずんばあるものかです。之丈見に来るのも随分あります。一行か二行で掛物になっているのがあります。最初は二百三十行あったのがバラバラになって私の処と久彌宮さんの処と元の大臣の金光庸夫氏の処で、後は分散しているんです。それで一行で売物になってます。三行位になると取合いです。そんな様な訳で非常に珍重されているものなんです。それから今度は仏が四体あります。黒いのが三つと、金色したのが一つあります。金色したのは民間にあるのでは最高のものです。推古時代にみんなで四十九体出来たので、その内四十八体は法隆寺の橘寺にあったんです。橘姫というのが――法隆寺に御厨子がありますが、それが皇室に献上したんです。四十八体の御物では最後のものでしょう。その内の一体残っていたのが手に入ったんです。之は神様がしたんですね。推古仏ですから一番最初のものです。千三百年前ですね。黒いのは白鳳で、之はあります。もう一つは三尺位の大きな布が壁にありますが、それは持統天皇――奈良朝時代ですから千二、三百年経ってます。その時分の錦の御旗です。之は古くなってボロボロになってますが、未だ見る丈のものは残ってますから、珍しいので見る価値があります。あとは仏画で、三幅対で―真中は不動明王。両側に矜羯羅童子、制多迦童子がある。宗達が画いたので、良く宗達の味が出てます。端の方にある曼荼羅ですが、私の方に幾つもあるし世間にも幾らでもあります。然し曼荼羅というものは汚ないのが多いですが、之は珍しく馬鹿に綺麗なんです。足利時代の作なんです。ですから美術的に見て価値があると思って出したんです。あとは他にもある様な仏画ですから説明の要はないんです。只一つ、仏像で鎌倉時代の立った阿弥陀さんです。それがありますが、それは木彫です。之は切金と言って金を細かく切って置いたもので、鎌倉時代に流行ったものなんです。切金細工の代表とも言うべきもので、それもやっぱり見る価値があります。それで終りにして置きます。細かく言ったら切りがないから話はそれ丈にして置きます。
本当は浄霊はしない積りだったんだが、希望の方が沢山あるというので、どうも頼まれると断れないという性分でね――。
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