七月七日

【御 教 え】

 美術館に就いて、今迄話しなかったが之を霊的に言うと、今の偉い人達は宗教というものに触れるのを嫌う人が多いのです。兎に角触れ様としないのです。処が美術館が出来たので、それはもう見たいでしょうから、どうしても来ない訳にいかないというので段々来る事になります。そうすると、此処の霊界は非常に光が強くなってますから、此処の土を踏んだ丈で余程浄まる訳です。そうすると今後信仰の話――メシヤ教の話を聞かされても、今迄嫌って居た人達が余程そういう点が薄くなる訳です。でそれに美術館は非常な評判なのです。ですから見たいという人は沢山出来つつあるのです。で、一旦見た人は忘れられないです。忘れられないとすると、始終想い出したりすると霊が――やっぱり霊線に依ってこっちに来るのです。ですから知らず識らず浄められて来るのです。で、信仰なんかは特にそうですが、やっぱり偉い人が解らなければいけないのです。先ず――善男善女と言えば良いですが、言い方によっては愚夫愚婦と呼ぶ。そういう人達が数多く解っても、それは解らないよりか良いが効果が薄い。どうしても社会の指導者階級――そういう人達が解らなければ本当に社会全般を救うという力が薄い。ですからどうしても指導者階級――そういう人達が解らなければ本当の救いは出来ないのです。それには、そういう人達を解らせる一つの手段として、神様は美術館を造られたのです。だから此処の土を踏む――此処の霊界に接近するという事としては、美術館が一番効果がある訳です。そういう意味に於て非常に必要なものです。で、神様はそういう計画ですからトントン拍子に早く旨く行ったのです。之は、斯んなに早く之丈のものが出来るという事は世界に例がないのです。支那陶器丈でも、或いは世界一かも知れないです。そんなに蒐まったという事は、とても人間業ではないです。此点に於て神様は非常な活躍をされた訳です。で、見た印象というものが其人の霊に非常に影響するのです。で、美術館にある品物を私は一々見たり楽しんだりしますが、私の霊気が入るのです。御守みたいなものです。それを見て想い出したりした人は、やっぱり霊気に依って浄まって来ます。だから目に見えない処のものによって非常な力がある訳です。

 それから近頃事故が非常に多いです。交通事故は無論の事ですが、鉱山なんかも多いです。よく落盤するとか――此間なんかは地下水が急に出て来て――岩手県の松尾鉱山です。あれは相当――十何人か死んだそうです。それだとか、色んな事故がある。それから殺傷沙汰です。つまらない事で人を殺したりという、そういう事が非常に多いです。之は何ういう原因かというと、我々の方では霊的に見るから良く分るのですが、世の中では知らないから、注意を与えている丈――警戒を与えている丈という有様です。それに就いて、その原因を書いてみたのです。

(御論文「事故の原因」)   【註 栄光一六五号】

事故の原因

(栄光一六五号)

 近来交通事故を始め、色々の事故が多く当局においても絶えず注意を与えているが、それに頓着なく年々増える一方であるから厄介である。ではどうすればいいかといっても、今のところその原因が全然不明であるから注意以外どうしようもないのである。そこで真の原因はどこにあるかという事を、吾々の解釈からかいてみるが、それは近代人の神経の問題である。つまり神経が鋭敏に働かない事に起因する。危険に直面してもその瞬間避けるべき行動の敏速を欠く事で、一秒の何分の一のズレも災害の直接原因となる以上、それの矯正より外に手段はないのである。これについて私がいつも思う事は、近頃の青年の敏捷性のない事である。彼らは今年七十歳になる私よりも、行動遅鈍の者が多い。私としては普通の行動と思っているのに、彼らは私を素速いと常にいっている。ではそのように頭脳鈍感の原因は一体どこにあるかというと、全く現代人はヤレ注射、ヤレ何の薬などといって、矢鱈に薬を用いたがる。また酒類にしても防腐剤や何や彼やと薬が入っているし、農作物にしても化学肥料や殺虫剤などを用いるから、それを吸収した作物は、長い間には相当量人体内に薬毒として溜るのである。右のように今日の人間は薬浸りといってもいいくらいであるところへ、生活が益々複雑となるので、頭の使用も加重となるから、自然薬毒が頭に集中凝結する。それに対し不断に微弱な浄化作用が起るから、大抵な人は頭が熱く逆上的であり、頭重、頭痛が常に起り、ボーッとしたりする。というように今日の人間で、恐らく頭のスッキリしている人は、ほとんどないといってよかろう。これが事故ばかりではない、近頃よく新聞に出ている殺傷沙汰などもその原因となる。

 こう考えてくると、事故の根本原因は全く薬であるから、この社会から薬を無くさない限り、事故は増えるとも減るはずはないのである。嗚呼恐るべきは薬剤なるかなである。

 

 薬の問題がもう一つあります。

(御論文「救世の警鐘」)   【註 栄光一六五号】

救世の警鐘

(栄光一六五号)

 あらゆる病気の原因は薬であるという事は、私は常に唱えているところであるが、それを知らない一般は、病気に罹るや、薬で治るものと絶対信じており、良い薬さえ発見すれば治るものとして、各国の専門家はその研究に没頭し、新薬を発見しようとして懸命になっている。ところがそのように薬剤万能時代である今日、私の説は薬で病気が治るどころか、反って病気が作られるというのであるから驚く外はなかろうが、しかしこれが真理である以上、まず白紙になってこの文を読んで貰いたいのである。

 右のごとく薬剤によって病気が作られ、しかもそれを治そうとする薬が拍車をかけるとしたら、これ程重大問題はあるまい。重ねていうが病気に罹るや必ず薬を用いて、一時的ではあるが苦痛が緩和するので、それを治る過程と誤認して、今日の医学が出来たのであるから、この事を知って何ら先入観念に捉わるる事なく、病人は現在及び既往の経過を考えて見ればよく分るであろう。今一つ云いたい事は、薬害は独り病ばかりではない。一切の不幸の原因となる事実である。たとえばこの間自殺した作家林房雄氏夫人繁子さんにしても、自殺の原因は夫君の婦人関係もあったようだが、主なる原因は神経衰弱の昂進という事である。この神経衰弱という奴もヤハリ薬毒が主因である。何よりも同夫人は睡眠薬が効かなくなるくらい、重症不眠症になっていたという事であるから、余程酷い睡眠薬中毒に罹っていたのである。また入院をも非常に嫌ったそうだが、これなども前の入院の経験で病院では強い薬を用いるため、その苦痛に懲りたからであろう。このように薬害の余波は幾多の悲劇を作っている。

 以上によって分ったであろうが、人間の苦悩なるもののほとんどは薬毒が原因であって、早い話が彼の感冒の苦痛にしろ、その他の病気による痛み、痒み、不快感等も原因はことごとく薬であるから、もしこの世界から薬がなくなったとしたら、病苦は消滅すると共に、不幸の大半も消滅するのはもちろんである。そうなってこそ社会は平和明朗となり、憎しみも争いもなくなり、戦争の脅威さえも解決さるるので、ここに初めて人類待望の安心立命の世界が生まれるのである。

 このような社会になったなら、人間は健康で安心して働けるから、貧乏もなく、心も豊かに生活を楽しむようになり、その結果病院も、製薬業も、医師も、看護婦も、病気に付随する一切の職業は不必要となるから、社会全体のプラスたるや予想もつかない大きなものがあろう。その上思想も健全になる以上、犯罪は激減し、警察、裁判所、監獄等の不快なものもなくなり、農業方面も薬害を知って用いないから虫害もなく、金肥人肥も全廃され、農作物の収穫は何倍に増えるか分らない程で、ここに鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の時代となり、名実共に地上天国となるのはもちろんである。

 以上は薬害を赤裸々にかいたのであるが、このように恐るべき薬の害を、何千年もの間人類は気が付かなかったという事は、実に不可思議である。全く時の来らなかったためで、それがいよいよ私によって発見されたのであるから、この事が人類全般に知れわたるにおいて、その歓喜たるやいかに素晴しいかである。すなわち文化の一大転機であり、空前の大奇蹟である。これこそ病貧争絶無の地上天国が近づいた事の何よりの証拠であって、それにはまず薬害を知らせる事こそ根本であるから、この文を警鐘としてここに発表するのである。

(御論文「薬屋さんには御気の毒」)   【註 栄光一六五号】

薬屋さんには御気の毒

(栄光一六五号)

 近頃時々耳にする話だが薬屋さん連中が当局に向って投書其他の方法で本教を非難し妨害的態度に出ているそうだが、之も決して無理とは思わない。何しろ病気の原因は薬であるという事を唱えるのであるから、本教を憎むのも当然で、吾々も常にお気の毒とは思っている。然し本教の建前は病無き世界を造るにある以上、其目的を達成する必要から、病の根本を明かにしなければならないので、つまり小の虫を殺して大の虫を助けるという訳である。

 右に就てハッキリ言いたいのは、お医者さんでも薬屋さんでも、本来の使命は金儲けのみではあるまい。人命を救うのが主要目的であるのは今更云うまでもあるまい。従って人間の命が助かる事なら、夫が自己に多少の不利益があっても賛成すべきが当然で、之も亦止むを得ないであろう。然し深く考えてみると右の如く本教に対して、妨害しなければならない程、薬屋さんに影響が行くとすれば、其効果の著しいかを物語っているのである。とすれば此効果に対し、如何に反対したとしてもそれは一時的で、何れは本教の方が勝つに決っているし、若し本教よりも薬の方が勝つとすれば、本教の方が負けるから問題はないのである。という訳で先づ自然の判定に委せておくのが、最も妥当ではなかろうか、敢て考慮を望む所以である。

   

 処があっちの方では結核の新薬とか何んとか言って、薬の新しいのをドンドン作っているのですから、よくも逆になっているのです。今度のヒドラジットの薬なんかも、どうも効果が怪しいようで色んな説が出てます。之は何ういう訳かというと、アメリカには非常に効くのです。ですからあの通り日本にも来て、そう思ってやったのですが、どうも日本ではアメリカで効いた様に効かない。之は原因があるのです。日本の方が霊界の浄化が強くなっている。というのは光の元がこっちですから、日本の霊界は光が強くなっているから――どうせ効く薬という奴は浄化停止ですから、そこで浄化停止がアメリカの様に出来ない。アメリカの方は固まる方の力が多いですから、アメリカで効いたのが日本ではそう効かないという理窟になります。ですから、そんな事を何んだ彼んだと言っている内に段々効かなくなって、又あれが駄目になるのは知れ切っているのです。アメリカの方だってやっぱり浄化が強くなりますから、時の問題です。結局終いには薬の方を非常に強くしなければならない。つまり毒分を強くするのです。そうして、浄化を極力停止させる。ヒドラジットなんかそれです。此間なんかも、あれを使って三人死にました。今度は、浄化停止の逆作用が非常に強くなって、浄化停止――そんな事は間に合わなくて、死ぬ方が早くなる。それで段々医学と薬に疑問を起して来るという時代が来ます。そうなったら愈々こっちの舞台になりますが、それ迄に幾らか未だ暇がありますが、そういう事を知って見ると、いろんな事が良く分ります。それからさっきの事故の原因や、直きに人を殺したりするのも薬毒が頭に上るのだから、簡単に分るのです。

 それから今「私物語」というのを書いているのですが、之は出来る丈興味のある話の中に教えも含んでいるのです。一駒丈出来たのを読ませます。

(御論文「私物語 無信仰時代」)

無信仰時代

(『私物語』より)

 いつかも記いた事があるが、私の前半生は至極平凡なものであったから、詳しくかかなかったが、其後記き漏らしたと思う点も少なくないので、興味ある話題を少しかいてみようと思うのである。

 それに就て先づ私の現在の妻であるが、之は二度目であって、最初の妻を娶ったのは私が二十五歳の時で、妻は十九歳であった。私の処へ来て一年ばかり経った頃結核に羅って了ったのである。そこで早速医師に診て貰った処、医師の曰うには此病気には薬がないから、先づ空気の良い処へ転地して、気長に療養するより外に方法はないとの事であった。処が幸いにも妻の実家は神奈川県の金沢で、海岸ではあるから恰度いいとして、母や兄、親戚なども口を揃えて、此病気は伝染の危険もあるし、仮令(たといえ)子供が出来ても遺伝するから、(当時の学説)是非実家へ帰した方がいいと頻りに勧めるので、私は一時は其気になったが、よく考えてみるとどうも腑に落ちない気がした。というのは一生を契った妻が病気に羅れば、猶更親切に介抱してこそ人間の道であるのに、伝染の危険があるからとて実家へ還すなどは、余りに功利的考へ方で、そんな薄情な事は私にはどうしても出来ない。一生涯苦楽を共にすべきが夫婦の道ではないかと堅く心に決めたのである。而も幸ひな事には、以前私が治った体験もある事だし、必ず治るに違いない。それのみか人間は正しい道を踏む以上、伝染する筈もないという確信が湧くのである。当時無神論者であった私として、そんな考えが湧くのは実に不思議でならなかった。それを聞いた医師も親戚の者も呆れて了い、私を変り者とさえ思ったのである。という訳で其時既に肚の底には、信仰の種が蒔かれてあったのであると、宗教人となってから判った事である。そうして私の経験上から菜食療法にした処、医療も受けずに三、四ケ月で治って了った。

 それから斯ういう事もあった。其頃桂庵から雇った十六、七歳の山出し下女があったが、此女が病気になったので房州の実家へ帰した処、暫くしてからヒョッコリ訪ねて来た。見ると真蒼な顔をしているので訊ねた処、其後段々悪くなり、医師から重症結核と診断をされたので、周囲の者から嫌われ、而も赤貧洗うが如き家庭なので、邪魔者扱いにされ、働きに出ろと言われるので参りましたと涙乍らにいうので、私も大いに同情し、“そんな身体で働くなどは飛んでもない話だ。直ぐ実家へ帰りなさい。その代り食扶持(くいぶち)と医療費を、お前の生きている間は必ず送ってやるから”と言ったので、喜んで帰ったが、それから毎月確か十五円(ずつ)送ってやったと憶えているが、当時としては其位で充分であったのである。然しそれだけの話なら情深い人なら、世間にない事はないが、之に就てかきたい事があるから、此話を挿入したのである。というのは当時私の親戚知人などは、よく斯う曰ったものである。“其娘の肺病が治る見込があるならいいが、あれでは死ぬに決っている。死ぬに決っている者を援けてやった処でつまらないじゃないか、治ってから働いて御恩返しが出来るならいいが、そうでないとしたら、無駄な金を費うだけで詰まらないじゃないか。早く止した方が利口だよ”と勧めるのである。そこで私は曰ってやった。“私は恩を被せて代償を貰う気は些かもない。人を世話して恩返しを期待するなどは一種の取引で、丸で恩を売るようなものだ、だからそんなものは慈悲でも何でもない。善人らしく見せる一種の功利である。只私はあんまり可哀想で見ていられないからそうしたまでで、つまり自然なんだ。私はそれで満足しているんだからいいじゃないか。大きな御世話だ。成程あんた方から見れば馬鹿だと思うだろうが、馬鹿でも何でも結構なんだよ”とマァー斯んな風に曰ってやったので、みんな呆れて黙って了った事があった。 此時の私も全然無信仰で、唯物主義のカンカンであり乍ら、丸で信仰者のような考え方なんだから、表面は無信仰でも、肚の底は已に信仰者になっていた訳である。 

 

 よく来る人が、此処の美術館は非常に評判になっていると言うのです。昨日の読売に谷川徹三さんの一日一題ですか、そういう記事がありましたが、あれは非常に良く書いてある。流石に哲学者丈あって、言う事が非常に公平で、非常に信用の出来る見方です。大変な広告になると思います。普通の広告より効果があります。公告の方は手前ミソですから、見る人がそういう頭で見るからどうも刺戟がないが、ああいう人が書くのは非常に信用があるから非常に良い事だと思う。芸術新潮という本は非常に信用があるそうです――近頃の雑誌ですが、その新潮社の依頼で、丁度今徳川夢声さんが来て、之から午後美術館を見て今夜中に記事を出すのだそうです。あの人の活動振りも大したものです。今斯う言って来たのです。あなたは文化デパートだと言ったら、上手い表現だと言ってました。喋る、書く――随分単行本も発行してます。よく送って来ます。そしてラジオも新聞も雑誌――何んだ彼んだと、あの位仕事をする人はないです。夢声さんは私に向って或程度は先生に共通していると言ってましたから、私も色んな仕事――色んな仕事をしますが、私は宗教的デパート的ですと言って置きました。あの人は社会的にやっている。その色んな事をドンドン片附けていく処に共通している処もあるにはあります。そんな訳で、新潮なんかに出る記事も相当効果があると思います。此間来たフランス人レモン・カルティエという人で、フランスの雑誌パリ・マッチ―之も中々有力な雑誌です。之にも出る筈ですから、外国にも相当知れると思います。今月の末にはウォーナー博士も来る事になってます。あの人もああいう方面では、アメリカとしての権威です。外国に知れるのは大いに良いのです。日本に来た外人で箱根に来ない人はないし、箱根に来て美術館を知っている以上は見ない人は無いのです。その点から言っても非常に良いです。で、色々――文化人とか或いは文部省、法務庁、文化財保護委員会、博物館――ああいう方面の人達も非常に賛意を表して居るのです。兎に角国家的に見て最も不足しているものを私の方で造ったのですから、双手を上げて賛成しているのです。ですから私は表彰しても良いと言っているのです。実際国家として表彰しても良い位なのです。で、時期も非常に良いと思います。時期と言い、場所と言い、やり方と言い、実に旨くやられるのです。それは神様がやられるのです。私はそういう心で思っても、スラスラ出来るものではないから、流石に神様は上手(うま)くされると、斯う思っているのです。そんな様な訳ですから、メシヤ教というものの、信用も大いに高まると思うのです。で、一番面白いのは、どうせ新宗教がそんな生意気に美術館を拵えた処で大したものではない。どうせ古臭い宗教的な物でも出すのだ位にしか思って居なかったのですが、実際に見ると吃驚したのです。全然宗教の臭いはないし、美術館として本当に世間に無い様なものを造ったのですから、只本当に驚く他ないという状態です。で、美術館に就いてパンフレットを作って、来た人にやろうと思って書き始めたのです。之はあんまり専門的では面白くないので、普通――批判的な様な工合に書いたのです。大体之で解るだろうと思います。之は一部ですが、之から段々書く訳です。

(御論文「東洋美術雑観」)   【註 栄光一六六号】

東洋美術雑観(1)

(栄光一六六号)

 今迄、美術に関する批評と言えば、殆んど学者の手になったものばかりで、それは成程究明的で深くもあるが、一般人にとっては必要がないと思う点も少なくないので、私などは終りまで読むに堪えない事がよくある。そこで、一般的に見て興味もあり、一通りの鑑賞眼を得られればいいという程度に書いたつもりであるから、これから美術の門に入ろうとする人の参考になるとしたら、幸いである。

 美術に就いて、先ず日本と外国との現状から書いてみるが、外国と言っても今日美術館らしい施設を持っている国は、何と言っても米・英の二国位であるから、この二国の現在を書いてみよう。それは、どちらも東洋美術に主力を注いでいる点は一致しているが、東洋美術と言っても、殆んどは支那美術で、陶磁器を中心に銅器と近代絵画という順序である。そうして、先ず英国であるが、この国での蒐集家としては、世界的有名なユーモーホップレスとデイビットの二氏であろう。ホップレス氏の蒐集品は余程以前から大英博物館を飾っており、その量も中々多かったが、第一次大戦後。、経済上の関係からでもあろうが、惜しい哉相当手放したのである。勿論大部分は米国へ行ったが、不思議にも少数のものが日本にも来て、今も某氏の所有となっている。こんなわけで、若干減るには減ったが、今でも相当あるようである。

 次のデイビット氏は、まだ美術館は開いていないそうだが、ユーモーホップレス氏の方は、唐、宋時代からの古いものが多いに対し、デイビット氏の方は明以後の近代物が多いようである。そうしてホップレス氏の方は、周の前後から漢、宋辺り迄の優秀銅器が相当あり、又絵画も多数あるにはあるが、宋元時代の物は僅かで、明以後康煕(こうき)(けん)(りゅう)辺りのものがその殆んどである。デイビット氏の方は、銅器も絵画も図録に載っていない処をみると、余りないのであろう。併し、英国では個人で相当持っている人もあって、その中で珍らしいと思ったのは、某婦人で日本の仁清を愛好し、若干持っているとの事である。そんなわけで、同国には日本美術は余りないのは事実で、それに引換え米国の方は、流石富の国だけあって、立派な美術館も数多くあるし、品物も豊富に揃っている。先ず有名なのは、華府(ワシントン)、ボストン、紐育(ニューヨーク)桑港(サンフランシスコ)羅府(ロスアンジェルス)等の大都会を始め、各都市に大なり小なりあるのである。その中で、小さいが特に際立っているのは、フリヤー・ギャラリーという個人の美術館で、これは世界的に有名である。此処は銅器の素晴しい物があって、私は図録で見た事がある。併し何と言っても、同国ではボストンの美術館で、日本美術が特に多いとされている。何しろ明治時代岡倉天心氏が同館の顧問となって、相当良い物を蒐めたし、後には富田(とみた)幸次郎(こうじろう)氏が亦日本美術の優秀品を買入れたのであるから、推して知るべきである。私は数年前華府(ワシントン)美術館にある屏風類の写真を色々見た事がある。光琳、宗達のものが多かったが、何れも写真で分る程の贋物ばかりなのには、唖然としたのである。そんなわけで、日本古美術として海外にある物は、思ったよりも少なく、只版画だけが寧ろ日本にある物よりも優秀で、数も多いとされており、特に版画で有名なのは、ボストン美術館である。その他としては()(ラン)西()独逸(ドイツ)も若干あるが、只写楽物だけは独逸に多いとされている。では何故版画が外国に多いかという事に就いて、私はこう思っている。それは、彼等が明治以後日本へ来た時、先ず目についたのが版画であって、値も安く手が出しいいので、土産として持って帰ったのが、今日の如き地位を得た原因であろう。処が、私はどうも版画は余り好かないので、以前から肉筆物だけを蒐めたから、割合安く良い物が手に入ったのである。というのは、版画は外人に愛好された為、真似好きな日本人は版画を珍重し、肉筆物の方を閑却したからである。然も、最初外人が来た頃の日本人は、肉筆物を大切に(しま)い込んでいたので、外人の眼に触れなかったからでもあろうが、この点勿怪(もっけ)の幸いとなったわけである。

 次に、我が国独特の美術としては、何といっても蒔絵であろう。これも肉筆浮世絵と同様、外人の眼に触れる機会がなかった為、手に入らず終いになったので、存外海外にはないらしい。以下蒔絵に就いて少し説明してみるが、この技術は、勿論古い時代、支那の(びょう)(きん)からヒントを得て工夫したものであろうが、日本では奈良朝時代已に相当なものが出来ている。今日残っている天平時代の経筥(きょうばこ)の如きは、立派な研出蒔絵であるから驚くの外はない。その後平安朝頃から段々進んで、鎌倉期に至っては劃期的に優良品が出来たので、今でも当時の名作が相当残っており、我々の眼を楽しませている。次いで桃山期から徳川期に入るや、益々技術の向上を見、然も大名道具として蒔絵は最も好適なので、各大名競って良い物を作らした。今日金色(こんじき)燦然(さんぜん)たる高蒔絵(たかまきえ)の如きは、殆んど徳川最盛期に出来たもので、品種は書棚、料紙文庫硯筥(りょうしぶんこすずりばこ)文台(ぶんだい)硯筥、手筥(てばこ)(こう)道具(どうぐ)等が(おも)なるものである。

 

 

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