【御 教 え】
何時も美術館のお話をしますが、未だ霊的の話をしてないから今からします。神様の根本の目的は、神仙郷の霊界――之が特別に霊界が光っている訳です。そこで普通の人が美術館を観に来るとすると浄められるのです。浄められるという事は、神様に反対する色んな霊や何かはみんな副守護神ですから、その先生の力が強いから其人が神様を信じない様に思わせるのです。その副守護神の先生を弱らせるのです。それが一番先なのです。弱らせるには、光の中に入ると弱りますから、そこで信仰の話を聞かせたら解る訳です。ですから信仰に反対する人をよくみると、解らないわけではない――解っていて解らない。腹の底は解っている。で、どうも好かない、面白くない――というよりか、何んとなくそういう気分がするのです。理窟は解っているのです。確かに御蔭や何かを見せられるのですから信じなければならない。信じていても入る気がしないというのは、副守護神が邪魔しているのです。それを弱らせなければならない。それには聖地の土を踏ませるのです。そうすると副守護神の先生が弱りますから、神様の方に入るという事になる。処で副守護神の先生がのさばっているのは偉い人達に多いのです。処が偉い人達が解るという事が一番肝腎なのです。ですから偉い人達がどうしても来なければならない様な方法をとる。という事が美術館になる訳です。だから、此間――三十日、一日にも中々相当に名のある人達――インテリ――そういった人達が大勢来てました。二日で約百人近く来ました。斯ういう事をしなければそういう人達はそれ丈の数が来る事は滅多にないです。そこで神様は旨い事をやられるのです。そうしてそれと共に曇りが幾分でも取れますから、つまり頭も良くなるのです。今の人達は――無論病気も多いですが、特に頭が悪いのです。頭が悪いという事に就いて一寸書いてみたのです。近頃非常に事故があるのです。之は新聞によく出ていますが、事故の原因というのは矢張り頭が悪い為です。それを一寸書いてみた。
(御論文「事故の原因」) 【註 栄光一六五号】
事故の原因
(栄光一六五号)
近来交通事故を始め、色々の事故が多く当局においても絶えず注意を与えているが、それに頓着なく年々増える一方であるから厄介である。ではどうすればいいかといっても、今のところその原因が全然不明であるから注意以外どうしようもないのである。そこで真の原因はどこにあるかという事を、吾々の解釈からかいてみるが、それは近代人の神経の問題である。つまり神経が鋭敏に働かない事に起因する。危険に直面してもその瞬間避けるべき行動の敏速を欠く事で、一秒の何分の一のズレも災害の直接原因となる以上、それの矯正より外に手段はないのである。これについて私がいつも思う事は、近頃の青年の敏捷性のない事である。彼らは今年七十歳になる私よりも、行動遅鈍の者が多い。私としては普通の行動と思っているのに、彼らは私を素速いと常にいっている。ではそのように頭脳鈍感の原因は一体どこにあるかというと、全く現代人はヤレ注射、ヤレ何の薬などといって、矢鱈に薬を用いたがる。また酒類にしても防腐剤や何や彼やと薬が入っているし、農作物にしても化学肥料や殺虫剤などを用いるから、それを吸収した作物は、長い間には相当量人体内に薬毒として溜るのである。右のように今日の人間は薬浸りといってもいいくらいであるところへ、生活が益々複雑となるので、頭の使用も加重となるから、自然薬毒が頭に集中凝結する。それに対し不断に微弱な浄化作用が起るから、大抵な人は頭が熱く逆上的であり、頭重、頭痛が常に起り、ボーッとしたりする。というように今日の人間で、恐らく頭のスッキリしている人は、ほとんどないといってよかろう。これが事故ばかりではない、近頃よく新聞に出ている殺傷沙汰などもその原因となる。
こう考えてくると、事故の根本原因は全く薬であるから、この社会から薬を無くさない限り、事故は増えるとも減るはずはないのである。嗚呼恐るべきは薬剤なるかなである。
もう一つ薬の害を書いたのです。
(御論文「救世の警鐘」) 【註 栄光一六五号】
救世の警鐘
(栄光一六五号)
あらゆる病気の原因は薬であるという事は、私は常に唱えているところであるが、それを知らない一般は、病気に罹るや、薬で治るものと絶対信じており、良い薬さえ発見すれば治るものとして、各国の専門家はその研究に没頭し、新薬を発見しようとして懸命になっている。ところがそのように薬剤万能時代である今日、私の説は薬で病気が治るどころか、反って病気が作られるというのであるから驚く外はなかろうが、しかしこれが真理である以上、まず白紙になってこの文を読んで貰いたいのである。
右のごとく薬剤によって病気が作られ、しかもそれを治そうとする薬が拍車をかけるとしたら、これ程重大問題はあるまい。重ねていうが病気に罹るや必ず薬を用いて、一時的ではあるが苦痛が緩和するので、それを治る過程と誤認して、今日の医学が出来たのであるから、この事を知って何ら先入観念に捉わるる事なく、病人は現在及び既往の経過を考えて見ればよく分るであろう。今一つ云いたい事は、薬害は独り病ばかりではない。一切の不幸の原因となる事実である。たとえばこの間自殺した作家林房雄氏夫人繁子さんにしても、自殺の原因は夫君の婦人関係もあったようだが、主なる原因は神経衰弱の昂進という事である。この神経衰弱という奴もヤハリ薬毒が主因である。何よりも同夫人は睡眠薬が効かなくなるくらい、重症不眠症になっていたという事であるから、余程酷い睡眠薬中毒に罹っていたのである。また入院をも非常に嫌ったそうだが、これなども前の入院の経験で病院では強い薬を用いるため、その苦痛に懲りたからであろう。このように薬害の余波は幾多の悲劇を作っている。
以上によって分ったであろうが、人間の苦悩なるもののほとんどは薬毒が原因であって、早い話が彼の感冒の苦痛にしろ、その他の病気による痛み、痒み、不快感等も原因はことごとく薬であるから、もしこの世界から薬がなくなったとしたら、病苦は消滅すると共に、不幸の大半も消滅するのはもちろんである。そうなってこそ社会は平和明朗となり、憎しみも争いもなくなり、戦争の脅威さえも解決さるるので、ここに初めて人類待望の安心立命の世界が生まれるのである。
このような社会になったなら、人間は健康で安心して働けるから、貧乏もなく、心も豊かに生活を楽しむようになり、その結果病院も、製薬業も、医師も、看護婦も、病気に付随する一切の職業は不必要となるから、社会全体のプラスたるや予想もつかない大きなものがあろう。その上思想も健全になる以上、犯罪は激減し、警察、裁判所、監獄等の不快なものもなくなり、農業方面も薬害を知って用いないから虫害もなく、金肥人肥も全廃され、農作物の収穫は何倍に増えるか分らない程で、ここに鼓腹撃壌の時代となり、名実共に地上天国となるのはもちろんである。
以上は薬害を赤裸々にかいたのであるが、このように恐るべき薬の害を、何千年もの間人類は気が付かなかったという事は、実に不可思議である。全く時の来らなかったためで、それがいよいよ私によって発見されたのであるから、この事が人類全般に知れわたるにおいて、その歓喜たるやいかに素晴しいかである。すなわち文化の一大転機であり、空前の大奇蹟である。これこそ病貧争絶無の地上天国が近づいた事の何よりの証拠であって、それにはまず薬害を知らせる事こそ根本であるから、この文を警鐘としてここに発表するのである。
此間も言った通り、最近「私物語」という本を書始めたのですが、之は今迄書かなかった様な色んな興味のある話がありますから、それを想い出した儘書いた。之は無神(信)仰時代の一説ですが、少し書けたから読ませてみます。
(御論文「私物語 無神(信)仰時代」)
無信仰時代
(『私物語』より)
いつかも記いた事があるが、私の前半生は至極平凡なものであったから、詳しくかかなかったが、其後記き漏らしたと思う点も少なくないので、興味ある話題を少しかいてみようと思うのである。
それに就て先づ私の現在の妻であるが、之は二度目であって、最初の妻を娶ったのは私が二十五歳の時で、妻は十九歳であった。私の処へ来て一年ばかり経った頃結核に羅って了ったのである。そこで早速医師に診て貰った処、医師の曰うには此病気には薬がないから、先づ空気の良い処へ転地して、気長に療養するより外に方法はないとの事であった。処が幸いにも妻の実家は神奈川県の金沢で、海岸ではあるから恰度いいとして、母や兄、親戚なども口を揃えて、此病気は伝染の危険もあるし、仮令子供が出来ても遺伝するから、(当時の学説)是非実家へ帰した方がいいと頻りに勧めるので、私は一時は其気になったが、よく考えてみるとどうも腑に落ちない気がした。というのは一生を契った妻が病気に羅れば、猶更親切に介抱してこそ人間の道であるのに、伝染の危険があるからとて実家へ還すなどは、余りに功利的考へ方で、そんな薄情な事は私にはどうしても出来ない。一生涯苦楽を共にすべきが夫婦の道ではないかと堅く心に決めたのである。而も幸ひな事には、以前私が治った体験もある事だし、必ず治るに違いない。それのみか人間は正しい道を踏む以上、伝染する筈もないという確信が湧くのである。当時無神論者であった私として、そんな考えが湧くのは実に不思議でならなかった。それを聞いた医師も親戚の者も呆れて了い、私を変り者とさえ思ったのである。という訳で其時既に肚の底には、信仰の種が蒔かれてあったのであると、宗教人となってから判った事である。そうして私の経験上から菜食療法にした処、医療も受けずに三、四ケ月で治って了った。
それから斯ういう事もあった。其頃桂庵から雇った十六、七歳の山出し下女があったが、此女が病気になったので房州の実家へ帰した処、暫くしてからヒョッコリ訪ねて来た。見ると真蒼な顔をしているので訊ねた処、其後段々悪くなり、医師から重症結核と診断をされたので、周囲の者から嫌われ、而も赤貧洗うが如き家庭なので、邪魔者扱いにされ、働きに出ろと言われるので参りましたと涙乍らにいうので、私も大いに同情し、“そんな身体で働くなどは飛んでもない話だ。直ぐ実家へ帰りなさい。その代り食扶持と医療費を、お前の生きている間は必ず送ってやるから”と言ったので、喜んで帰ったが、それから毎月確か十五円宛送ってやったと憶えているが、当時としては其位で充分であったのである。然しそれだけの話なら情深い人なら、世間にない事はないが、之に就てかきたい事があるから、此話を挿入したのである。というのは当時私の親戚知人などは、よく斯う曰ったものである。“其娘の肺病が治る見込があるならいいが、あれでは死ぬに決っている。死ぬに決っている者を援けてやった処でつまらないじゃないか、治ってから働いて御恩返しが出来るならいいが、そうでないとしたら、無駄な金を費うだけで詰まらないじゃないか。早く止した方が利口だよ”と勧めるのである。そこで私は曰ってやった。“私は恩を被せて代償を貰う気は些かもない。人を世話して恩返しを期待するなどは一種の取引で、丸で恩を売るようなものだ、だからそんなものは慈悲でも何でもない。善人らしく見せる一種の功利である。只私はあんまり可哀想で見ていられないからそうしたまでで、つまり自然なんだ。私はそれで満足しているんだからいいじゃないか。大きな御世話だ。成程あんた方から見れば馬鹿だと思うだろうが、馬鹿でも何でも結構なんだよ”とマァー斯んな風に曰ってやったので、みんな呆れて黙って了った事があった。 此時の私も全然無信仰で、唯物主義のカンカンであり乍ら、丸で信仰者のような考え方なんだから、表面は無信仰でも、肚の底は已に信仰者になっていた訳である。
之も一寸面白いものです。
(御論文「アレヨアレヨ」) 【註 栄光一六六号】
アレヨアレヨ
(栄光一六六号)
今度神仙郷が完成し、美術館も出来たが、これは本教モットーである地上天国、即ち真善美の中の美の面の最初の小さな模型であるから、何れはこの模型が段々育ってゆき、世界大となるのは勿論であって、一点の疑う余地などないのである。それから真と善も、形はないが何れは具体的に現われる時が来るから、そのつもりでいて貰いたいのである。右の如く神様の経綸は、目には見えないが霊界ではズンズン進んでいるのであるから、何れは三大目標が世界の表面に現われるとなったら、その時は何人も吃驚仰天、開いた口が窄まらぬであろう。そうなってから、アア俺は長い間飛んでもない誤解をしていた、救世教こそ最後の救いであった事を知らなかった、何と自分は迂闊であったのであろう、といっても、今更頭を下げて行くのも業腹だと、歯ぎしりする人も沢山出来るだろうし、然もそういう連中はインテリやジャーナリストの特別鼻の高い人に多いのだから、気の毒でもあり可笑しくもある。
本来神様というものは洵に皮肉に見えるものであるが、本当からいうと皮肉でも何でもない。つまり人間の方で皮肉を作り、その皮肉で苦しむのだから、神様からみれば哀れな仔羊である。そんな訳で、今に世界中の偉方もそうだが、特に日本の偉方達は一同魂消て、アレヨアレヨと空を見つめて茫然とするであろうから、痛快でもあり、可哀想でもあるから、このアレヨアレヨ組に、今からチクリと針を刺して気を附けておくのである。
美術館が出来たのが早過ぎるので皆驚いて居るのです。未だ斯んなに出来様とは思わないとか、中々そう簡単に出来るものではないのだからと思った、とか――。処が拝見して喫(吃?)驚して――之は未信者の人に多いのですが、信者の人達もやっぱりそういう風に思われるだろうと思います。之は私自身が――それ程でもないが、そういう風に思うのです。数えてみると、宗教法人になったのが二十二年の八月ですから、来月で丁度満五ヵ年になる訳です。それで、法人になった当時は信者と看做してよい人は千人とはなかった――何百人位です。それが斯ういう風に急速に発展したのです。然もその間に随分いじめられたのです。之は皆知っている通り、翌年の二十三年十一月には脱税問題で、教団に関係したものはみんな家宅捜査され、色々な面倒臭い事が沢山あって、一時は随分困ったのです。漸く其問題も片附きかけた一昨年の五月には、之も皆知っている通り静岡の警察や刑務所に引張られた事件ですが、之は脱税問題よりかもっと大きな問題で、一時随分打撃を受けました。その間に――一昨々年になりますか――夏にC・I・Dが突然やって来て、方々家宅捜査をしたり――隠匿物資、金塊を隠してあるというのでレーダーで観山亭の廻りをやってみたり、根太を上げて――、縁の下が怪しいと縁の下を掘ったり――そんな事があった。之は一日か二日だったが、それから新聞は盛んに悪口を言うし、相当いじめられました。だから、そういう事がなければもっと発展したのです。もっと早くなっている。そんなに色んな事をされ乍らも斯んなに早く斯ういった地上天国の模型が出来るし、熱海の方も着々と出来つつありますから、その早さは恐らく例がない位です。だからそれを思ってみても、神様は如何に素晴しい力を振われているかという事が分る。今も読んだ通り、霊界の方ではドンドン経綸が進んでいるのです。之は段々現われて来るのです。その現われ方が段々早(速?)さを増して来る訳です。増して来ると共に、大きさも増す訳です。だから愈々面白くなって来る訳です。
それからどうせ霊界では邪神と正神との闘いですが、段々邪神の方が弱って来るからして、こっちをいじめるとかそういう力が弱って来るからそこでやり良くなるという事になる。もう―去年、一昨年からみると、現在の社会の見る目が非常に異って来てます。之は皆そういう事を感じるでしょうが、まあ――新聞にしろ、先には悪い事を面白がって書いたのですが、今は真面目に有りの儘を書く様になった。そんな訳で、此間有志やそういう人達が来ても、大体そういう人達は喜んで来て、非常に満足して気持良く帰った。あとの色んな批評は之からもチョイチョイあるでしょうが、長与善郎さんなんかも、感想を述べて行きました。そんな様な工合に社会の見る目が異った丈でも、如何に変ったかという事が分る。それから之から外国の方にも、美術館として大分知れるだろうと思います。有名なウォーナー博士――日本の奈良や京都の爆撃を押さえつけた人ですが、あの人が今月半か下旬に来る事になってます。もう一人アメリカの偉い人が来る事になってますが、あの人達が見れば国に帰って大いに宣伝するだろうと思います。そんな様な訳で、神様はドンドンそういった風に腕を振っているのです。そんな様な工合だからして、非常に面白くはなって来たのです。
美術館は出来ましたが、廻りの色んな事が色々ありますから、それがすっかり出来たら相当――日本に来た世界中の偉い人達は大抵来るだろうと思います。さっラジオで聞いたのですが、アメリカの人は夏になるとヨーロッパに皆旅行に行く事に殆ど決まって、ヨーロッパの方の色んな宿屋の申込が受け切れないそうです。先ず此夏使う金の予想は日本の金にして千八百億というのです。処が未だ東洋の方は到底そんな訳にはいかないのです。東洋と言っても、先ず日本です。そうすると日本の色々な設備――道路も無論あるのですが、斯ういう箱根美術館なら箱根美術館が出来るという事は、一つの有力なものになるという事は確かです。ですから国家的意味からも大変な働きになる訳です。之は、此間の博物館の連中や何かがそれは大いに認めて非常に讃美してました。自分達も斯ういう事をやりたいのだが、お役人では全然駄目です。斯ういった―個人的に斯ういう事をやって呉れるという事は自分達も有難いという事を頻りに言ってました。そういう様な訳です。
それから美術館に就いて――之はいずれ小冊子にして美術館に来た人達にやろうと思ってますが、それを書始めたのです。之は品物や何かに就いて、一つの予備知識として知って置く必要がある。之は書始めですが、書けた丈を読ませます。
(御論文「東洋美術雑観」) 【註 栄光一六六号】
東洋美術雑観(1)
(栄光一六六号)
今迄、美術に関する批評と言えば、殆んど学者の手になったものばかりで、それは成程究明的で深くもあるが、一般人にとっては必要がないと思う点も少なくないので、私などは終りまで読むに堪えない事がよくある。そこで、一般的に見て興味もあり、一通りの鑑賞眼を得られればいいという程度に書いたつもりであるから、これから美術の門に入ろうとする人の参考になるとしたら、幸いである。
美術に就いて、先ず日本と外国との現状から書いてみるが、外国と言っても今日美術館らしい施設を持っている国は、何と言っても米・英の二国位であるから、この二国の現在を書いてみよう。それは、どちらも東洋美術に主力を注いでいる点は一致しているが、東洋美術と言っても、殆んどは支那美術で、陶磁器を中心に銅器と近代絵画という順序である。そうして、先ず英国であるが、この国での蒐集家としては、世界的有名なユーモーホップレスとデイビットの二氏であろう。ホップレス氏の蒐集品は余程以前から大英博物館を飾っており、その量も中々多かったが、第一次大戦後。、経済上の関係からでもあろうが、惜しい哉相当手放したのである。勿論大部分は米国へ行ったが、不思議にも少数のものが日本にも来て、今も某氏の所有となっている。こんなわけで、若干減るには減ったが、今でも相当あるようである。
次のデイビット氏は、まだ美術館は開いていないそうだが、ユーモーホップレス氏の方は、唐、宋時代からの古いものが多いに対し、デイビット氏の方は明以後の近代物が多いようである。そうしてホップレス氏の方は、周の前後から漢、宋辺り迄の優秀銅器が相当あり、又絵画も多数あるにはあるが、宋元時代の物は僅かで、明以後康煕、乾隆辺りのものがその殆んどである。デイビット氏の方は、銅器も絵画も図録に載っていない処をみると、余りないのであろう。併し、英国では個人で相当持っている人もあって、その中で珍らしいと思ったのは、某婦人で日本の仁清を愛好し、若干持っているとの事である。そんなわけで、同国には日本美術は余りないのは事実で、それに引換え米国の方は、流石富の国だけあって、立派な美術館も数多くあるし、品物も豊富に揃っている。先ず有名なのは、華府、ボストン、紐育、桑港、羅府等の大都会を始め、各都市に大なり小なりあるのである。その中で、小さいが特に際立っているのは、フリヤー・ギャラリーという個人の美術館で、これは世界的に有名である。此処は銅器の素晴しい物があって、私は図録で見た事がある。併し何と言っても、同国ではボストンの美術館で、日本美術が特に多いとされている。何しろ明治時代岡倉天心氏が同館の顧問となって、相当良い物を蒐めたし、後には富田幸次郎氏が亦日本美術の優秀品を買入れたのであるから、推して知るべきである。私は数年前華府美術館にある屏風類の写真を色々見た事がある。光琳、宗達のものが多かったが、何れも写真で分る程の贋物ばかりなのには、唖然としたのである。そんなわけで、日本古美術として海外にある物は、思ったよりも少なく、只版画だけが寧ろ日本にある物よりも優秀で、数も多いとされており、特に版画で有名なのは、ボストン美術館である。その他としては仏蘭西、独逸も若干あるが、只写楽物だけは独逸に多いとされている。では何故版画が外国に多いかという事に就いて、私はこう思っている。それは、彼等が明治以後日本へ来た時、先ず目についたのが版画であって、値も安く手が出しいいので、土産として持って帰ったのが、今日の如き地位を得た原因であろう。処が、私はどうも版画は余り好かないので、以前から肉筆物だけを蒐めたから、割合安く良い物が手に入ったのである。というのは、版画は外人に愛好された為、真似好きな日本人は版画を珍重し、肉筆物の方を閑却したからである。然も、最初外人が来た頃の日本人は、肉筆物を大切に蔵い込んでいたので、外人の眼に触れなかったからでもあろうが、この点勿怪の幸いとなったわけである。
次に、我が国独特の美術としては、何といっても蒔絵であろう。これも肉筆浮世絵と同様、外人の眼に触れる機会がなかった為、手に入らず終いになったので、存外海外にはないらしい。以下蒔絵に就いて少し説明してみるが、この技術は、勿論古い時代、支那の描金からヒントを得て工夫したものであろうが、日本では奈良朝時代已に相当なものが出来ている。今日残っている天平時代の経筥の如きは、立派な研出蒔絵であるから驚くの外はない。その後平安朝頃から段々進んで、鎌倉期に至っては劃期的に優良品が出来たので、今でも当時の名作が相当残っており、我々の眼を楽しませている。次いで桃山期から徳川期に入るや、益々技術の向上を見、然も大名道具として蒔絵は最も好適なので、各大名競って良い物を作らした。今日金色燦然たる高蒔絵の如きは、殆んど徳川最盛期に出来たもので、品種は書棚、料紙文庫硯筥、文台硯筥、手筥、香道具等が主なるものである。
越州窯というのは一番古いのです。支那の室に入ると直ぐ右側に大きな壺があります。あれが越州窯の一番良いのです。あれは世界に一つしかありません。英国、米国にもありますが、もっと小さい物です。あれ丈の大きさで、あれ丈の良い作というのは絶対に世界に無いのです。あれがつまり青磁の始りなのです。
均窯――之も、真中に大きな皿があって、両側に水盤がありますが、此事です。二色のはっきりした物を出したのです。
梅瓶――之に就いては今博物館で展覧会をしてますが、今月の十日迄あります。其処に出品の二つが世界一です。アメリカのロスアンゼルスで支那陶器の展覧会があって、日本から十五点出しましたが、此十五点の中で此二つが一番良いのです。
白定窯――之も世界に無いです。真白な水指と徳利がありますが、水指の方は一寸形の変ったのは岩崎にありますが、徳利は日本には無いです。外国にも無いです。外国の物が、今度のロスアンゼルスの展覧会で何百と出たでしょうが、矢張り日本の十五点というのが断然抜いているのです。あっちの新聞や雑誌に出たのも、日本の事が三分の二位出ていたそうです。だから此処にある支那陶器丈でも、数は敵わないが、質から言ったら英国、米国に勝ってます。
之を分って、そうして一つ々々見ると面白いのです。まあ来る度に気長に見ていると段々分って来ます。
それから、南蛮屏風という信長の時代に出来た物ですが、博物館の人が来て、明治三十八年から探しているのですが、何処に行っても所在が分らない。此処に来て分って実に有難いと嬉しがって褒めてました。之と同じ物を細川さんが持っているのです。それが日本一とされていたのです。去年サンフランシスコの展覧会に出しましたが、よく見ると下書きがチョイチョイあるのです。どうも可笑しいと思ったら、こちらのが元だというのです。之を真似た物に違いない。こちらのが本物で細川さんのがその写しという事が分った。私の方のは非常に綺麗なのです。細川さんのは大分やつれている。それを聞いて私も非常に嬉しかったのです。
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