【御 教 え】
今迄結核問題の方が、美術館や何かで、「文明の創造」も書きかけになっていたが、やっと暇が出来たので――暇が出来たというより、気持がゆったりしたので又書始めたのです。それに就いて書き方を幾らか変えてやろうと思って、序文の最初の――先ず基礎的という様な、そういったものを二、三書いてみたので、一寸読ませます。
(御論文「文明の創造 序文」)
序 文
(『文明の創造』より)
この著は歴史肇って以来未だ嘗てない大聖著であり、一言にしていえば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルといってもよかろう。即ち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であって、聖書にある世の終りとは、この仮定文明世界の終りを言ったものである。また今一つの〝普く天国の福音を宣べ伝えらるべし、然る後末期到る〟との予言も、この著の事であろう。そうしてバイブルはキリストの教えを綴ったものであるが、この著はキリストが繰返し言われた処の、天の父であるエホバ直接の啓示である。そうしてキリストはこうも言われた。それは『天国は近づけり、爾等悔改めよ』との警告である。してみればキリスト自身が天国を造るとは言われなかったのである。
併し私は〝天国は近づけり〟とは言わない。〝天国は已に来れり〟というのである。何よりも私は目下天国の基礎的準備に取掛っており、甚だ小規模ではあるが、日々驚くべき力と奇蹟を顕わしつつあり、人々は驚歎している。そうして右の如き模型的経綸が漸次発展するに従い、他面世界的には旧文明の清算の幕が切って落される。それが最後の審判の開始であって、眼目は善悪の立分けである。即ち悪は亡び善は栄える段階に入るのである。これが為如何に多数の犠牲者が出るかは計り知れないものがあろう。併し乍ら神の大愛はこれ等犠牲者を最少限度に食止めらるべく、救いのその第一声がこの著出版の理由である。といっても、旧文明世界からも神は善悪正邪を選り分け、善にして役立つ者は残されると共に、悪にして見込なき者は永遠に滅びるの止むなきに至るのである。
以上の如く、最後の審判が済むや、続いて新世界設計の順序となるのは勿論だが、その転換期に於ける凡ゆる文化の建直しこそ、空前絶後のものであって、言う迄もなくそれは旧文明の誤謬の是正と共に、新文明の指針を示すのである。処が茲に悲しむべき事がある。というのは、人類が数千年の長い間に堆積された処の罪穢であって、当然この大浄化作用が発生するのである。それをこれから詳しく説いてみるが、幸いこれを読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何等の躊躇なく摑まれん事である。それを前以て人類に知らせ、悔改めを私は神に代って勧告するのである。これぞ神の大愛でなくて何であろう。従ってこれを知った以上、一時も早く頭の切替えは固より、心の準備に取掛るべきである。そうして審判の最後に到っては、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、これを信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来に於ける地上天国の住民として残るのである。そうして主神の経綸の深くして、そのスケールの如何に大なるものであるか、又現在までの文明が如何に野蛮極まるレベルの低いものであるかを、この著によって充分知らせ、確固たる信念を得させるのである。
(御論文「文明の創造」)
文明の創造(既成文化の謬点?)
(『文明の創造』より)
此著は序文にもある通り、現代文明に対する原子爆弾といってもよからう。そうして既成文明の根幹となってゐる宗教も、思想も、哲学も、教育も、科学も、芸術も悉く包含されてをり、其一々に就て鋭い眼を以て、徹底的に批判し究明し、赤裸々に露呈してあるから、之を読むとしたら何人と雖も古い衣を脱ぎ棄て、新しき衣と着更へざるを得ないであらう。此意味に於て本著が人々の眼を覚ますとしたら、玆に既成文明は一大センセーションを捲起し、百八十度の転換となるのは必然であり、此著完成の暁は全世界の宗教界、各大学、学界、言論界、著名人等に適当な方法を以て配布すると共に、ノーベル賞審査委員会にも出すつもりであるが、只惜しむらくは同審査委員諸氏は、唯物科学の権威であるから、初めから理解する事は困難であらうが、此著の説く処科学の根本をも明示してあり、悉くが不滅の真理である以上、充分検討されるとしたら、理解されない筈はないと思うのである。
之に就て重要な事は、今日迄の学者の頭脳である。それは彼等は宗教と科学とを別々のものとして扱って来た事で、此考へ方こそ大きな誤りであったので、それを根本から解明するのが此著の目的である。そうして地球上に於ける森羅万象一切は、相反する二様のものから形成されてゐる。それは陰陽、明暗、表裏、霊体といふやうになってゐる。処が今日迄の学問は体の面のみを認めて、霊の面を全然無視してゐた事である。といふのは霊は目に見えず、機械でも測定出来なかったからでもあるが、其為学問では今日迄地球の外部は、只空気と電気だけの存在しか分ってゐなかったのである。処が私はそれ以外確実に存在してゐる霊気なるものを発見したのである。之に就ては先づ地球上の空間の実態からかいてみるが、それは斯うである。即ち前記の如く霊気(火)空気(水)の二原素が密合し、一元化した気体のやうなものが、固体である地塊(土壌)を包んでをり、此三原素が合体して、宇宙の中心に位置してゐるので、之が吾々の住んでゐる世界及び周囲の状態である。処が科学は右の空気と土壌のみを認めて、霊を認めなかったが為、空気と土壌の二原素のみを対象として研究し進歩して来たのであるから、言はば三分の二だけの科学で全体ではなかったのである。此根本的欠陥の為如何に進歩発達したといっても、三位一体的真理に外れてゐる以上、現在の如き学理と実際とが常に矛盾してゐたのであるから、此欠陥を発見し是正しない限り、真の文明世界は生れる筈はないのである。そうして右三者の関係を一層詳しくかいてみると、経には霊、空、地の順序となってをり、彼の日月地の位置がよくそれを示してゐると共に、緯即ち平面的には三者密合し重り合ひ、距離は絶対なく、渾然と一丸になって中空に浮んでゐるのが地球である。勿論三者夫々の性能と運動状態は異ってゐる。即ち火は経に燃え、水は緯に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経と緯とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。そうして此気流なるものは空の如く無の如くである為、現在の学問程度では到底把握出来ないのである。然るに意外にも此気体其ものこそ、実は一切万有の力の根原であって、其本質に至っては実に幽幻霊妙想像に絶するものである。仏者のいふ覚者とは此一部を知り得た人間を言ったもので、それ以上になった者が大覚者であり、一層徹底した大覚者が見真実の境地に到達したのである。釈迦、キリストは此部類に属するのであるが、只併し此二聖者は時期尚早の為、或程度以上の力を附与されなかった事である。それが為救世的力の不足はどうしやうもなかった。其証拠として両聖者は固より、其流れを汲んだ幾多覚者達の努力によっても、今以て人類の苦悩は解決されないに見て明かである。処が愈々天の時来って絶対力を与へられ、其行使による人類救済の大使命を帯びて出顕したのが私である以上、私によって真理の深奥を説き、人類最後の救ひを実行すると共に、新文明世界設計に就ての指導的役割をも併せ行ふのであるから、実に全人類に対する空前絶後の一大福音である。
玆で話は戻るが、前記の如き物質偏重の文化を見真実の眼を以て、大局から検討してみる時、意外にもそれによって今日の如き絢爛たる文化が発生し、進歩しつつあったのであるから、此矛盾こそ実に神秘極まるものであって、之こそ神の経綸に外ならないのである。之を一言にしていえば、現在迄の文明は前記の如く体的面は成功したが、霊的面は失敗した事である。では何が故に神は最初から失敗のない完全な文明を創造されなかったかといふと、此疑問こそ此著を順次精読するに従ひ、初めて判然と理解されるのである。
(御論文「天国建設と悪の追放」) 【註 栄光一六九号】
天国建設と悪の追放
(栄光一六九号)
神の目的であるこの世界を天国化するに就いては一つの根本条件がある。それは何かというと、現在大部分の人類が心中深く蔵されている悪そのものである。処が不可解な事には、一般人の常識からいっても、悪を好まず、悪に触れる事を非常に恐れるのは固より、昔から倫理、道徳等によって悪を戒め、教育もこれを主眼としている。その他宗教に於てもその教えの建前は善を勧め悪を排撃するにあり、世間を見ても親が子を戒め、夫は妻を、妻は夫を、主人は部下に対してもそうであり法律もそれに刑罰を加えて、より悪を犯さぬようにしている。処がこれ程の努力を払っているにも拘らず、事実この世界は善人より悪人の方がどの位多いか分らない程で、厳密に言えば恐らく十人中九人までが悪人で、善人は一人あるかなしかという状態であろう。
併し乍ら単に悪人といっても、それには大中小様々ある。例えば一は心からの悪、即ち意識的に行う悪。二は不知不識無意識に行う悪。三は止むを得ず行う悪。四は悪を善と信じて行う悪である。これ等に就いて簡単に説明してみると、こうであろう。一は論外で説明の要はないが、二は一番多い一般的のものであるし、三は民族的には野蛮人、個人的には白痴、狂人、児童の精神薄弱者であるから問題とはならないが、四に至っては悪を善と信じて行う以上、正々堂々としてしかも熱烈であるから、その害毒も大きいのである。これに就いては最後に詳しくかく事として次に善から見た悪の世界観をかいてみよう。
衆知の如く、現在の世界を大観すると、悪の方がズット多く、全く悪の世界といってもよかろう。何よりも昔から善人が悪人に苦しめられる例は幾らでもあるが、悪人が善人に苦しめられた話は聞いた事がない。この様に悪人には味方が多く、善人には味方が少いので、悪人は法網を潜って大腕ふりつつ世の中を横行するに反し、善人は小さくなって戦々兢々としているのが現在の世相である。この様に弱者であるが為、善人は強者である悪人から常に迫害され苦しめられている不合理に反抗して生まれたのが彼の民主主義であるから、これも自然発生のものである。日本も右の如く長い間封建思想の為、弱肉強食的社会となって続いて来たのであるが、幸いにも外国の力を借りて、今日の如く民主主義となったので、この点自然発生と言うよりも、自然の結果といってよかろう。というようにこの一事だけは珍しくも、悪に対して善が勝利を得た例である。併し乍ら全体から言えば、外国は兎も角、日本は今の処生温い民主主義で、まだまだ色々な面に封建の滓が残っていると見るのは、私ばかりではあるまい。
玆で悪と文化の関係に就いてもかいてみるが、抑々文化なるものの発生原理は何処にあったかというと、古えの野蛮未開時代強者が弱者を圧迫し、自由を奪い、掠奪、殺人等思うが儘に振舞う結果、弱者にあってはそれを防止すべく種々の防禦法を講じた。武器は固より垣を作り、交通を便にする等、集団的にも個人的にも、凡ゆる工夫を凝らし努力したのであった。これが人智を進めるに役立った事は勿論であろう。又その後に到って安全確保の為、集団的契約を結んだのが今日の国際条約の嚆矢であろうし、社会的には悪を制禦するに法の如きものを作りこれが条文化したのが今日の法律であろう。処が現実は、そんな生易しい事では人間から悪を除く事は到底出来なかったのである。これによってみても、人類は原始時代から悪を防止する善との闘争は絶える事なく続いて来たのであるから、何と不幸な人類世界であったであろうか。この為如何に大多数の善人が犠牲にされたかは誰も知る通りである。そこでそれらの悩みを救おうとして、時々現われたのが彼の宗教的偉人であった。というのは、弱者は常に強者から苦しめられ通しであり乍ら、防止の力が弱いので、せめて精神的なりとも不安を無くし希望を持たせると共に、悪に対しては因果の理を説き悔い改めさせようとしたので、多少の効果はあったが、大勢はどうする事も出来なかった。処が一方唯物的には、悪による不幸を防止せんとして学問を作り物質文化を形成し、この進歩によって目的を達しようとしたのであるが、この文化は予期以上に進歩発展はしたが、最初の目的である悪を防止するには役立たないばかりか、反って悪の方でそれを利用してしまい、益々大仕掛な残虐性を発揮する様になったのである。これが戦争を大規模にさせる原因となり、遂には原子爆弾の如き恐怖的怪物さえ生まれてしまったのであるから、こうなっては最早戦争不可能の時代となったといえよう。これを忌憚なくいえば、悪によって物質文化が発達し、悪によって戦争不可能の時代を作ったので、洵に皮肉な話である。勿論その根本には深遠なる神の経綸があるからで、この点よく窺われるのである。そうして精神文化の側にある人も物質文化の側にある人も、共に平和幸福なる理想世界を念願しているのは勿論であるが、それは理想のみであって現実が仲々伴なわないので、識者は常に疑問の雲に閉され、壁に突当っているのが現状である。中には宗教に求め哲学等によってこの謎を解こうとするが、大部分は科学の進歩によってのみ解決されると確信している。併しそれも確実の見透しもつかないで、未解のまま人類は苦悩を続けているのである。としたら、世界の将来は果してどうなるかという事を、私はこれから徹底的に説いてみようと思うのである。
前記の如く、悪なるものが人類不幸の根本原因であるとしたら、何故神は悪を作られたかという疑問が湧くであろう。これが今日迄最も人間の心を悩ました問題である。処が神は遂にこの真相を明らかにされたので、茲に発表するのである。先ず第一今日迄何故悪が必要であったかという事である。というのは、悪と善との争闘によって現在の如く物質文化は進歩発達し来ったという、何と意外な理由ではないか。処がこの様な夢想だも出来ない事が実は真理であったのである。それに就いては先ず戦争である。戦争が多数の人命を奪い悲惨極まるものなるが故に、人間は最もこれを恐れ、この災害から免れようとして最大級の智能を絞り、工夫に工夫を凝したので、この事が如何に文化の進歩に拍車をかけたかは言う迄もない。何よりも戦争後勝った国でも負けた国でも、文化の飛躍的発展は歴史がよく示しているからである。併し乍ら戦争が極端にまで進み、長く続くとなれば、国家は滅亡の外なく、文化の破壊ともなる以上、神は或程度に止め、又元の平和に立返らすので、このように戦争と平和は交互に続いて来たのが、世界歴史の姿である。又社会を見てもそうであり、犯罪者と取締当局とは常に智慧比べをしているし、個人同士のゴタゴタもその因は善と悪との争いからであって、これ等の解決が人智を進める要素ともなっているのは分るであろう。
この様に、善悪の摩擦によって文化が進歩するとすれば、今日迄は悪も大いに必要であった訳である。併し乍らこの悪の必要は決して無限ではなく限度がある事を知らねばならない。これに就いては順次説いてゆくが、先ず肝腎な事は、この世界の主宰者たる主神の御目的である。これを哲学的に言えば絶対者と、そうして宇宙意志である。彼のキリスト始め、各宗教の開祖が予言された処の世界の終末であるが、これも実は悪の世の終末の事であったのである。そうして次に来るべきものが理想世界であって、病貧争絶無の地上天国、真善美の世界、ミロクの世等々、名は異なるが意味は一つである。という様に、これ程の素晴しい世界を作るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは、精神物質共に右の世界を形成するに足る丈の条件の完備である。それに対して神の経綸は物質面を先にされた事である。というのは、精神面の方は時を要せず一挙に引上げられるが、物質面の方はそうはゆかない。非常に歳月を要するのは勿論であるからである。然もその条件として先ず第一に神仏の実在を無視させ、人間の精神を物質面に集中させた事で、その意味で生まれたものが彼の無神論である。というように悪を作るには無神論こそ最も根本的であるからである。斯くして勢を得た悪は、益々善を苦しめ、争闘を続け、人間をして苦悩のドン底に陥らしめたので、人間は常に這上ろうとして足掻いている。これが文化の進歩に大いなる推進力となったのは勿論で、悲惨ではあるが止むを得なかったのである。
未だ仕上げが出来ていないから、幾らか分り悪いでしょうが、大体の意味は分ったと思います。之は誰でもですが、悪というのは何故あるのかという疑問ですが、斯ういう質問をされた事がある。神は愛だ、慈悲だ、と。それなら、罪を裁く――罪を裁くといえば、人間が苦しむのですから、神様の慈悲だとしたら、最初から悪を作らないで、罰を与えたり苦しめたりしなければ良いではないか。それでは、神の慈悲という事が、何ういうものか解らない。という事を時々質問した人がありますが、それは全くそうです。で、私は言ってやったのです。私は悪を作った神様でないから、何ういう訳で作ったか分らない。その神様に聞いてみるより仕方がないと言って逃げたのです。そういう訳で悪では何ういう訳であるかという事が分からないのです。それを分らせる為に最初は必要であった要するに必要悪です。今迄は悪があった為に物質文化が発達したのです。若し悪が無かったら、人間は未だ未だ――智恵も之程にならず、もっとボーッとしたものであったでしょう。仮りに、戦争が恐ろしいから、負けたら大変だと色々工夫してやる。そうすると一方の方で、悪人は大いに世界を自由にしようとします。最近で言えば、ヒットラーの様に――色々工夫している。それから泥棒があるから、泥棒を摑まえ様と言う訳で、警察と智慧較べをするのです。現に、今の破壊的活動防止法案は共産党の方を何んとかしてやっつけ様。武器をどうして作ろうか、手に入れ様かとする。此間ピストルを何百か押えられましたが――。それから火炎瓶、竹ヤスリ――之は原始的ですが、色々工夫している。そうすると政府の方では、破防法を作ったり色々な巣窟を探ったりしてやっている。之は智恵較べです。結局悪人と善人の智恵較べが凡ゆる面に出て来るのです。つまりそれに依って人間は段々智恵が進むのです。それから今読んだ通り、色んな物質文化を発達させるには、神様があるという事を――つまり有神論では、神様が何んとかして呉れるという気になるから、どうも、発達しないです。神様は無いから、何うしても人間の力で工夫して行かなければならないという事になるから、必要悪だったのです。処がここ迄来れば、必要悪でなくて不必要悪で、反って障碍物になる。そこで悪を打切りにして、之丈進んだ物質文化を利用して地上天国を造る。その時期が来たのです。時期が来た以上その根本が分っていなければならない。神様はそれを知らされたのです。そこで斯ういう文章を書いて世界中の人に知らせる。つまり之は天国の福音という訳です。キリストが言った様に、「普く天国の福音は伝えられるべし、然る後末期至る」です。これから、先を説いていきますが、悪というものは打切りにする。何うして無くする――その打切りの順序を之から書くのです。そうして悪というものは無くなる。無くなるという事は、刑罰で無くすのでなく、悪はつまらないという事になる。悪なんかやっても仕様がない。善の方が徳だという事になるのです。そういう事になるという事は立派な理由があるのです。それは之から段々説いていきますから分る訳です。そういう話は此位にして置いて――。結局、世界人類にその根本を分らせるという事が、之からの私の仕事です。
それから、之は美術に就いてですが、いずれ美術館に来た人に絵葉書なんか――今拵えてますが之は売りますから、それに附けてやるが、一般の人にやれば解りますから――つまり簡単な美術に就いて、専門的でなく普通人として知っておかなければならないという範囲で書く積りですが、その最初の処を一寸読ませます。
(御論文「東洋美術雑感」) 【註 栄光一六六号】
東洋美術雑観(1)
(栄光一六六号)
今迄、美術に関する批評と言えば、殆んど学者の手になったものばかりで、それは成程究明的で深くもあるが、一般人にとっては必要がないと思う点も少なくないので、私などは終りまで読むに堪えない事がよくある。そこで、一般的に見て興味もあり、一通りの鑑賞眼を得られればいいという程度に書いたつもりであるから、これから美術の門に入ろうとする人の参考になるとしたら、幸いである。
美術に就いて、先ず日本と外国との現状から書いてみるが、外国と言っても今日美術館らしい施設を持っている国は、何と言っても米・英の二国位であるから、この二国の現在を書いてみよう。それは、どちらも東洋美術に主力を注いでいる点は一致しているが、東洋美術と言っても、殆んどは支那美術で、陶磁器を中心に銅器と近代絵画という順序である。そうして、先ず英国であるが、この国での蒐集家としては、世界的有名なユーモーホップレスとデイビットの二氏であろう。ホップレス氏の蒐集品は余程以前から大英博物館を飾っており、その量も中々多かったが、第一次大戦後。、経済上の関係からでもあろうが、惜しい哉相当手放したのである。勿論大部分は米国へ行ったが、不思議にも少数のものが日本にも来て、今も某氏の所有となっている。こんなわけで、若干減るには減ったが、今でも相当あるようである。
次のデイビット氏は、まだ美術館は開いていないそうだが、ユーモーホップレス氏の方は、唐、宋時代からの古いものが多いに対し、デイビット氏の方は明以後の近代物が多いようである。そうしてホップレス氏の方は、周の前後から漢、宋辺り迄の優秀銅器が相当あり、又絵画も多数あるにはあるが、宋元時代の物は僅かで、明以後康煕、乾隆辺りのものがその殆んどである。デイビット氏の方は、銅器も絵画も図録に載っていない処をみると、余りないのであろう。併し、英国では個人で相当持っている人もあって、その中で珍らしいと思ったのは、某婦人で日本の仁清を愛好し、若干持っているとの事である。そんなわけで、同国には日本美術は余りないのは事実で、それに引換え米国の方は、流石富の国だけあって、立派な美術館も数多くあるし、品物も豊富に揃っている。先ず有名なのは、華府、ボストン、紐育、桑港、羅府等の大都会を始め、各都市に大なり小なりあるのである。その中で、小さいが特に際立っているのは、フリヤー・ギャラリーという個人の美術館で、これは世界的に有名である。此処は銅器の素晴しい物があって、私は図録で見た事がある。併し何と言っても、同国ではボストンの美術館で、日本美術が特に多いとされている。何しろ明治時代岡倉天心氏が同館の顧問となって、相当良い物を蒐めたし、後には富田幸次郎氏が亦日本美術の優秀品を買入れたのであるから、推して知るべきである。私は数年前華府美術館にある屏風類の写真を色々見た事がある。光琳、宗達のものが多かったが、何れも写真で分る程の贋物ばかりなのには、唖然としたのである。そんなわけで、日本古美術として海外にある物は、思ったよりも少なく、只版画だけが寧ろ日本にある物よりも優秀で、数も多いとされており、特に版画で有名なのは、ボストン美術館である。その他としては仏蘭西、独逸も若干あるが、只写楽物だけは独逸に多いとされている。では何故版画が外国に多いかという事に就いて、私はこう思っている。それは、彼等が明治以後日本へ来た時、先ず目についたのが版画であって、値も安く手が出しいいので、土産として持って帰ったのが、今日の如き地位を得た原因であろう。処が、私はどうも版画は余り好かないので、以前から肉筆物だけを蒐めたから、割合安く良い物が手に入ったのである。というのは、版画は外人に愛好された為、真似好きな日本人は版画を珍重し、肉筆物の方を閑却したからである。然も、最初外人が来た頃の日本人は、肉筆物を大切に蔵い込んでいたので、外人の眼に触れなかったからでもあろうが、この点勿怪の幸いとなったわけである。
次に、我が国独特の美術としては、何といっても蒔絵であろう。これも肉筆浮世絵と同様、外人の眼に触れる機会がなかった為、手に入らず終いになったので、存外海外にはないらしい。以下蒔絵に就いて少し説明してみるが、この技術は、勿論古い時代、支那の描金からヒントを得て工夫したものであろうが、日本では奈良朝時代已に相当なものが出来ている。今日残っている天平時代の経筥の如きは、立派な研出蒔絵であるから驚くの外はない。その後平安朝頃から段々進んで、鎌倉期に至っては劃期的に優良品が出来たので、今でも当時の名作が相当残っており、我々の眼を楽しませている。次いで桃山期から徳川期に入るや、益々技術の向上を見、然も大名道具として蒔絵は最も好適なので、各大名競って良い物を作らした。今日金色燦然たる高蒔絵の如きは、殆んど徳川最盛期に出来たもので、品種は書棚、料紙文庫硯筥、文台硯筥、手筥、香道具等が主なるものである。
之は、あんまり宗教と関係ない事ですが、斯ういう事も少しは良いだろうと思って――。
(御論文「私と映画」)
私と映画
(『私物語』より)
私の映画の好きな事は、信者はよく知っているが、何しろ今でも隔日には必ず観る事にしている。そこで私が映画に親しむようになった最初からの経路をかいてみるが、私が一番先に映画(其時代は活動写真といった)を見たのは十五、六歳の頃であった。其時は浅草公園六区に電気館という館があって、之が映画館としては東京での最初のものであろう。何しろ写真が動くんだから驚いたのは勿論で、波が動いたり、犬が駈出したり、町を人が歩いたりするのには、只唖然とするばかりだった。何と不思議な面白いものが出来たわいと思って、其頃浅草に住んでいたから、暇さへあれば見に行ったものである。其内に単純な実写物から、劇的のものへと進んで行ったと共に、当時神田錦町に錦輝(旗?)館という今でいう倶楽部のような、公会堂のようなものがあって、界隈での唯一の映画館になっていた。其頃「浮かれ閻魔」という題名の、確か仏蘭西パテー会社の作品であったが、仲々面白いので評判となり、連日大入満員の盛況だ。当時は勿論外国映画ばかりで、殆んどは仏蘭西のパテーものであったが、其内伊太利物も少し宛入って来たが、パテーの方は実写物、劇的や子供向のものが専門で万人向がしたが、伊太利物の方は歴史的の大掛りのものが大部分で、偶に喜劇物が混る位であった。
そうこうする内、浅草公園は電気館が益々発展し、映画といへば電気館という程であった。何しろ当時は珍らしい事とて、どの館も連日押すな押すなであって、今と異ひ小さな館ばかりなので、観るのに大変であった。然し映画の方は急速な進歩を辿りつつ段々長尺物となり、面白いものが出来るようになったが、無論無声映画時代の事とて、弁士の上手下手が大いに影響したのである。当時弁士として鳴らしたのが有名な染井三郎君で、暫くしてから今の古川緑波君が助手として入った事を憶へている。其後附近に三友館というのが出来たが、此処は映画とキネヲロマと言って、動くパノラマのようなもので、色電気で風雨雷鳴のような天然現象を巧みに表わすので、一時は大いに受けたものである。それから次々出来たのが富士館、大勝館、オペラ館、帝国館、日本館などであったが、当時大当りした映画といえばジゴマ、名金、天馬等で、其頃からアメリカ物が入って来たのである。それまでは仏蘭西、独逸、伊太利物ばかりであった。私が初めてアメリカ物を見た時は、俳優の演技の迫力、セットの大掛り、テンポの早い事等で、見ていて飽きないから、俄然として人気が集まり、今日と同様映画は西部劇大流行で、而も連続物と来ているから、大衆はアッピールされて了ったのも無理はない。其頃の西部劇で人気を博したのが、ロローといふ日本人型の小男で、其敏捷軽快なる早業は、見ていて気持がいいものであった。そんな訳で映画といえばアメリカ物と決ったようになって了い、今日に至ったのである。
そうこうする内、之もアメリカ独特の喜劇物が生れて、到る処人気を博した。彼のチャップリン、ロイド、キートン等の人気者が出たのも此頃であった。尤も其以前伊太利映画で、新馬鹿大将(アンドリュウ)という頗る小男の喜劇俳優があったが、之も一時は人気を湧かしたもので、古い人は知っているであろう。又其頃米画には時々大物が入ってファンを驚かした。其中で今でも記憶に残っている物に、当時の巨匠グリフィスの大作であった。特に大物で題は忘れたが、原始時代から現代迄の文化の変遷を描いたもので、全世界を唸らしたという事である。又伊太利物ではミラノ会社の作品が殆んどで、十字軍やネロ国王、クオバヂスなど、仲々大仕掛のものがあった。そうして当時米国の会社で主なるものとしては、パラマウント、フォックス、メトロ、ユニバーサル等で、其中で今でも忘れられないのは、ユニバーサル系統の小会社でブリュウバードというのがあった。此会社の作品はそれまで全国を風靡していたドタバタ物とは逆に、非常に落着いた恰度欧州のロマンス文学に一転機を与えた彼のイプセンが現われたと同じような行き方で、非常に文化的でケレン*がなく、真面目そのもののテーマであるから別の味があったので、私は見逃さないようにした。此ブリュウバードは市内の二、三の特殊館だけで、其頃新橋の金春館(弁士は滝田天霊君)赤坂の葵館(同徳川無声君)が担任していて、ファンを唸らしたものである。
話は後へ戻るが、最初浅草公園だけに限られていた映画館は、其後市内各所に出来るようになり、而も関東大震災後は至る所に出来るようになった。そうして長い間子供専門であった日本映画も、漸く大人物になって来た。私なども最初の尾上松之助時代は見る気にはなれなかったが、私が日本映画を見始めたのは、今から約十数年前松竹の夏の陣といふ当時林長二郎、今の長谷川一夫君の坂崎出羽守を見た時からであった。此映画は其大仕掛な事や、種々の点が洋画にも劣らないので驚いた。之をキッカケとして私は此時から、日本映画ファンになって了ったのである。次に近頃の事は誰も知っているから此位にしておくが、玆で現在の邦画に就て、些か感ずる事をかいてみたいと思うのである。
昔と異い近頃の日本映画は、大分進歩はして来たが、遠慮なく言うと非常に悪い面が残っている。其点私は大いに警告を与えたいのである。先づ一口にいうと日本映画のレベルの低さである。それに就てよくいう言葉に、日本映画は金を掛けないから、外画のような良いものが出来ないという言い訳で、之が最も間違っている。何故なれば非常に評判になった近頃の伊太利映画にしても、恐らく金の掛っていない事は日本以上であろう。それにも拘わらずアレ程評判になるというのは、何処かに大いに魅力がなければならない。ではどの点にあるかというと、何としても其テーマの真摯さで、些かのケレン*もない。飽迄観客を甘くみていない。一言にしていへば映画性を避けて、本当に人間のあるがままの姿、にじみ出る社会苦の呻きをよく描いている。又頗る徹底的で、人間の悩みに対する批判の鋭さが、観終ってから何か万感胸に迫るものがある。
之に較べると日本映画の甘さはお話にならない。如何にも映画的、商業主義的すぎる。処が此結果が逆である事に気が付かないらしい。何よりも甘い邦画を棄てて、外画に吸はれるファンの多い事である。従って大いに警告したいのは、日本のプロデューサーなり、監督の考え方なりを、一日も早く断然切替えるべきである。一口に言えば全体的レベルを高める事である。飽迄観客の胸に喰い入るものを作る事である。終いまで我を忘れて観客を椅子に縛りつけて了わなければならない。それらに就て思い付いた儘をかいてみるが、先づ時代劇で之に就ても見逃し得ない一大欠陷があるから露呈してみよう。
(*ケレン——見た目本位の奇抜さを狙った演出)
映画の歴史みたいになったが、映画の最初の事も知って置いても無駄ではないと思って――。兎に角その当時と今との進歩の大きい事――然し其時分も、兎に角夢声映画時代の弁士の上手い、下手いが非常に興味があった。今の徳川夢声君は弁士の方はあんまり上手くない――それ程ではない。弁士として一番の親玉はやっぱり染井三郎、生駒雷遊、滝田天嶺――そういう人達で、むしろ夢声さんは弁士を止めて今の様になってから非常に名をあげて、一種の芸風がで出来たのです。だから夢さんにとっては、映画説明が無くなったという事が、反って出世の動機になったのです。
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