八月十五日

 今度アメリカから帰って来た人で、あちらの大学に行っていた信者がありますが、其人が此間あっちの病菌の状態を色々細かく統計的に書いて来たのを昨夜読んだのですが「栄光」にも出すし、それから小冊子の様な物を作ってアメリカに配ろうと思っている。大変な病人なのです。日本に負けない位なものです。現在医者にかゝっている人が千七、八百万人居る――人口が一億五千万人ですから、一割強がお医者の御厄介になっている。それで一番多いのは胃癌、小児麻痺――之はアメリカ特有のものです。それから結核が中々多いです。その他にも肝臓だとか喘息だとか色々な病気がありますが、一番困っているのは小児麻痺です。小児麻痺も、聞いてみると殆ど疑似小児麻痺です。霊の憑らないものです。大抵足が痛くて動かない――先の、死んだルーズヴェルトなんかそれでしたが、それなのです。原因は無論薬毒です。大体注射です。それに全然気が附かないので、やっぱり薬で治そうとするが治る筈はないのです。そういう事――病気の原因を精しく書いて、アメリカ人を救わなければならないと思っているのです。今此儘で行ったら、もう百年位でアメリカ人は亡びて了うでしょう。その為、病気の為に色々な方面に影響を及ぼしているのです。で、強い薬を飲んで一時抑えをやっているのです。一時抑えが効かなくなったら大変です。つまり薬の迷信にかかっているので実に可哀想なものです。今、世界ではアメリカが医学は一番進歩している。ドイツを凌いでいるという事になってますが、結論としては医学が進歩するから病人が増えるのです。そこに気が附かないのですから厄介なものです。処で、段々霊界が変って来るに従って浄化が強くなって病気が起る。そうすると又強い薬で抑え様とするが、抑え切れないから薬の毒を余計強める訳です。処が又、霊的には余計浄化が強くなるから、薬と浄化との闘いです。現にもう闘っている訳です。ヒドラジットなんかも、此間――或病院での研究によると、用いた後は一時良くなる。そうすると大抵二、三週間、長いので二ヵ月位で、一旦減った菌が又増えて来る。その菌は非常に強い菌なのです。それで、そういった菌が強くなる――つまり悪化するのが、今迄の統計では約三割増えてます。で、未だ今は三割ですが、之が段々浄化が強くなると、五割六割にもなって、結局あれを使ってはいけないという事になります。何時か書いた「結核新薬を嗤う」というあの論文の通りになります。そんな様な工合で、いずれはアメリカあたりで大変な問題になると思います。その前に警告を与えて置こうと思ってます。そうしていずれ「英文栄光」というのを作ろうと思っている。今の処の予定は、ハワイで丁度適当な人がありますから、そういう人にハワイで発行させて、こっちの栄光の翻訳と、特にアメリカ向きの記事も書こうと思っている。そうしてアメリカ人を救うという事の仕事をしなければならない。やはり今世界をリードしているのはアメリカですから、世界を救うという事はまずアメリカ人に分らせるという事が一番効果がありますから、そういう方法をとろうと思ってます。それで、反ってアメリカの方が分って来ると日本人が分るのです。何うしてもやっぱり輸入しなければ駄目なのです。舶来中毒にかゝっているから、やっぱり舶来迷信でしょう。他のものはそうでもないが、あゝいった学説とかいうものは、やっぱり舶来迷信にかゝっている。まあその迷信を利用するよりないのです。

 講和以前はそういう事はやはり言えなかったのですが、もう講和になれば言っても差支えないのです。兎に角日本人というものは非常に霊的に優秀なのです。之は一層詳しく話しすると分るのですが、日本人というものは何故優秀か――段々そういう事も話します。もう、世界では一番なのです。ですから美術でもそうです。今、美術は日本が世界一という様な世界的な世論になってます。今度アメリカで日本の美術の大展覧会を開催するので、それに就いて此間来たワーナー博士、フリーヤーという個人の美術館の館長のウェンリーという人、それからニューヨークのメトロポリタン博物館――之はアメリカでは一番ですが、其処の東洋美術部長のプリースト氏・ウェンリー氏とプリースト氏は此の間来て非常に褒めてました。ウェンリーという人に、此の美術館で此処がいけないという処が何かあったら遠慮なく言ってくれと言った処が、別に大してないが、皿みたいな物を見ると疲れるから、自分の処では目の角度に合わした様な陳列の仕方にしている。と、そんなものだと言ってましたが、それは私も承知してますが、巻物だとか皿は立てゝはやはり面白くないのです。皿としての意義が違うのです。皿は上から見るのが、皿としての観賞の仕方で、斯う(立てる)やっては額みたいになって、どうも感じが良くない。巻物も同じです。でも、巻物は幾らか斜に拡げてあるから良いのです。其人は日本通で、御飯を御馳走しましたが、坐って――其時一番美味いと言ったのは鰻です。蒲焼です。それからテンプラを食べ、奥さんと両方ですが、箸で食べているのですから、余程日本趣味が多いのです。そういう人はアメリカでも相当ある様ですが、特に日本美術と日本建築、斯ういう事に非常に関心を持ってます。そんな様な工合で日本人の美術的感覚は兎に角断然世界一です。日本の次は支那ですが、全般的には日本人の方がずっと上です。之は段々話しますが、西洋ではそういった美術とかいう気性の高いものは日本人ほどにはいかないです。兎に角――今朝もラジオの趣味の手帳で亀井勝一郎と言う人が昨日、今日、明日と、奈良の仏教に就いての批評をしましたが、今日は法隆寺の中宮にある弥勒菩薩を話してましたが、あれは観音だろうという説もあると言ってましたが、弥勒菩薩と観音様は同じで、その区別を知らないのだが、あれをロダンの彫刻を比較して言ってましたが、ロダンのは「考える人」という彫刻ですが、考えるのにロダンの苦悩が表われている。苦心が表われている。処が中宮にある観音様――弥勒菩薩というのですが、考えるというよりか、瞑想にふけっているという、如何にも穏かな柔い感じがする。と、そんな事を言ってましたが、之は上手(うま)い評です。実際日本美術というものはそういった平和の感じを非常によく出しているのです。

 又私は、終戦直後「栄光」に出そうと思って、音楽の事を書いた事があります。歌うという事は日本の音楽が歌うのだ。西洋の音楽は、男の方は吠える、それから女の方は悲鳴を上げるという様に書いたのです。で、歌うというのは日本の音楽は本当に歌うのだという様に書いた。処が栄光の編輯をしている人が、つまり日本人の優秀性を書くと、進駐軍の方があるから今の処は止した方が良いと言うので止しましたが、兎に角美術というものは平和の感覚を表わすのが本当です。つまり苦悶とか或いは闘争とか、そういうものを表わすという事は本当の芸術としての本質ではないのです。

 話は横道に外れましたが、日本美術というものは未だ未だドンドン世界に認められます。今度なんかも、先方は大分要求が多いのですが、良い物を見せて呉れと言っている。日本でも中々それに応じ兼ねるのです。それは日本には素晴しい物がありますが、或程度迄以上の物は承諾しないだろうと思ってます。こっちにもそういった様な物は四、五点ありますから、言って来ないかと思ってます。承知する事も出来ないだろうと思ってます。一つか二つは良いですが――。向うでは大変な大仕掛な事をやって、品物を選ぶのに間違があっては大変ですから、軍艦で運ぶのだそうです。で、向うの主催者は、ワシントンの博物館、それから今のニューヨークのメトロポリタン博物館、ボストン、シアトル、それからシカゴですか――五カ所の博物館と美術館が主催者なのです。それでアメリカ中約十カ所位を順次に開催して、一年の予定です。あっちの人は今日本の美術に対して非常に憧れているのです。今迄支那美術は知ってますが、日本美術は本当に知らないのです。去年のサンフランシスコの展覧会で喫(吃?)驚して、もう一つあれ以上のものをして貰いたいという要求になったのです。そんな様な工合ですから、まあ面白いのです。

 今度私は――医学に就いて日本は優秀どころではないのです。丸で桁が違っているのですが、それも大いに吹込もうと思っている。それから農作物。それから段々政治、社会、経済問題、そういうのも段々「文明の創造」の論文の中に書いていきます。というのは何時かも話した経緯の結びの時期になって来たのです。アメリカが緯で日本が経でそれが結ばるという、そんな事がそういった面から基いて行く訳です。やっぱりバッチもそれを表わしているのです。神様の方ではもう決っているのです。

 それから、よく社会事業に就いて、メシヤ教は社会事業をやらないのは何ういうわけかということを時々聞かれる、という話をよく耳にするのです。それに就いて徹底的に書いて置いたのです。

 御論文「本教と社会事業」   【註 栄光一七一号】

本教と社会事業

(栄光一七一号)

 よく本教へ対して、救世教は割合社会事業に冷淡だが、どういう訳かと聞く人があるが、これは実に可笑しな質問であると思う。今それを詳しく書いてみるが、本来宗教と社会事業とは似て非なるものである。何となれば、宗教は精神的救いであり、社会事業は物質的救いであるからである。と言っても実際を見れば、今日少し大きい宗教になると、その殆んどは社会事業を経営しており、それが一般常識となってしまっている位で、本教がそう見られるのも無理はないが、併しよく考えてみると、何程立派な宗教でも肝腎な宗教的救いの力がないとしたら、止むなく第二義手段として社会事業を()るより外意義はないであろう。つまり社会事業によって宗教的無力をカバーする訳である。併しそうは言うものの、現在の如く救済を要する不幸な人々が、あり余る程出て来る社会としたら、理窟はどうでも、早急に大量に救わなければならないのは勿論で、その点から言うと宗教を背景とした方が効果的であるから、結構と言うってもよかろう。併し本教に至っては、そういう宗教とは根本的に違っているので、その点詳しく書いてみよう。

 それは何かと言うと、本教の方針は社会事業の如き末梢的救いは他の機関に任せておけばいいとして、本教ならでは出来ない救いを実行するのである。丁度犯罪者の取締に対しては、警察も牢獄もなくてはならないと同様の意味が社会事業であろう。つまり、現われた結果を対象としての手段であって、言わば膏薬張にすぎないのである。従って、どうしても犯罪の根本に遡って根原を除かない限り、真の解決とはならないのである。処がその本原が分らない為か、分ってもその方法が物質以外の、嫌いな宗教であるからでもあろうが、相変らずの手段を繰返しているに過ぎないのである。ではその方法とは、言う迄もなく、人間の魂の入れ代(替?)えである。悪玉を善玉にする事である。近頃医学でもよく言う、病気になってからではもう遅い、どうしても発病しない内に方法を講じておくのが本当だ――つまり予防医学と同様であろう。処が本教は自由に魂の入れ代(替?)え、即ち魂を善化する事が出来るのである。それが本教の浄霊法であって、何よりも本教刊行の栄光新聞の御蔭話を読めば思い半ばにすぎるであろう。毎号病気、災害、貧乏から救われた幾多の奇蹟が満載してあり、一読驚異の外ないものばかりである。然も、それが日に月に激増しつつあるので、近来は紙面の狭隘(きょうあい)に困っているのである。勿論その悉くが本人の手記になるもので、その感謝感激の情は、涙なくしては読まれない程で、中には〝若し本教を知らなかったら、今頃は社会事業の御厄介になっていたに違いない〟と、述懐(じゅっかい)する者すら少なくないのである。これこそ予防医学ではない、予防宗教である。そうして我々の理想とする処は、社会事業の必要のない社会を作るにあるので、これが実現されてこそ真の文明世界であろう。処が、私の説に従えば必ず実現するのであるから、如何に偉大なものであるかが分るであろう。

 以上の如く、社会事業を大いに必要とする不幸な社会としたら、現代文化のどこかに一大欠陥がなくてはならない筈である。ではその欠陥とは何かというと、他にも色々あろうが、何よりも本教の如き驚異的に社会福祉に貢献している救いに対し、政府も識者も知らん顔の半兵衛である。勿論気附いてはいるのであろうが、察するに宗教なるが故にという、取るに足らない理由でしかあるまいから、これが抑々の盲点である。医師に見放された病人がドシドシ治る事実だけに見ても、良心ある者ならジッとしては居られない筈である。それを精神作用位に片附けてしまい、進んで研究しようともしないのであるから、何といっていいか言葉はないのである。

 (ついで)だから、本教が今度造った美術館に就いても一言したいが、これこそ立派な社会事業である。それは、昔からの名人巨匠が苦心して作った、日本の誇りとも言うべき立派な美術品が、今迄は一般人には見られなかった事である。只仏教関係のものが、博物館や京都、奈良等の寺院へ行けば見られる位で、それ以外の国宝級な貴重な美術品など、貴族、富豪の邸内深く秘蔵されており、それも極く親しい者だけにしか見せないのであるから、つまり美術の独占であった。処が民主日本となった今日としたら、赦さるべくもない。という意味で、私はこの弊風(へいふう)を打破し、何人にも気安く自由に見られ、楽しまれる美術館が必要と思い、長年念願はしていたが、何しろ莫大な費用と、幾多困難な条件も伴なうので容易な業ではない。というのは、政府でさえ以前からその様な計画はあったようだが、今以て手を染めない処をみても明らかである。然も個人や団体としては尚更そうであろうし、そうかといって企業的には採算がとれる筈もないから、これも見込はあるまい。処が幸いにも、私は宗教家である関係上、多数信徒の奉仕的援助も大いに(あずか)って、兎も角実現が出来たので、喜びに堪えない次第である。勿論国としての欠陥を幾分でも補い得ると共に、現在最も必要な社会事業の一つとして、世間も認めざるを得ないであろう。そうして今一つの重要な事は、本美術館は、位置と言い、環境(かんきょう)と言い理想的であるから、これから増えるであろう観光外客に対しても、日本文化の優秀性を紹介する上に於て、相当な貢献が出来ると思うのである。  

 之は少し強い言い方ですが、ずっと先の事――予言です。それを書いてみたのです。

 御論文「医学関係者に警告する」   【註 栄光一七一号】

医学関係者に警告する

(栄光一七一号)

 本教は現代医学がいかに間違っているかを理論と実際の上から常に知らしており、その発表を始めてから最早十数年になるので、大抵な医事関係者諸君は知っているであろうが、ここで大いに注目されたい事は、年を経る毎に本教の理論が、益々光を放って来る事実である。そうして医学が病気を作り、薬剤が病源となるという本教の持論も、漸次動かすべからざる空気が濃厚になりつつある事である。何よりも本教刊行の栄光紙上に満載されている御蔭話を見れば、全部本人手記の感謝礼状であるから、この事だけにみても多くを言う必要はないくらいである。そうしてその一つ一つが医療による被害者であって、プラスなどはほとんどなく、ことごとくは恐ろしい程のマイナスにされている事である。もっともそれだから本教に来て救われたのであるが、ともかく莫大な医療費を使い医師もすこぶる熱心に加療したにかかわらず、悪化の一路をたどり、ついに進退きわまるの窮地に追い込まれたその経路を見れば、いかに医療が病気を悪化させ、余病を作り、薬剤が害毒を与えたかという事が、余りにもハッキリしているのである。

 ところがこれ程の医学の誤謬に、長い間世界中ただの一人も気が付かないのであるから、摩訶不思議の一語に尽きるであろう。そのような訳で各国の専門家等は最大級の熱意を傾けて研究すると共に、政府当局者も医師の指示通りの施設万端、(あた)う限りの努力を払っているにかかわらず、病人の氾濫は停止するところを知らない有様で、常に悲鳴を上げているのは誰も知る通りである。としたらこのような誤謬医学は早晩退陣の止むなきに至るのは、火をみるよりも明らかで、その時期は目前に迫っているのである。という理由は私によって、真の病気の原因が発見されたと共に、機械も薬剤も何ら物質的のものを用いずして、いかなる病気も全治可能の方法が生まれたからである。そうしてこの療法によって重難病が治された人々は、病気と健康の真理を覚り、病気の不安から全く解放され完全健康者となったので、その歓喜の境地に立って社会を見る時、いかに医学に災いせられ、苦しんでいる多数の人のあるを知っては、到底我慢が出来ず、一人でも多くの者を救うべく、一大決意をもって宣伝これ努める人が、日に月に増えつつある事実である。

 そのような体験者が無限に殖えるとしたら、いずれは燎原(りょうげん)の火のごとく、世界の医学を焼き尽さずんば止まないであろう。しかもこれは絶対である以上、全世界の医学に携わる人達よ、今から考えて用意しておくべきであろう。でなければ来るべき医学の一大危機に直面した時、いかに狼狽するかは目に見えるようである。これはあえて(おど)かすのではない。決定的であるからである。従って私はそれを憂い、誠意をもって予め警告を与えておくので、吾々といえども人類救済の聖業に従事し、神の大愛を取次ぐ上において、一人の不幸者も作りたくないからである。しかし今このような事を言っても、第三者としたら到底信ずる事は出来まいが、それは食わず嫌いか、いまだ縁なき衆生として、本教に触れてみないからで、何よりも大悟一番、本教の病気治療の現実を調査研究されん事である。その結果私の言にいささかの偽りがないとしたら、断然百八十度の転換をすべきである。いずれにしても近き将来、現代医学には没落の機運が来ると共に、それに代って神霊医学勃興時代となるのは、当然である事を知らせるのである。

 之も一寸面白く書いてあります。

 御論文「宗教と妨害」   【註 栄光一七二号】

宗教と妨害

(栄光一七二号)

 昔から宗教に妨害は付物とされているが、その中の一番大なるものは、彼のキリストの受難であろう。その外釈迦に提婆なども有名なものだが、日本においても(ほう)(ねん)親鸞(しんらん)日蓮(にちれん)等の受難も衆知の通りであるし、近い処では天理教、大本教、人の道等もそうであったと共に、本教も御多聞に洩れず、今までにも何回となく断(弾?)圧され新聞を(にぎ)わした事は、新宗教中の有難くもない王座を占めていた訳である。そうして面白いことには、その宗教が将来性があり、価値の高いもの程正比例的に妨害も強い事実である。というのはどういう訳であるかをかいてみよう。

 言うまでもなく、宗教なるものは霊主体従の法則により、霊界における神々が主神の命に従って、時と所と民族に適応(てきおう)する救いを行うので、キリスト教、仏教、マホメット教の如きは、その最大なものである。勿論宗教の建前は善を教え、人類社会を天国化するにあるので、人間からみれば結構ではあるが、邪神の方では全然反対である。というのは、邪神は悪の人間を作り、苦悩に充ちた地獄社会を造るのが目的であるから、絶えず正神と闘っている。これが霊界の実相であって、そのまま現界に(うつ)るのであるから、見らるる通りの地獄世界である。

 そうして小善には小悪の邪神が妨害し、大善には大悪の邪神が妨害するのは勿論である。この様な訳だから、我救世教に対しても、絶えず邪神界の頭目が妨害に当っている。何しろ歴史(はじま)って以来ない偉大な宗教であるから、邪神界は大恐慌を起している。この事は細大洩らさず私には分るが、信者の方でも各地において神憑り等によって、その片鱗(へんりん)を知らされているであろう。そうして今最も活躍しているのが赤龍と黒龍の頭目で、これが多くの眷族を使い、共同的に妨害しているのであるから堪らない。その争闘たるや血湧き(にく)(おど)るの(がい)がある。それらを赤裸々にかきたいが、今は神様から止められているので、残念ながら何れ時が来れば発表するつもりである。処で何程邪神の頭目が大々的に妨害しようとしても、コチラの方には金剛力を揮われる最高の神様が付いているから、一時は負けても最後は必ず勝つので心配は要らないが、勝つまでの苦しみは相当なものである。併し随分妨害されながらも、順調に発展しつつあるのは見らるる通りである。茲で知っておくべきは邪神の特長である。それは驚く程の執拗さで、幾度失敗しても決して懲りたり諦めたりするようなことはない。どこまでも彼の手この手でやってくる。その点(とて)も人間では想像もつかない程である。然もその無慈悲残虐(ざんぎゃく)なる悪魔的心理に至っては、形容の言葉すらないので、これが邪神の本性であるからいたし方ないのである。そうして悪魔中の力ある奴程、人間界の社会的地位ある者やインテリゲンチャ、ジャーナリスト中から選び憑くのであるから、この真相が分ったなら愕然(がくぜん)とするであろう。

 従ってこういう凄い悪魔と、それ以上の神様との闘いが始終行われているに拘らず、見えざる霊界のこととて知る筈もないから、人形同様に躍らされているのが万物の霊長様である。勿論当事者である私にはよく分るから、恐ろしいこともあり、面白いこともあり、愉快(ゆかい)でもあるので、この心境のみは如何なる人でも分らないのである。然も今度の御神業における正邪の戦いは、古往今来嘗てない程の千変万化、虚々(きょきょ)実々(じつじつ)の大芝居で、只神秘というより外はないのである。処でそれについての大きな問題は、地球の一大転換である。それは昔から今日までの神と悪魔の戦いで、即ち夜の世界であったからで、神の方が一旦敗北すると、挽回に相当の時を要したものが、最近に至っては非常に(せば)まって来た事は信者も知る通りである。処が今や昼の世界に移りつつあるから、邪神の力は段々弱まって来た。そのため挽回の速いことは、反ってプラスになる場合さえある位で、それは事実が示している。一昨年五月のアノ事件は、一時は致命的と思われる位の打撃を受けたので、世間では再び立つことは出来まいと思われたに拘らず、僅か二年を経た今日、箱根・熱海の地上天国の進捗や、教勢の拡大等誰も予想のつかない程の発展振りである。従って若しアノ事件がなかったとしたら、この何倍の発展か分らない筈である。というのは神様の威力が非常に強くなった証拠であるから、何といっても今一息という処まで来ているのである。何れは全世界から引張(ひっぱり)(だこ)にされる時の来るのは必定である。尤も世界人類を救うという空前の偉業であるから、これ位の妨害は当り前かも知れないとも思っているのである。

 今読んだ様な訳で、宗教として法人になって発足したのが二十二年の八月ですから、今年は丁度五年目になるのです。五年目での此の発展振りというのは例がないと思うのです。その頃は――最初は観音教と言ったのですが、殆ど世の中で知っている人はない位です。それが、その翌年の秋、脱税問題が起ってから、知れ方は悪いのですが兎に角知れるには知れたのです。やっぱり、あれも一つの神様の仕組なのです。そんな訳で、良い事は知れ(にく)いのですが、悪い事の方は悪事千里で知れるのが早いのです。悪事千里なんて言って――こっちは悪にされた方です。そんな訳で僅か五年で之丈の発展をしたのですから実に素晴しいものです。感慨無量という処です。ですから斯ういうふうで後五年もしたら無論世界的に発展します。何しろ世界を救うのですからその位の早さでいかなければ到底駄目です。そんな様な訳で、本当言うと之からが面白くなるのです。之からが本舞台になる訳です。今迄は楽屋で支度していた様なものです。やっぱり世界的にならなければ本舞台ではないのです。日本丈では、やはり今迄の――在来の宗教と同じです。処がメシヤ教は在来の宗教ではないと言っているのです。宗教以上のものだと言っているのですから、世界的に飛躍するという事が当り前なので、神様の方ではちゃんとそう決っているのですから、愈々之から脂がのって来る訳です。時間が来ましたから――。

 

 

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