今日で御祭も終りですが、今度の秋の大祭は特に意味があるのです。この神仙郷が完成した最初の秋の大祭なのです。前にも話した通り此処は地球の丁度真中になるのです。中心なのです。之が講和以前では変な目で見られますから、そんな事を言う事は出来なかったのです。今だから言いますが、此処が地上天国の模型で、模型が此処に出来て之が段々拡がって行って世界的になった時が地上天国なのです。そういう意味とすれば、非常に重要な意味になるわけです。だからして、段々そういう風に拡がって行くのですから、非常に結構です。然し良い方はそれで良いけれども、悪い方は――拡がるに従って、汚いものは取除かれる事になるのです。ですから其結果戦争も起りましょうし、それから原子爆弾なんかによるぶち壊しもあるでしょうし、兎に角世界的の大掃除が始るわけです。それに就いて、いま多賀という人の奥さんに仏霊が憑って来て、盛んに明主様に御詫して呉れという事を言っているのですが、之は本当なのです。色んな各宗教の開祖、教祖――それが、中には予期したのもありますし、予期しない霊もあって、愈々仏界が無くなるというに就いて、今迄良いと思ってやった事は大変な間違いがあった。だから御詫して、どうか今度の地上天国の御神業――昼間の世界になる御神業を手伝わして貰いたいというのが続々と出て来るのです。之は今度「地上天国」に出ます。最近は色んな神様が、御祝い御慶びに随分出て来ます。天照大御神様も御祝に来られたのです。それから月読尊、伊邪諾尊などです。天照大御神は日本では最高の神様としてますが、主神ではないのです。つまり太陽神です。宇宙というものは太陽ばかりではない。月もあるし星もあるし地球もありますから、その全体を握っているのが主神なのです。それで、私は主神の仕事をさせられているわけですから、そこでそういった今迄の偉い神様も、之からこのメシヤ教の為に大いに働くわけです。そんな様な意味の事を頻りに言ってますが、そんな様なわけで之から本当に現界的に始っていくのです。現界的と言っても、現界の奥の方に始っていくのです。本当に現界に始るのは五、六、七と、それが揃ってからが本当の現界です。で、それに就いての第一段が之から始るわけです。第二段が熱海になるわけです。熱海の地上天国が完成すると本当の現界的になります。何時も言う通り、此処(神仙郷)が霊界になるのです。現界の霊界です。で、熱海は現界の現界です。
今度京都の嵯峨と言う所に丁度適当な土地があって、それを愈々契約丈しましたが、一万八千坪あるのです。大きさは丁度良いのです。もっと拡がるかも知れませんが、今の処は丁度良い位の所です。それで、箱根が「五」で、熱海が「六」で、京都が「七」になるわけです。ですから日本的に五六七という形が備わったわけです。箱根が山で、それから熱海が海で、京都が土です。それで五六七です。ですから、土だからして京都は平なのです。之は私は極く平な所で池のある所というのを注文してましたが、丁度そういう所が決ったのです。之はどうせ神様がやっているのですから自由自在です。時期々々に於て現われて来るのです。その位置が丁度、釈迦堂――嵯峨のお釈迦さんを祀ってある所ですが、之は去年最初にお参りした所です。それから去年講話をした法然院は法然上人の住まわれたお寺ですが、法然上人は浄土真宗(浄土宗?)の開祖です。で、法然上人から親鸞上人(聖人?)になって、それから蓮如上人となる。ですから日本に於る阿弥陀さんの本拠です。すると釈迦堂と阿弥陀さんの所との、其間が今度の土地ですから、私の方は観音さんですから、そこで丁度観音、阿弥陀、釈迦と、斯ういう形が出来たわけです。出来たと言って、形になったわけです。それで、昔から弥勒三会という言葉があるのです。弥勒が三人会うという事ですが、〝弥勒三会の鐘の音〟とか〝弥勒三会の暁〟とかいう言葉があるのですが、弥勒三会になって、それから弥勒の世が始るという事になっているので、その形が出来たのです。
大体京都という所は、つまり仏界になるわけです。元は神様の所だったのですが、神様が引退されて仏の世に渡されたというのが今迄の仏の世ですが、その世が京都に出来ているわけです。そこで京都が仏界で、その仏界が愈々仏滅になって、そうして今度の弥勒の世になるのですから、そういう意味が根本です。そういう様な意味が之から段々現われて来ますから、その積りで見て居れば分ります。で、今度は京都に、庭園でも建築でも純日本的にやる積りです。何ういう風にやるかと言うと、大体京都の色んな建物でも庭園でも純日本式で、兎に角その意味に於て京都という所は実に良い所ですが、然し日本文化的であっても、現在見るとバラバラなのです。少しも統一がないのです。というのは歴史的にも時代々々で特殊な文化様式になっているわけです。というのは、太平が続かなかったのです。やっと太平が続く様になったのは徳川期からです。それ迄は奈良朝時代から平安朝時代、鎌倉時代になって鎌倉の方が開けたのです。それから東山、桃山となって、その都度文化が出来たのです。それが京都にバラバラに現れているのです。奈良朝時代は仏教美術です。之は沢山お寺があって、お寺美術が充分出ています。それから其次の平安朝時代に出来たのは貴族文化です。まあ、やんごとなき御方が、みんな御殿の奥深く、歌を作ったり――あの時分に色んな有名な歌人が出て非常に盛んだったのです。それから美術も、絵画、彫刻、全部藤原氏です。非常に良いですが、そうかと言ってあまりに貴族的に偏っている為に、一般大衆にはどうも良く合わないのです。其次が東山時代の、つまり足利です。之は金閣寺、銀閣寺と、中々豪華な物が出来ましたが、之は言わば其時の主催者が楽しんだ、将軍文化です。其次が桃山ですが、桃山は秀吉が作った様なものですが、只絢爛たるものであり、その又反面に茶の湯という、非常に侘たものを作った。之は非常に面白いのです。で、相反する特徴のある文化が作られた。それから次に出来たのが徳川時代で、元禄です。華やかな素晴しい物です。其為に現在一番残ってます。今の歌舞、音曲です。それから美術に関した物です。そういう物が今一番残っていて、然も盛んです。それと茶の湯です。で、元禄文化というものは漸く権力者の手を離れて、民衆――之は町家の金持の贅沢力を満足させたものです。併し之は割合短かったのです。其時分にあまり贅沢にしていたというので幕府が断(弾?)圧しましたが、之は素晴しいものです。光琳なんかも其時分に現われた。それから漸く江戸時代になって、民衆の楽しめる文化が出来たのですが、京都はそこ迄いってないので、殆ど権力者の贅沢、楽しみと、そんな様な文化が時代々々によって散り散りバラバラになっているのです。そこで私は今度京都の地上天国は、そういった古来から出来た文化を綜合して――綜合という事は、良い処をとって、総合調和させた様なものを拵え様と思っている。そうしてその上に大体現代感覚にピッタリした様な、そういう物を造ろうと思ってます。理窟から言うと立派ですが、之は中々難かしいものです。つまり日本的の、今迄出来た秀れたものを出来る丈活かして、欣然たる一つの二十世紀的のものを造ろうと、斯ういう理窟なのです。何しろ神様が手伝っているから立派なものが出来ると思ってます。それで真善美が揃うわけですが、大体時期がそういった様な処迄出来たわけです。けれども日本丈ではない、世界を救わなければならないのだから、極く最初の一段階、一つの区切りと言っても良いですが、そんな様なわけで神様は、段々拡がり、形も整うという様な工合にいくわけです。そんなわけで京都は極力日本的に造ります。それから熱海は、之は全然西洋式なのです。今度の会館、展望台、美術館と、日本的の物は殆ど無い位です。火水土と言いますが、外国――西洋は水になるのです。水の文化です。だから熱海はそれになるわけです。つまり六です。火水土のうち、水が西洋になって、火が日本になるのです。土が東洋になるわけです。それで箱根は元になりますから――中心になるから、此処は西洋風と日本風と両方出来ているわけです。
今度完成した美術館ですが、之では一寸狭いのと、催し物の時なんか別に見る所がないと、今陳列してあるのを一々仕舞って又並べるというのは非常に手数がかゝって工合が悪いので、今度小さいのが四、五十坪の別館を造る積りです。丁度萩の家の後手――女の人の宿舎を移築して、その跡に五間に八間という美術館を造ろうと思ってます。之は催し物――特別展という事に使おうと思っている。来年の五月に出来る積りですから、最初の特別展覧会は浮世絵の展覧会をやる積りです。そういう風に計画を立てると、又浮世絵の良い物が集って来るので、実に神様は気が利いているのです。素晴しい物が出て来るのです。
兎に角神仙郷の向う側は西の方で、やはり西洋風の物ばかりです。日光殿は日本になるわけです。そこで「日光殿」と名前を附けたのです。
それから新宗教も色々ありますが、新宗教と言ってもメシヤ教は別です。之はナンバーワンとされてます。それは断然切離してますが、あとは日蓮宗の派が最近非常に活躍しているのです。之は少し目立つ様なものはみんな日蓮宗の一派です。特に霊友会の分れが非常に多いです。で、今迄斯ういう事はなかったのですが、近頃日蓮宗の一派の活躍というのは物凄いです。処が之は非常に意味がある。というのは、法華経二十八品ある。その二十五番目の観音普門品――之は法華経――法の華を咲かせて実を生らせるというので、実が観音さんなのです。そこでメシヤ教の元は観音さんです。元と言っても始りですが、観音さんから始った。そうすると今度現界的に観音様が出られるという意味に於て、日蓮宗で法華経の法の華を咲かせるという、そういう御仕組になるわけです。ですから或時期迄は非常に盛んですが、それから今度は華が散りますから、そうして実が生まれるという順序になるのです。ですからお気の毒ですが、そういう様な時が必ず来ますが、それによって日蓮上人も大いに救われるわけです。精しく話をすると中々面白いのですが、その話はその位にして置きます。
それから昨日の余興の時に、内海突破君が此処に来て、二十分ばかりの予定だった処が、なんだか気持が良いのでウカウカと、四十分か五十分になりましたが、どうも此処に来ると気持が良いという事を言われてましたが、之はそのわけで当り前なのですが、それであゝいう人達――芸能人社会にはメシヤ教は中々認められて来て、ボツボツ信者になる人もあるのです。未だ未だ信者になる人も増えるでしょうが、然しあゝいう人達が信者になるという事は大変な力なのです。というのは、話なり歌なりの言霊を発するのに、其人達はそれ丈身魂が浄ってますから、それから発する言葉によって大衆の魂を浄めるという働きになります。それで、之は耳から浄めるのです。耳から浄化するのです。それから美術館とか斯ういった地上天国――之は段々箱根から熱海になって京都も出来るのですが、之は目から浄化するのです。それから色んな文章――新聞、雑誌というのは、文字から浄化する。斯ういうのは一つの浄化の方法になるわけです。処で、病貧争絶無の世界というのは、凡てそういった苦しみ悩みというのは浄化されるのです。そうすると人間が浄化されるべき汚い物を持っているから、そこで人間がその汚い物を除るに従って、浄化の必要がないから、そこで苦しみが無くなって来るというわけです。だから病貧争絶無の世界というのは、浄化の必要のない世界、浄化が無くなる世界です。それがミロクの世です。で、世の中のあらゆる苦しみは浄化して――茲で知って置かなければならない事は、今迄は苦しみによって浄化されたのです。で、中には求めて苦しみをして、そうして浄化される方法もあるのですが、宗教的の難行苦行はそれなのです。つまり浄化――魂を磨く、其為に色んな難行苦行――山に籠とか断食するとか水を浴びるとか、色んな苦しみをして、その苦しみで穢を減らそうというのです。ですからバラモンなんかは、羅漢みたいに難行苦行して悟を開くというのです。悟を開くとうと魂が磨けるから、穢が除れる、色んな物が見える、というのでそういう方法をとったのですが、之は夜の世界だとしたら仕方がないのです。処がメシヤ教はそういった難行苦行でなく、楽しみながら浄化されていくという方法をとっているのです。それで今言った様な芸能とか美術とか、そういった、みんな楽しみつゝ浄化されるというのとは大変な異いです。之はつまり夜の世界のやり方と昼の世界のやり方との異いさです。だからメシヤ教には難行苦行はないのです。だから何時も言うのは、苦心惨憺なんて言葉はないのです。だから斯ういったお庭だとか美術館を造るのは随分御苦労なさったでしょうと言うから、私は返事に困るのです。御苦労なんて殆どしないのです。楽しみ楽しみやったのです。処が今迄の事は、何かやるのに苦心惨憺し苦労をうんとしなければならなかったのです。だからそこの異いさがある。浄霊するにも、今迄の様に力を入れてうんとやらなければいけないというのは、いけないのです。力を入れないで、気楽にすればその方が効くというのだからあべこべです。だから苦労したり色々する事だと旨くいかないのです。
此間院展と青龍展に行って見ましたが、之は普通の人には分らないが、面白いのです。絵が苦心して画いてあるのです。苦心して画いてあると、その苦悶がそこに表われますから、それから受けるから、こっちで見てると苦悶を感じるのです。それは駄目なのです。それは良い気持で楽しみながら画いてあると、それがやっぱりこっちに写りますから、やはりこっちも楽しめるのです。それが、やはり一つの迷信みたいになっているのですが、それが盛んに努力し苦労してやるので、それが画面に表われているから面白くない。今度展覧会の批評を「栄光」に出しますが、之も随分驚く程の書き方ですが、之は現代画家の一、二流処に配布しようと思ってます。彼等は飛んでもない間違をやってますから、そうして目を醒まさせ様と思ってます。
それからもう一つ今書いているのは、此間も言った通りアメリカの病人の多い事です。だからアメリカを救うという事をしなければならない。もうあらかた出来ましたが、之はアメリカの大統領とか有識者の方面に配る積りです。之も一寸驚くでしょう。日本のくせに生意気な、アメリカが日本を救うと言うのなら話は分るが、敗戦国の日本のくせにと驚くだろうと思います。併し読めば分ります。之は日本人も驚くだろうと思いますが、之はそういうわけだから仕方がないのです。
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