九月十六日

 今度アメリカから帰って来た立松文二という人が、あっちの病気の統計をすっかり調べて帰って来たのですが、此間も話した通り素晴しく病気が多いのです。で、此儘進んで行くとアメリカは亡びて了います。だからその原因や治し方や何かをすっかり書いて、小冊子にして大統領とか偉い人とか医学界とかに配ろうと思ってます。で、アメリカを大いに救いたいと思ってます。之から書くのですが、序文丈を読ませます。処が日本では、アメリカの医学が世界で一番進歩しているというので、一所懸命真似をしようとしてますが、私の考えでは凡そあべこべです。日本の当局の方ではアメリカが先生になるが、私の方ではアメリカは弟子の様に思っているから、逆になるわけです。

 御論文「米国に於ける驚くべき病者の氾濫」   【註 栄光一七五号】

米国に於ける驚くべき病者の氾濫

(栄光一七五号)

 下記の報告は本教信者立松文二君が、米国ノートルディム大学(カソリック系)に留学一カ年を経た最近一先づ帰朝したが、予て依頼してあった現在米国に於ける主なる病気の統計を、精査記録したものを持って来たので私は之を見るや唖然としたのである。それは余りに私の説を立証しているからである。そうして今日日本人の誰もが思っている事は遂最近迄は世界医学の覇権を握っていた彼の独逸を追抜き、今日隆々たる米国医学の事であるから、定めし素晴しい成果を挙げているに違いないと予想していたであろうし、私もそう思っていた処、事実は全然裏切られてをり、其悲惨なる現状には驚くの外ないのである。若し今後も此趨勢が続くとしたら、此恐るべき状態は益々増大すると共に、何れは国を挙げての一大危機に直面するであろう事も、想像に難からないのである。

 而も米国が現在一大脅威としても、国を挙げて其対策と共に努力しつつある彼のソ連の軍備と、そうして共産主義の執拗な侵略的行動である。処がそれとは別な此健康問題に就ての重大性も閑却出来ないので、寧ろ共産主義以上かも知れないと思うのであって、之こそ一日と雖も忽せに出来ない大問題である。というのは共産主義の脅威にしても、自由主義国家群の聯合の力で兎も角抑えられている現状であるに反し、此方はそうはゆかない。何故なれば現代医学の幼稚なる為未だ其原因すら判らず、分っても解決の方法さへ不可能であるとしたら事は頗る重大である。それも其筈処か吾々からみれば、実は医学其ものが原因となっているという信ずべからざる程の意外な事実である。としたら此点に気附かない限り、今後と雖も悪化の一途を辿るのみであろう事は、下記の統計を見ればよく分るのである。それは年を経るに従い加速度的に凡ゆる病気が増えつつある事実である。従って此趨勢が続く限り、向後一世紀を経ない内に今日の如き強大なる米国と雖も、急速度に衰退の止むなきに至るのは、断言して憚らないのである。

 今私は世界の文明諸国を見渡した処、兎も角キリスト教を以て立国の方針とし、一般国民が神を信じ、正義の行われている国としては、先ず米国を以て第一と見てよかろう。それが又米国繁栄の基礎ともなっており、偉大な国家としての原動力ともなっているのは争えない事実であろう。今日世界の平和を維持している国の王者としては勿論米国であるとしたら、何よりも先ず此国を救うのが、平和と幸福に対する最大条件であろう。此意味に於て一日も速かに同国に於ける病気増大の根本原因を知らせ、解決方法を教ゆる事こそ神の大愛でなくて何であろう。従って、私は統計の順に一々の病気に就て、其原因と治す手段と、予防の方法とを詳しく明示して小冊子となし、同国大統領始め、各方面の識者、医学関係者に配布する心算である。

 処で玆で日本に就ても言いたい事は、米国医学が如上の如き実体であるに拘わらず、今日最も優秀なるものと誤信し、それを採入れようとしているのであるから、実に悲しむべき盲点である。之も全く唯物科学に囚われている結果で、米国医学の外形的進歩としての施設や、機械の優秀、強力なる新薬の続出等に眩惑された結果に外ならないので、米国と同様危い哉である。従って日本の当事者も此文を読んで速かに自覚されゝばいゝが、依然として迷夢から覚めないとしたら我国の将来も暗澹たるものであろう。最後に一言したい事は、医学が進歩する程病人が増えるという其鉄則は、現在米国が遺憾なく全世界に示している一事である。

 

 寄書「米国に於ける病気状況」    【註 栄光一七五号】

米国に於ける病気状況

(「アメリカを救う」より)

米国駐在信者 立松 文二

 全土を通じて、よく設備の行届いた六千四百三十の病院と、百四十五万六千九百十二のベッドを有し(以上千九百五十年現在)、日々の新聞に、医学上のいずれかの分野に於ける新学説、新療法、新薬、等々の発表、報告等を見ない日はほとんど無く、衛生思想は驚くべく普及し、食器類の熱湯消毒、病菌の媒介と見らるる蝿、蚊等の駆除、予防注射、伝染病患者の隔離等々が、莫大な予算の裏付によって、ほとんど完璧に近き迄に実施せられつつある。米国に於ける病気の状態は、果して如何?

 霊界の漸進的転換、火素の増量、浄化力の強化、と云う一連の現象は、この医学王国に如何なる形で現われているであろうか?次に簡単な一瞥を試みて見よう。

 マラリヤ、十二指腸虫病、トラホーム、チフス、コレラ、天然痘、黄熱、ペスト等々、所謂集団病と称せられる病気は、確かに医学の発達に比例して、米国を始めとする文明諸国から姿を消しつつある。と同時に、文明社会に固有の「贅沢病」乃至「文明病」の患者は、アメリカにおいてすら多数存し、寧ろ年々その数を増しつつある事、彼等の自負する医学を嘲笑うが如くである。現代医学は急性の集団病を慢性の文明病と置き代えた、と言っても過言ではないようだ。

 例えば癌である。現在米国には七十万人余の癌患者がいるが、これは死亡者数、罹病者数、共に年々増加の一途を辿っている。死亡者数を見ると、千九百年には十万人につき六十四人であり、死亡率の順位として第八位に位していたのが、年毎に漸増して、千九百四十八年には百三十六人となり、心臓病についで第二位を占めるに至った。

 即ち千九百年には、癌による死亡は四万一千人であったのが、千九百四十八年には十九万七四十二人、更に昨千九百五十一年には二十一万五千人が癌でたおれて、アメリカ建国以来の新記録を画した。現在米国癌協会(The American Cancer Society)は、種々の癌対策に腐心している。癌の早期発見と、責任ある医師による早期治療(主としてラジウム光線、Ⅹ線、摘出手術)とを、パンフレット、新聞、ラヂオ、公開講演等々によって、奨励、宣伝にこれ努めている。日々の新聞を見てもアメリカ人は癌恐怖症に取りつかれているという印象を受ける。

 次に結核であるが、これによる死亡率は確かに年々減少しつつある。千九百年には十万人につき百九十四人で、第一位の死亡数を示していたが、千九百四十八年には三十人となって、第七位に下った。「しかし、千九百五十一年においては、それに先立ついかなる年よりも結核患者数は多い(聖ヨゼフ・カウンティ結核連盟、St. Joseph County Tuberculosis League)」死亡者数の減少と、罹病者数の増加という皮肉な現象は、固め療法としての医学の発達と、浄化力の強化と云う、二つの相矛盾する事象の相剋がもたらす当然の一結果と言えよう。医療による浄化停止は、ベッドに常住する気の毒な社会的廃人を益々製造するに役立つ許りであるようだ。

 死亡率減少しつつありとは言え、千九百四十八年における結核死亡者数は、四万三千八百三十三名に上っている。これは一日に百二十人、十二分毎に一人の死亡という割合であり、他の全伝染病による死亡者数の総計を上回っている。

 因みに、全世界における結核による死亡者数は、年平均三百万人から五百万人に上るというから恐しいことである。現在米国で結核患者と銘打たれている人々は、五十万人(主として十四歳から三十五歳迄)即ち、二百二十五人の成人に一人の割合である。

 米国の社会にとっての大きな脅威の一つに精神病がある。精神分裂症を始めとする精神病者の数は、実に九百万人という夥しい数を示している。そして精神病国民協会(National Association for Mental Health)は「今年米国で生まれた子供の内十二人に一人は、その生涯の何れかの時期に、精神病院に入院せねばならぬであろう」と報告している。

 罹病者の多い事で、精神病に次いでいるのは、四肢の諸関節の激痛、発熱、腫脹、硬化等々の症状を現わす関節炎(Apthritis)であろう。患者数は全米を通じて七百万人から八百万人に上り、毎年約十四万七千人の新患者が出ている。人類史上最も古いこの病気は、又最も多く謎に包まれた病気とされている。

 所謂心臓病による死亡者は、年々手の施しようもなく増えつつある。五十年前の千九百年には十万人につき百三十七人で、死亡率の順位では第四位であったのが、千九百四十八年には第一位を占め、三百二十三人となり、更に千九百五十年には三百五十四・四人で、実数にして五十三万五千九百二十人がこの病気でたおれている。心臓病罹病者数は実に三百七十万人と言われる。

 次にいわゆる慢性頭痛持が米国に非常に多い事も注目に値しょう。クレアランス・ウッドベリイと云う医師は、アメリカン・マガジン誌の五月号で曰く。

 「私は、約千二百万人のアメリカ人が、慢性の頭痛持である事を知って驚いた」と。

 典型的「贅沢病」と云われる小児麻痺は、患者数は詳かでないが、比較的文明高度なヨーロッパ諸国及び米国に最も多く見られるのみならず、主としてそれらの国々の富裕階級に多い。これ等気の毒な小児麻痺患者の為の活発な街頭募金運動は、米国で屢々目撃される処である。

 米国におけるその他の罹病者数は大体次の通りである。

 動脈硬化及び高血圧症が三百七十万人、喘息が三百五十万人、慢性気管支炎が百七十万人、腎臓炎乃至腎臓病が百五十五万人、脱腸が二百万人、痔が同じく二百万人、又少くとも九百万の人々が何らかの心臓及び血管の疾患で悩んでいると云われる。

 ニューヨーク医師会、医学情報部(Medical Information Bureau, New York Academy of Medicine)のイアゴウ・ゴールドストン博士(lago Gladstone, M.D.)によれば、

 「アメリカにおける慢性病問題は、口で言う事も、想像する事も出来ぬ程重大なものである」と。

 かくて、患者として医療を受くる者は年々増加し、千九百三十一年現在では七百十五万五千九百七十六名、千九百四十年には千八万七千五百四十八名、千九百五十年現在では、実に千七百二万三千五百十三名となっている。これはアメリカ全人口の一割以上である。医療を受けていない者も加えると、少くも米国全人口の六分の一に当る二千五百万人以上が、いわゆる慢性病の犠牲者であり、更に示唆に富んでいる事にはその半数以上が四十五歳以下の比較的若い人々である。

 米国全人口の大きな部分を占めるこれらの人々は、労働不能乃至労働力不足の為、社会から当然受く可き報酬は得られず、又社会に対して寄与する処も殆どない。言わば、不幸な社会的徒食者の群である。

 再びイアゴウ・ゴールドストン博士の言葉を借りれば、

 「かかる現象は、現代医学の進歩に由因するのである。前にも述べた如く、現代医学は死亡者数を大量に減らした代りに、罹病者数を大量に増やしたのである」そして、「健康と病と云うものの本体に関して、新なかつ最も妥当な再検討が加えられない限り、医学は治療の努力を続けつつ、益々深く迷路に迷い込み、病と云う、病者と社会と職業にとっての重荷に追附く事は永遠に出来ないであろう」。

  アメリカよ、アメリカよ、

   神は汝に恵みを注ぎ給う。

 と歌われている、輝かしき機械文明と、キリスト教の国アメリカも亦病んでいる。増加しつつある二千万余の病者の呻吟を前に施す術なく、唯唖然と拱手するかに見ゆる現代医学が、神の大慈大悲の想念の具現である神霊医学の前に膝を屈す可き時が、いよいよ来たのではあるまいか?

  昭和二十七年九月二十日

(以 上)

 

 斯ういう統計ですから「栄光」に出します。後は見て下さい。今言った通り大変なものです。それが年々増えているのですから、最後を考えると恐ろしい位なものです。それを日本は真似しようとしているのですから実に見ては居られないです。

 それから此間も一寸話した火素が増える事ですが、面白いのは今年の温度ですが、今日もそうですが、東京よりも強羅では二度高いです。こっちが二十二度で東京が二十度かです。斯んな事は今迄にないのです。大抵東京よりも三度乃至五度低いのです。今年は東京と同じか東京より高いのです。実に不思議です。それ丈火素が増えたのです。それを書いてみたのです。

 御論文「昼の世界に転換の科学的証明」

昼の世界に転換の科学的証明

(「栄光」一七九号)

 この間ラジオの学校新聞の時聴いた話だが、最近スエーデンのハルマンという学者が、面白い研究を発表した。というのは五十年以前の地球の温度を今日と較べると、今日の方が約十度高くなったという実に驚くべき報告である。なぜなればもしこの割合で暖かくなるとすれば、右の十倍とみて五百年経ったら百度暖かくなる訳だからで、到底信じ得られない話である。ところがここで考えなくてはならない事は、もっと古い時代にそのような変化があったとすれば、その時すでに百何十度の炎熱となるから、人類は全滅した訳である。しかしそれらしい記録もないのであるから、何としても割切れない話である。そう考えてくると、どうしても数十年くらい前から変化し始めたと見ねばなるまい。そうでなければ理屈が合わない。

 この事について私は常に唱える夜の世界が、昼の世界に転換するという重大な意義である。それが日本においては明治に入った頃からであって、漸次進んで昭和六年六月十五日に到って、この日からいよいよ地球の霊界が黎明期に入ったのである。その日私は三十余人の弟子を連れて、房州鋸山にある乾坤山日本寺という有名な山寺に前日登って一泊し、翌十五日暁の午前五時頂きに登ってある神事を行ったのである。その後それに関連した種々の奇蹟が起ったという事も、以前著書にかいたから信者は読んだであろうが、それらの事を科学的に証明したのが、前記温度の高くなった報告である。

 しかし今後このままの割合で暖かくなる事はないから安心していい。というのはある程度までで済むからである。右のごとく最近に至っていかに火素が増量し、浄化も強くなったかが分るであろう。無論火素といっても本来霊的であるから、体的熱量はないと思うであろうが、ある程度の体的熱量はあるので、何よりも私の浄霊である。信者数百人に対し十分ないし二十分浄霊する場合、中には非常に熱くなって、汗ダクダクになる人さえよくあると共に、冬など私の部屋へ入ると暖かいとよく云われる事がある。ところが火素の増量は独り病気に限らずあらゆる面にも影響を受けるのであるから、これが世界的クライマックスになった時が世の終りである。これについても大いに神秘があるがまだ時期が早いから、いずれ発表するつもりである。

 昼の世界になった一番初めは日蓮上人の時で、それ迄の仏教は月の教えだったのです。本地(ほんち)本地(ほんじ)垂迹(すいじゃく)と言って、本地とは日本の事です。之は何時か書いた通り、仏教はお釈迦さんが「仏滅の世が来る、それからミロクの世になる」と言って、つまり月の教えは夜の教えです。之は字でみると面白いが、「月」という字は下を取ると「日」になるのです。だから月の中に日が含まれているのです。之は中々深い意味があるのです。そういうわけで、仏教の中から日が生まれるわけです。要するに夜の世界が昼の世界になるわけです。その一番初めが日蓮上人です。日蓮上人は妙法蓮華経と唱え且つ日蓮上人自身は「天照大御神様の生まれ変りだ」と、斯う言っていたのです。安房の清澄山で妙法蓮華経を最初に唱え始めて、それから愈々宣伝したという事になってますが、其時にもう日本は黎明期に入ったわけです。黎明期に入ったと言った処で、霊界の極く奥です。つまり上の方です。最奥の霊界に日が現われたわけです。それが明治になって一層、又其次の霊界に――霊界も一、二、三。神界、中幽界、現界と。それが又三つに分れているのです。天国も第一第二第三となっている。ですから第二天国に日が現われたのが日蓮上人の時です。それから第二第三と――第三辺りが丁度明治というわけです。それで面白いのは、日本が世界から認められた――今迄は極東の隅に隠されていたが、兎に角世界的に現われたのが、アメリカのペルリが来てからですから、結局日本を生んだのがアメリカです。処がアメリカは星の国ですが、「星」というのは「日を生む」と書きます。之も神秘なのです。すると星が日を生むという事ですが、つまり月が隠れると今度は星の世界になるわけです。だから月は英国です。英国が衰えて来て星の国米国が興ったのです。星の国が興った時が闇の夜ですから、星が光るのです。之は実に良く出ている。英国が衰えるのと逆に米国が光る。月が隠れるに従って星が光を増すという順序なのです。それが良く国で現われている。それで星が現われて、それから日が現われる――日本が生まれる。斯ういう事になる。日本が段々生まれていく順所は、今言ったとおり日蓮上人――六百数十年前――六百五十年祭を数十年前にやりましたが、それから明治になって又明るくなって、それから私の本にある昭和六年六月十五日――今読みましたが、あんな工合に今度は中幽界が明るくなった。それから愈々現界に日が出るわけです。それは之からです。そうすると現界が大変化してくる。それがつまり最後の審判なのです。それで愈々仏滅であり、今度は新しい文化が生まれるという順序なのです。それに就いて最近多賀さんの妻君に対して色んな霊が憑っているのです。仏界の――弘法大師が先に憑ったのですが、弘法大師だとか、(えん)の行者だとか、臨済宗の開祖で臨済義玄とか、法相宗の開祖は、此間も言った通り奈良仏教の開祖ですが、そんな様な偉い人が憑って来て「愈々仏界が滅した。自分は今迄間違っていたから、明主様に御詫して貰いたい。そうして今度メシヤ教の仕事に働かして貰いたい」と言うのです。之は本当なのです。未だ色々出て来るのですが、それに依っても仏滅がよく現われている。そんなわけで、非常に近寄って来ているのです。近寄って来るからして、之からもう少し経つとあらゆる面が変化して来ます。本当に変化するのは熱海の瑞雲郷が出来上がって、それから現界的になる。神仙郷は何時も言う通り霊界なのです。それで神仙郷が完成したという事は霊界に地上天国が出来たわけです。今度熱海が完成すると現界に出来るのですから、今度は(きたな)い物が崩壊して、本当のミロクの世の建設が現界的に始るわけです。で、熱海が完成するのは大体再来年でしょう。すると、再来年を過ぎると、今度は素晴しい変化を起します。それは非常に近寄っているのです。之は色々な神秘がありますが、追々話していきます。それで世界の中心というものは、先にも言う通り、此の神山(かみやま)なのです。之は日本の西と東の真中になる。それから日本は世界の型になっているのです。世界の型という事は、天国の型になっている。ですから日本は世界の天国としての小さいものです。日本は世界の公園という事を私は言いましたが、世界の公園が日本なのです。それで日本の公園が箱根なのです。すると東西文明の中心なのです。箱根は東西の中心になり、更にその箱根の中心が神山なのです。で、神山の向うが静岡県でこっちが神奈川県なのです。神山の山の上に何か建てるわけにはいきませんから、其下の強羅が神山の型になるわけです。それで私は「神山荘」と名前を附けたのです。「日光殿」も最初は「早雲荘」と附けたのですが、神山と早雲山の型になる。そうするとあの美術館は世界の真中の型になるわけです。此の神仙郷というのは中心になるから、此処が完成すれば霊界の天国が出来たのです。之が霊界で、之が段々拡がっていく――体的に拡がっていくと、間違っているものや汚いものは自然に無くなっていく。だから破壊と建設が同時に出来ていくという事は、そういう事です。然しこっちで破壊していくのではない。間違っているものは自然にそうなるのです。そうすると大変な現界的な変化になっていくわけです。それをボツボツ書いてます。

 之は「神を見せる宗教」と言って、信者は良く知っている事ですが、未信者に見せたり話をする場合に、斯ういった説き方や順序で話をすると良く分るから、その意味で書いたのです。

 御論文「神を見せる宗教」   【註 栄光一七六号】

神を見せる宗教

(栄光一七六号)

 これは今始ったことではないが、有神論者が第三者に向って実在を説く場合、何程種々の例を挙げて説明しても容易に納得出来ないのは、誰も経験する処であろうが、これは独り本教に限らず、他の如何なる宗教でもそうであるのは殆んど例外はあるまい。処で自画(じが)自讃(じさん)ではないが、我救世教に限って本当に神を見せる事が出来るのであるから、先ず世界に類例はないであろう。これは本教御蔭話を見てもよく分るし、又信者達の経験によっても明らかである。そうして最初浄霊を受けに来る患者の十人が十人と言いたい程大いに疑いを抱いているが、これも無理はない。何しろ医療を始め世の中にありと凡ゆる療法を受けても治らず、散々(さんざん)()りた揚句(あげく)とて、本当に治る療法などこの世の中に最早ないと決めてしまっているからである。という訳で悶々(もんもん)として悲観のドン底に陥っているが、といって現実の苦しみには堪えられないので、何かに(すが)りたい、死ぬのは嫌だという気持が一杯である。その際本教の話を聞き熱心に勧められるので、今一度瞞されてみよう位の甚だ頼りない(わら)をも(つか)む心境で浄霊を受けに来るのである。

 そこで来てみると只手を翳すだけで、何の変哲(へんてつ)もないので、これ程の大病が斯んな事で治る道理はない、アア馬鹿々々しい来なければよかったと後悔する人も少くないのである。よくそういう人が治ってから、アノ時アア思ったのは洵に申訳なかったとお詫びをする事もよくあるが、何しろ今日まで見た事も聞いた事もない行り方で素晴しい効果を挙げるので、只驚くばかりである。然も多くの宗教が病気を治す場合、必ずと言いたい程最初から、疑っては駄目だ、信じなくては御利益はないというのがお定りで、これが一般常識となっている以上、偶々(たまたま)本教の話を聞くと、最初から大いに疑え、本当に御利益を見ない内は決して信じてはならないというのを聞くと、余りの異いさに面喰ってしまうが、中にはそれは面白い、これこそ本当の宗教だ、余程の自信がなくてはそんな大胆(だいたん)な事を言える筈がないとして、反って信用する人もあるのである。

 処で浄霊を受けるや二度吃驚、今までどんな治療でもこれ程の効果はなかったのに、今度は(とて)も工合がいい、アアこれで助かった。この世に神様は確かにある、今迄無いと思っていたのは飛んでもない間違いだった、有難い、自分は本当に救われたといって、それこそ手の舞足の踏む処を知らずという有様で、歓喜(かんき)(ひた)るのである。これによってみても御利益のない内から信じろというのは、己れの心を(いつわ)れというのと同じで、如何に間違っているかが分るであろう。これは自力本意(位?)であって、本当の神様の力というのは他力本意(位?)であるから、楽々と御利益を頂けるのである。尚注意すべきは、仮令御利益があっても大きい小さいがあるから、その見分けが肝腎(かんじん)である。併し世間小さな御利益でも(じき)()()?)頂天(ちょうてん)になる人があるが、これは大いに注意すべきである。というのは医師に見放された大病が治って、神様から生命を頂いた事がハッキリ分ってこそ、全身全霊を打込んでも間違いない信仰である。又神にも上中下の階級があって、小さい神だと小さい御利益で、大きい神程大きい御利益を頂けるので、これが相応の理であるから、この点も充分心得ておくべきである。

 以上によって、神を見せる宗教としての我救世教は分ったであろう。

 之は一寸面白い論文です。

 御論文「調和の理論」   【註 栄光一七六号】

調和の理論

(栄光一七六号)

 昔からよく調和という事を言われるが、これを単に聞くだけではいい意味にとれ、道理のように思われるが、実はこれを丸呑みに出来ない点がある。というのはなるほど全然間違ってはいないが、この考え方は浅いのである。そこでこれを深く掘下げてみるとこういう事になる。そもそもこの大宇宙の一切はことごとく調和していて、寸毫も不調和はないのである。従って人間の眼に不調和に見えるのは表面だけの事である。何となれば不調和とは人間が作ったものであって、その原因は反自然の結果である。すなわち大自然からいえば、反自然によって不調和が出来るのが真の調和であり、これが厳正公平な真理である。この意味において人間が天地の律法にしたがいさえすれば万事調和がとれ順調に進むのである。

 右のごとく不調和を作るから不調和が生まれ、調和を作るから調和が生まれるのが自然の大調和であるとしたら、人間はこれを深く知る事で、これによって幸福者となるのである。何よりの証拠は今は不調和であっても時が経てば調和となったり、調和だと安心していても、いつの間にか破れて不調和になる事がよくあるのも、世の中の真相である以上、よくよく味わうべきである。換言すれば不調和とは小乗的見方であり、調和とは大乗的見方であると心得べきである。

 之は美術館の美術品に就いて、その訳を一寸書いたのです。

 御論文「美術品の集る理由」   【註 栄光一七七号】

美術品の集る理由

(栄光一七七号)

 箱根美術館を見た人は分るであろうが、容易に手に入らないような物が豊富に(あつま)っているので、驚かない者は殆んどないのである。これについて最初からの経路をかいてみるが、先ず買始めたのが終戦直後からであった。何しろ日本は嘗てない世の中の変り方で、誰も知る如く、一挙に貴族、富豪、大名、財閥(ざいばつ)等残らずと言いたい程、特権階級の転落となったので、忽ち経済的苦境に陥り、先祖伝来大切に秘蔵してあった書画骨董類(こっとうるい)を手放さない訳にはゆかなくなった事である。従って珍什名器は随分出たと共に、値段も安かった。

 (かて)て加えて巨額な財産税を課せられたので、どうしても手放さなければならない窮地に追込められ、泣く泣く売払ったのであるから、余りの気の毒に私は同情に堪えなかったのである。そうかといって売らなければ追っ附かないから、私は買いつつも助ける気持も手伝った位である。という訳で、私は値切らず殆んど言い値で買ったものである。併し欲張り道具屋の暴利だけは加減したのは勿論である。その様にしてボツボツ集るには集ったが、いつもいう通り私は若い頃から美術が好きではあったが、鑑識(かんしき)の点は無論素人の域を脱していなかったと共に、買った経験もないので、相場も分らず、只見て気に入った物だけを買ったのである。処がその方針が当ったとみえて、全部と言いたい程買損いがなかった。

 これは美術館を見た専門的知識のある人は、御世辞でなく褒めている。今迄どんな美術館を見ても、如何(いかが)わしい物は相当あるものだが、この美術館は屑がない、逸品揃いだと言うのである。先頃来られたニューヨーク・メトロポリタン博物館、東洋美術部長プリースト氏なども、この点特に褒め讃えていた。そうこうしている内大分品物も集り、私も段々目が利く様になったので、何れは美術館を造らねばならないと思いはじめたのが、忘れもしない三年前位であった。それから不思議にもその目的に合ったものが予想外に集って来たので、愈々神様が美術館建設に力を注ぎはじめたことがハッキリ分ったのである。それについての奇蹟(きせき)は余りに多いので、一々はかけないから、その中の著しいものだけかいてみよう。

 最初の頃であった。或蒔絵(まきえ)専門の道具屋が、不思議と思う程上等な蒔絵物を次から次へと持って来るので、私も驚いたと共に道具屋も実に不思議だといったものである。然も時も時とて非常によいものが驚く程の安価で手に入ったもので、先ず今日の相場から言えば、少くとも数倍以上は違うのである。今美術館に並んでいる蒔絵物がそれで、あれだけの品物が僅か半年位で集ったのである。特に稀世の名人(しら)山松(やましょう)(さい)の物なども、現在並べてあるのが二点であるが、まだ数点は(しま)ってあるから、何れは並べるつもりである。何しろこの人の作品は今日殆んど売物には出ない位で、如何に品物の少いことと、所持者が珍重して手放さないことが分るのである。

 又私が以前から好きなのは、琳派物(りんぱもの)と仁清の陶器であったがこれ等も時の経つに従い段々高くなるばかりで、近来売物殆んど影を没してしまい、希望者は歎声を漏らしているそうだ。処が終戦直後のドサクサ紛れで、値も頗る安く、相当数手に入ったので、全く神様の力である事がよく分るのである。そんな訳で私が是非欲しいと思う物、美術館になくてはならないという物は必ず手に入る。その都度道具屋は、不思議だ奇蹟だという。それについてこういうことがあった。私は広重(ひろしげ)の有名な東海道五十三次の初版のものが欲しかった処、或版画専門の道具屋が来て、広重物など見せたので、私は初版の五十三次ならいつでも買うと言ってやった処、その翌日持って来たので驚いた。すると彼曰く〝こんな不思議なことはありません。昨日帰宅するや或人が昨日のお話通りのものを持って来たので吃驚しました。私は四十年前から心掛けておったのですが、昨日帰宅するやそれを売りに来たのですから、どう考えても分らない〟というので、私も余りの奇蹟に感激したのは勿論であった。よく見ると、これは有名な某大大名の秘蔵していたもので、先祖が作ったとかで、その立派な画帖にも二度吃驚したのである。且つ値段も非常に安く喜んだのである。

 次に支那陶器であるが、私は以前から全然趣味(しゅみ)もなく、鑑識もなかった処、美術館としてはどうしても必要と思った処、それから間もなく方々から集って来た。今並べてあるものがそれだが、何しろ約一年位で(あつ)めたので、これを知った誰もは本当に思わない。然も初めは全然目が利かず、道具屋の説明や自分の六感で選んだのだが、今日専門家は、よくこんな良い物がこれ程沢山集ったものだと感心している。という訳で、いつも乍ら御守護の偉大さは何ともいえないのである。まだ色々あるが後は想像して貰いたい。

 そこでこの奇蹟は何がためかということを茲にかいてみるが、これこそ霊界においてその作者は勿論、愛玩(あいがん)していた人、その品物に関係のあった人等の霊が、大いに手柄を立てたいと思い、適当の順序を経て私の手に入るように仕向けるのである。何故なればその功績によって救われ、階級も上るからである。言うまでもなく僅かの期間でこれ程の美術館が出来たというのも全く右の理由によるのである。考えてもみるがいい、今日まで財閥富豪が一世一代掛って漸く出来る位の美術館が、瞬く間に出来たとしたら、到底人間業でない事が誰が目にも映るであろう。

 

 

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