此間京都や奈良の方に行ってきました。それに就いて手に入れた嵯峨の土地ですが、今度あの辺を見ると非常に良い所でして、まあ一番良い所かも知れません。山とか、そういったものゝ工合が丁度良い所なのです。それで家も案外立派な家で、私は手を入れなければならないかと思った処が、そんな事は必要なくて其の儘で立派に住める家なので、来年の春は其処に数日間居る積りです。それで最初は、藪になってますから、ボツボツ土地の整理をします。私が住むには丁度適当な家なのですが、只皆が来た時住む様な所がないのです。処が丁度其の前に良い売物があって、地所が千六百坪で建物が二百坪位あるのです。其処にも行って見た処が、間数が幾間もあって、只何ういう訳ですか座敷は板の間が多いのです。其処に畳を敷けば立派に住めるのが幾間もあるのです。信者さんが其処に泊るわけですが、実に適当なのです。庭も非常に良いのですが、藪になってますから之を立派に手入れし掃除すると立派になります。然も値段が馬鹿に安いのです。半分値です。それが今度京都に行く前の晩に決ったのですから、実に神様のは一日も違わないのです。ですから其処を見に行くにも非常に張合があって良かったのです。で、其処は広沢の池の釣の権利と舟を浮かべる権利がついているのですから、釣をやりたければ自由に出来るわけですから、あそこに信者さんで釣に来る人もないでしょうが、釣の好きな人は来ると良いです。魚は随分居るでしょう。
「養魚する様で御座います」
市の方でもあそこを何とかという話です。市は勿論あそこを観光地とするのでしょう。メシヤ教に対して何か言って来ましたか。
「メシヤ教が買ったという事は、未だ発表してをりませんので」
あそこは市と提携してやると、思い切って面白いものが出来るのです。池がそう深くなければ、真中に島を作ると良いのです。そうして支那式の橋をかけると素晴しいものになると思います。池は只水がある丈では面白くないのです。
そういうわけで、あっちもボツボツやりますが、併し順序から言えば箱根から、今度は熱海ですから、熱海が主になるわけです。それで今度の美術館の浮世絵展覧会を見ましたが、私の方で四点出しましたが、その内の三点は展覧会の圧巻でした。数は沢山ありましたが、之はという物は幾らもありません。勝れている物としたら、やっぱり私の方で出した物の内の三点で、之は勝れています。ですから京都新聞の社長と主筆、それから東京の博物館の浮世絵の主任、その人達が非常に疑待して呉れ、非常に感謝してました。それで京都の新聞にもメシヤ教に関する事が出てましたが、それと言い、東京の新聞にも時々出ているものを見ても、メシヤ教に対する認識が余程変って来ました。それはみんな知っているでしょう。ですからしてもう一息という処です。外の新宗教とのレベルの異いさが、未だ一寸位の異いです。新宗教の内ではメシヤ教となってますが、あらゆる宗教の内でも全然頭角を抜いているという処迄に未だ行ってないのです。只割合にインテリの信者が多い事と、それから新宗教の内では一番しっかりしているという位の程度です。之らも非常に早いです。今度京都に行って色々、体的、物質的という面も相当あり、霊的から言っても非常に変って来ている。昨年でしたか、しかも事件後でしたから、そういう点もありますが、二年そこそこで、丸で空気が異って来ました。そういう事も段々早くなりますから、もう今年一年経つと余程の異いになって来ると思います。
一番の急所と言いますか、之は病気です。病気はメシヤ教の浄霊……と。メシヤ教でなければ治らないという空気が出て来たら俄然として発展します。未だ時期がそこ迄行ってませんから、それに就いて色々やってます。今日の東京日日を大体見て来ました。宗教と病気という事に就いての座談会ですが、各宗教からの医学博士が出席してましたが、メシヤ教からは岡田道一さんが出てました。それでそういう宗教と医学に就いて、世の中が関心を持って来たという事は確かで、もう医者では駄目だ、メシヤ教の浄霊でなければ治らない、という事が社会に知れたら大変です。神様が良い工合にやりますが、それが一番の急所です。そういう意味に於て、今私は書いてますが、〝アメリカを救う〟というあれは殆ど出来ました。アメリカは無論そうですが、日本人も大いに注目を払うだろうと思います。アメリカを救うなんて、一体何んな事を書いてあるだろうかという好奇心が起るのです。それに就いて、此の前の次を読ませます。
御論文 アメリカを救う〔四、手術に就て〕
手術について
(『アメリカを救う』より)
日本もそうだが特にアメリカに於ては、近来手術の進歩を誇称し、大いに励行しているが、これは大変な誤りである。というのは手術の進歩とは、医術の進歩ではなく寧ろ退歩であるからである。何となれば真の医術とは、病に冒されている臓器その物を除去するのではなく、臓器はその儘にしておいて、病だけを除去するのが本当であるからである。しかもその為肉を切り、出血をさせ、非常な痛苦を与えるのみか、内部的不具者にするのであるから、医術どころか非医術であるに拘わらず、これを進歩した方法と信じているのであるから、その無智なるいうべき言葉はないのである。
しかも人間は、身体の一部と雖も毀損する以上、その影響のない筈はない。例えば盲腸炎にしても、膿だけ除るのならいいが、医療はそれが不可能な為、虫様突起までも共に切除してしまうのであるから、野蛮極るというべきである。何となれば造物主は人体に不必要なものは一つも造ってない筈である。これについてよく医家は盲腸は不必要だとか、腎臓は両方なくても差支えないなどというが、これは全くその必要性が不明であるからで、如何に今日の医学が幼稚であると共に、一面神への冒涜でもある。何となればそんな理屈をいう医学者自身も神から造られたものではないか。何よりも盲腸手術後一時は健康になったようでも暫くすると他の病気が必ず起る。というのは元来盲腸の役目は下半身の毒素排除の機関であるからである。今それを詳しくかいてみるが、初め毒素は背面右側腎臓部に集溜固結し、少しずつ溶けて盲腸部に移行し固結する。それがある程度に達するや浄化が起って発熱し溶解される。その苦痛が盲腸炎であるから、その際右の腎臓部を見れば必ず固結があり、圧すと痛むからよく分る。其処を浄霊するや忽ち盲腸の痛みは去り、間もなく下痢があって治るのである。
この理によって盲腸炎発病するや、何等治療もせず、寝ているだけで三、四日乃至一週間も経てば必ず全治し、生命の危険など聊かもないのである。処が医師は手遅れになると生命の危険ありとし、手術を奨めるが、吾々からみればその盲点に呆れるばかりである。右の如く毒素排除の役目である盲腸がなくなるとすれば、其処へ集溜せんとする毒素は、止むなく腹膜や腎臓部に溜る事となり、それが原因となって、反って盲腸炎よりも始末の悪い病気が起るし、尚又手術の際の消毒薬が膿化し排除されようとし、種々の病を起す事がある。それは悪性歯痛、中耳炎、結膜炎、顔面の腫物等である。
御論文 アメリカを救う〔五、浄霊医術〕
浄霊医術
(『アメリカを救う』より)
これから米国に於ける現在の病気状況の調査表と併せて、私が創成した治療法(浄霊法)によって全快した人達の感謝報告を載せるが、これは全部本人手記のものであるから一点の間違はないので、万一疑のある人は、宿所姓名を詳しくかいてあるから、本人にブツかって訊けば何よりである。しかし専門家も一般人もこれを見たら、現代医学に比べて余りに卓越せる治病力に到底信じられないであろう。しかも施術の方法は患者から数尺離れて、空間に手を翳すだけで、時間は十分乃至三十分位の短時間で終り、何等の器具も費用も要らないで、一人で一日数十人の患者を施術出来るのであるから、これこそ最も進歩せる理想的医術である。そうして文中明主様とあるのは無論私の事である。
尚驚くべき一事は、何等医学の素養もなく普通教育程度の者なら、商人でも、労働者でも、農民でも、官吏、会社員でも、数日間の教修によって、この技術が修得されるのである。その結果大病院から見放された者、博士から死の宣告を受けた患者でも、一時的ではなく根本的に治るのであるから、実に二十世紀の奇蹟である処か、世界肇って以来未曾有の大奇蹟といってよかろう。今この治病効果を医学に比ベたら、医学が一とすればこれは百といっても過言ではあるまい。故にこの医術が世界中に行渡るとしたら、茲に病なき世界の実現は期して待つべきである。
では斯くの如き素晴しい治病法が、何故今世紀に生まれたかというと、これを徹底的に説くには、どうしても宗教的にならざるを得ないと共に、進んで本教信者になるより仕方がないが、それは別として本著の目的は、現在のアメリカの現状を知って到底黙止出来ないので、取敢えず警告の第一歩として発表するのである。そうしてこれに関して最も重要な一事はこの様な驚くべき病理の発見と、それに伴のう治病力を与えられたという理由であるが、これこそ神エホバの神意の発動によって、私をして最後の救いを行わしめんが為であって、この点深く銘記されたいのである。その証拠として彼のキリストの治病奇蹟である。現在数十万に上る私の弟子が日々顕わしつつある奇蹟は、キリストと比較して勝るとも劣らない例も数多くあるので、これ等多数の奇蹟中から、その一部を載せたのである。
そうしてこの報告は、目下の処一ヵ月百数十から二百通に上ってをり、しかも月々増えつつあるので、本教発行の週刊栄光新聞並びに月刊雑誌地上天国に満載されているが、近来載せ切れなくなったので、嬉しい悲鳴を挙げている程である。又実例中特に癌、結核、精神病、小児麻痺の四種は、現在米国で最も困っている病気であるから六例宛を載せ、他は三例宛にしたが、この例も別段顕著なものを選んだのではなく、手当り放題採り上げたものである。というのは何れも大同小異で選択の必要がないからである。
処で遺憾に思うのは、この著を読んで心が動き、直ぐにも浄霊を受けたい米国の人も多数出来るであろうが、今の処不可能であるから暫く待たれたいのである。というのは我方に於ても出来るだけ早く、優秀な浄霊施術者を選んで出張させるべく、目下準備中であり、遅くも来年上半期中には実現の運びになる予定であるからである。しかしこの著を熟読玩味しただけでも病気の本体と医学の根本が或程度分る以上、それだけでも相当の効果がある筈である。ではこれから個々の病気について解説する事にする。
色々の病気がありますが、その内で結核が一番肝腎な事なので、つまり科学的に説いたのです。医学の方は科学的ではないのです。医学の方は、機械的、推理的と言ったものでしょう。
御論文〔結核〕 【註 栄光一八〇号】
結核
(栄光一八〇号)
この病気も全く医学が作るものであって、曩にも記いたごとく、薬毒が体内各局部に集溜固結し、その浄化作用として感冒が発り、熱によって溶解した液体毒素は、痰となって肺臓を通って出ようとする。という訳で肺とは喀痰排泄の為の一通過路の駅ともいうべきものであるから、痰は一旦肺臓内に滞まり、咳とういうポンプ作用によって咽喉を通って出るので、咳と痰が出れば出る程よく浄化される訳である。処がそれを逆解した医学は、咳と痰を極力停めようとするのであるから、実に驚くべき錯誤である。この結果痰は肺臓内に滞溜したまま、日を経るに従い漸次固まってしまい、暫くすると再び浄化が起り風邪を引く、その時医師に診て貰うと、発熱と肺臓内にある痰の固結、咳や吐痰、喘音等によって、結核初期と断定する。尚又前の時軽微な肋膜炎もあったので、その固まりが溶けて肺から出ようとする。これを肺浸潤と言い、首肩の凝りが溶解し、肺の上部から浸入するのを肺門淋巴腺、または肺尖加答児というのである。
右の如き順序を見れば、結核は全く誤れる医療によって作られるものである事がよく分るであろう。これを一言にしていえば、自然浄化によって体内の汚物が出ようとするのを、医療は出さないようにする。勿論服薬も注射も安静も何も彼も悉く固め手段であるから、医学の進歩とは毒素固め方法の進歩でしかない事は余りにも明らかである。
そうして結核菌であるが、これも医学でいう如く伝染するものではなく自然発生であるというのは肺臓内に固めた痰は、時日を経るに従い腐敗する。腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、しかも体温という好条件が拍車をかけるに於てをやである。以上の如く結核は医療が作るとしたら、この事が分らない限り、増えるとも減る筈のないのは断言して憚らないのである。何よりも事実がよく示している。最近米国でも日本でも、結核の死亡率が大いに減ったと言い乍ら、患者の数は一向減らないという矛盾である。これは全く毒を強めた新薬や手術等による浄化停止法が進歩した為で、成程一時的生命は取止め得たとしても、全治ではないから、死にもせず働く事も出来ないという宙ブラ人間が益々増えると共に、発病者の数も依然たるものであるから、ベッドが足りないといって悲鳴を挙げている現状は、米国は兎に角日本はよくそれを物語っている。
玆で結核菌についても徹底的にかいてみるが、近来結核医学は大いに進歩したとされているが、吾々から見れば進歩処か、門口にも入っていない事実である。というのは医学は菌のみに囚われ、菌さえ殺せば結核は解決出来るものと誤信している事である。しかし菌と雖もまさか偶然空中に発生したものでもなく又人間の体内に理由なく湧いたものでもないのは勿論で、その発生源が必ず何処かにあらねばならない筈である。
それが愈々私によって発見されたので、以下詳しく記いてみるが、それについて前以て知っておかねばならない事は、人体なるものの構成であって、科学は人体を単なる物質と看做しているが、これが大変な誤りである。何となれば若しそうだとすれば、人間の生死はどう説明していいか分らない事になる。茲で肝腎な事は人間の精神即ち心である。これは目には見えないが科学と雖も否定は出来ないであろう。というのは人間は肉体の外に、肉体と同様な形をしている霊という無に等しき個体が、厳然と存在しているからである。というように霊と体とは密着不離の関係にあり、死とは霊が脱出し、体の活動が休止する事である。そうして心は一秒の休みもなく動いており、人間が何等かの意欲が起るや、間髪を容れず体に移って行動となるので、体が勝手に動くのではない。としたら人間の本体は心、即ち霊にあり、霊こそ支配者であり、体は隷属者であるから霊主体従である。この理によって病と雖も最初霊に発生し、体に移写するので、これが真理である。従って根本は霊を健康にする事である。これを一層詳しく説いてみると、元来霊なるものの本質は無色透明体であって、最初この透明体に曇りが発生する。これが病原であって、科学的にいえば、本来霊の物質化が血液であり、血液の非物質化が霊であるから、霊の曇りが体に映るとその部の血は濁り、濁血が霊に映ればその部が曇る。というように霊体一致ともいえる。
では霊の曇りの原因は何かというと、宗教的にいえば罪穢の堆積であり、物質的にいえば薬毒の溜積である。そこで一体曇りの本質とは何かというと、これこそ不純水素であって、日を経るに従い漸次濃度を増すと共に縮小する。するとこれにバクテリヤが発生する。このバクテリヤは、いわば植物性無機質もいうべきものであるが、時と共に漸次有機質に変化し動物性となる。これが菌の卵子であって、この卵子が育って個体即ち一人前になったものが、顕微鏡で見得る黴菌であるから、ヴィールスとは右の如く菌の卵子から親になろうとする中間粒子で、顕微鏡には映らないが確かにあるのは、医学でも認めている通りである。これを最も分り易い譬えとして、彼の塵溜に湧く蛆である。医学は蛆だけを殺そうとして、塵の方に気が附かないと同じである。
以上の理によって、結核を全滅させるには菌の発生原である霊の曇りを解消する以外絶対ないのである。処が現代医学の研究はそこまで達していない為、結果である菌のみを対象とし、研究しているので、根本に触れない以上、何程努力しても徒労以外の何物でもないのである。尤も現在の顕微鏡ではヴィールス以上の微粒子を視る事は不可能であるからでもあろう。処が幸いなる哉私によってその根源が発見された以上、最早結核問題は解決されたのである。
では霊の曇りは如何にすれば解消出来るかというと、これを説くに当っては、その前に曇りの実質をかかねばならない。前記の如く不純水素というのは水素中に不純分子が含有されており、勿論顕微鏡でも見得ない程の超微粒子であって、この微粒子を消滅させるのが浄霊法である。これによれば右の毒微粒子のみが焼尽され、純粋水素は残り病原は全く解消されるのである。そうしてこの施術こそ人間の掌から放射される不可視光線であって、この光線の本質は火素といって火の霊である。即ち火の体は熱であるが、火の霊は熱くはないが、体以上の素晴しい強力さである、これについて以前から科学では水素を言うが、火素を言わないのは不思議である。では右の火素がなぜ掌から放射されるかというと、この説明についてはどうしても宗教的でなくてはならないから、読者はその積りで読んで貰いたい。何となれば現代科学は霊を無視し、物質のみを認めている以上、容易に信じられないからである。この様に科学は体のみの進歩で、言わば跛行的不具的進歩であるから、真の病理も治療法も発見出来ないのは当然である。この意味に於て私は医学は機械的であるが、科学的ではないと常に言っている。その証拠には病気の場合、患者が医師に向って病原を訊いても、曖昧極まる一時のがれの答えしか出来ないのは医師も経験する処であろう。それに引替え吾々の方ではどんなに深く訊かれても、立派に科学的理論を以て堂々答えるから、如何なる患者も納得し安心するのである。
話は戻るが右の浄化力こそ、神エホバが火素の本源ともいうべき霊光の玉を私に与えられたのであって(これは腹部の中央に直径六糎位で肉眼で見る人もある)この玉から無限に光波が放射され、その伝達方法として三分の一メートル位の紙片に、墨と筆で光の文字を書いたものを畳んで懐へ入れさせる。すると私から出る光波は、霊線を通じて施術者に伝わり、その人の掌から放射される。これが浄霊法である。丁度ラジオの放送局と、アンテナと受信機のようなもので、実例報告中にある御守というのがこれである。では何故神はそういう方法を私に授けられたかというと、これこそ彼のキリストが「天国は近づけり」と予言された処の、紀元的時機が来たからである。その根本としては第一に人類から病を追放する事で、神は病気滅消の方法を私に教え給うたのである。
右は結核菌とその他についての説明であるが、次に伝染病菌についても聊かかいてみよう。
之を翻訳してます。そうして英文の方をアメリカに送るのですが、斯ういう風に言ったら或程度は分ると思います。日本と異ってあっちの人は其点は分りが良いです。何の位解るか分らないが、兎に角珍しい説だ、研究しようという人も出るでしょうし、反響は面白いと思います。さっきラジオで聞きましたが、今年のノーベル賞はストレプトマイシンを発見した米国の医学者でワックスマン博士と言ってましたが、我々から見ると実に情ない感です。こっちはストレプトマイシンなんて、あゝいうものを飲ませるのがいけないと言う。それがノーベル賞を貰うのですから、如何に世界的に逆になっているかゞ分ります。ですから之が分ったとしても、ノーベル賞受賞は合ってないかもしれないです。何故ならばそんなチッポケなものではないからです。新しいそういった物が出来なければ追附かないです。そうかと言って今はノーベル賞以上のものが無いから、そんな事は考える必要も無いですが……そんな様なわけで、結論は未だ仕上ってませんから、ダブっている処があるのでしょうが、一寸読ませます。
御論文〔結論〕
結論
(『アメリカを救う』より)
最後にこの著の結論をかいてみるが、理論と実際によって、病気とは如何なるものであるか、現代医学が如何に間違っているかは充分判ったであろうが、要するに人間は健康で、休みなく働けるよう神が造られたものであって、これこそ不滅の真理である。それだのに病気に罹り人間の役目が果せないとしたら、それは何処かに不合理な点があるに違いないからで、その点を発見し、それを矯正する事によってのみ治るので、それ以外治病と健康の要諦は断じてないのである。処がこれ程ハッキリしている道理に気が附かなかった人間の迂闊さは、不思議とさえ思えるのである。しかも飛んでもない間違った考え方によって、薬と称する毒を以て治そうとした事で、それが反って病を作る元になるなどとは、夢にも思わなかったであろうが、この誤謬の為今日まで如何に大多数の人間が、被害を受けたかは計り知れないものがあろう。そうして今一つ言いたい事は、人間は平常薬をのんで健康を保っているのではなく、無薬で健康で活動しているのが自然の常態である。それをどう間違えたものか、病気に罹るや全然的外れである薬で治そうとするのであるから、その迷妄驚くの外ないのである。何よりも若し薬で病が治るものなら、今日迄の人間が先祖代々如何に多量の薬を体内に入れたかは分らない程であるから、病は疾くの昔に無くなっていなければならない筈である。それだのに何ぞや、至る処病人の氾濫である。何よりも薬のなかった時代の人間は健康で、普通百歳以上の長寿者が大部分であった事は、歴史がよく示している。
以上長々とかいた通り、進歩したと誇称する現代医学も煎じ詰めれば、治病方法としては溶けかかった毒素を固めて病気以前に戻す事と、病んでいる臓器をメスを以て切り除ってしまう事の只この二点であって、外には何にもないのである。それのみか逆理によって病人をふやし、人間の寿命を縮めて来ながら、それに気が附かない処か、政府はじめ一般人民も信頼し謳歌しているのであるから、その損害たるや戦争よりも甚大であろう。
又別の例として、近来スポーツ競技を見ても分る如く、白人に比して黒人の方が目立って体力の強い事である。しかしこれは黒人が強くなったのではない。白人が弱くなったのである。これも医学衛生の進歩の為としたら、実に恐るべき進歩である。故にこれに目醒めない限り、文化民族の将来は全く悲観の外ないと思う。
従ってこの真相が世界に知れ渡るとしたら、当然医療に関係ある人々は、失業か営業不可能となるであろうから、今からその対策を考究しておく必要があろう。その事を考える時、実に気の毒の限りではあるが、事は全人類永遠の幸福に関する重大問題であって、小の虫を殺して大の虫を助ける意味に於て、当事者は充分理解の上、善処されん事を望むものである。
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