何処の宗教でもみんな病院を作ってますが、それについてメシヤ教では全然病院を作らないという事を、出来る丈徹底して書いたので今読ませます。
御論文〔宗教と病院〕 【註 栄光一八一号】
宗教と病院
(栄光一八一号)
この事に就いてはよく訊かれるから、玆に詳しくかいてみるが、成程現在相当名の知れた宗教は、残らずといいたい程病院を経営しているか、或いはこれから建てようとしているのは衆知の通りである。処が我救世教に限って病院を造らないので、不思議に思う人も世間には随分あるであろうが、これには大いに理由がある。それは本教の浄霊療法は、医療に比べて比較にならない程卓越しており、病院の必要がないからである。これに就いていつもいう事だが、本来宗教なるものの地位は、科学以上であらねばならないもので、其処に宗教としての尊い価値があるのである。といっても形式だけで実が伴なわないとしたら、単なる観念の押し売りにすぎないといえよう。そこへゆくと我救世教は観念などの必要はなく、どこ迄も現実一本で進んでいる。この事に就いて特に言いたい事は、人間の生命を救う力が宗教よりも科学の方が勝っているとしたら、宗教は科学以下になるのは当然であるから、無神論を非難する訳にはゆかないであろう。その結果理論や御説教、祈りなどでお茶を濁すより致し方ない事になり、現実生活とは掛離れた存在となってしまうから、識者から無用の長物扱いされるのも止むを得ないであろう。これも全く宗教の罪であると思う。
とはいうものの実は誰も知らない処に大いなる理由が潜んでいるので、今それをかいてみよう。先ずその根本であるが、これはどうしても霊的に説明しなければならないから、そのつもりで読まれたいが、何といってもキリスト教始め、今日尚命脈を保っている多くの宗教は、開教当時は相当病気が治ったと共に大なり小なり奇蹟があったに違いないと思われる。でなければその宗教の発展もなければ、今日まで続いている筈がないからである。吾々の知る限りに於ても、天保時代に生まれた彼の天理教始め、明治、大正、昭和の初め頃までの新宗教にしても、開教以来相当病気が治った事実はよく耳にするのであるが、今日それらの宗教が揃いも揃って病院を造る事である。成程時世の為とは言い乍ら、実をいうと病気が治らなくなったのが真の原因である。この事は当事者と雖も気附かない筈はないが、その原因も分らず、どうしようもないので、病院を造らざるを得ない羽目になったのであろう。
それに就いて詳しくかいてみるが、いつもいう如く長い間世界は夜であったが、霊界の事とて人間には分らなかったのである。それが愈々時期到来夜と昼との交替が始ったのである。それに就いては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつつあるので、この現われとしてその頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである。では何が理由かというと、これこそ今日までの凡ゆる宗教は夜の時代の救いで、月の神の守護であったからで、病気に対して月の光は薄いので、或程度以上の効果は困難であったのである。其処へ我救世救出現に及んで俄然一変したのである。というのは本教は昼の宗教で日の神の守護であるから、日の光は月の六十倍に当り、その効果の絶大なる、歴史上にも嘗てない医の業であるからである。然も日が出れば月の光は漸次消えるから、本教の治病力は年と共に効果を増し、最近に到っては奇蹟相次ぎ、殆んどキリストと同様な治病報告は頻々と来るのである。これによってみても、霊界が昼となり火素が増え、浄化力が強くなった事は疑う余地はない。然もその影響は宗教許りではない、医療に迄も及ぼして来た。近来医師がよくいう、以前は随分効いた薬だが、近頃はサッパリ効かなくなったといって嘆いている。併し吾々にはよく分る。それは医療は、排泄されんとする毒素を固める方法としての薬である以上、火素が増えるに従い薬では固らなくなるのは勿論で、つまり溶ける力の方が強くなるからである。そこで益々毒を強める結果一時的効果があるという訳で、近頃の如く新薬が続出するのである。処が益々浄化が強くなり、遂には如何なる薬でも効かなくなり、行詰ってしまい医学の一大危機が来るのは当然であるから、玆に初めて本教浄霊に頭を下げざるを得なくなるのは、各宗教に於ての病院も同様であろう。故にこの事を今から予言しても間違いないのである。
それから注意したい事は、お医者さんにかかって居乍ら、こっちの浄霊で病気が治った場合に、お医者さんは喫(吃?)驚して、斯んな筈はない、どうして治ったのですか。と、よく聞きますが、そういう時にあんまり正直に言うとお医者さんも気を悪くするとか、或いは何か差障りがある様に思って本当の事を言わないで良い加減の事を言う人がよくあるのですが、以前はそういう事であんまり刺戟して妨害されてはいけないので加減した事もありましたが、今日ではそんな必要はないのです。ない処か、大いにメシヤ教の浄霊という方法で治ったという事をはっきり言った方が良いのです。嘘ではなく本当なのですから、成可く精しく有りの儘を言うのです。そうしてお医者さんに、どうせ分りやしませんが、兎に角一つの刺戟を与えて置くのです。そうすると之があっちでもこっちでもあるとお医者さん同志(同士?)で、メシヤ教というのは不思議だ、我々の方で治らない様なものをドンドン治している。之は問題だという、そういったお医者さん仲間で評判になると、非常に良いのです。というのは今度の「アメリカを救う」という本が出ると、随分問題になると思います。処が不断から、それは君嘘じゃないよ、僕は斯ういう体験がある。そういう様な事をお医者さんでも言う人があるでしょうから、そうすると本に書いてある事を相当信頼を持って読みますから、良い事になりますから、之からは今言った様な方針でやらなければならないと思って一寸注意したのです。
それから此間京都に行く時に名古屋に寄って、名古屋の体育館の会場で〝東方の光〟について話をしたのです。それはあの時丈しか話しませんから、今度「栄光」にもっと精しく書いて出そうと思ってます。それを読ませます。
御論文〔東方の光〕 【註 栄光一八二号】
東方の光
(栄光一八二号)
今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から〝東方の光〟という言葉が生まれ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄この言葉の意味が本当に分らなかった為、今尚謎の儘になっているのであるが、私はこれに就いて真の意味を知らせようと思うのである。
では〝東方の光〟とは何かと言うと、結論からいえば実は私に対する予言であったのである。これを知ったなら驚かぬ者はないであろうし、第三者としては直に信ずる事は出来まいから、茲に確実な例証を挙げて説き明かしてみるのである。それには先ず私の生まれた場所と、それからの移動経路である。私の生まれたのは改正前の東京市浅草区橋場町という貧民窟であった。この場所に就いて説明してみると、こうである。日本という国は言う迄もなく地球の極東に当り、且つ日本の東の都は東京であり、東京の東は浅草であり、浅草の東は前記の橋場町であるが、橋場から東は隅田川になっているから、全く此処は東のドンじまいで、世界全体からみても最東端である。此処でオギャーと生まれた私は、八歳の時橋場から西に当る千束町という町に移り、小学校を終えた頃日本橋区浪花町へ移り、次に京橋区築地町へ、当時の荏原区大井町へ、同大森へ、麹町区平河町へ、今の玉山荘のある玉川へ、次いで大いに飛んで箱根、熱海へ移ったが、今度は京都へというように十回移動したが、右の内麹町を除いては九回共西へ移転している。勿論今後も西へ西へと移って、何れは中国から遂にはヨーロッパ辺りまで行くのは勿論である。
玆で今迄の日本に於ける凡ゆる文化を検討してみると、その悉くは西に生まれ東に向って移行発展したものである。宗教上では、仏教、キリスト教始め、日本に発生した神道、仏教の各宗各派も、悉く西に生まれ東漸したものであって、只日蓮宗丈が東から生まれた唯一の宗教である。というのは、これには深い理由がある。それはどういう訳かというと、抑々仏教本来の意義は、いつも言う如く夜の世界であった期間中の救いであって、つまり月の神の守護であったのである。処が時節到来昼の世界に転換する事になるに就いては、一切は霊界が先であるから、霊界に於ては已に七百年前に黎明の第一歩に入ったのである。
その為に生まれたのが彼の日蓮上人であって、彼が一通りの修業が終るや、一念発起愈々法華経弘通に当らんとして不退転の決意を固めるや、先ず故郷である安房に赴き、海に近い清澄山に登って、今や太陽の昇らんとするその刹那、東天に向って南無妙法蓮華経の称号を声高らかに唱えたのである。そうしてその時を契機として愈々法華経を振翳し、天下に対って怒号し、法華の功徳を口を極めて礼讃したのであった。それから凡ゆる法難と闘い、遂に今日の如き揺がざる一派を樹立した事績は、襟を正さしむるものがある。上人のこの偉業こそ実は東方の光の最初の一石であったので、これを霊的にみるとそれまで闇の世界であった霊界の東端、今や太陽の昇らんとする直前、微かな一閃光であったともいえる。勿論人間の目には映らないが、大経綸の一歩として重要なる神事であった事は勿論である。それから六百数十年を経た昭和六年六月十五日黎明を期し、私は三十数人の供を従え安房の乾坤山日本寺の山頂に登って、東天に向い祝詞を奏上すると共に神秘な或事が行なわれた。それはまだ発表する事は出来ないが、この行事こそ夜が昼になる境目としての経綸であった。面白い事には、清澄山は右の乾坤山の東方指呼の内にあり、全く姉妹山である。又寺の名が日本寺というのも、右の神秘を暗示している訳である。
右は仏教に関する因縁をかいたのであるが、その他としては、儒教、道教、支那学、漢方医学等々、日本最初の文化は悉く中国、朝鮮から渡来したもので、近代に至って西洋文化が輸入された如く、日本文化の殆んどは西から東漸したものであった。というように、初めから東に生まれたものは日蓮宗以外全然なかったのである。又茲で考えなければならない事は、右の如く西に発生した文化によって平和幸福な理想世界が出来たとすれば何をか言わんやであるが、現実は全然その逆でさえある。成程今日唯物的には立派な文明世界にはなったが、肝腎な人間の幸福は全然得られないばかりか、将来とても得られそうもないと思うのは、何人も同様であろう。それが為現在の人間は心の底には何等希望もなく、その日暮しの内にも何かしら不安がコビリ附いているので、心の底には希望の光を求めて止まないのが大多数の共通した観念であり、この欲求の中心こそ実に東方の光であったのである。
右の如く私は文化の根本が逆の移動であった事をかいたが、その理は大自然の実相を見ればよく分る。即ち日月は東から生まれて西に向って運行する事である。これが真理である以上、東方に生まれた物こそ永遠なる真そのものであるから、これを信じ行う人にして真の幸福を得られるのは断言して誤りないのである。これを一言にして言えば、今日まで西から東へ押寄せた濁水を一挙に清めて、西へ押し返し、澄み切った水晶世界を造らんとするのである。
〝東方の光〟という事が一番肝腎なのです。私の事を〝お光様〟と言い出したのは静岡新聞なのです。それで私はうまい事を言うなと思ったのです。それはいくらか侮辱の様にも聞こえますが、又素晴しく立派な文字になってますから、それが一般に〝お光様〟と言われる様になったのです。ですからあれも神様から言わせられたものです。で、今言った様に私の腹に光の玉があって、その光が大変なものです。今迄西から東に、文化と言いますか何から何迄向うから来たのです。之は逆であった訳です。東が霊で西が体ですから、体主霊従というのはそこから来たと言っても良いです。その為に体的文化が発達して来たという、本当の幸福な文化は出来なかったというのは逆であったからです。始終言う医学でもそうです。体を治すと言うのです。こっては霊を治すのです。ですからこっちは浄霊で、医学の方は浄体と言いたいが、「浄」でなく「濁」です。ですから当然東から霊的文化が生まれなければならないのです。それで、それに対して霊的は中心ですが、やはり霊ばかりでは仕様がないので、体が肝腎なのです。そこで西から作った体の文化を、東から出た本当の、つまり中身です。それに依って西の文化を、今迄悪い事に使っていたのを良い事に使う様に変えるのです。爆弾を落す飛行機を、早く旅行の出来る様にする。人間を苦しめた物を楽しむ様にするという事が、やはり東から出なければならないのです。ですからそう考えれば別に不思議もなければ、変ってもいません。処が今迄は西の文化ばかりで、それが本当の様に思うから、それと反対に東の文化が一寸分り悪いのです。こんな事(御浄霊)をして病気が治るという事が分らないというのは、そういう様な訳です。
それで、房州の乾坤山日本寺というのは、兎に角乾坤山というのは天地乾坤と言って宇宙を言うのです。それから日本寺というのは、日の本寺ですが、こういうのも神様がそういう名前を附けたというのは面白いと思います。お寺の名前で日本寺というのはありません。で、あそこから日の神様、天照大御神が出られたのです。それで日蓮上人は七百数十年前ですが、今年は日蓮上人の七百年祭と言っているが、あれは法華経を唱えてから七百年です。それで清澄山というのは日本寺から一、二里東の方ですが、其時が最奥天国の霊界に日が出たのです。それから段々現界に写る迄にそれ丈の年限がかかったのです。それで日本寺のある処は保田という処です。「ホダ」というのは、「ホト」という言葉が転化したのです。「ホト」というのは女の陰部です。古事記にありますが、何とか言う女の神様に、天から槍が落ちて来て「ホト」に怪我をさせたという事があります。それで東京湾というものが女の陰部になるわけです。それで東京が子宮にあたるのです。ですから体的にはそういうわけなのです。それで私は東京から生まれたというわけなのです。これは細かく話すともっと面白いのですが、大体それで分ると思います。それで富士山が臍になるのです。日本の国というのは龍の形ですが、これは国常立尊という神様が大地を造る時に龍神になって造られたその形なのです。それが日本の形になっている。で、瀬戸内海は口を開いている処です。それで山陰山陽が上の方になって、四国が顎になるわけです。それで九州を呑込んでいる形なのです。九州というのは世界の型なのです。北海道から千島の方が尾になって、日本海が背中になって太平洋が腹になっている。これからそういう神秘がいろいろありますから分って来ます。丁度出雲が鼻になるのです。それで素盞鳴尊が朝鮮から出雲に渡来してあそこで日本を統治されたという事は、あそこが鼻になるのです。それで鼻が素盞鳴尊になるのです。ですから色々な事にそういう事が現われて来ます。始めという事を「ハナ」とよく言います。それから越後の方は「コシの国」で腰というわけです。そこで越後の柴田(新発田)は肛門になるのです。そこであそこは後ですが、前の方は東京になる。そうすると女ばかりですが、やはり男と女と両方になる。将来は伊都能売になる。それで伊豆半島が男の道具になる。そんなわけで色んな神秘は中々面白いのです。で、日本はつまり霊的の根本になるわけです。ですから富士山なんかは日本の臍ばかりでなく世界の臍になるのです。富士山が丁度地軸の大黒柱みたいな中心なのです。ですからあれは只形の良いというばかりでなく、そういった様な重大な意味があるのです。ですから世界中の今迄の文化は西で出来た文化ですが、それが日本に来た。それは目茶苦茶に出来たものですが、それを日本ですっかり整理して本当の良いものにして、それを又西の方に、さっき「濁水が押寄せて来たのを綺麗にして押返す」という事がありましたが、そういう意味です。そうして色んな悪の目的に作ったものを、今度はすっかり清いものにして世界中に押戻すわけです。それがメシヤ教の仕事なのです。とてつもない大きなものです。そういう様なわけで、私は先に大本教に居た時分に、或る所で講演した時に斯ういう話をした事があります。其時分にフォードの自動車会社が方々に支社を作って、車は車、エンジンはエンジン、ボデイはボデイと専門的に拵える工場を持って、そこから本社の方に送って本社の方で組立てて完全な自動車として売出すという組織になってますが、日本は丁度そういったフォード会社と同じ様なもので、方々で出来た文化を組立てて本当に使い道になる様にして、そうして人間がその御蔭を蒙るという様に考えれば良く分る。ですから日本には支那文化も西洋文化も、各国の文化がみんな入っている。それをみんな組立てて本当のものにして世界中の人間の役に立てるというさまに考えると一番良く分る、と言って講演した事がありますが、それが日本の使命なのです。
それから日本は太陽の国ですからして、太陽の色は白です。白ですが、普通太陽の光は七色と言って、道具があって回転すると白になりますが、あれと同じです。日本の天皇の「皇」という「すべる」という字は、白の王と書いてありますが、あれが日本を「すべる」という意味なのですが、字も実によく出来ているのです。「皇」の字は白の王としてありますが、白というのは「ノ」の字が天から天降ったという形です。そうして日ですから、つまり「ス」が天から下った。それで王というのは日月地を貫くというのですから、あの字一字でもそれ丈の意味が含まれている。そこに各国のそれぞれの色がありますからその色を日本で綜合した綜合文化、そうして白にする。だから今迄思想でも宗教でも何でも、その国の特有の色があるのです。処が日本はそういう色を綜合して、白にして、それがつまり本当のミロクの代の文化になるわけです。そういう根本を知って居れば、日本という国は如何に尊い大した国かという事が分りますが、それを知らないから例の劣等感という、外国の方が上だ、どうも日本人の方が劣っている様に思いたがるのです。それは根本を知らないからで、その根本を私は段々知らせ様と思ってます。処が講和前は、日本の優秀性なんかを言うと、アメリカがにらみますから言うことは出来ない。そうかと言って天皇制時代にはそういう事は言えない。うっかり言うと大変な事になります。漸く今日はそういう事が言える様になったのです。斯ういう時節というものもやっぱり神様が拵えたのです。日本人がそういう事を段々知ると、劣等感は無くなりますし、自尊心が起って来ます。日本人は立派な使命を持っている、日本が世界を救うのだ、という気持丈でも、日本人は汚ない事や悪い事は出来悪くなります。やっぱり劣等感なんかがある為に、悪い事や何かをする。つまり政治家などが汚ない闇的な事を好んでするという事は、やはり自分を安っぽいものに思っているのです。ですから人間は自惚れてはいけないが、自分の尊い事と大きな使命を持っている事を知るという事が一番立派な人間になるのです。ですから今度の選挙も、アメリカは公明選挙という事は言いません。公明選挙と言う事は言う必要がないからです。別に、民主党の方では大分買収したという話は聞いた事は全然ないでしょう。処が日本は今年が今迄の選挙違反では一番多かった。処が今年は公明選挙と言っているが、反って公明選挙という事は言わない方が良い。というのは逆効果になっている。というのは日本人というのは、今言う自信がない。自尊心がないのです。その点が一番なわけです。そうかと言って先の戦争の時の軍部などは大いに自尊心はあったのです。その自尊心が違っていたのです。人を殺す方の自尊心だったのです。悪い意味の自尊心です。これを良い意味の自尊心に変えるわけです。ですからメシヤ教は大いにそういった自尊心を知らせたいと思っているのです。そういう色んな事も、これから段々本当の事が言えます。ですからあらゆるものを良く外国と較べてみると、日本という国が如何に尊い国かという事が段々分って来ます。
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