今度愈々準備が出来たので、樋口さんがハワイに行く事になりました。もう一人嵐さんという人がロスアンゼルスに行く事になって、無論どっちも支部を作る積りですが、丁度〝アメリカを救う〟という本がもうじき出来るので、丁度良いと思ったのです。それでボツボツあっちの方面を開拓しようと思ってますが、そういう時期が来たわけです。アメリカの方で大いに分って来ると、日本はいっぺんに分って来ます。なにしろ日本人の頭というものは、美術などはそうでもないが、外のものは全部アメリカに負けている、大体西洋人の方が上だと思い込んでますから、日本でいくら良い物を作っても、どうも駄目なのです。それほどの物でなくても、アメリカあたりで大騒ぎをやればいっぺんに有難がってしまうのです。これはやっぱり昔支那文化の時分にそんな様でした。ですから漢方医薬というのは、支那の薬だから効くという様に思ったのです。丁度今アメリカで色々な薬が出ると、有難がって採り入れるという様な工合です。ですから日本を救うにはやっぱりアメリカを救う方を先にしなくてはいけないわけです。日本人というのは厄介なものです。これは日本人の雷同性というものが大いにあるのです。信念のない国民はどうも雷同性が多いのです。アメリカで良いと言うからしてきっと良いのだろう、と。それは自動車とか映画というものは確かにアメリカのは良いです。どうせ日本はかないません。それから戦争の道具というのは良いから、それだから外の物も良いというわけにはいかない。日本人にはその区別がつかないのです。だから要するに劣等感という奴が昔から日本人の伝統になっているのです。この頃フランスの話などをよく聞きますと、フランスあたりは経済上その他いろんな点や何かはアメリカに負けてますが、フランス人は一つの誇りを持っているのです。何かというと、アメリカ人は田舎者だと言っているそうです。だからアメリカの流行物というのはあんまり刺戟をしないそうです。英国あたりもそうだそうです。その為に或程度は進歩が遅れるという事もありますが、その国の誇りというものを持っているのです。特に日本人は終戦前は誇りもありましたが、その誇りという事が見当違いの誇りで、例の大和魂とか武士道という様な誇りだった。これはむしろ誇りではなく、恥辱の様なものを誇りと思っていたのです。それが壊れてしまったので、余計自信を失ったのです。これからアメリカに医学の間違いを段々分らせて、医学においては日本にかなわないという事になると、日本人自身も大いに誇りが出るだろうと思ってます。そういうわけで愈々第一歩を歩き始めるという事が、今度のハワイ行きです。ハワイはアメリカに行く飛石ですから、順序としてハワイに手をつけるのです。ハワイには信者が五、六十人出来てますから、それを足掛りにして、それからロスアンゼルスも幾らか信者が出来てます。あそこで日本人の持っている家で適当な処を使って呉れと言っている様ですから、神様がちゃんと準備されているわけです。そういうわけで、その一番の武器としては〝アメリカを救う〟という本ですが、これは来月出来ますから、それを持っていくと非常に良いわけです。そういう様で相当面白くなると思ってます。〝アメリカを救う〟という本には、医学に対して随分遠慮なく言ってありますから、日本向きでやると一寸反感を持たれる点もありますが、アメリカに向ってやるという意味ですから、その点は大いに刺戟が強くなくいくと思ってます。
それからラジオ、新聞でも分っているでしょうが、日本人の愛国心が非常にまごついているのです。以前は忠君愛国で、的というものはまず天皇陛下です。天皇を的として愛国心というのは中々根強く出来ていたのですが、その愛国心が一寸中に迷っている様な工合です。だから色んな説がありますが、それについて一寸書いてみた。
御論文〔新しい愛国心〕 【註 栄光一八五号】
新しい愛国心
(「栄光」一八五号)
この愛国心という言葉ほど、世界共通のものはあるまい。どんな国でも、これを金科玉条としていない国は恐らくないであろう。日本に於ても終戦前までは、他国に見られない程の旺盛な愛国心が国民全般に漲っていた。その原因は、勿論天皇制の為もあり、天皇を以て国民のシンボルとし、現人神として崇め奉っていたのは、我々の記憶にも明らかな処であるが、それというのも、万世一系の天皇としての尊信が、国民感情をそうさせたのは勿論であると共に、一派の野心家や権力者輩も、教育に宣伝に極力煽って、自己の都合のいいように仕組んだのは誰も知る処であろう。その結果、外国にも見られない程の特殊的国家が出来上り、自称神国としてひとりよがりになってしまい、それ程の金持でもないくせに、我侭坊ちゃんのようになっていたのである。
その上、御用学者などという連中も、歴史的論理的に巧みに自尊心を昂めたのだから堪らない。忠君愛国思想は彌が上にも全国を風靡し、国民は何事も国の為、陛下の為として生命を犠牲にする事など何とも思わないようになってしまい、これが最高道徳とされていたのである。それが彼の敗戦によって見事自惚根性は吹ッ飛び、反って劣等感さえ生まれたのである。然もその際天皇の御言葉にもある通り、〝私は神ではない、人間である〟との宣言もあって、国民は驚くと共に、新憲法も生まれ、政治の主権は人民にあるという、日本にとっては破天荒とも言うべき、民主主義国家となったのであるから、全く開闢以来の一大異変であった。そこへ天皇の神位よりの御退位も加わり、識者は別としても、的を失った国民大衆の前途は暗澹となり、その帰趨に迷わざるを得なくなったのは誰も知る通りで、現在もそれが続いているのである。
それに就いて面白い事があった。終戦直後の事、私に会う人達は誰も彼も〝到頭神風は吹きませんでしたね〟と言い残念そうな顔つきなので、私はこういってやった。〝冗談じゃない、正に神風は吹いたじゃないか。君等は神風を間違えていたんだ。本来善を助け悪を懲らすのが神様の御心なのだから、日本の方が悪である以上、負けたのは当然である。だから、寧ろ有難い位で、お祝いしてもいいんだが、そうもゆかないから黙っているだけの事で、何れは分る時が来るだろう〟。これを聞いて彼等は〝よく分りました〟と言い、晴々として帰ったものである。
これによってみても、それまでの日本人は国家の事になると善悪などは二の次にして、只利益本位にのみ物を考えていたので、八紘一宇などという飛んでもない御題目まで唱えはじめ、自分の国さえよくなれば、他の国などどうなってもいいというようになり、これが忠君愛国とされて、馬車馬的に進んだのであるから、全く恐るべき禍根はこの時から已に胚胎していたのである。
以上によって考える時、愛国心と言ってもその時代々々に適合すると共に、善悪正邪の観念を根本としたものでなければ、国家百年の大計は立てられないのである。そこで私は、今後の時代に即した愛国心とはどういうものかを書いてみるが、最も分り易く言えば、それまでの日本は小乗的考え方であったのを大乗的に切替える事で、これが根本である。一口に言えば、国際愛であり、人類愛である。つまり日本を愛するが故に世界を愛するのである。それと言うのも、今日は一切万事国際的になっており、孤立や超然は最早昔の夢となったからである。従って、今後の愛国心を具体的に言えば、こうである。我々同胞九千万人の生命の安全を第一とするのは勿論、道義的正義の国家として、世界の尊敬を受ける事である。それに就いても、今盛んに論議されている再軍備問題であるが、これに対しては余程前から賛否両論相対立し、中々解決がつかないのは困ったものであるが、私から言えばさ程難かしい問題ではない。何となれば、実際問題として考えれば直ぐ分る。それは、『日本に対し侵略する国が絶対にないという保証がつけば、再軍備は止めるべしだが、そうでないとしたら、国力に応じた再軍備は必要である』。只この一言で分るであろう。
これは信者の人は分っている事ですが、ただ説き方を出来るだけ分り易く書こうと思って書いたのです。
御論文〔医療とは〕 【註 栄光一八五号】
医療とは
(「栄光」一八五号)
これについて私は、筆に口に常に知らしているので、一応は言い尽したように思われるが、実はまだまだ足りない気もするのでここにかくのである。何しろ一般の人は医学迷信に陥っている結果、病に苦しんでいる人が余りに多く、到底見ておれないからである。といっても長い年月のコチコチに固まった迷信であるから、これを溶かすとしても容易ではない。そこで私はこれでもかこれでもかというように、あらゆる面から説いて来たがこれなら分らない訳はないと思う程に、本文は徹底したつもりであるから、その気持で読んで貰いたいのである。信者の中には標題だけでも直ぐ判る人もあろうが、しかし一般の人に分らせようとする場合、説き方の参考ともなるから、充分玩味されたいのである。
まず人間何かの病気に罹るや、早速御医者さんに診て貰う。すると御医者さんは二、三の服み薬を呉れると共に、近頃は大抵注射をするからそれでちょっとよくなるので、これで治るものと思って毎日通うか、御医者さんの方から来て貰うかするが、実際は十人中八、九人は思うように治らないもので運よく一時治っても暫くすると必ず再発するのは誰も知る通りである。もちろん薬という毒で一時抑えをするだけで、本当に治ったのではない事はいつもいう通りである。
右のように一時的で完全に治らないのは、御医者さんも充分知り抜いているはずであるが、しかし分っても現代医学ではどうにもならないから、こういうものだと諦めているだけであろう。そこでまずお医者さんの肚の中を想像してみるとこんなところであろう。病気というものは実に分らないものだ。だが今日までの学者、先輩が解剖や分析、機械などで、研究に研究を尽して作り上げた医学であるから、これを信ずるより外はもちろんない。これ程進歩した医学でも治らないのだから、まず気長に世界の学者達が協力して、たとえ僅かずつでも進歩するとすれば、いつかは完璧な医学が出来るに違いあるまいと、ただ漫然と時を待っているにすぎないのが実状であろうから、まことに心細い話である。だがそれだけなら我慢出来るとしても、それまでの間いかに多くの病人が出来、その苦しみは固より、生命の犠牲までを考えれば考える程恐ろしい気がするのである。
ところで現在の病理であるが、病原は最初黴菌が口からか、鼻からか、皮膚等から侵入し、繁殖するためとされているが、これはまことに単純な考え方である。では御質ねしたいが黴菌が侵入しても病が発生する人と、しない人とが出来るのはどういう訳であろうかである。するとお医者さんは言うであろう。黴菌に負ける弱い身体だから発病するのだとの定り文句であろうが、事実はその反対である事が近来分って来た。それは結核は腺病質の子供は余り罹らないで、健康な子供の方が罹るという事実である。これだけでも医学は丸っきり判っていないのである。右は小さい例だが、大きい例といえば医学が益々進歩する程、病気の種類も増えどこもかしこも病人だらけである。何よりも薬の新聞広告をみても分る通り、デカデカな広告を出しても、割に合う程病人が多い訳である。従って真に薬が効くものなら段々病人が減ってゆき、ついには薬の広告主もなくなり、お医者さんは飯が食えず、病院は閉鎖する事にならなければならない。
ところが事実はその反対ではないか、としたら大いに考えざるを得ないであろう。それについて私は長い間随分医学の盲点や、薬害の恐ろしさをかいて来たが、もしこれが間違っているとしたら、その道の人は大いに憤慨し凹ませに来なければならないはずだが、今日まで一向そんな人はないのをみると、御説御もっともとしているのであろう。私といえども宗教家であり、人類愛をモットーとしている以上、悪口や失業者を作るような説は言いたくないが、何としても記かざるを得ない程悲惨な現状と、神から命ぜられた私の役目を思うからである。
それから宗教で病気が治るという事は精神的に影響して治るのだ、という様に今のインテリなどが考えているのですが、これが大変な間違いで、どうしてもこの迷盲(迷妄?)を打破しなければしようがない。ですからそれに対して分らせる様にしようと思ってます。外の信仰は確かにそういう事はあるかも知れないが、メシヤ教だけは全然そういう事はないのですから、その点を大いに強調して分らせる様にしなければいけないと思ってます。昨日かの日日新聞の宗教欄に出てましたが、これからは、宗教は精神的に治すし、医学は肉体的に治す、という様に平行していくのが理想的だ、と書いてありましたが、我々からみると驚いてしまうのです。しかし普通常識的にみるとそう思うのも無理はありません。医学は病気を肉体的に治すものだし、宗教は病気を精神的に治すものだ。だから肉体と精神と両方でやれば一番良いと思うのは、尤も当り前で、誰もそう思うに違いないのですが、それが大変な間違いであるという事はメシヤ教でなくては分らないのですが、その点を書いてみたのです。
御論文〔医学療法と信仰療法〕 【註 栄光一八六号】
医学療法と信仰療法
(「栄光」一八六号)
今日医師諸君はもちろんの事、インテリ階級の人達は例外なく、信仰で病気が治る事実に対し、決って左のごとき解釈をする。大体病気というものは、病は気からといって精神作用が案外大きいものであるから、信仰で病気を治そうとする場合、その宗教の教師などから神仏の利益を過大に言われ、言葉巧みに必ず治るように思わせられるので、何しろそれまで医療でも何の療法でも治らないで困り抜いている際とて、まともに信じてしまい、まずそれだけで精神的に快方に向かうので、別段神仏の利益でない事はもちろんであるという観方である。そんな訳だから本教の治病奇蹟がどんなに素晴しいと聞かされても右のような解釈で片付けてしまうのであるからやり切れない。その度毎に吾々は憤慨を通り越して呆れるばかりである。もっともそう思うのも無理はないかも知れない。なぜなれば今日までの信仰療法の多くがそれであるからである。
ところが本教の病気治しは、それらとは根本的に異っている。それをこれから詳しくかいてみるが、まず本教へ治療を乞いに来る限りの人々は、もちろん最初から疑っている。何しろ新聞雑誌は固より、大部分の社会人殊に智識人などは、必ずと言いたい程病気は医薬で治すものと決めているからで、今日のごとく素晴しい進歩した医学と信じ切っており、これ以外病を治すものはないと思っている。しかも最近アメリカで発見の新薬もそうだが、その他精巧な機械、手術の巧緻等々によって、安心して委せている現在、そんな新宗教の病気治しなどは問題にならないではないか、そんなものを信用したが最後、飛んでもないことになるかも知れない。それこそ迷信以外の何物でもないと、色々の人から云われるので、それもそうだと思い、宗教治病の機会があっても逃してしまうのである。ところが病気の方は遠慮なく益々悪化し、ついには死の一歩手前にまで追い詰められる結果、自分から医療に愛想をつかした人々は、本教に縋ることになるが、そういう人は極く運のいい人で大部分の人は医療に嵌ったまま御国替となるので、実に気の毒なものである。という訳で病気は治らず、金は掛かり放題、苦痛は増すばかりなので、煩悶、懊悩の際、たまたま本教の話を聞くが、これ程科学が進歩した今日、そんな不思議なことがあってたまるものかとテンデ話にならないが、外にどうしようもないので、では瞞されるつもりで、一度試してみようくらいの肚でやって来る人が大部分で、初めから信ずる人などほとんどないといってもいい。としたら精神作用など微塵もない。ところで来てみると医学の素養など全然ないはなはだ風采あがらない先生らしい御仁が、薬も機械も使わず、身体にも触れず、ただ空間に手を翳すだけなので、唖然としてしまい、大病院や博士でも治らないこれ程の大病が、あんな他愛ないやり方で治るなどとはどうしても思えない、だがせっかく来たので帰る訳にもゆかないから、マアー一度だけ試してみようとやって貰うとこれはまた何たる不思議、たちまち病気以来かつてない程のいい気持になり、苦痛も軽くなるのでいよいよ分らなくなる。しかし分っても分らないでも、快くなりさえすりゃいいという訳で、どんな頑固な人でも無神論者でも、一遍に頭を下げ、百八十度の転換となる。これがほとんどの人の経路である。
以上の事実を仔細に見ても、本教治療法のどこに精神的狙いがあるであろうかである。ところがそれに引替え医学の方はどうであろうか、むしろ精神面からいって比べものにならないではないか。まず当局はじめ言論機関、学校教育等々、医学の進歩を旺んに強調し、これ以上のものはないとして、病気になったら手遅れにならない内、一刻も早く医師に診て貰い、指示通りにせよ、それが正しい方法で、決して外の療法などに迷ってはいけないと極力注意する。しかも立派な大病院、有名な博士、完備せる施設、精巧な機械、新薬等々、実に至れり尽せりで、これを見ただけでもどんな病気でも治ると思うのは当然で、安心してお委せするのが今日の常識である。このような訳で医学を信ずる人はあっても、疑う人など一人もないのである。
以上によってみても、医学に対する信頼は百パーセントであるに反し、吾々の方の信用は零よりもマイナスなくらいである。にもかかわらずその結果は散々医療で治らない病人が、我方へ来るやたちまち治ってしまうのであるから、その治病力の差は月とスッポンといえるのである。この事実を公平に言えば、現代医学こそ迷信であり、我医学こそ正信であると断言出来るのである。つまり医学を信じて生命を失うか、信じないで助かるかのどちらかであろうといったら、恐らくこれを読んで愕然としない人はあるまい。これは歴史的に見ても分る通り、時代の変遷は昨日の真理も、今日の逆理となる事さえ往々あるのであるから、あえて不思議ともいえまい。このような明らかな道理が今日まで分らなかったのは、全く過去の亡霊に取憑かれていたからであり、それを発見する人も出なかったためでもある。また世間こういう人がよくある。もしそんな事で病気が治るとしたら、医者も薬も要らないではないかと言うのである。全くその通りで医者や薬が無くなったら、世の中に病人はなくなると答えざるを得ないのである。以上のごとく現代医学こそ、世界的迷信の最大なるものであって、人類から病を無くすとしたら、何よりもこの迷信を打破することこそ先決問題である。
この間ラジオ、雑誌、新聞などでお医者さんの意見を聞きますが、余程我々の方に近い説を唱える人が時々あります。薬はあんまり飲むなとか、注射は一時的であんまりやっていると反って結果に悪い影響があるという様な事を時々聞きますが、ああいうお医者さんは、こっそりとこっちの本を見ているのではないかと思います。尤もこれだけ始終言っていれば、見る人もあるでしょうし、話を聞く人もあるでしょう。一つの空気が出来つつある様なのです。それでやっぱり本当のものは一時誤解されても、結局時の推移に従ってどうしても分らないわけにはいかないのです。
これはお医者さんの方ですが、もう一つはっきりして来たのは、近頃新宗教というものの社会の見方が余程違って来たのです。これは新聞などの書き方を見ても、新聞が中々新宗教を取り上げて来たのです。新宗教に対する色々の批判的の記事などもありますが、前とはまるっきり違って来ました。前は大体軽蔑的な目をもって見てましたが、近頃は新宗教というものも相当存在の意味がある。だから大いに認めなければならないという様な傾向が非常にはっきりして来ました。これは大いに慶ぶべき事だと思ってます。それでそういった見方はやっぱりメシヤ教を中心にしている様に思われます。そこで病気治しなども、新宗教の病気治しとか奇蹟というものも満更良い加減なものではない。相当根拠があるという様に見てますが、これも本当のものはどうしても埋れている筈はないです。そこで医学の方もジリジリと分って来るに違いないと思ってます。
それに対して今度の〝アメリカを救う〟は来月あたり出来ますが、そうしたら新聞広告を思いきって積極的に出そうと思ってます。そうして社会の問題にしたいと思ってます。問題にするという事は、医者とか薬屋とかの方面が、けしからん、とんでもない事をやりやがったと言って、憤慨したり怒ったりすればしめたものなのです。そうして問題になれば本は売れるに決ってます。一寸違うけれども、チャタレー夫人みたいにああなる。そうすると、この岡田という奴の説が本当とすれば大問題だ、医学は何とかしなければならない。しかしこれが若し医学の方の説が本当で、岡田の説が間違っているとしたら、これはけしからんという事になりますが、処がそうなると結構なのです。そうなるとどうせ医学の方は間違ってますから、こっちの方に旗が上るに決ってます。そうすると医学の間違っているという事が早く分りますから、大変に大きな救いの現われになります。だから出来るだけ問題になる様にしたいのです。これは各大臣から国会議員、新聞社、病院、著名なお医者と、そういう方面にみんな配る積りです。喧嘩と言っては変ですが、喧嘩を吹掛ける様なやり方ですが、戦端を開くというわけです。そんな事はしたくないが、どうしてもそうしなければ医学迷信を打破する事が出来ないのです。なにしろ一口に言えば医学迷信打破運動です。今読んだ通りです。そうすると一番困るのは、お医者も困りますが、薬屋が困ります。この反対運動が出るでしょう。全然商売は上ったりになるのですから。今日でも薬の事業というものは中々大きなものです。この間一寸見ましたが、現在日本の薬の売高は一年間に七十億とか出てました。実際はそれではきかないでしょう。公のがそれだけで、まだ公でない風邪の薬とか富山の薬売りとかあります。富山の薬売りだけでも大変です。一年間に十億とか七億とか書いてありました。紺紺の着物を着て脚絆を巻いて黄色い声を出してやってますが、それがあんななのです。日本における薬剤の売高というのは大変なものです。処がこっちの説を若し信ずる人が増えるとしたら、段々薬屋の方が上ったりになりますから、この方の反対も中々大変です。しかしそういう事がなかったら、こっちの目的は達せられないのです。その点は神様がうまい工合にやられると思ってます。兎に角結局において、どうしても問題になると思います。そうすると政府も何うしたら良いかという事になる。医学の方に旗を上げるか、それともメシヤ教の方に旗を上げるか、というドン詰りまでどうしても来なければならないのです。そうなると面白いのです。又そうならなければいけないのです。こっちの方は実際に病気が治る処を見せるのですが、医学の方は実際において駄目なのですから、こっちが勝つに決ってます。そこにおいて初めて医学迷信という事が分って多くの人が救われるという事になります。そこまでいくという事は覚悟して置かなければなりません。おそらく世界始って以来ない仕事です。兎に角最初の出発点は医学の革命ですから、今迄色んな革命はありましたが、これほど大きな革命はないと思います。無血革命と言いますが、無血革命でなく無病革命です。ですから随分変った革命です。お医者や薬屋はその革命の犠牲になるわけです。けれども大の虫を助けて小の虫を殺すので、これはどうもやむを得ないのです。そういう点も考えて、中々大きな仕事です。しかし又一方大の虫の方は助けられたら、これは大変な喜びですから良いのですが、なにしろ段々そういった仕事が大きくなり、色んなそういった問題にされますから、私らもその覚悟でやりますが、最初の〝アメリカを救う〟という本、それから〝結核信仰療法〟も来年の春あたりに出るでしょうが、今度は本当に腰を据えて乗り出して戦うというわけです。その積りで大いにやって貰いたいと思います。
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