話は宗教には関係のない事ですが、アイゼンハウアーが割合良い成績でアメリカの大統領に当選しましたが、この原因を良く考えてみると、なにしろアイゼンハウアーという人は極く貧乏人の伜で、子供の内から散々苦労した人であるし、それからステイヴンソンの方は金持の息子で、子供の内から非常にお坊ちゃん育ちだったのです。外にもありますが、其点が一番だと思います。だからアイクの方は実行力があるのです。何んな問題でも、つまり実行力で解決附けて了うという、そういったやり方ですから、ああいった選挙の様な事でもそういう点は隙がなくやるわけです。処がステイヴンソンの方は、どっちかと言うと理想派の方で、実にお上品でインテリがみると非常に良いが、アメリカの現実主義の国民性としたらアイゼンハウアーを支持するというわけです。ステイヴンソンというのは丁度日本の犬養健に似ている様な気がするのです。ですから犬養健というのは頭は良いし中々偉いのですが、やはりお坊ちゃん育ちなので、そこに何処かナメられるというそういう点があるのです。
(補足「犬養健」――父は政治家犬養毅。白樺派の作家として活躍したのち、父を援けて立憲政友会から衆議院議員に初当選し、政界に進出。戦後の吉田茂内閣では法務大臣になるが、29年の造船疑獄では、重要法案の審議中を理由に指揮権を発動し、検事総長に逮捕中止と任意捜査を指示。翌日に法務大臣を辞任し、以後は政界から遠ざかった。)
世の中は、相手はインテリ階級もあるし労働階級もあるし中産階級もあるというわけですから、其人達みんなが大いに共鳴するといった様な事は非常に難かしいのです。私はそういう点は宗教でも大いにあると思います。例えてみれば、生長の家というのはインテリを狙って出版物ばかり発行してますから、そういう階級には相当です。この頃宗教の様になりましたが、以前は宗教とも一寸違う様な形がありました。非常にお上品なのです。そこに行くと立正交(佼?)成会というのは、太鼓叩いて、法華経ですが、あれはインテリではなく大衆です。只太鼓叩いて有難い有難いと言って喜ぶという、そういうのに大いに受けるのです。そうかと思うとPL教は〝宗教は芸術なり〟という事を一番の立前にしてます。それには違いないが、芸術とは何かというとダンスをやるのです。別に美術的の事をするのでもないし、文学とかそういう事もないし、宗教は芸術なりというが実際やっていることはダンスを主にして、あとは夫婦が非常に仲良くしなければならないというのでやっているのですから、言う事とは少し違っている様に思われるのです。メシヤ教の方は言う通りに実行してますから、其点に於て大いに認められるわけです。そういう様なわけで、上中下のあらゆる階級に合うという事は中々難かしいのです。そこでメシヤ教の方は病気が治るという之が武器です。之はどんなインテリ階級だろうが労働者だろうが庶民でも何でも、病気というのは一律一体です。只インテリの方は医学迷信の信者の方が多いから、之は一寸やり悪い話ですが、ですから斯ういう人達が分り出すと非常に早いわけです。併しメシヤ教には割合有象無象は無い丈、外とは大変違うわけです。
それでアイゼンハウアーが朝鮮に行って、朝鮮問題を解決すると言ってますが、あれは一つの人気取りでもあるのですが、けれども中々そういうわけにはいかないでしょう。何しろアメリカの人の頭でソ連を考えたら、それは分る筈がありません。てんでアメリカ人が想像も附かない腹です。スターリンの腹の中を分るという人は恐らくないだろうと思います。というのは、スターリンも自分で分らないのです。スターリンの奥にスターリンを操っている者があるのです。之はやっぱり霊界ですから、非常に神秘で奥深いのです。
それで色んな平和運動とか、此間も日本で仏教徒大会がありましたが、アジア各国の仏教家の偉い人がみんな来て決議をしました。世界平和の運動、つまり仏教精神を大いに吹込んで、大いに世界を平和にするというので、看板は良いですが実際馬鹿馬鹿しいものです。平和を何うする斯うするという事は急所があるのです。急所というのはスターリンの腹です。ですからスターリンの思想を切替えるより外にないのです。各国が〝平和運動〟とやる方が、反ってスターリンはほくそえんでます。成丈世界で平和運動が盛んになる方が共産主義には有利です。平和運動をしてアジアが平和になると、アジアを侵略するのに都合が良くなります。だから仏教徒大会が平和運動をやっているのは、共産主義擁護運動という事になります。見方が甚だ浅いのです。此間もフランス人にユネスコを奨められましたが、ユネスコを鉄のカーテン以外にやるのは結構だが、中をやらなかったら何時ぶち壊されるか分らない。むしろスターリンをユネスコに入れる事より外に世界平和は出来ない。難かしい。と言ったのです。そういう事が出来ますかと言うから、私は出来ると言った。メシヤ教の信者になれば良いのです。スターリンがメシヤ教信者になるかも知れません。それは神様がやるのですから、神様はスターリンくらい一寸ひねってしまいます。それからソ連が順調にいっているから、スターリンも鼻をおやかして良い気持になってますが、一度逆になっても手も足も出なくなると、如何に剛復(腹?)な彼でも、何かに縋らなければなりません。其時にメシヤ教の本でも読めば、ははあ之だなとなるかも知れません。そういう様な事は以前に型が出てました。そうならなければ没落です。夜逃げ同様にするか、さもなければ病気で死ぬか、共産主義が没落するか、その三つの内のどれか一つです。
今どの宗教でも病院を拵えてますが、それについて書いてみたのです。
御論文〔宗教と病院〕 【註 栄光一八一号】
宗教と病院
(栄光一八一号)
この事に就いてはよく訊かれるから、玆に詳しくかいてみるが、成程現在相当名の知れた宗教は、残らずといいたい程病院を経営しているか、或いはこれから建てようとしているのは衆知の通りである。処が我救世教に限って病院を造らないので、不思議に思う人も世間には随分あるであろうが、これには大いに理由がある。それは本教の浄霊療法は、医療に比べて比較にならない程卓越しており、病院の必要がないからである。これに就いていつもいう事だが、本来宗教なるものの地位は、科学以上であらねばならないもので、其処に宗教としての尊い価値があるのである。といっても形式だけで実が伴なわないとしたら、単なる観念の押し売りにすぎないといえよう。そこへゆくと我救世教は観念などの必要はなく、どこ迄も現実一本で進んでいる。この事に就いて特に言いたい事は、人間の生命を救う力が宗教よりも科学の方が勝っているとしたら、宗教は科学以下になるのは当然であるから、無神論を非難する訳にはゆかないであろう。その結果理論や御説教、祈りなどでお茶を濁すより致し方ない事になり、現実生活とは掛離れた存在となってしまうから、識者から無用の長物扱いされるのも止むを得ないであろう。これも全く宗教の罪であると思う。
とはいうものの実は誰も知らない処に大いなる理由が潜んでいるので、今それをかいてみよう。先ずその根本であるが、これはどうしても霊的に説明しなければならないから、そのつもりで読まれたいが、何といってもキリスト教始め、今日尚命脈を保っている多くの宗教は、開教当時は相当病気が治ったと共に大なり小なり奇蹟があったに違いないと思われる。でなければその宗教の発展もなければ、今日まで続いている筈がないからである。吾々の知る限りに於ても、天保時代に生まれた彼の天理教始め、明治、大正、昭和の初め頃までの新宗教にしても、開教以来相当病気が治った事実はよく耳にするのであるが、今日それらの宗教が揃いも揃って病院を造る事である。成程時世の為とは言い乍ら、実をいうと病気が治らなくなったのが真の原因である。この事は当事者と雖も気附かない筈はないが、その原因も分らず、どうしようもないので、病院を造らざるを得ない羽目になったのであろう。
それに就いて詳しくかいてみるが、いつもいう如く長い間世界は夜であったが、霊界の事とて人間には分らなかったのである。それが愈々時期到来夜と昼との交替が始ったのである。それに就いては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつつあるので、この現われとしてその頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである。では何が理由かというと、これこそ今日までの凡ゆる宗教は夜の時代の救いで、月の神の守護であったからで、病気に対して月の光は薄いので、或程度以上の効果は困難であったのである。其処へ我救世救出現に及んで俄然一変したのである。というのは本教は昼の宗教で日の神の守護であるから、日の光は月の六十倍に当り、その効果の絶大なる、歴史上にも嘗てない医の業であるからである。然も日が出れば月の光は漸次消えるから、本教の治病力は年と共に効果を増し、最近に到っては奇蹟相次ぎ、殆んどキリストと同様な治病報告は頻々と来るのである。これによってみても、霊界が昼となり火素が増え、浄化力が強くなった事は疑う余地はない。然もその影響は宗教許りではない、医療に迄も及ぼして来た。近来医師がよくいう、以前は随分効いた薬だが、近頃はサッパリ効かなくなったといって嘆いている。併し吾々にはよく分る。それは医療は、排泄されんとする毒素を固める方法としての薬である以上、火素が増えるに従い薬では固らなくなるのは勿論で、つまり溶ける力の方が強くなるからである。そこで益々毒を強める結果一時的効果があるという訳で、近頃の如く新薬が続出するのである。処が益々浄化が強くなり、遂には如何なる薬でも効かなくなり、行詰ってしまい医学の一大危機が来るのは当然であるから、玆に初めて本教浄霊に頭を下げざるを得なくなるのは、各宗教に於ての病院も同様であろう。故にこの事を今から予言しても間違いないのである。
此間京都に行く時に、名古屋で〝東方の光〟という事について一寸話したのですが、それを書いてみたのです。これは大変参考になる事です。
御論文〔東方の光〕 【註 栄光一八二号】
東方の光
(栄光一八二号)
今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から〝東方の光〟という言葉が生まれ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄この言葉の意味が本当に分らなかった為、今尚謎の儘になっているのであるが、私はこれに就いて真の意味を知らせようと思うのである。
では〝東方の光〟とは何かと言うと、結論からいえば実は私に対する予言であったのである。これを知ったなら驚かぬ者はないであろうし、第三者としては直に信ずる事は出来まいから、茲に確実な例証を挙げて説き明かしてみるのである。それには先ず私の生まれた場所と、それからの移動経路である。私の生まれたのは改正前の東京市浅草区橋場町という貧民窟であった。この場所に就いて説明してみると、こうである。日本という国は言う迄もなく地球の極東に当り、且つ日本の東の都は東京であり、東京の東は浅草であり、浅草の東は前記の橋場町であるが、橋場から東は隅田川になっているから、全く此処は東のドンじまいで、世界全体からみても最東端である。此処でオギャーと生まれた私は、八歳の時橋場から西に当る千束町という町に移り、小学校を終えた頃日本橋区浪花町へ移り、次に京橋区築地町へ、当時の荏原区大井町へ、同大森へ、麹町区平河町へ、今の玉山荘のある玉川へ、次いで大いに飛んで箱根、熱海へ移ったが、今度は京都へというように十回移動したが、右の内麹町を除いては九回共西へ移転している。勿論今後も西へ西へと移って、何れは中国から遂にはヨーロッパ辺りまで行くのは勿論である。
玆で今迄の日本に於ける凡ゆる文化を検討してみると、その悉くは西に生まれ東に向って移行発展したものである。宗教上では、仏教、キリスト教始め、日本に発生した神道、仏教の各宗各派も、悉く西に生まれ東漸したものであって、只日蓮宗丈が東から生まれた唯一の宗教である。というのは、これには深い理由がある。それはどういう訳かというと、抑々仏教本来の意義は、いつも言う如く夜の世界であった期間中の救いであって、つまり月の神の守護であったのである。処が時節到来昼の世界に転換する事になるに就いては、一切は霊界が先であるから、霊界に於ては已に七百年前に黎明の第一歩に入ったのである。
その為に生まれたのが彼の日蓮上人であって、彼が一通りの修業が終るや、一念発起愈々法華経弘通に当らんとして不退転の決意を固めるや、先ず故郷である安房に赴き、海に近い清澄山に登って、今や太陽の昇らんとするその刹那、東天に向って南無妙法蓮華経の称号を声高らかに唱えたのである。そうしてその時を契機として愈々法華経を振翳し、天下に対って怒号し、法華の功徳を口を極めて礼讃したのであった。それから凡ゆる法難と闘い、遂に今日の如き揺がざる一派を樹立した事績は、襟を正さしむるものがある。上人のこの偉業こそ実は東方の光の最初の一石であったので、これを霊的にみるとそれまで闇の世界であった霊界の東端、今や太陽の昇らんとする直前、微かな一閃光であったともいえる。勿論人間の目には映らないが、大経綸の一歩として重要なる神事であった事は勿論である。それから六百数十年を経た昭和六年六月十五日黎明を期し、私は三十数人の供を従え安房の乾坤山日本寺の山頂に登って、東天に向い祝詞を奏上すると共に神秘な或事が行なわれた。それはまだ発表する事は出来ないが、この行事こそ夜が昼になる境目としての経綸であった。面白い事には、清澄山は右の乾坤山の東方指呼の内にあり、全く姉妹山である。又寺の名が日本寺というのも、右の神秘を暗示している訳である。
右は仏教に関する因縁をかいたのであるが、その他としては、儒教、道教、支那学、漢方医学等々、日本最初の文化は悉く中国、朝鮮から渡来したもので、近代に至って西洋文化が輸入された如く、日本文化の殆んどは西から東漸したものであった。というように、初めから東に生まれたものは日蓮宗以外全然なかったのである。又茲で考えなければならない事は、右の如く西に発生した文化によって平和幸福な理想世界が出来たとすれば何をか言わんやであるが、現実は全然その逆でさえある。成程今日唯物的には立派な文明世界にはなったが、肝腎な人間の幸福は全然得られないばかりか、将来とても得られそうもないと思うのは、何人も同様であろう。それが為現在の人間は心の底には何等希望もなく、その日暮しの内にも何かしら不安がコビリ附いているので、心の底には希望の光を求めて止まないのが大多数の共通した観念であり、この欲求の中心こそ実に東方の光であったのである。
右の如く私は文化の根本が逆の移動であった事をかいたが、その理は大自然の実相を見ればよく分る。即ち日月は東から生まれて西に向って運行する事である。これが真理である以上、東方に生まれた物こそ永遠なる真そのものであるから、これを信じ行う人にして真の幸福を得られるのは断言して誤りないのである。これを一言にして言えば、今日まで西から東へ押寄せた濁水を一挙に清めて、西へ押し返し、澄み切った水晶世界を造らんとするのである。
この事は一番肝腎な事でして、之については色んな神秘があります。乾坤山日本寺ですが、日本寺に行った人は分りますが、山の上に石仏が沢山あります。達磨、観音、釈迦、阿弥陀、釈迦の十大弟子から羅漢と、それは仏教に関係した仏様は全部網羅してあります。それで入口には、お釈迦さんが行をした沙羅双樹――樹下石上と言って、石の上で行をされた。それであそこは日本に於ける仏界の型なのです。あそこに開けるのです。乾坤山という之も面白いのです。乾坤山日本寺という名前がちゃんとそれを現わしている。それで日蓮上人は、最初直ぐ前の山の清澄山で「妙法蓮華経」を唱えたという事は、今読んだ通り〝東方の光〟の一番先掛(駆?)けだったのです。そうして日本寺は房州の保田という処ですが、「ホダ」というのは「ホト」というのが転化したものです。「ホト」というのは女の陰部になる。之は神代の言葉で、古事記にあります。何とか姫というのが機を織っていたら、天から槍の様な物が落ちて、女の「ホト」に中った。そういう事がありますから、日本寺がそれになるわけです。そこで房州というのは閨房という事です。それで日本は龍の形なのです。それで東京湾が女の陰部になり、富士山は臍になって、伊豆諸島が男の道具になるのです。そういう風になるので、どうしても東京から生まれるのが本当なのです。つまり東京が子宮になるわけです。ですから今読んだ、橋場という処で私が生まれたのはそういうわけです。そうして日本の地勢を研究してみると中々面白いのです。丁度九州を呑んでいる形なのです。それで瀬戸内海は口になるわけです。それで鼻が出雲になる。出雲は素盞鳴尊が朝鮮から渡って来て、あそこで日本を統治したのです。そこで人間も鼻は素盞鳴尊になるのです。それで目は、左が天照大御神、右が月読尊、日月になります。それで鼻というのは、始めるとか、とんがった先の事、岬などを〝ハナ〟と言いますが、そういう様なもので之が舟の舳にもなるのです。それで私は箱根の神山荘に最初行った時に、洋間が舟の形になって、応接間が舟の舳になるのです。それであれが鼻になるのです。神様はうまく拵えてあるなと思ったのです。ですから此処(咲見町仮本部)もそうなってます。斯うなって舟の形です。そこ(ヴェランダ)が鼻になるのです。そこで大本教の綾部という処は目になるわけです。ですからあれは非常に重大な処で、今にあそこに経綸が始まりますが、神秘ですからまだ言うわけにはいきません。そういうわけで九州を呑もうとしている形です。それで九州というのは大事な処でして、あれが一つの地球の型の様になっているのです。日本では九州、支那では満州は大事な処でして、あれが一つの地球の型の様になっているのです。日本では九州、支那では満州ですが、之は非常に神秘があるのです。之は段々分って来ますが、そうして太平洋は腹になっているわけです。日本海の方は背中なのです。それから越後あたりが腰になる。それであれは「コシの国」と言うのです。それで何ういう訳で龍の形になったかと言うと、之は大本教のお筆先にありますが〝国常立尊が龍神になって働いた時が、日本と同じ龍の形〟という事がありますが、之はそれには違いありません。そうして尾が北海道から樺太の方に繋がっているのです。それでソ連が樺太を取ったという事は、尾を一寸つまんだ、取ったのです。併し今に放さなければならないのです。そんなわけで、房州から日が出たのです。それは六月十五日で、十六日に帰って来ると、之は私の本に書いてありますが、下駄屋の小池という男に神秘な事があった。それから三日目に、其時分の一寸有名な彫物師で森鳳声というのが私の処に来て〝自分は非常に貴い御方の彫物をしたくて頻りに心が動く、一体そういう物をやって良いでしょうか〟〝それは何ういう物か〟と言うと〝天照大御神です〟〝それは良い〟〝何の位の丈に〟〝それは五尺六寸七分〟〝それだけの木が無かったら〟と言うから〝下を岩か何かにして、それでも良い〟と。それから彫り出した。この人も大本教信者だったのです。それで出来てから、是非大本教に献納したいと言うので、それは結構だと、それで和田堀に東京の別院で紫雲郷別院というのがあって、其処に出口先生が時々見えるので、其処に献納して白布で巻いて疵が附かない様にしてあった。其時に神秘な事があった。其処に瀬戸物の等身大の観音さんが飾ってあったが、丁度天照大御神を上げる一寸前でしたが、一晩経って翌る朝見ると、首が取れたのです。私は之は随分不吉な事だと思った。何かあると思った。というのは、出口先生は其時分に観音だという様な積りで居たのです。それで首が取れたという事は、あんまり良い事ではないということが気になってましたが、それから少し経って天照大御神の木像を大本教の本部のある亀岡に運んであそこに飾ったのです。私はそれは見ませんが、飾ったのです。それが昭和六年の暮か七年の春です。それから昭和十年十二月に大本教事件が起って、出口先生ああいったが牢屋に入って非常な苦しみをされた。七年間入られたのです。其時、之は私丈しか知らないが、天照大御神様は日の神様で、出口先生は月の神様です。之は全く月の神様です。間違いない。それでやっぱり日が出たので月が消えるという。霊的に見るとそういう事だと知りました。そういう神秘な事があったのです。そんなわけで、この御神業というものは非常に重大な神秘な事なのです。
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